「あの支部長さん、また変わった方でしたね」
「ああ、不審という言葉を絵に書いた様な男だった。自分では上手くやっている気でいるのだろうが、あれでは何かを隠しているのがバレバレだ」
「あ、あはは……まあ、確かに分かりやすい方でしたよね」
街に出現する食人花に関する調査。
ユキがリヴェリアと訪れていたのはメレンギルド支部であった。
仮に陸路から食人花を持ち込んだとして、そんな事ができる組織はこの街には3つしかない。
ニョルズ・ファミリアと町長、そしてギルド支部だ。
「ユキ、お前はどう思った?あのルバートという男、十中八九隠し事をしているだろう」
「ん〜……確かに正の思念に恨まれている所はありますが、どちらかと言えば小悪党の部類だと思います。あの程度ならオラリオにも沢山居ますよ」
「そうか……やはり便利だな、その感覚」
「いえいえ、そんな大したものではありませんよ。所詮は生前か今を生きている人達の強い思念しか見えませんから。自分の手を汚さず、誰にも気付かれない様に罪を犯している様な相手には通用しませんからね」
「だが、人を見る目は良くなるだろう?」
「ふふ、そうですね。だからこそ私はリヴェリアさんとお話ししたいと思った訳ですし♪」
「……なるほど、そこに繋がってくるのか。何かこう、手品の種明かしをされた気分だな」
「私もそうですよ。オラリオに来てから人に恵まれてると感じていたんですが、それは自分から選んでいたからなんだなぁって今なら思います。……それでも、リヴェリアさんに会えた事はやっぱり幸運だったと思う訳ですが」
「……こんな所で照れる様な事を言うな。全く、そんなに撫でて欲しかったのか?」
「えへへ」
相も変わらずイチャイチャ、イチャイチャ……ギルド支部長の不審な事など既に頭の中には無く、引っ付いて甘えてくるユキの頭をリヴェリアは撫でる。
色々と心配事の多い恋人だが、やっぱり可愛らしくて愛おしい事は間違いない。
本当に時間と平和が許せば、リヴェリアはユキを愛でて愛でて愛でて愛でて、恐らく1週間くらいは食事以外で部屋から出てこなくなる事だろう。
ただ現状がそれを許してくれないだけであり、リヴェリアのユキに対する独占欲は恋仲になった後からむしろ増大しているのだ。
加えて……リヴェリアは既に、ロキによって覚悟を決める様に導かれている。その決心がつく日も、恐らくそうは遠くない。
「っ」
「ん?どうした、ユキ」
「……強い混乱と恐怖の思念……その中心にあるのは……リヴェリアさん!あっちです!」
「お、おい!待てユキ!」
……本当に、時間と平和が許してくれないだけで。
いつだって厄介事はユキを逃してはくれないのだ。ユキだって厄介事を無視出来ない性格なのだから、本当にリヴェリアの心労は凄まじい。
「なっ、これは……!」
「ティオネさん!それト……んぅっ!」
「くっ、ユキは来るな!あの馬鹿者……!」
突然走り出したユキを追っていたリヴェリアは、そこで一般人の多く居るこの街中ではあまりにも過剰な戦闘を繰り広げている2人を見つけた。
単なる拳と拳の打つかり合い。
……にも関わらず、その余波は家屋を破壊し、道を砕き、民達を怯えさせる。
ここにはニョルズ・ファミリアに所属して居ない、それこそ恩恵すら持っていない者達が多い。その余波の一つでさえも彼等にとっては致命的であるし、女性どころか子供だってここに居るのだ。
レベル6になったティオネと、その彼女と同等以上に打ち合うアマゾネスの女戦士の打つかり合いなど、比喩表現でもなんでもなく、目の前で爆弾が連鎖的に破裂している様なもの。
いつ致命的な怪我人が出てもおかしくない。
「集え、大地の息吹ーー我が名はアールヴ【ヴェール・ブレス】」
身体の奥から込み上げる衝動を抑える様にして蹲るユキ。
そんなユキの代わりに人々にヴェール・ブレスをかけ、余波に巻き込まれる事を防ごうとするリヴェリア。
しかし、いくら彼女の防護魔法をかけた所で、恩恵のない人間があの威力の攻撃を受けてしまえば致命傷になってしまう。これはあくまで巻き込まれる事を防ぐ為だけの処置だ、戦闘の直接的な被害者となってしまう様な事になれば意味が無くなるのだから。
……そしてそんな悪い予感は、考え得る限り最悪の形で実現する事となった。それもリヴェリアが魔法を唱えた直後に。
「っ、危ない……!!」
女戦士の拳によって吹き飛ばされたティオネが落ちた先、そこには何の罪も無い小さな少女が居たのだ。
しかし、そんなことも関係ないとばかりに、女戦士は追撃を仕掛ける。気付いたティオネはなんとか少女を守ろうとするが、それが間に合うのか、それで間に合うのか、プラスに考えるのは楽観が過ぎるだろう。
……そして、そんな不確定な要素に小さな少女の命を賭けられる程、ユキは大人ではなかった。いくら今の自分では間に合わないとしても、間に合う可能性を持っている以上、その少女を救える手段があるのならば一つでもあるのならば迷う事なく行使する。
たとえその手段が如何に己が使いたくないものであったとしても、目の前の小さな命を救うために使う事を躊躇ったりはしない。
「ゴめんクレア。暫ク好きニしてイいかラ、お願イ…………………アァ』
それまで必死に堰き止めていたその黒い衝動を、ユキは一気に解き放つ。
仲間の前では、なによりリヴェリアの前では決して見せたくないと思っていたそれに、ユキは何の迷いもなく身を任せる。
それは焦りによる判断ミスではない。
ユキは知っていたからだ。
そして信じていたからだ。
自分の中に眠るそれは、今も変わらず、正義の心を燃やして優しい人々を救ってくれる彼女のままであると。
自身の信じた、自身の愛した彼女のままであるということを。
「…………アァ、気分ガ悪イ」
「がっ!?」
ティオネと少女に向けて振り下ろされた必殺の蹴撃に、凄まじい光量を放ちながらその身を崩壊させている剣が一振り叩き付けられる。
剣は触れた瞬間に巨大な爆発を引き起こし、女戦士の体を先ほどティオネがされた様に易々と吹き飛ばした。女の足はレベル6の肉体であるにも関わらず焼け爛れ、それを成した剣は自らの爆風によって周囲の空間に灰となって消えていく。
当然、ティオネに守られていた少女には怪我は無く、周りの者達にもまた被害は無い。
被害があるとすれば、それは……
「なんだ、オマエ……!」
「……コレカラ死ヌ猿二、自己紹介ガ必要カ?」
「っ、殺す……!」
「オ前ガ死ヌンダヨ」
投げ付けられた2本の剣が、凄まじい速度で立ち上がった女戦士の眼前に迫る。
片足を負傷し機動力を減らした女は、それでもその速度に反応し宙へと身体を逃すが、直後にその2本の剣もまた軌道を変えて女を追尾した。
自身を崩壊させる程の極大の光量を放つ剣……そしてその末路を、女は先ほど体感したばかり。
「!」
宙に逃げたのは、完全な悪手であった。
そもそもユキ?の頭の中には、周囲の民間人の安全が第一にある。
故に最初の爆発の一撃もまた、威力が抑えられていたものだった。
それが全力で爆発させても民間人に影響の出ない空へと敵が逃げたとするならば、最早容赦する必要など微塵もない。
「ふざけるなァァア!!」
それでも、女もまた歴戦の戦士だった。
いくら相手の手の内が分からず、自分にとって相性の悪い手札を使われようとも、この程度の劣勢で絶望するほど柔な心は持っていない。
「ァァアアア!!」
向かってくる剣に強引に拳を打ち付ける。
自らの身体からなるべく離れた地点で爆発を起こす様に、両手を犠牲にして抗う。いくらそれによって拳が弾けようとも、身体に直撃するよりはずっとマシだ。
生き残り、立ち上がり、もう一度近付く事さえ出来れば、あの突然現れた気色の悪い気配を醸し出す女を殺す事くらいは容易い。
ただ剣を投げて爆発させる事くらいしか能の無い臆病で棒の様に細く脆い女ならば、ただ一発蹴り付けてやれば、それで……
「剣光爆破/ソード・エクスプロージョン」
爆発によって眩む視界の向こう側。
丁度女戦士の落下地点近くだと思われる場所で、ユキが持っていた最後の剣がヒビ割れる。
だがそのヒビは単なる破損したものではない。
一つ一つの割跡からはまるで内部に押し留められなくなったかの様に雷形の光が迸っており、次第にそれは圧を増していく。
……分からない。
あの剣があの後にどういった事象を起こすのかが分からない。
だがそれでも、女には一つだけ確信出来ていた。
それは、アレを喰らえば間違いなく、仮に死ぬ事は無くとも、自分はまともに動けなくなるという事。それ程にあの剣には濃密な覇気が込められており、その持ち主の目にもまた明確な殺意が宿っている。抱いている魔力量も尋常では無い。
誰もがその人物を先程まで見ていた彼女だとは思えなかった。
ここまで容赦なく他者の命を奪う様な人間ではないと、誰だって知っていた。
「消エロ、雌猿」
今や剣の形も残っておらず、ただ太陽の如く光を放つ光源となった何かを、落ちて来た女にユキは振り上げようとする。女もまた焼けた拳を振り被って、必死になってそれを迎撃しようとする。
しかし、先程とは比べ物にならない圧倒的な熱量のそれを前にして、その程度の拳が役に立つとは思えない。このまま衝突してしまえば、それこそ本当にその女戦士の身体の大半は膨大な熱量によって跡形も無く焼き尽くされてしまうだろう。
レベル6にまで至った腕も、体も、溶かし、消し飛ばす事はなくとも、元が人とは分からない程にドス黒く炭化させて、人として満足のいく生という物を完全に消しとばしてしまう事が出来てしまう。
「やめろ!ユキ!!」
「……!」
寸前。ユキの身体は何者かによって引き倒され、振り上げられた腕もまた、その女によって引き止められた。この身体がその身で覚えてしまっているかの様に、何の抵抗も出来ず、されるがままに。
「……リヴェリア」
「それ以上は止めろ、ユキ…………いや、クレア・オルトランド」
「…………」
「止めろと言っている!!」
リヴェリアによって引き止められたその右手を、彼女は更に力を加えて振り払おうとする。しかしリヴェリアはそれを両腕を使って必死になって引き止めた。
Lv.6のリヴェリアとLv.5になりたてのユキ。いくら魔法職とはいえ、本来ならばリヴェリアが単純な力で負ける事は無い。
だが今のユキは、それこそリヴェリアが必死になって止めても止まらない程に異常な力を持っていた。そしてそれは当然、ユキに対して何らかの強力な強化が与えられている事に他ならない。
「退ケ、邪魔ヲスルナ」
「そうはいくものか!これ以上ユキに……重荷を背負わせる訳にはいかない!」
「退ケ」
「退かない!」
倒れたユキに馬乗りになり、未だ力の込もった右手を押さえ付けるリヴェリア。それでも一向に力を緩める気配のない無表情のユキ。
そして……
「シィィネェェェエエ!!」
「っ!?」
そんな2人の背後から、落下した直後の女戦士が襲い掛かる。
攻撃の対象となっているのはリヴェリアだ。
「リヴェリア……!」
それまで無表情であったユキは即座に身を起こし、リヴェリアを庇う様な形で抱き寄せて迎撃を仕掛ける。
女戦士の蹴りはユキの顔面に向けて、ユキの光の塊は女戦士の喉に向けて、互いに確実に相手を殺す為に刃を向け合う。
正真正銘の命の奪い合い。
戦闘を楽しむだとか、強さを求めるだとか、そういった余地はそこには介在しない。ただ互いの存在を消す事だけを考えた、殺意以外の感情の伴っていない純粋な否定の一撃。
この先にどちらかの死が待っているのは明らかだった。
『そこまでや(じゃ)!』
……故に、互いの神が他を完全に凍り付かせる程の濃密な神威を放ってまでそこに介入したのは当然の話で。むしろ、よくぞその場に間に合ったと言うべきなのかもしれない。
恐らく両者のどちらかでも欠けていれば、その衝突を完全に食い止める事など出来なかった筈だったのだから。二柱分の神威となれば、どんな化物であろうとも動きを止められる。
「止めてくれたんは助かるけど、流石にそれ以上は看過できんで?クレアたん」
「アルガナ、お主も死ぬのであればせめて他の糧となってからにするんじゃな。そやつと相打った所で、後に残る物は何もあるまい」
「カーリー……………分かった……」
「…………」
「クレアたんも、止まってくれるか?」
「…………」
「断ル」
「なっ!?」
「カーリー!!」
その言葉と同時に、ロキとカーリーの放つ神威に抗う様な凄まじい呪気が放たれた。比較的慣れたロキやリヴェリアでさえも吐き気を抑え切れないほどの不快な気配、カーリーの神威を真正面から打ち破る程の強大な黒色の威圧感。
呪詛を扱うアルガナでさえも瞬間的に膝を突き、その隙にユキは付き人すら伴っていない無防備な女神カーリーに光の塊を叩き付けようと飛び上がる。
その予想外の行動と不快な威圧に、ロキとカーリーもまた何の行動も起こせなかった。
リヴェリアでさえも信じていたからだ。
これで彼女は止まってくれると……
「【目覚めよ(テンペスト)】!!」
「ッ、邪魔ヲスルナァ!アリアァァア!!」
「私はアリアじゃない……!目を覚まして、ユキ……!!」
理由は分からない。
しかしこの数秒の停止の中で、レフィーヤ達と共にここへと走って来たアイズだけは動く事が出来た。カーリーに向けて差し向けられた光の塊に、アイズは手加減無しの全力の風を打ちつけ、ただ力を相殺する事に尽力する。
今にも爆発しそうな光の力を、アイズの風が包み崩していく。
立ち塞がった風の壁を打ち破ろうとする光の暴力を、それでもアイズは真正面から受け止める。
「殺ス、殺ス!殺ス!!殺ス!!!殺ス!!!!退ケェ!アリアァ!!今殺サナケレバ、私ガ殺サナケレバ、ソノ女神ダケハァァア!!」
「っ……!ごめん、ユキ……!」
【リル・ラファーガ】
「ッ!?」
「アイズ!!」
感情の昂りと共に出力の上がった光の力を、アイズは最大出力のエアリアルで迎え撃つ。
これしかもう方法が無かった。
こうでもしなければ止まらないと分かってしまった。
それほどの事をしなければ、最低でも意識だけでも刈り取らねば、決して止める事が出来ないと、分かってしまった。
「ガッ、はっ……!」
「ユキ!!」
アイズの渾身の一撃によって、ユキの身体が地面へと叩き付けられる。
そしてそれとほぼ同時に、それまで付近を支配していた圧倒的な負の気配が、まるで夢かなにかであったかの様にしてその一帯から消え失せた。
倒れ動かなくなったユキの元にリヴェリアが急いで駆け寄ると、どうにもまだ呼吸だけはしているらしい。
アイズの思い通り、意識を刈り取る事は出来たようだった。
……ただ、相殺し、打つかり、叩き付けられた時の衝撃と、風による一点突破の破壊力で身体にいくつか損傷が見られ、どうにも無事とは言えない。今直ぐ手当が必要だろうし、むしろよくこれだけで済んだと言うものだ。
そしてなにより良くない事は……ユキの今の状態を他の団員達に見られてしまった事だろうか。
その吐気を催す様な感覚も含めて、ユキの悍しい性質が。
「……まさか、妾の神威を真正面から打ち破るとはのぅ。助かったぞ、アリアとやら」
「違う」
「……カーリー言うたか、もうさっさと自分らの国に帰りや。次は助けてやれへんで」
「ほう、自身の子供の手綱すら握れない主神がよく言う」
「…………国ごと滅ぼしたってもええんやぞ」
それはただの八つ当たり。
互いに互いの処理できない衝動をぶつけ合っているだけ。
殺されかけたカーリーと、その切っ掛けとなった相手を睨むロキ。
カーリーとて、まさかこんなバケモノがロキ・ファミリアに居るとは思わなかった。
一方でロキも、まさかユキがここまで異常な存在になっているとは夢にも思わなかった。
互いにとっての異常事態だったのだ。
一見冷静に睨み合っている二神だが、その内情は平常ではない。
互いに大きく動揺しているのが事実であった。
「その女子はどうするつもりじゃ?ロキよ」
「……この街から引き離す、当然やろ」
「そうじゃな、その方が都合が良い。どうにも妾達は其奴に嫌われとるようじゃしのぅ……それこそ、必ず殺すと言われる程に」
「……」
テルスキュラの文化。
行われている儀式と犠牲。
そして幼子に対する洗脳めいた教育。
そこにいくら愛があろうとも、それをユキが納得できる筈がないとは思っていた。
だが、それすらも甘い考えだった。
たとえユキが見逃しても、その裏にいる者が決して許しはしなかった。
許す事など、あり得なかった。
誰もが恐怖して近付けないユキに、リヴェリアとアイズとレフィーヤだけが近寄って治療を行う。
それまで民達に危害を加えていたアルガナよりも、その民達に決して被害を与えない様に立ち回っていたユキの方が恐怖されるというのは、なんとも救いの無い話だろう。
知り、理解して、それでもこうして労ってくれる者が居るだけ幸福だと言えるかもしれないが……
「リヴェリア、私……」
「……いや、よくやってくれたアイズ。情けない事だが、私には止められなかった」
「リヴェリア様……」
「話には聞いていたのだが、まさかここまで手が付けられないとは……言葉だけならばいくらでも好き勝手な事が言えるが、こうして実際に目で見てみれば案外ショックは大きいものだな……」
愛で止められるものでは無い。
信頼で止められるものでも無い。
止めたいのならば、その力を上回るしかない。
悪を殺す人格。
正義を示す光の魔法。
だれよりも成長する恩恵。
追い詰める程に強化されるスキル。
これだけの手札を持つユキが、仮にクレアの人格に完全に乗っ取られてしまったら……果たしてこの世界から一体どれだけの悪人が消えてしまうだろうか。そして彼女は一体どれほどの命を奪う事になるというのか、想像もできない。
(……いや、今は考えるのはよせ。私)
自分の愛する恋人が、この世界から恐怖によって悪を排除する様な強大な存在となってしまうなどと……そんな事は考えたくもない。