「リヴェリア、ユキたんの様子はどうや?」
「……今は眠っている。治療も魔法やポーションを使わず、即効性のない通常の方法で施した。仮にあの人格が残っていたとしても、満足に立ち上がる事すら出来ないだろう」
「……すまんな、辛い事させとる」
「気にするな、私が好きでしている事だ。……好きで、な」
この街へ来て二日目の夜。
ただ、そこに漂う雰囲気は1日目のそれよりも更に重い。
あの後、意識を失ったユキの身体には骨折から打撲まで大なり小なりの傷が残っていたが、リヴェリアはそれを決して完治させる事は無かった。
それは当然、今のユキがどこまで元の状態に戻っているのか信用ができないから。
次にユキの中に眠る彼女が目を覚ましたとしても、決して誰にも攻撃する事が出来ない様に、非情にも身体へのダメージを残したままに寝かせている。
その行為をせざるを得ないリヴェリアがどの様な思いを抱いてるのかは分からないが、やはり少なくとも落ち込んでいるのは確かだった。
「ティオネはどうだった……?」
「"荒れとる"っちゅうよりは、"落ち込んどる"ってのが正しいやろなぁ。ユキたんの事情を軽く説明したのもあって、責任も感じとる」
「……アイズも、少なからず思い悩んでいる。怪我を負わせた事もそうだが、恐らくあの時にユキがアイズの事をアリアと呼んだ事も理由の一つだろう」
「ユキたんやなくて、クレアたんが、やけどな」
「……ああ、そうだな」
そして、漸く確信できた事。
それは、ユキが悪人に対して暴走するその性質は、やはりユキの中に存在するクレア・オルトランドの仕業だと言う事だ。
正義の心を持ち、けれど悪人に対して異常なまでの憎悪を抱くという、反転した精霊に成り果ててしまった少女。彼女は今でも確かに、ユキの中に存在している。
そしてユキの中から今でも変わらず、悪を根絶しようと企んでいる。
ユキの身体を使ってでも……
「食人花が出た以上は調査は続けなあかんけど、最悪ティオネとユキたんだけでもオラリオに帰した方がええかもしれんな」
「アルガナ、だったか……ユキとティオネを揃えて出せば、あのアマゾネスが襲って来る可能性も高い様に思うが……」
「う〜ん……まあ、今のユキたんを1人にさせるのも違うか……これは本当にフィン達を呼び寄せる事も考えとかんとあかんかもなぁ」
元々は調査と息抜きが目的であったが故に、女性だけの集まりにユキもこうして連れて来た。だがここにカーリー・ファミリアが居る以上、ユキにとっては息抜きにならないだろう。
これならば本当に、リヴェリアと共にホームに残しておいた方がずっと良かったかもしれない。この海に来てから、ユキはずっと何かを気にしていた程度には、張り詰めていた筈なのだから。
「……そういえば、海でユキたんは街の中と海の上から変な感覚がする言うとったな。海の上に居ったのがカーリー・ファミリアだとして、街の中に居る奴等ってのはなんや?」
「それは……やはり食人花をこの街に持ち込んで来た者達ではないのか?それこそ町長やギルド支部長や……」
「その程度の奴等やと、カーリーには釣り合わへん。ユキたんはあの時、街の中の方が息苦しい言うとった」
「……だとすれば、カーリー・ファミリアに匹敵する程の思念を背負う何かが、まだこの街に潜んでいるという事か?」
「せや、そこはもう間違いないと言ってもええ」
「……もしユキがその潜んでいる何かと接敵してしまえば」
「あれ以上の暴走なんて、あんま考えたくないんやけどなぁ……」
リヴェリアの言葉を無視し、ロキとカーリーによる神威による制止を振り払い、神にさえも容赦なく刃を向ける異常性。
人と神の理など関係無く、ただ悪に属する者を、無念を抱いた思念達が悪と判断した者をこの世界から排除する。
そこに例外など存在しないし、愛や信頼でさえも引き止める鎖にはならない。
「……あのアルガナというアマゾネス、少なくともレベル6になってから身体を慣らす程度の時間は経っていた筈だ。単純な戦闘力でさえも今のティオネに匹敵していた」
「そんな相手をレベル5になったばかりのユキたんが、4本程度の凡剣で圧倒した……バランスも糞もあらへんわな」
「普段のユキとは戦い方が異なっていた、相性の問題も確かにあっただろう。……だが、それだけで覆せる程レベルという概念は甘くない」
もしそうだとすれば、自分達はかつてのあの日、もっと容易くかつての最強のファミリアの英雄達を退ける事が出来ていただろう。
レベル1つ違うだけでも、そこには圧倒的な戦力差が存在している。
圧倒的な経験値の差が存在している。
その経験値というのは恩恵の物ではなく、単純な戦闘における経験値も含めての話だ。
1つのレベルの違いには、その数値だけでは測る事の出来ない差というものが存在するのだ。
本来であれば。
「……Lv.5に至って、ユキたんのスキルも強なったって事か」
「スキルというと……"英雄被願望"の事だな」
「あのスキルは十中八九ユキたんの恩恵の呪いに繋がっとる。そんでその呪いの正体はユキたんの中に封じ込められた反精霊、つまりクレアや。スキルが強まるっちゅう事は、それはつまりユキたんの中のクレアまで強化されるっちゅうことになる」
「……まさか、恩恵が成長する事で、恩恵に刻まれた呪いまで強化されるとでも言うのか」
「ユキたんの呪いは元々恩恵が何らかの理由で変質したもんや。それは反発しとるもんやなくて、むしろ共存しとるもんと言ってもええ。ユキたんがレベルを上げるにつれて、ユキたんの中のクレアもその存在を強める」
そしてそのクレアが力を付ければ付けるほど、神具によって抜き取るべき負のエネルギーも増していく。
ユキがクレアをその身に宿した時、そのエネルギーは神具の容量を超え、封じ込めたその後にユキ程の精神力を以てしても狂気に至らせ、ユキの身体が本能的に五感をシャットダウンする程の衝撃があったと聞いている。
……そんなものを果たして本当に処理出来るのだろうか?
ユキが今どんな手段を用いて普通に生活できるまでになったかは分からないが、それもきっと普通の手段では無いだろう。
(にも関わらず、ユキ自身がレベルを上げた事でその負のエネルギーもまた増大していたとしたら……)
こんな負の遺産を引き受けていられるのは、それこそユキくらいしか居ないのではないか……そう思えてしまう。少なくとも自分には無理だ。
神々でさえも力が使えない以上は、そんなものを引き受ける事など出来ないだろう。
たとえレベル7の猛者でさえも、それは不可能だ。
それは肉体だけではなく、心と魂にさえも負荷をかけてくる異物なのだから。
(まだなんか秘密がありそうやな、ユキたんには……)
理由もなく、証拠もない、そんなあやふやな勘による思い。
だが、神であるロキにとってはなによりもその勘こそが最も真実に近いのだと、それはロキ自身もよく知っていた。
ロキとリヴェリアがユキやこれからのことについて話していた頃。
ユキの部屋にはアイズとレフィーヤの2人が、浮かない表情で座り込んでいた。
リヴェリアから頼まれてユキを看病……もとい監視していた2人だが、そんな中でも包帯に身体を巻かれたユキは未だ一向に目を覚ます事はない。
ポーションや回復魔法があるオラリオでは、この様な自然治癒に任せた治療法が使われる事はあまり無いというのが現実だ。
レフィーヤとアイズも久しくそんなものを見ていなかったのだが、そのせいもあってか今のユキの姿は2人にとって、どうにも痛々しく見えてしまう。
そうでなくともこの怪我をさせたのはアイズだ。
いくら仕方がなかったとは言え、それで何も感じないという事など有り得ない。
「あの……今、いいかしら……?」
「ティオネ……」
「あ、えっと、大丈夫ですよ?治療はあらかた終わりましたし、今は落ち着いているので」
「そう……それなら良かった、けど……」
その会話すら無いような静かな部屋へとやって来たのは、昼間に割り込んできたユキを相手に何の反応も示す事の出来なかったティオネだった。
あの後、ユキのことにドタバタとなってしまい、ロキどころかリヴェリアからも注意の一つも受けることの無かった彼女。そのせいなのか、彼女はどこか居辛そうな顔でこの場所に足を踏み入れていた。
それでも目を覚さないユキを見て、一瞬でその表情にはまた別の感情が浮かんで来たりするのだが……
「……ユキのあの人格、アイズとレフィーヤは知ってたの?」
「私は、聞いてただけ。しっかりと見たのは、今日が初めて」
「私は……2度目です。24階層で闇派閥と食人花の大群に襲われた時に、命を救われた事があります」
「そう……」
「ティオネ?」
ティオネは眠っているユキの頬に手を当てる。
ユキがアルガナを圧倒し、二柱がかりの神威を突破し、本気でカーリーを殺そうとしたあの瞬間。
ティオネはただ座り込んでそれを見ている事しか出来なかった。
最初のきっかけを作ったのは自分だと言うのに、民達を巻き込む形で戦闘を始めてしまったのは自分だと言うのに。
その後処理を全て彼に押し付けてしまった。
「カーリーとアルガナにあれだけ反応したのに、ユキはどうして私を殺そうとしなかったのかしら。私だって沢山殺してきたのに」
「ティオネさん、それは……」
「ユキの中の人格は悪人に反応するんでしょう?でもそれって、一体どういう基準なのかしら。オラリオなんて屑ばっかりじゃない。私やティオナは仲間を殺してる、ベートだってしょっちゅう暴力沙汰を起こしてる、犯罪歴のある奴だって少なからずうちには居る」
「…………」
「本当に悪人が許せないのなら、私の事も攻撃すべきだったのよ。私とアルガナに何の違いがあるって言うの、やってきた事は同じじゃない」
それは一体誰に対しての、そして何に対しての恨み言なのだろうか。
もしかすればティオネ自身もよく分かっていないのかもしれない。
ただ、この言葉にするのも難しい滅茶苦茶な感情を、どう処理すればいいのか分からないのだ。せめてあの時に自分が負けてしまったというだけならば、まだ簡単に割り切る事が出来たというのに。
「ティオネ、どこに行くの?」
「部屋に戻るだけよ、さっきの今で出歩く訳無いでしょ。……ユキのこと頼むわよ、レフィーヤ」
「は、はい!」
本当に顔を見に来ただけと言ったように、ティオネはユキの部屋を後にする。
……確かに様々な感情を処理し切れずにここへ来たのは確かだが、もう一つ、確認したかったのだ。
自分の知っているユキはまだ生きているのかを。
ティオネ・ヒリュテにとって、ユキ・アイゼンハートとは扱いに困る人物だった。
当初、それこそ何の前触れもなくファミリアに入り込んできたヒューマンの美少女。
綺麗で、お淑やかで、気が利いて、家庭的で……昔、想い人であるフィン・ディムナが溢した好みの女性の条件に『お淑やかな女性』というものがあっただけに、それはもう警戒したものだった。
……しかし、そうして警戒していた相手が実は男性であったと聞かされた。それも外の世界で、テルスキュラに居た訳でも無いにも関わらず、単独でレベル3に至ったという確かな実力者だと。
それに自分達はよく知らないが、アストレアというオラリオでも有名な神の下に居たと言う。
そんなよく分からない相手が彼だ。
ユキがファミリアに入ったばかりの頃は、直ぐに仲良くなれたティオナやアイズとは違い、当然ながらティオネは少し離れた所からその様子を見ることしか出来なかった。
『ユキは"女々しい男"なのだろうか?』
男であるにも関わらず、女の様に振る舞う。
一人称も私だし、野性味を感じられない。
容姿も女性らしいばかりか、着る服や趣味も女性物ばかり。
ティオネがそう感じてしまっても仕方のないことだろう。
少なくとも、男としての魅力など彼から欠片も感じられる筈が無かった。
……けれど、そんな彼女はある日、怪物祭に現れた食人花の群勢をたった1人で押さえ込んだ。自分達が苦戦した食人花だけではなく、それ等を強化する様な人型まで出て来たという話なのに。それでも。
『ねぇ、どうしてそんな無茶をしたのよ。逃げようとは考えなかったわけ?』
『へ?……あ〜、えっと、あの時はまだ逃げている人が居たので』
『それで死んだら意味無いじゃない、この街に来たばかりのあんたがそこまで身体を張る理由も無いでしょうに』
それは本当に、純粋な疑問だった。
家族がいる訳でもない、知り合いがいる訳でもない。戦力的には明らかに劣っているし、時間稼ぎも不可能。それならば逃げ出すべきだし、そうでなくとも生き残る努力をするべきだ。
幸いにもこの街には強い冒険者も多い。
当時のユキより強い冒険者なんていくらでも居た。
なにもユキが命を懸けて身体を張る必要など無かったのだ。
『……癖、の様なものです』
『癖……?』
しかし、そんなティオネの疑問に対しユキから語られた答えは、それまでのユキに対するイメージを粉々に破壊する様な衝撃的なものだった。
『ほら、私オラリオの外では1人で戦ってましたので……なんとなく、自分がどうにかしなきゃって考えちゃうんですよ。この街には私より強い人達が本当に沢山いるのに、自分がどうにかしないといけない!って思い込んじゃいました。傲慢ですよね、ふふ』
『…………』
果たして、それを傲慢と言っていいのだろうか。
それを傲慢と言える者が居るのだろうか。
少なくとも、ティオネはその言葉にそれ以上の追求をする事など出来なかった。
ユキ・アイゼンハートは強い人間だ。
どんな絶望の中に置かれても、最後までたった1人で戦い続ける事が出来る。
ユキ・アイゼンハートは優しい人間だ。
見ず知らずの民間人の為に、本当の意味でその命を張る事が出来る。
そして、ユキ・アイゼンハートは異常者だ。
自分の命よりも上に置いている物が多過ぎるし、たとえ1人では到底抱え込めない様な物でも嫌な顔一つせずに抱え込む。
ユキ・アイゼンハートは壊れている。
ユキ・アイゼンハートは狂っている。
あれは人間として壊れているだけではなく、生物としても壊れている。
テルスキュラで生まれたアマゾネス達ですら持っていた物を、ユキは持っていない。
本来生物に与えられる普遍的な機能でさえも、ユキの中では働いていない。
自身の死に対する恐怖というものが、あまりにも薄れ過ぎている。
『ねぇユキ、あんた恋ってした事ある?』
『へ?いえ、無いですけど』
『……そう』
『いきなりどうしたんですか?』
『ん?うーん……』
『?』
『……まあ、あんたも恋をしてみた方がいいわよ。きっと世界が変わって見えると思うから』
果たして、今のユキにはこの世界はどうやって見えているのだろうか。
良くなっている。
前よりずっと人間らしくなっている。
そう思いたい。
そう思いたいのに……
ティオネの頭の中からは、あの時に見たユキの剥き出しの殺意の表情が離れない。
そして、あんなものを引き出してしまった自分の短慮さと愚かさからも、逃れる事が出来ない。