「なあ、ユキ」
「ん?どうかしたの、クレア」
その日は、世界を真っ赤に焦がす様な明るい夕暮れが広がっていた。
教会の屋根の上に座り込み、肩を寄せ合う2人。
甘える様に頭を持たれ掛けるユキに、修道服をラフに着た短髪のその女性は満足そうに頬を緩める。
「あたしさ、やっぱりもう一度アストレア様に頼もうと思ってんだ。眷属にしてもらえないか、ってさ」
「そう、なんだ……」
はしたなく膝を立てて座る彼女は、ユキとは真逆に何処か男性味を感じる雰囲気を纏っていた。
後手に髪を纏め、腕を捲り、身体を預けるユキの肩を優しく叩く。
きっと外から見れば彼等2人の性別は真逆に見えているだろう。
それ程に2人は対照的な存在だった。
「あたしはさ、両親を殺した奴等を探したいんだ。その為にはどうしたって力がいる、今のままじゃ居られない」
「……見つけて、どうするの?許せないその人達を見つけて、クレアは」
「ふっ、そんなの決まってんだろ?」
心配そうに見上げるユキの頭に手を当て、クレアはガシガシと手を動かす。
ユキはそれでも暗い表情を浮かべたままだが、そんな彼に対して彼女はしっかりと目と目を合わせて言葉を語った。
まるで自分はこれっぽっちも嘘をついていないと証明するかの様に。
「あたしは、そいつら全員とっちめて、懲らしめて、纏めて牢屋に打ち込んでやるんだ!」
「クレア……!」
「ま、正直に言えば殺してやりたいけどさ。そんなことしたら、ユキが悲しむだろ?だったら出来ねぇよ、そんなの」
「……ありがとう、クレア。そう言ってくれると、私も嬉しい」
「ははっ、別に大したことじゃない。単にあたしの復讐心より、ユキに対する愛情の方が強かったってだけだ。あたしを引き止めてくれたのはお前だよ、ユキ」
額と額を合わせて笑い合う2人。
友人にしては近過ぎる2人の距離。
それが家族のものなのか、恋人のものなのかはわからない。
ただ、そこには確かに、強く、硬く、切れる事のない絆があるというだけで。
「ロキ……!」
「アイズ、ティオナ達とユキたんは見つかったか!?」
「ううん、見つからない……ただ、ユキに似てる人がポーションを買ってたって聞いた。何処かに隠れてるのかも」
「ポーションて……こないな所で売っとる様な質の悪い奴じゃどうにもならんやろ、なんではよ帰って来ぉへんのや」
「……恐らく、帰って来ればまた軟禁されると思っているのだろう。ユキは……いやクレアは、今は1人で行動する事を望んでいる様にも見える」
「1人で、カーリー・ファミリアを殲滅するの?」
「いや、そこまでは分からない」
レフィーヤが拐われてから数時間が経った。
既に日も落ち始め、街からも少しずつ活気が消え始めている。
ロキ・ファミリアからは今、4人の団員が消えていた。
アルガナに出会った直後、何かを察したかの様にその姿を消したヒリュテ姉妹。そしてその妹バーチェによって拐われたレフィーヤと、それを追って同様に姿を消したユキ。
どうにも、良くない事ばかりが連続する。
相手の動向だけではなく、自分の陣営の事すらも把握出来ていない有様。
先手を取られるという事は、否が応でも相手の術中で足掻かなければならないとは分かっているが……正直に言えばとても苦しい。
「取り敢えず、ユキたんが今自分の回復に努めとるっちゅう事が分かっただけでも十分や。流石のクレアたんも身体の不調を無視して動いたりはせえへんのやな」
「ああ……だが、やはりクレアの性格や行動原理を把握出来て居なかったのは痛いな。実際、彼女は過去にユキの身体を使って死ぬ寸前まで戦っている」
「24階層の時のことやんな。確か、あの時もレフィーヤが助けられたんやったか。1番詳しそうなレフィーヤが居らんのも、なんや嫌な運命的なもんを感じるなぁ」
それぞれの実力は疑っていないし、レフィーヤだって人質の立場に居るのだから手荒な事はされないだろう。
……というか、レフィーヤの事に関しては状況を見ればそう気にする必要もない。
それは別にレフィーヤの事を見捨てているとか言う話ではなくて。
「カーリー・ファミリアは間違いなくユキたんの事を怖がっとる筈や。その気になれば向こうの最強戦力2人と相討ちになれる、コントロール不可能な未知の駒。しかもそれが今、何処に居るのか分からんくなっとる」
「……なるほど、ユキを下手に刺激する様な真似は極力したくないという事か。クレアが眷属を狙っているならまだしも、あれは間違いなく頭の女神カーリーを狙っている。あちらも女神を殺される事だけは避けたいだろう」
「それに、ぶっちゃけクレアたんが命無視して本気出したら、たった1人でカーリー・ファミリアを壊滅しかねんからな。レベル5のユキたんやけど、今は両方のスキルが乗っとる状況や。武器さえ充実しとれば、実際には6.5くらいの力は出せるやろ」
「そう考えると末恐ろしいな、状況次第ではレベル1つ分は軽く超えて来るという事だ。加えてユキとは違い、武装を爆破させてくる。単純に斬り付けて来るよりも余程厄介だ」
もしクレアが何かの拍子でロキ・ファミリアと対立すれば、その被害は凄まじい事となるだろう。
なにより、彼女がより多くの武器を手に持ってしまった時の事は考えたくない。彼女の前では全ての剣が強大な爆発物となるのだ。
それこそ、別の世界ではミサイルと呼ばれる様な物に近い。
そしてユキと違い、そこには一切の容赦が無い。
「……あの、リヴェリアさま」
「ん?どうした、アリシア」
そんな話をしている時、それまで部屋の隅で静かに佇んでいたアリシア・ファレストライトが声をかけて来る。
リヴェリアからの指示をこなす事が出来ず、どころかあの瞬間、単なる足手纏いにしかなっていなかったと落ち込んでいた彼女。
今も少し元気のない様に見えるが、それでも何か抱えているものがあるのか、どうもその目には力が見える。
「その……もし次にその人格、クレアと言いましたか。彼女が出て来たら、私に説得を任せて貰えないでしょうか?」
「……なぜだ?」
「私は……どうにも彼女がただの狂人とは思えないのです。それに、彼女には助けられた借りもあります。任せてもらえないでしょうか?」
「だが、お前はユキとはあまり関わりは無かっただろう。お前がやるよりも、私やアイズがした方が勝率は高い様に思えるが」
「それは……」
「何の理由があったのかは聞かないが、お前は普段からユキを避けていた。それで本当に説得出来るのか?」
リヴェリアの言うことは尤もだった。
アリシアはユキとは殆ど関わりが無い。
それこそ言葉を交わしたことくらいはあるが、初期の忙しさに加えて、最近のリヴェリアとの関係もあり、2人でゆっくりと話し合った事など殆ど無かった。
ユキへの嫉妬から避けていた事など、レフィーヤの言った通りに自分でも否定できない事実だ。
そんな彼女にユキの、クレアの説得を任せる事など、普通ならば出来る筈もあるまい。
「……それでも」
「ん?」
「それでも私は、彼女と話したいと思います」
「………どうしてそこまで拘る」
それでも、それでもアリシアは拘った。
自分が相応しく無いと分かってはいても、それでも珍しく強く主張する。
どうしても自分がその役割に立ちたいと。
崇拝するリヴェリアすらも差し置いて。
「憧れたから、です」
「憧れた……?」
「彼女は、クレアさんは……決して悪い存在ではありません」
「………」
「彼女はカーリーを殺す機会があったにも関わらず、私が襲われている所を見るや、一切の躊躇なく助けに来てくれました。自身のエリクサーすらも当然の様に私に使い、しっかりと目を合わせて言葉を掛けて下さった……」
「……そうか」
「せめて、せめてそのくらいの働きはしたいのです。……それに、皆さんはユキの事しか知らないではありませんか。ユキの事を1番に思っている筈です」
「それは、そうかもしれないな」
「それなら、1人くらいはクレアさんの事を気にしていても良いと思うのです。そして出来るならその人物に、私がなりたいと、そう思いました」
あくまでユキの味方ではなく、クレアの味方でありたいと。
そう主張するアリシアに、リヴェリアの顔は渋くなる。
その主張自体は別に構わない。
そう思う者が1人くらい居てもいいだろう。
ただ、少しばかり話の虫が良過ぎるのではないかと思うだけで。
「……分かった。そうまで言うのであれば、お前に任せよう」
「っ!ありがとうございます!」
「ただ、私はあまり上手くいくとは思っていない」
「なっ……それは、なぜでしょうか?」
「難しい話では無い。単に、ユキとクレアは互いを良く知る親友関係で運命共同体でもあるという事だ」
リヴェリアの言葉に、アリシアは首を傾ける。
けれど、少し考えれば分かる筈なのだ。
もしクレアにアリシアが言う通りに理性が残っているのならば、ポーションを自ら調達して回復に努める様な知性があるのなら、当然に。
「ユキと向き合っていない相手に、クレアが心を開く筈がない」
「……!」
「そしてユキと向き合えていないお前が、クレアに向き合えるとも思えない」
「………」
「履き違えるな、ユキと向き合う事はクレアと向き合う事の前提条件だ。前者無しにして後者は成し遂げられない。……狂気に染まった者を相手に、そんな生半可な気持ちでは届かない」
自分の気持ちにすら向き合っていない様な者が、果たして他者を説得など出来るだろうか。
そんな説得力の無い言葉に、きっと彼女は動かないだろう。
その言葉に彼女を引き止めるだけの重みが無いのなら、彼女は決して止まらない。
「クレアを説得したいと言うのならば、まずはもう一度自分の心と向き合ってみろ。自尊心や責任感、同情や哀れみ。そんなものを打ちつけに行くだけなのならば、それは単に人手と時間の無駄にしかならない」
「……はい」
アリシアの急な心変わりは、果たして一時の気の迷いか、それともユキの魅了によるものなのか、自尊心と責任感による意地なのか。
それは彼女自身にも分かっていない。