「ティオネとティオナの捜索、ユキの捜索、レフィーヤの救助、団員達への指示……負担をかけて済まない、アイズ」
「ううん、気にしないで。他のみんなも手伝ってくれるし、ティオネ達も強いから。……それに、ユキもレフィーヤを探してると思う。探してればいつかは会える」
「……ああ、そうだな。頼んだぞ、アイズ。私も用件が終わり次第手伝いに向かう」
「うん、任せて」
今日のアイズの仕事は多い。
食人花とこの街の関係を暴く為に動くロキとリヴェリアの代わりに、実質的なリーダーとして動かなければならないからだ。
団員達をまとめ、的確な指示を出し、居なくなった4人を探す。
「アイズ!港町でアマゾネス達を見たって言う漁師達が居た!」
「……港の周辺で見張ろう、何か見つけたら信号弾か魔法を空に撃ち上げて」
「分かった!」
「私達は街中で情報を集めるから!黄色の信号弾を撃ったら情報を掴んだ合図ね!」
「うん、ありがとう」
……それでも、ここにはアイズの他にも優秀な団員達が多く居る。
役割は多いとは言え、その一つ一つはそれほど重い訳では無い。
人の命令を聞いてからでしか動けない様な輩は、このファミリアには居ないのだから。
「……見つけた!」
街から離れる様に出航した一隻の船。
アイズはその船を知っている。
2日前に食人花が水中から襲ったカーリー・ファミリアの船だ。
間違いなく、あそこにティオネかティオナか、そのまた両方が居るだろう。
今の距離ならば、風に乗って走ればアイズでも十分に間に合う筈だ。
「っ、アイズ!食人花が街中に!」
「それもこんなに大量に……!どうしてこんな時に!」
「っ、ティオネ……!」
本当に、たちの悪い偶然。
偶然にしてはタイミングが悪過ぎる出現。
もっと言えば、必然とも思える様な悪意のある配置。
これ以上に船が遠くへ行ってしまえばアイズでさえも届かなくなってしまうというのに。
「先に食人花を!街の人達に被害が出る前に!急いで!」
ただ、選べる選択肢すらここには無い。
たとえこれが時間稼ぎの為の罠だったとしても、これを見過ごす事など出来やしない。
それならばもう、いっそのこと開き直って、最速であのモンスター達を倒して相手の予想を上回るしかない。
「ユキ、今どこに居るの……?」
カーリー・ファミリアの船が動き始め、食人花が姿を現してからも、こうして一向に姿を見せることの無いユキ。
その静けさにアイズはむしろ、不気味さの様なものを感じていた。
食人花の出現によって混乱する街の中。
それ等を見下ろす様にして立ついくつかの影があった。
アマゾネスを中心にして構成されているその集団は、しかし決してカーリー・ファミリアに所属している者達ではない。
その中でも一際大きい影を持つカエルの形をした鎧を被った女は、ジッと何かを待つ様にして食人花の方へと走っていくアイズの姿を見つめている。
「あいつ等が食人花を殲滅した瞬間を狙うよ。剣姫は私が殺るからねぇ、邪魔するんじゃ無いよ!」
イシュタル・ファミリアの団長、【男殺し(アンドロノクトス)】フリュネ・ジャミール。
レベル5の冒険者であり、自身よりも美しいと言われるアイズ・ヴァレンシュタインに3度も襲い掛かった経歴を持つ、自身の美貌を絶対とする頭のネジが緩んだイカれた女である。
……とは言え、その容姿はお世辞にも綺麗とは言い難い。
誰よりも自身の美貌に自信を持つ彼女だが、その巨体に髪型、容姿や鎧の形も含めて、ヒキガエルと呼称されるのも仕方ないと言える。それも、容姿や価値観が歪んでいるだけならばまだしも、彼女は内面まで相当に歪んでいた。
彼女が拷問趣味を持っており、気に入った男を地下に連れ込み使い物にならなくなるまで痛ぶって遊んでいるのは、ファミリア内では公に出来ない事実である。
勿論、彼女がファミリア内の者達でさえも厄介者だと思われている事もまた同様に。
「見〜ツケタ」
そしてそんな風に再びの打倒アイズ・ヴァレンシュタインを掲げて息巻く彼等の耳元へと、本当に自然に、周囲の轟音を貫く様な不気味な言葉が響き渡る。その声が聞こえた瞬間、フリュネの背筋を感じた事もない様な異様な寒気が走り、思わず大きく体を跳ねさせた。
背後から聞こえた女の声。少しノイズが混じった様にも聞こえるが、それは本当にただの女の声だったはず。
……にも関わらず、首を後ろに動かして振り向くのに異様に時間がかかる。
アイズ・ヴァレンシュタインの魔法を封じる為に連れてきた呪詛使いのシャレイが、突然何の前触れも無く隣で嘔吐した。
自身の強化の為に連れてきた春姫もまた顔を青くして隣のアマゾネスにしがみ付いており、何故か魔法や呪詛を使う者達の尽くが行動不能になっている。
フリュネ・ジャミールがその中でもまともに動けていたのは、彼女が魔法を使わないからか。それとも単に図太いだけなのか。
周囲の異常に目を背けながらも、彼女はその女の方へと目を向ける。
「だ、誰だい、あんたは……!」
月明かりを背に立つ1人の女。
一般的には美人と呼ばれる様な風貌をしていながら、吐き気を催すほど悍しくドス黒い何かを背負っている異様な存在。
その女は、他の何にも目をくれる事なく、血走った目でただフリュネを見ていた。
そしてその目には間違いなく、明確な殺意が灯っていた。
「な、なんだい!あたしとやろうってのかい!」
「………」
「そ、それ以上近寄るんじゃないよ!この戦力差で勝てると思ってるのかい!?」
「………」
「ひぃっ……!
一歩ずつ足を踏みしめながら両手にカーリー・ファミリアのアマゾネス達が持っていた短剣を持ち、こちらに歩いてくる正体不明の女。
言葉が返ってこない。
もしかすれば、言葉を返せる相手では無いかもしれない。
モンスターや神よりも、何よりも怖いのは狂った人間だ。
狂った人間は本当に何をするか分からない。
それもこんな明らかに異常な雰囲気を纏っている奴など……何をどうやった所で絶対に関わりたく無い。
「シャ、シャレイ!呪詛をかけな!春姫!私を強化するんだよ!」
「む、無理……!あ、あんなのに呪詛なんてかけたら、どうなるから分からない……!」
「あ、あの……か、身体が震えて、動けなくて……」
「いいからやるんだよ!この役立たず共!さっさとしないと私があんた達の事を捻り殺すよ!」
「「ひっ」」
フリュネに脅され、恐怖に震えながらも詠唱を始める2人。その間にフリュネもまた2つの大斧を手に持ち前へと立つ。
流石のフリュネも、ここに居る者達を犠牲にして自分だけが逃げ出すという手段は取らなかった。
……いや、もしかすれば自分が最前線で戦う事が1番勝率が高いと考えたかもしれないが、少なくともフリュネのその姿に2人の震えは少しは軽減された様にも見える。
圧倒的な脅威を前にして、ちょっとした団結力が芽生えたとでも言うのだろうか。他のアマゾネス達も立ち上がり、囲い込む様にして配置を取る。
「今だよ!やりな!お前達!」
フリュネの言葉に、アマゾネス達が一斉に襲い掛かる。
呪詛と春姫の詠唱が終わるまであと僅か。
アマゾネス達の猛攻と、呪詛による魔法封じによって生まれた隙を、フリュネの最大の一撃で仕留める。
それがフリュネの考えた策だった。
普通ならばこれで十分だ。
魔法を封じられた状態で多対一の戦闘など、レベルが相当離れていなければ成立する筈もない。
フリュネの記憶の中の上級冒険者にも、あんな顔は無かった筈だ。
相手がどんな化け物でも、これで十分に仕留める事が出来る。
フリュネはそう確信していた。
【救いの祈りを】
敵が口角を上げてそう呟くまでは。
「っ!シャレイ!春姫!こっちに来な!!」
「「えっ……」」
詠唱を途中で止められ、首元を引っ掴まれながら即座にその場を引き離された2人は困惑する。それ即ち自身の詠唱を途中で中断する事になるのだから、それまでの前提を全てひっくり返すという事になる。
だがその直後、2人はフリュネがこれだけ焦って逃げ出した理由を嫌でも理解する事となった。彼女があれだけ必死の形相で自分達を引っ捕まえて逃げ出した理由にも。
「ば、爆発!?なんで!」
「ひ、ひぃっ……!」
それは飛び掛かったアマゾネス達が、連鎖的に発生した足元からの光の爆発の群勢に巻き込まれ、吹き飛ばされていく様。
レベルもスキルも関係ない。
魔法だって意味を成さない。
ただただ仲間達が爆風によって屋根の上から地の元へと力なく落下していく。
皮膚に火傷を負い、意識も途絶え、生きているのか死んでいるのかも分からない。
確実に死んでいる、という怪我をしている者が居ないだけマシなのだろうか。
それでもただ……
「次ハ、オ前ダ」
爆炎を背後にこちらを見下ろすその女の表情が、どうしても恐ろしい事に間違いはなくて。
「フ、フリュネさん……」
「ど、どうするのフリュネ!?このままじゃ私達も殺されちゃうよ!」
「うるさい!いいからあんた達は黙って詠唱してな!!」
魔法さえ、呪詛さえ発動できれば。
あの意味の分からない爆発だろうとなんだろうと無効化さえしてしまえば、あとはこちらのものだ。
純正な生身の戦闘でレベル5の自分に勝てる筈がない。
フリュネの狙いはそこしか無かった。
むしろ勝機がそこにしか無いと言ってもいい。
「ハァァァアアア!!」
「!」
フリュネが思い切り大斧を振り被り、女の立つ建物を吹き飛ばす。
この程度でダメージを負わせられるとは思っては居ない。
だが、これで少しの時間稼ぎ程度は出来るだろう。
そうでなくとも、あの爆発を引き起こした原因の手掛かりくらいは見つかるのでは無いかと。フリュネは意外にも知恵の働く頭を使いながら、シャレイと春姫の詠唱時間を稼ぐ。
殺されたく無いと、ただその一心で。
「フリュネ!呪詛いくよ!」
「ーー大きくなぁれ【ウチデノコヅチ】!」
瞬間、漲る様な力がフリュネの身体から湧き上がった。
反対に敵の女の身体からは、何か力が抜けた様な感覚を感じる。
呪詛による弱体化と、魔法による強化。
それが成功したのだろう。
これで形成は逆転する。
なにより、精神的な立ち位置が変わる。
先程までは追い詰められていた様なフリュネの精神が、優位性を得た事でまた復活する。
「はっ。ここまでだよ、ブサイク女」
崩れた家屋から降りてきた女を、今度はその身長差から見下し返してやる様にしてフリュネは構えた。
レベル1つ分の力が上昇する春姫の魔法"ウチデノコヅチ"。
これを発動している最中は、それこそ単純な肉弾戦ならばフリュネはレベル6になりたてのティオネ達すら上回るだろう。
その自信は当然のものだった。
精神的な優位性もまた確実なものだった。
「うっ……ぁぁ………ぅああぁあぁあぁあぁぁあああ!!?!?!?」
その声が聞こえてくるまでは。
「シャ、シャレイさん!?」
「なっ……なんなんだい!?しっかりおし!!ま、魔法は封じた筈じゃないか!」
本当に最悪な事に、それでも今回の敵は正体不明が過ぎた。
呪詛を掛ける事に成功したにも関わらず、突然頭を抱えて苦しみ始めたシャレイ。
その姿は尋常ではなく、頭を打ち付け、首を掻き毟り、視界すらも機能させる余裕が無いくらいに、のたうち回っている。
胃の中の物を血と共に全て吐き出し、それでも嗚咽が止まらず自らの腹を殴り続けるシャレイのその姿に、春姫は涙すら浮かべて震えていた。
その光景にはフリュネでさえも顔を青くし、先程まで持っていた精神的な優位性すらも再び取りこぼしてしまった。
呪詛は確かに機能した筈だ。
強化だってされている。
それなのに追い詰められているのはこちら側。
「あ、あんまり調子に乗るんじゃないよぉ!!」
先程から一方的に削られるこちらの戦力。
これ以上は本当に洒落にならないと、フリュネは正面から殴り掛かる。
レベル6相当の身体能力と、凄まじいパワーによって、まるで暴風の様に床を含めたあらゆる物を削りながら突進する。
油断など万に一つもなく、最初から確実に殺す気でフリュネは斧を振っていた。
そして意外にもそれから逃げる様にして後退りしていく女の姿を見て、彼女は再び安堵感を取り戻し、女の事を見下し始めていた。
フリュネは、そういう部分では学習が出来なかった。
「ゲゲゲゲゲッ!やっぱり呪詛は効いてるじゃないのさぁ!どんな手品を使ったのかは知らないけど、あんまり驚かせるんじゃ無いよぉ!」
瓦礫の山に追い込む様にしながら、足場の悪い所へ誘導し、逃げ場を消す様にして詰めていく。
一方で女もまた度々瓦礫をフリュネに吹き飛ばしながらも逃げて行く。
そうして一際大きな瓦礫に女が背中を打つけたと同時にフリュネは速度を上げ、右手の斧を振り下ろした。
手始めにガードに差し出された粗末な剣を破壊する。
次いで振り下ろした斧もまたもう1本の剣によって防がれたが、これで女の武装は全て無くなった。
フリュネの笑みはますます深くなる。
「これで終わりだよ!」
瓦礫に囲まれたこの場所で避ける事は難しい。
しかし手にはもう防ぐ為の武器も無い。
フリュネは確信を持ってトドメの一撃を振った。
いくらレベル6の身体能力について来れたとしても、今日まで磨き上げたこの斧の一撃を避けられる事など、そうそう出来はしないのだから。
「ユキ!」「クレアさん……!」
アイズとアリシアが女を見つけたのは、偶然にもその瞬間の事だった。
フリュネに追い詰められ、斧を振り下ろされかけているユキ・アイゼンハートの姿。正に殺される瞬間とでも言う様なその間際に、2人は顔色を変えて走り出す。
いくらアイズと言えど、間に合う筈が無いのに。
……そもそも、間に合う必要すらも無かったのに。
【救いの祈りを】
「なっ…………あぎゃぁアぁあァァあぁァァ!?」
振り上げた両斧が爆発する。
女の持っていた武器ではなく、フリュネが持っていた斧だと言うにも関わらず、それは持ち主であるフリュネ自身に牙を剥いた。
実質的にレベル6の能力を持っている今のフリュネ。それでもその爆発の威力は凄まじく、両手の皮が爛れ、肉が剥き出しになる。
一部は骨が見える程に抉られており、完全にその両腕は使い物にならない。
「な、なんでさァ!!魔法は呪詛で封じたはずだろォ!?それなのに、それなのにィイ!!」
「飲ミ込ンダ」
「ヒィッ!?」
爆発に巻き込まれたアマゾネス達が持っていた数多の武器が一人でに浮遊し、女の背後に並び立つ。
その一つ一つが今か今かと眩いばかりの光を放ち始めており、その切っ先が一斉にフリュネの方向へと向けられた。
今ならば分かる、あの爆発の正体が。
あの女はこの場に現れる前に、フリュネ達が立っていた建物の中に武器を仕込んで居たのだ。
そして女の能力は、武器の爆発。
条件は一度でもその武器に触れている事。
わざと自らの武器を犠牲にして攻撃を防いだのも、一度は逃げる様にして瓦礫の山を駆け回っていたのも、全ては斧とアマゾネス達の武器に接触する為。
「あ、あんた……ただ頭おかしいだけの人間じゃないね……!?」
「……ヒヒッ」
ただ暴れるだけでは無い。
ただ狂っているのでは無い。
思考を持っている、策を用いている。
その瞳にある殺意は本物だ。
敵はこちらを殺す為に本気なのだ。
その為ならば罠も仕込むし、化かし合いもする。
自らの殺意による衝動だって抑えるし、わざと不利な状態を装ったりもしてくる。
手加減や油断など最初から存在していないのだ。
積極的に突撃して来なかった事もまた、確実にフリュネの命を奪う為に。
「ま、待ちな!そうだ!取引をしよう!あんたが望むなら金だっていくらでも……ぎぃあゃぁあぁあぁ!?!?」
「キヒヒッ……」
ここまで来て、取り引きなど何の意味があると言うのか。
女の目的は最初からフリュネの命だというのに、それ以上に求めるものなど無いというのに。
「あぎゃぁぁあ!!あぎゃぁアぁあァァあぁァァ!?」
「キヒヒヒ!!!」
凄まじい速度で降り落ちてくる武器はフリュネの足に突き刺さると、そのままの状態で爆発を引き起こす。
体内からの爆発にはレベル6の肉体を持つフリュネの身体でさえもズタズタに引き裂かれ、次いで降り注ぐ武器達からもフリュネは必死になって逃げ惑う。
しかし女にはやはり手加減などというものは無く、避けたとしても追尾させる様に動かし、刺さらなくとも爆発させて追い詰めていく。
「ヒィイッ!ヒィィイッ……!あ、あたしが何をしたって言うんだよぉお……!いぎゃぁあぁあ!!」
一際大きな爆発によって、フリュネが大きく吹き飛ばされる。
もう逃げる力は無くなっていた。
春姫のウチデノコヅチの力も解けてしまっており、両手両足も動かせないくらいにズタズタにされてしまっている。
そんなフリュネを見て、女は再び1本の剣を浮遊させた。
あれを腹部に突き刺された後に爆破させられれば、いくらフリュネと言えど死ぬのは間違いない。
「ユキ、それ以上は駄目……!」
「……アリア」
「け、剣姫かい?なんで……」
そんな女の前に立ち塞がったのがアイズだった。
既に風を纏い、全力を持って女に相対する。
「マタ、邪魔ヲスルノカ」
「これ以上は、本当に死んじゃう」
「殺スト言ッテイル」
「そんな事はさせない……っ!」
フリュネに向けて降り注いで来た槍を、アイズは風の力で吹き飛ばす。あらぬ場所に突き刺さり爆発したそれを背後に、アイズは女を……クレアを睨み付けた。
「〜〜ッ!邪魔ヲスルナ、アリア!ソノ女ハ多クノ男ヲ苦シメ殺シタ!今殺サナケレバ被害ハ終ワラナイ!!」
「……そうなんですか?フリュネさん」
「………」
フリュネは何も答えない。
余計な答えを出してしまえば、自分が不利になると分かっているからだ。
そんなフリュネの姿を見てアイズは何かを察したが、何も言わずにクレアに目を戻す。
「……だとしても、やっぱり駄目」
「何故ダ!!」
クレアは吠える。
本気で理解出来ないと、そう語るアイズでさえも悪では無いかと言うかの様に。
けれど……
「もうユキに、誰も殺させたくない」
「っ」
それは、アイズが後から気付いた事だった。
24階層に呼ばれたあの日。
ベルを助けにいく過程で、ユキは不自然にアイズの側を離れた。
そしてユキが帰ってきた時、その身体は返り血に塗れ、あの不快な雰囲気が漂っていた。
その時にはユキの言葉をそのまま信じ込んだが、2日前に改めてあの雰囲気を感じて、アイズは確信したのだ。
ユキはあの日、恐らく人を殺していたのだと。
それもきっと、ベルに関係した何かでだ。
あの日の24階層までの歩きの中、ユキの雰囲気がどうもおかしかったとベートが言っていた。
きっとそれは、ユキ自身もクレアが自らの身体を使って他者を殺した事に気付いており、隠しながらも動揺していたからだろう。
「私が居る限り、これ以上ユキには誰も殺させたりはしない。それだけは許さない」
「……っ!」
アイズの言葉に歪むクレアの顔。
それでも、アイズは決意の籠もった表情で目線を合わせ続ける。
「それに……貴女はレフィーヤを取り戻す為に動いてたんじゃないの?」
「!!」
アイズのその一言は、クレアに劇的な表情の変化をもたらした。
苦痛に歪んだ表情から、驚愕、呆然、そして俯き、頭を抑える様にして下を向く。
「……ココニ来テカラハ、マダ誰モ殺シテイナイ」
「そう……」
そうして、それだけの言葉を残して彼女は何処かへ飛び去って行った。
それはアイズには勝てないからなのか、アイズの言葉に揺り動かされたからなのかは分からない。
ただ、彼女は何の迷いも無くある一点に向かって走って行った。
きっとその先にはレフィーヤが居るのだろう。
それを見届けてからアイズもまたティオナを探しに向かった。
だが結局、証拠が無い以上はフリュネを裁く事が出来ない事を考えると、クレアの判断が間違っていたとは言い切れないのも悲しい所なのかもしれない。
「……何も、出来ませんでした」
そして、あれだけ意気込んでいながらもフリュネを殺す為に暴れ回っていたユキを目の前にし、何もする事が出来なかったアリシアは……
「ティオネを連れて早く帰って来い、フィン」
海上に道を作る様に放たれたリヴェリアの魔法。
ロキによって呼ばれた男性陣の中で、その団長たるフィンはティオネの助力に向かって行った。
食人花の謎についても解明され、アイズ達によって街に出現した食人花も一掃された。
突然出現したアマゾネス達も男性陣が到着した事によって攻勢を崩し、この小さな街で起きた抗争も終わりに差し掛かっている。
「リヴェリア」
「っ、ユキ!?……いや、クレアか」
「アァ」
そんな時だった、彼女がリヴェリアの背後に現れたのは。
「それは……レフィーヤか。助け出してくれたのだな」
「………アァ」
気を失ったレフィーヤを肩に担ぎ、リヴェリアと目線を合わせない様にして肯く彼女。アイズとの衝突によって生じたユキの身体の怪我も、こうして見てみるとそこまで酷い訳ではなく、十分に手当てはしたというのが分かる。
ここに来てリヴェリアは漸く安堵の息を漏らした。
今回は何かが手遅れになったという事は無いらしい。
クレアは気を失ったレフィーヤを壁にもたれさせる様にして座らせると、そのままリヴェリアへと近付いていく。
リヴェリアとしては別に恐怖とかは無いが、漂う不快感だけは未だに慣れない。
「お前は……どれだけ意識がある?」
「……サァナ」
「こうして言葉を交わす事はできる様だが、お前は本当にクレア・オルトランドなのか?」
「ソレスラモ、今ハ分カラナイ」
「そうか……」
彼女はそう言ってリヴェリアの目と鼻の先くらいまで近付くと、真っ直ぐにリヴェリアの方へと目を向けた。
目と目を合わせるが、そこにユキと見つめ合う時のような気恥ずかしさの様なものは一切無い。
ただその瞳の奥にはやはり濁った闇の様なものが存在している。
「……暫クノ間、"ユキ"ヲ、オ前達ニ任セル」
「っ、何を言って……」
「ソウシテ見極メル、オ前達ガ本当ニ"ユキ"の事ヲ守ル事ガ出来ルノカ」
「………お前はその為に暴れていたとでも言いたいのか?」
「半分ハソウダ」
半分はユキを守る為……ならばもう半分は別の理由があるという事だ。
その半分の理由を加味したとしても、彼女は身を潜めると言っているのだ。
ユキの為ならば、と。
「……2つ聞かせて欲しい。まず、お前を引き剥がせばユキは背中の呪いから解放されるのか?」
「私ダケデハ、不可能ダ。私ト、精霊ト、怨念ト、黒龍ノ力ヲ……引キ剥ガス必要ガアル」
「そんな事……」
「ソコマデシテモ、"ユキ"ハ世界カラ解キ放タレル事ハナイ」
「……それはユキが言う所の、英雄としての役割と言うものか」
「アレハ、ソンナ生優シイ物デハナイ」
「?」
それ以上、この事について話す事は無いとクレアは首を振る。
恐らく、クレアにも時間がないのだろう。
目の前に悪人が居ない以上、ユキの呪いと化したスキルの力は徐々に消え始め、クレアよりユキの意識の方が上回って来ているからだ。
決してクレアも、リヴェリアにユキの事について教えたく無いという事では無い。
そして、それを察したリヴェリアはそれ以上の追求を避けた。
それから、もう一つの質問へと話を移す。
「ハヤクシロ、時間ガ無イ」
「あ、あぁ……あのだな、その……」
「……?ナンダ」
しかし、時間が無いというのにリヴェリアは言葉に出すのを躊躇い始める。そんなリヴェリアの様子を見てイラだつ様に顔を歪めながら首を傾げるが、リヴェリアの様子は妙だった。
それはまるでいつもユキに見せている時の彼女の姿の様で……
「お、お前は、その……」
「?」
「………」
「ダカラ何ダ」
そうして、意を決した様にしてリヴェリアは顔を上げた。
妙に顔を赤らめながら、胸の前で両手を力強く握りながら。
「お、お前は……!ユ、ユキとはどういう関係だったのだ!?」
リヴェリアのその言葉に、クレアは思わず目を見開いた。
これまでの彼女からは想像もできない様な呆気にとられた表情で、一瞬だがその動きを完全に止めてしまう。
「……ク、クク。クハハハハ……!」
「なっ!なぜ笑う!?そ、それは私だってこんな時にする質問では無いと分かっているが、それでも……!」
「ク、クフフ……良イダロウ、教エテヤル」
「へ?あ、いや……!」
「私ト"ユキ"ノ関係、ソレハナ……」
「ま、待ってくれ!まだ心の準備が……!」
「恋人ダ☆」
「えぇ!?」
クレア・オルトランドは悪戯な笑みでそう言い残して、意識を失った。
突然ガクリと身体の力を無くして崩れ落ちたユキの身体をリヴェリアは必死になって支えるが、頭の中ではそれどころでは無かった。
ユキとクレアが恋人関係。
悪戯な笑みでそう語ったクレアの言葉が本当か嘘なのかが分からず……ユキをその胸に必死に抱きながらも、リヴェリアは完全に頭を混乱させてしまっていた。