「いやいや……これ何かの冗談でしょ、ヴァレッタちゃん?神にも幻影とかって効くんだっけ?」
「……もしこれが本命の計画に少しでも触れてたら、あたしもブチギレてこのまま乗り込んでたろうなぁ」
「いやぁ、今日ばかりはやめときなよ?もう直ぐフレイヤ・ファミリアも到着するし、何より今の彼女はベストコンディションだからさ。正面から行けば殺されるぜ?」
「チッ、気に食わねぇ。こんなハッピーエンド見に来た訳じゃねぇんだよ、クソが」
かつて街だった瓦礫塗れの荒野。
都市をグルリと囲む様にして建っていた壁は今や大きく損壊しており、ヴァレッタと神タナトスはその一部から嘆きと安堵の声が響き渡る大広間を見下ろしていた。
ヴァレッタの視線の先にはかつて煮湯を飲まされた憎き女達の主神を務めていた女神アストレアと、そんな彼女を含めた何人もの女性達に無理矢理抑えられながら苦しむ少女の姿。
勝ったと確信していた戦いに、負けた。
どう考えても負ける可能性など微塵も無かった筈の戦いに、負けた。
こちらの全ての策が全て上手い事働いたにも関わらず、負けた。
タナトスもヴァレッタも、こうしてその終末を好奇心で自らの目で見に来る事が無ければ、到底信じる事は出来なかっただろう。
たかがレベル2の女1人によって、100%と言っても良いほどの勝利がひっくり返されたのだから。今こうして見ているだけでも、夢か何かでは無いのかと現実逃避をしてしまう。
「……ま、放っとけば死ぬだけマシだな。あれが本命の計画に関わってくる事だけは絶対に無ぇ」
「だろうねぇ、少し勿体ない気もするけどさぁ。どうにかアストレアから奪ったり出来ないかなぁ」
「……なんだよ、気に入ったのか?あの女のこと」
「いやだってさぁ、あんなに白い子そうそう居ないしねぇ。俺がどれだけ漂白しても白ってより透明なのに、あの白さは絶対おかしいでしょ。そんなの興味持って当然じゃない?」
「んな価値観分かるかよ」
「う〜ん……じゃあさ。あの真っ白なの、逆に真っ黒にしてみたくない?きっと最高に死を生み出してくれる存在になってくれるよ?」
「……ああ、それは確かに興味あるな」
「ま、それももう無理な話だけどねぇ」
そうこうしている内に、どうやらフレイヤ・ファミリアが2人の居る位置とは真逆の方向へと到着した様らしい。
それに気付いたヴァレッタは立ち上がり、タナトスも同様にして彼女について歩き出した。
予想はしていたが、第一級冒険者が全員出動……流石にそんな場所でいつまでもノンビリ鑑賞している訳にはいかない。
たとえ彼等が住民達に泣きながら責められ様とも、女神に心酔している彼等ならば気にも留めず、こちらに気付いてもおかしくない。
「……ねぇ、ヴァレッタちゃん。時間かかってもいいからさ、あの子のこと調べてくんない?出自とか、今日までの行動とか」
「ああん?今更調べてどうすんだ」
「いや、単純に興味が湧いたんだよね。一体どんな生き方をすればあんなにも真っ白な魂のままで生きていられるのか。つまり完全な俺の趣味」
「ケッ……まあいい。あんなイレギュラーがまた生まれて来ても困るしな、適当に指示しといてやるよ。そんでいいか」
「うんうん、助かるよ。お願いね」
街を去る寸前に、タナトスはもう一度先ほどの少女の方へと目を向けた。
何かに苦しむ様にして自傷行為を繰り返している彼女……ようやく辿り着いたフレイヤ・ファミリアの団員達が協力して抑え込み治療を進めているものの、その様子には歴戦の団員達でさえも冷汗を流している程に悍しいものだった。
あれだけの黒を飲み込んでも、これほどの苦しみを味わっても、それでもなお魂の白さを保ち続けているその姿……多くの生を終えた魂達を見て来た筈のタナトスの目にさえも、こびり付く様に酷く焼き付いてくる。
純粋無垢な透明な魂ではない。
同じ真っ白でも、善人に育てられたまだ小さな子供の魂とはその安定感が違う。
もしそんな魂を生み出す方法があるとするならば……もしそんな魂を真っ黒に染め上げることが出来たとすれば……タナトスは本当に久しぶりに、心の底から自分の在り方を変えてしまう程の凄まじい震えを感じ、身体を押さえた。
「それに魂の白さもそうだけどさぁ……君、死神に愛されるタイプって、よく言われない?」
これだけ離れていても香ってくるその何かに、思わず舌舐めずりをしてしまった死神は誰も居ない空間に向けてそう言い残した。
大量の建物が並び立ち、数多の細道や階段によって複雑に入り組んだオラリオのとある地区。
その性質から怪しい話も多くあり、その危険性から滅多に人が近付かないこの場所に、今日は珍しく多くの冒険者達が集まっていた。
ほとんどがレベル3以上の者というその過剰戦力とも思える様なその軍勢は、しかし信じられない事に全員が同じファミリアに所属しており、彼等はとある目的の為に今日この場所に集められていたりもする。
そんな彼等の前に立ち、指示を出しているのは当然このファミリアの主神である……女神ロキ。
「そんじゃ、ダイダロス通りの調査を始めよか」
「「「はい!」」」
ロキとディオニュソス、そしてヘルメスの3柱による会合が行われてから少し。ロキ・ファミリアは早速、闇派閥の居場所を探る為に動き出していた。
彼等からの情報提供があった通り、最も怪しいとされているこのダイダロス通り。
この過剰とも言える戦力は、あまりに広く複雑なこの空間を虱潰しに探す為のものだった。
今ここに居ない他のメンバーもまた、同様の目的の為に別の場所で動いている。
「うち等は地上を、フィン達には地下道の方を散策する事になっとる。集合場所はこの広間、迷子にならず手分けしてGOや」
「ユキ、お前は私とロキとだ。逸れるんじゃないぞ?」
「はい、しっかりリヴェリアさんと手を繋いでいるので大丈夫です!」
「あぁ、そうだな……」
「はー!あっつ!暑いわぁ!今日!なんでこんなに暑いんやろなぁ!不思議やなぁ!」
間近で2人のイチャイチャとした様子を見せられ、わざとらしく大声を出しながら歩いていくロキに付いて、2人もその後ろを歩き出した。
闇派閥の残党探し……本来ならばユキを連れて来たくは無かったこの探索だが、結局連れて来る事にしたのは上層部の会議の結果による物が大きい。
『危険から引き離すのが安全とは限らない』というフィンの一言が決め手となったりもした。
仮に危険から引き離したとして、その中で犠牲が出ればユキは少なからず自分の責任を感じるだろう。
そうでなくとも監視を付けていてもトラブルが向こうから寄って来てしまうという事は、以前のカーリー・ファミリアとの抗争の際に嫌という程に思い知った。
『……やっぱり、近くで監視しているのが一番良いだろうね。ロキの護衛という役割ならまだマシかもしれない』
結局、リヴェリアも含めた上層部はその言葉に肯いた。
探索という役割柄、魔法を扱うリヴェリアも大した動きは出来ない。故にどうやっても彼女もロキの護衛という役回りをするしか無くなる。
それはつまりロキとリヴェリア、どちらの目からでもユキを見守る事がという事だ。それ以上に守りになる場所もそうは無いだろう。
故にユキは今日こうして、この探索に参加している。
「……どうだ?ユキ、何か感じるか?」
「う〜ん……なんか、よく分かんないです。この通りとか建物の中には本当に普通の思念しか無くて。集中すれば薄らと感じる事は出来るんですけど、これくらいならオラリオでは何処にいても感じられますし」
「なるほど……そう簡単には尻尾を掴ませてくれへんっちゅうことか」
ただ、やはりユキの力を借りてもそこまで大きな手掛かりは掴めないらしい。ロキとリヴェリアは手掛かりを求めながらも、厄介事に近寄って来て欲しくないという複雑な感情を抱きながら探索を続ける事となる。
過保護だとは思いつつも、せめてアストレアがこの都市に着くまでは何事も起きないようにと……そう願いながら。
「ここって例の怪物祭が開かれた場所の近くなんだっけ?」
「ああ、アイズさん達が初めて食人花と戦ったあの事件か」
一方その頃、ロキ達が探索している場所から少し離れた所で、5人のレベル3の冒険者達がパーティを組んで探索を行っていた。
シャロン、ニック、リザ、ロイド、スタークの5人……所謂ロキ・ファミリアの2軍リザーブの者達。遠征の中で深層のサポーターに入るラウルやアナキティの様な者達を指揮官として動いているのが彼等2軍のメンバーなのである。
「そういえばあの時、ダイダロス通りでモンスターを倒した駆け出しの冒険者の話ってあったでしょ?あれって例の【リトル・ルーキー】だって噂があるんだって」
「……またベル・クラネルか」
「いや、それ死ぬだろ普通」
「分かるわ〜、ミノタウロス単独撃破とか未だに私信じてないわ〜」
「18階層到達」
「黒いゴライアスの討伐」
「頭おかしいんかあいつ」
「おかしいんでしょ、運とかも」
……とは言え、闇派閥の残党探しと言っても歩いているだけ。
こうして世間話に自然と花が咲いても仕方ない事だと言える。
そもそも特に手掛かりもなく虱潰しに歩き回るだけなのだから、暇を感じるのも当然の話なのだ。色々と目を向けているとは言え、行為そのものは散歩の様なものなのだし。
「ガムシャラで滅茶苦茶でさ……なんか昔のアイズさんに似てるんだよな、あいつ。認めたくないけど」
「ああいうのが本当に名を馳せる冒険者って言うのかな、それこそ将来は今の団長達みたいな」
「単純な実力だけなら私達の方が上だろうけど、私達とは何かが違うのよね。最終的には何をしても打ち勝てる様な魅力があるっていうか」
「分かるわぁ……さっきはああ言ったけど、ぶっちゃけレベル3になった事も納得しちゃってるもん、俺」
「流石にレベル上がる期間は確実に頭おかしいけどな」
「「「それはそう」」」
そんな彼等の話題は、今をときめくリトル・ルーキーことベル・クラネルについて。
いや、それよりどちらかと言えば、自分達凡人の冒険者と、ベル・クラネルの様な特別な冒険者の違いについてか。
やはりそこには自虐的な、そしてマイナスな思考の言葉が多いのは、まあ仕方ないとして。
「レベルと言えば……ユキさんもそこそこヤバくないか?この2ヶ月でレベル2つも上がってるんだぜ」
「いや、普通にヤバいでしょ。だって入って来た時はまだ、レベル3になって半年も経ってないって話だったんだよ?完全に2軍メンバーに迎え入れる気満々だったのに……」
「トントントンっと今や幹部クラス、遠征でも活躍したんだっけ?」
「ラウルの話だと、全滅一歩手前で他のメンバーが立て直すまで1人で持ち堪えてたらしい。同じくらい怪我してたのに」
「えぇ……その時はまだレベル4だよな?」
「そもそもレベル3の時に食人花の大群と人型を殲滅してなかった?」
「24階層でも巨大食人花を相手に暴れ回ってたらしい」
「……え?どうやって?」
「分からん」
「あの人も大概だよなぁ。そもそも外の世界でレベル3になってる事自体がおかしい訳だし、自分達と同じ筈が無かったか」
そしてベルの話が来れば、自然とユキの話も出て来てしまう。
ベルがこの数ヶ月でレベルを2つ上げたのと同じ様に、自分達のファミリアの中でもレベルを2つ上げた新入りがいた。
それこそ話題に尽きる事のない不思議な彼女、以前はあのアストレアの元に居たという噂もある彼女だ。話せる事は山ほどある。
「……でもユキってば、本当に優しいのよね。滅茶苦茶私たちの事を気にしてくれるし、手伝ってくれるし、動いてくれるし。だからこの前の港町での時の事はビックリしたんだけど」
「二重人格なんだっけ?そっちの人格になると悪人に敵対的になるとか」
「でもこの前はその人格のユキがレフィーヤを助けたんでしょう?少し過激なだけで、結局根は悪い人じゃないってアリシアが妙に熱く語ってたわ」
「レフィーヤに続きアリシアもか……あれ?そう考えると、あの人かなりのエルフ殺しじゃね?酒場の女エルフとも懇意にしてなかったっけ?」
「そりゃお前、リヴェリア様を落としたくらいだぞ……?そんなの今更だろ」
「……やっぱ凄ぇわ、あの人」
「なぜ私はあの人達と同じグループに割り振られなかったのか……ロキ達が羨ましくて仕方ない」
そして今や一部のロキ・ファミリアの一部のメンバーの中では有名な話となってしまっているユキとリヴェリアの関係。
元々はラウルから出たリヴェリアがユキを襲っていたという話から、徐々にその数を増やしつつあるファンクラブ的な何か。
中庭に面している窓からちょくちょく見る事が出来る、2人がテラスに腰掛けてイチャイチャしているその姿は、彼等にとって1日の最大の娯楽と言っても過言ではないだろう。
それこそ、その時間の間は徹底的にテラスに誰も行かない様に交代で見回りをしているくらいには徹底的に。男女入り交じったその集団は報告の為に定期的な会合も行っていたりする。
「そもそもリヴェリア様と恋仲になるなんて、この百年以上誰も成功してなかった偉業。それだけでレベルが1つ上がってもおかしくないでしょ」
「お前、その理論はもう古いぞ。最近はむしろユキさんを落としたリヴェリア様が凄いってのが主流だ。確かにあの人、男の人の半裸とか見ても全く動揺してなかったし」
「それティオネさんも言ってたな。ユキさんを知れば知るほど、リヴェリア様がどうやって落としたのかが分からなくなるって」
「マジで襲った可能性」
「だとしたら襲わせたユキさんも凄くね?」
「あの如何にも純白なユキを襲ったリヴェリア様も凄いでしょ」
「奇跡のカップルってやつかぁ……」
「「「「最高かぁ……」」」」
綺麗なもの×綺麗なもの=もうなんか凄い
これは世界の真理である。
どちらもベタ惚れだから良いのだ。
どちらも幸せそうだから良いのだ。
同性同士の禁じられた恋愛……それも片や里を飛び出したエルフの女王、片や旅をしていた田舎出の美少女。
全く境遇の違う2人というのも良い。
出会いがそもそもの奇跡だと言うことを馬鹿でも実感させてくれる。
「……取り敢えず、このまま他のエルフにだけは気付かれ無いようにしないとな。レフィーヤもそうだけど、アリシアに2人の事がバレたら確実に不味い」
「アリシアだけじゃなくて、口の弱そうな人にも隠すべきよ。まだ噂の段階だからいいけど、他のエルフ達に広まれば大騒ぎになるわ」
「……守らないとな、あの2人を」
「ああ、これはリトル・ルーキーやフィンさん達には出来ない。ロキ・ファミリアの中でも比較的自由に動ける俺達だからこそ出来る仕事だ」
「そう言われるとなんか急にやる気湧いて来た」
「今なら1人でゴライアスでも倒せそう」
「それは無理」
そんなこんなで、意外とあの港での事があったにも関わらず団員達の間でユキに対する評価はそうは変わっていない様だった。
勿論それにはリヴェリアの影響やロキの説明、他にもレフィーヤが実際に助けられていたり、アリシアが妙に語っていたりしていたという理由もあって……神殺しが最大の禁忌とされるこの世界において『その気になれば神すら殺す』ではなく『悪意を持つのであれば神であっても許さない』という方向に話を持って行ったロキの貢献はなかなかに大きかったと言える。