暗闇に響く騒音、労働者達の昼休み特有の笑い声、資材の運搬の為に何度も何度も往復を行う魔石車を走らせる音。
ここはとある工場の廃倉庫の一室。
今や動かない機械や使われない資材を取り敢えず置いておく以外に使い道のないこの部屋に、今日は何故か1つの人影が横たわっていた。
そのお世辞にも清潔とは言えない部屋の中で静かに寝息を立てている人影は、そんな不衛生な周囲の環境とは似つかわしくなく、むしろそこにいるだけで汚れてしまうくらいだろう。
そしてそんな彼女は疲れているのか、それとも単に眠りが深いだけなのか、5分、10分、15分が経った頃に、漸くその瞳を開け始めた。
長い黒髪を埃に塗れさせ、白いコートを黒く汚し、両腰に付けた2本の剣を床と擦らせながら、彼女はゆっくりと意識を覚醒させていく。
それでも体を胎児の様に小さく丸めたままに。
「んぅ……ここ……?
………………っ!?うっ!?ぉっ!」
目を開け、意識を戻し、記憶の蓋を開けた瞬間に頭の中を走っていく悍しい記憶と、生じる胃液の逆流。
反応は早かった。
身体に異常がある訳ではない。
身体の何処かに痛みがある訳ではない。
ただ再び理性と結び付いたその記憶に自身の中の全てが拒否反応を起こし、脳と体内で暴れ狂った。
何度も何度も何も入っていない胃の中の物を吐き出し、嗚咽し、涙を流す。
そんな彼女を心配する者はここには居ない。
そんな彼女を慰める者は何処にも居ない。
ここにはただ暗闇と埃だけが存在し、外からはそんな彼女を嘲笑うかのような笑い声が聞こえて来るだけで。
「なんで、私、こんな、違う、違う、私じゃない、でも、違う、私は、そんな、なんで、なんで、なんで、どうして、どうして……!!」
ガッ、ガッ、と酷い音を鳴らしながら頭を床に打ち付け、拳を流血する程に強く握り締める。
目を覚ましてまだ1分と少し。
それでも周囲の環境と現状を目に入れる余裕すら無いほどに、彼女は取り乱していた。
その綺麗な顔を血と涙と床埃に汚し、歯を砕いてしまうくらいに食い縛り、床を破壊するのではないかと思う程の力で額を叩き付け、本当にみっともなく啜り泣く。
まるでこのまま自分を破壊しようとでもしているかのように……
「っ、なに……?」
それが救いだったのか、それとも不幸の始まりだったのかは定かではない。
だがその瞬間に、自分自身を破壊しようと狂乱の海へと沈み込んでいた彼女の意識を無理矢理引き起こす様に、凄まじい爆発音が周囲に響き渡った。
部屋ごと大きく揺らす程の衝撃は彼女の内臓を瞬間的に浮遊させる程のものであり、部屋の外から響いていた笑い声も今や聞き苦しい悲鳴に変わり、小さな爆発音はこうしている間にも何度も何度も連続して聞こえてくる。
扉に取り付けられている小さな窓からは赤い光が部屋の中を照らし始め、徐々に上がっていく室温から部屋の外が爆発による炎で包まれているという事が容易に想像出来るだろう。
「ぁ……」
それでも、そんな彼女に最も強く作用したのは、爆発音でも迫る炎の危機感でもなく、やはり今もまだ聞こえて来る人々の悲鳴だった。
血に塗れた頭をゆっくりと起き上がらせ、覚束ない足取りでフラフラと扉を開け、炎の先に広がる光景を視界に入れる。
……地獄だった。
恐らく何らかの工場であるのだろうこの場所は、最初の爆発をきっかけに次々と連鎖爆発が起きており、燃料か何かに引火したのか一帯は完全な業火に覆われている。
その中で何とか生き延びようと逃げ惑う人々も、黒いローブを被った者達によって武器や魔法で容赦無く襲われており、恩恵すら持っていない民間人であろうとも関係無くその命を狙われていた。
「なんで、どうして……」
思い出す、浮かび上がる。
見た事がある、これと似た光景を。
その時もそうだった、あの時も同じだった。
力を持たない民間人も、戦う術のない女子供も、生きているのならば誰も彼も構わず殺し、悍しい最期を見せつけて来る。
なんでそんな酷い事が出来るのか。
どうしてそんな風に人を殺せるのか。
答える者は誰も居らず、ただ自分こそが1番の不幸な者だと、そうとでも言いたげな目でこちらに襲いかかって来る最低な蛮族達。
そんな彼等がまた今、こうして目の前に現れて、殺戮の限りを尽くしている。
「どうして……どうしてまた私の目の前で、そんな風にするんですか……!!」
どうして自分が居る場所で。
どうして自分の目の前で。
そんな事を引き起こすのか。
「どうして誰も、私以外に誰も、助けてくれる人が居ないんですか……!!」
まるでこの光景が全て、自分に見せつける為に用意された悲劇の様にも感じてしまって。
「どうして私は……!私は!!」
そのすべての原因が、自分にある様にも思えてしまって。
「あん?何の光……ヒィッ!?」
頭が一つ、飛ぶ。
突然炎の隙間を縫う様に現れた流星の様な閃光に、黒のローブで顔を隠した者達の頭が次々と跳ね飛ばされていく。
断面は綺麗に、宙を舞う自身の視界の中でも蛮族達は己に突き付けられた死という概念を認識する事も出来ず、ただ力無く倒れていく切り離された自分の身体と、恐怖する人間達の表情を映すばかり。
工場を襲撃した20人あまりの闇派閥。
しかし彼等が殲滅されるまでに掛かった時間は僅か20秒にも満たなかった。
何が起きているのか。
どうして目の前の蛮族達が死んだのか。
工場で働き、今正に襲われていた者達は何一つ理解する事も出来ずに、自身の側に転がり落ちる人間の頭部に恐怖しながらも、出口へ向けて走り出す。
そうして最後に残ったのは、獄炎に焼かれる人々の死体と、涙を流しながら立ち尽くす少女の後ろ姿だけ。
熱いくらいの炎の群勢は、今はどうしてか少し冷たい様にも感じられた。
「どうして……」
その口元から呟かれる疑問もまた、彼女以外の誰にも気付かれる事もなく、焼かれる様に火の海へと消えていく。
彼女の脳裏にはそれが強く強く焼き付いているというのに。
「……これ、どういうことかしら?輝夜」
「被害は1番倉庫の爆発と炎上のみ、2番倉庫以降は事前に食い止められたと言うことですねぇ。一体何処ぞのどなた様が働いてくれたというのやら」
「アリーゼ。生存者の聞き込みをして来たんだが、どうにも話が妙だ。突然目の前に閃光が走ったと思えば、次の瞬間には闇派閥共の首が飛んでたってよ。戦車の仕業か?」
「ライラ、こちらも似た様な話しか聞けませんでした。……ですが、確かに現状では"女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)"の気紛れという可能性が一番高いかもしれません。同じ芸当が出来る冒険者は他には居ないでしょうし」
「う〜ん……今悩んでいても仕方ないし、これについては後でシャクティ達に話を聞きましょう。必要ならアストレア様を通じてフレイヤ様に直接聞けばいい話だもの。とりあえずは後片付けよ!火の手が広まる前に、みんな急いで!」
「「「はい!」」」
「……それにしても、捕縛ではなく躊躇の無い殺害かぁ。私達とは無縁の人間なのか、それとも単なる復讐心からか。なんとなくアレン・フローメルの仕業では無さそうなのよねぇ」