アルフィアと名乗る女性が廃教会を出て行った後、ユキは暫くの間メソメソと一頻り涙を流した後に恐る恐るとその地下室とやらに入ってみた。
中はもしかすればアルフィアが使用する為に用意していたのか、最低限の家具は揃っており、少しの食料もそこにはあった。
こんな居場所を自分に与えてくれた彼女には感謝しかないし、見ず知らずの自分にここまでしてくれた恩は、状況も相まってユキにとってはどこまでも大きいものだ。
(……本当に、救われてしまった)
7日後に消えるこの命。
けれど、彼女はその残りの7日間を自分に与えてくれた。
7日間を、最後の日々を、好きに生きる義務を与えてくれた。
オラリオを焼き払われたくなければ、7日間は生き続けなければならない……なんて強引な脅しなのだろう。
それに彼女がきっと7日後には必ず自分を殺してくれる様な人である事も、都合が良い。
本当に彼女は自分にとって都合の良い立場に立ってくれた。
たとえそれが単なる同情によるものだったとしても、最後の死に方を納得できるもので終わらせてくれる事はきっと何よりも幸福な事だから。
「……そういえば、服も汚れてましたね」
ベッドの上に横たわろうとして、ふと気付く。
あんな工場の中に居て、その後にも何度も自傷行為を行い、何度か地面に這いつくばったりもした。
いつもの白いコートはどうしようもないくらいに汚れているし、これを脱いだとしても下には薄い生地の物しか着ていない。
最低でも上着くらいは買っておくべきだろう。
残りの人生をこの地下室でだけ過ごすというのも、彼女が言っていた悔いのない7日間にはならないので、外に出る準備くらいはしておかなくてはならない。
というか外に出て歩いてでもいないと、考え過ぎてまた自殺を試みてしまいそうだから。
余計な事を考える前に行動する、きっと今の自分にとって大切な事はそれだ。
「あれ……もうすぐ日が沈み始めそう。もしかして私、アルフィアさんと別れてから半日くらいずっと泣いてた……?」
教会から外に出てまず最初に気付いたのは、既に日が頂点を通り越して向こう側へと下り始めている事だった。
アルフィアと別れた時は朝日が昇り始めていた事を考えると……時間が飛んだりしていない限り、ユキはその時間ずっと安堵感に泣き続けていたという事になる。
そういえばと思い出せば、無性に喉が乾いていて、目元も少し腫れている。
昨日この街に来てから延々と泣いていた事を考えると、確実に水分は足りていないだろうし、涙の流し過ぎで目は赤く腫れてしまっているのだろう。
そう考えるとアルフィアがあれほど自分の顔をジッと見ていた事が今更になって恥ずかしくなってくるというもので、思わずユキは顔を赤くする。
「……飲み物と上着と、汗も流さないと。こんな顔で外に出られないし、見せたくないから」
今はその気はないが……もし、本当にもし、何かの偶然で彼女に出会ってしまったら。たとえ相手に自分の記憶が無くとも、好きな人には一番綺麗な自分を見て欲しいものだ。
それが男性的な思考なのかどうかはさておき。
「ん、これでいいかな……なんだかいつの間にかリヴェリアさんみたいな服装になっちゃったけど」
売れ残っていた安い薄緑色のエルフ用のワンピースに、オマケに貰った白のマントを肩から掛けて。それはまるで普段の想い人が着ていた服装のよう。
意図していた訳ではないが……これもまた運命というものだろうか?もう彼女の元に戻れないと考えると、鋭い痛みが胸に走るが。
「湯船に入って、飲み物を確保して、服を調達したら……もう空が赤く焼けてる。残り7日しかない人生にしては、なんて贅沢な使い道なんだろう」
寂れた通り。
やはり人気は少ない。
けれど今はそれが好ましい。
こうして空を見ていても、誰も何も言わないのだから。
今でも焦燥感はあるけれど、それでもまたこうして世界を見渡す事のできる幸福に、気を抜くとまた目頭が熱くなりそうになる。
「おや、まだこの街にもこんな綺麗な子が居たのか。アストレアの所の子でも無いし、興味深いなぁ」
「え?」
そんな風に泣きそうになるのを堪えながら手で額を抑え始めた頃、ユキは背後から1人の男性に話しかけられた。
振り向けばそこには茶色の衣服に青のマントを巻いた黒髪の男性……いや、微かに感じられる神威を考えるに、間違いなく男神。
ただ、ユキの記憶の中にはその男神についての知識は少しも無かった。気軽そうに話しかけられたが、当然に面識すらもない。
どころかこの世界に自分と知り合いの人間など、それこそアルフィアくらいしか居ないのだから、そんなユキに話しかけてくる様な者は不審者以外の何者でもないだろう。
それが神であるならば、当然に。
「……男神様?」
「うん、そうそう。これでも神様、エレンって言うんだけど……知ってるかな?」
「い、いえ、ごめんなさい」
「うんうん、だよね、知ってた。いいんだいいんだ、そんなに有名な神でもないし……丁度今他の女の子達からも冷たい目を向けられてさぁ。ほら、あの子達、知ってる?」
「……っ、あれは」
エレンと自称する男神に、まるで誘導される様に向けさせられた目線の先では、数人の少女達が今も訝し気にこちらを見ながら足を進めていた。
黒髪の極東の着物を着た女性に、桃髪の目つきの鋭い小人族の少女、そしてその2人の間に居るあの金髪のエルフは……
「リュー、さん……?」
「おや?君はリオンちゃんと知り合いなのかい?もしかして君も、正義の心を持っている冒険者……だったりするのかな?」
「それ、は……」
彼女達の姿はもう通りに入ってしまい見えない。
だが、彼女がこの時代のリュー・リオンだとするのならば、きっと側にいた2人はかつてのアストレア・ファミリアの団員なのだろう。
元の時代では既に命を落としていた彼等、彼等の死がきっかけとなってリューは復讐の道へと走った。
……ふと、『その運命を変えられるのか』という思考が頭を過ぎる。
しかし直ぐにその思いを振り払って、ユキは神エレンに向き直った。
「エレン様は、正義に興味がおありなのですか?」
「!……ああ、そうそう。ついさっきも彼女達正義の使徒に正義の事について聞いていてね。どうやら嫌われちゃったみたいなんだけど」
「ふふ、駄目ですよ?女の子は繊細なんですから、意地悪しちゃ駄目です」
「意地悪、ねぇ……俺はただ正義について聞いただけなのに、面白い事を言うんだね、君は」
チラッと、神エレンの瞳の奥が光った様な気がした。
もしかすれば目をつけられたのか……なんとなく、神タナトスのあの言葉を聞いた後だからか、ユキは神と話す事に抵抗感があった。
今は何事も見通すその眼で見られたくない。
今この心に封じ込めている様々な感情を、誰にも知られたくなかった。
「じゃあさ、ついでだし君にも聞いていいかな?」
「正義について、ですか……?」
「そうそう、正義について。君も彼女達の事は知ってるんだろう?それなら聞かせて欲しい、君の考えを。
……『正義』って、なんなのかな?」
「…………」
別に、その質問についてはどうも思わない。
嘘や誤魔化しをするつもりもない。
ただ、その目だけはやめて欲しかった。
だから内心を隠す様に瞳を閉じて、ユキは言葉を紡いでいく。
「エレン様が何の為にそんな事を聞いているのかは分かりませんが、私はもう正義は拒んでいますので、面白い事は何も聞けませんよ?」
「正義を、拒んだ……?」
「はい、私には合いませんでした。なので拒みました、それだけです」
「へぇ……面白いね。ちなみに、何がそんなに気に食わなかったんだい?もしかして、悪に興味があったりするのかな」
「どうでしょう……正義では救えないものもありますから、私はそれが嫌だと思っただけなんです」
「……なるほど」
目を合わせてはいないが、何となく分かる。
今の返答に対して、神エレンが興味を抱いてしまったという事に。
そして今でもその軽薄そうな雰囲気の奥側から、本当の彼がこちらを捕らえて離すまいと視線を絡みつけてきている事に。
「救えたのかい?正義を拒んで、君が選んだもの」
「……いいえ、救えませんでした。だからきっと、私の答えは間違っていたんです。私が憧れて、掴もうとした夢は、間違っていたんですよ」
「ほう、それではまるでもう全てが終わってしまったかの様な言い方だ。まだ君は若いのに、これからどうにでもなるんじゃないのかい?」
「若い、ですか………そういえば、そうでしたね。確かに私、まだ17歳でした」
「!」
そう言って思わず目を開けて、合わせてしまったユキの瞳を見て、神エレンは一瞬その目を見開く。
まるでその青い瞳の奥に、何が悍しい物でも見てしまったかの様に……そしてまるで、何かを思い出し、信じられない物でも見てしまったかの様に……
「お前は……」
「私、もう行きますね。またお会いしましょう、エレン様」
逃げる様にして走り出したユキを、神エレンは何も言葉を返さずに見送る。
しかしそこに先程まで纏っていた軽薄な雰囲気はなく、まるで大神の様な雰囲気を隠す事もなく、ジッと少女の背中を見つめている。
「……おいおい、何故あの子が生きている?あの子は確か何年か前に」
「俺が見殺しにした筈だ」
そんな言葉を、空に向けて呟きながら。