「……戻ったか」
「アルフィアさん……!来てくれたんですね」
神エレンと対話を終えて廃教会に戻った頃、教会にはまたアルフィアが来ていた。
どうやらユキが何処にも居ない事を気にしていたのか、彼女の側にある地下室へのドアは開けられ、探されていたらしい痕跡が残っている。
まさか昨日の今日……どころか今日の今日で来てくれるとも思っていなかった為、思わずユキは笑みを浮かべてしまった。
この世界に来て初めてとも言える、心からの笑顔を。
「っ……少しは元気になったようだな」
「はい、これも全部アルフィアさんのおかげです。今日は飲み物と服を調達して……汗を流してきました」
「そうか……少しは見れる姿になった。その服装はいつかの女を思い出して気に食わないが、まあ悪くない」
「個人的には気に入ってるんですけどね、ありがとうございます」
くるりと一回転をして、まだ少しだけ寂しさが残ってはいつつも、確かな笑顔をアルフィアへと向ける。アルフィアはそんなユキの顔を一瞬だけ目を開けて瞳を震わせたが、直ぐに閉じて顔を背けた。
少しだけ顔を赤らめている気がするのは、果たして気のせいなのか、それとも見間違えなのか。
不思議そうに首を傾げるユキに、それでもアルフィアは普段の冷たい口調のままに話を続ける。
「買い物をしていたにしては帰りが遅かった様に思うが、何をしていた?」
「ええと、恥ずかしながら今朝アルフィアさんと別れてから夕方前くらいまでずっと泣いてたみたいで……帰りも知らない神様に問答を仕掛けられてしまったので、えへへ」
「……あれから半日も泣いていたのか?」
「で、でもほら!今こうしてアルフィアさんの顔を見れたらまた元気出ましたし!だから私、大丈夫、です……!」
「………はぁ、こんな気持ちを持ち込まない為に甥の顔を見る事もせずここまで来たというのに、どうしてこうなる」
「?」
実のところ、アルフィアは今日顔を出したら最後、7日後まではここに来るつもりは無かった。
最愛の妹を思わせる様な少女。
あまりに追い詰められている彼女を見ていると、自然と自分の心まで乱され、今日この日までに決めた覚悟にまで影響が及んでしまうと考えたからだ。それこそ昨晩の僅か数時間という出会いの中で、自分自身がそれを十分に有り得る可能性として上げてしまう程に。
……けれど、今はこう思っている。
それすらも甘い考えであったと。
本当ならば今こうして顔を見に来てしまった事すらも間違いであったと。
昨晩は泣き顔しか見ていなかった。
それに彼女自身も薄汚れていた、だからマシだった。
けれど身なりを整えて、少しだけでも精神状態をマシにして、そうして彼女の笑顔を見てしまえば……その少し寂しさの入り混じった笑い方があまりにも妹にそっくりで、もう駄目だった。
泣き顔よりも、考え方よりも、彼女はなにより笑顔の方が妹に似ていたのだ。
それこそ一瞬面を喰らってしまうくらいに。
妹の生まれ変わり?
年数が合わない。
ならば妹の隠し子?
そんな事はあり得ない。
そもそも自分の妹は5年以上前に命を落としている。
彼女の養母が自分の妹である筈がない。
……けれど、湧き上がるこの感情が、浮かび上がる心の声が、どうしてもこの少女を放っておけなかった。
寂しさを隠して、無理矢理に自分が元気だと主張して、嬉しさを表に出して、昨日会ったばかりの女に会えて嬉しいと、心底から喜ぶ彼女。
そのチョロさには少しだけ思う所もあるが、なにより自分の心を擽られた。
もう生涯自分とは無縁だと考えていたこの母性という感覚。
それが今はこの内で暴れ回って仕方がない。
「………」
「っ!?あ、あの、なんで頭撫でて……」
「嫌か」
「い、いえ、そんな事は!む、むしろその、嬉しいと言いますか、なんと言いますか」
「……あまり思い詰めるな。お前の事は私が必ず殺してやる、だから今は好きに生きろ」
「!……で、でも、直ぐに死ぬ私が他の誰かと仲良くなっても、悲しませるだけじゃないですか。それに7日間だけとは言え、私の近くにいたら」
「死前にすら我儘を言わず、お前は一体いつ他者に物を求めるつもりだ?そんなことは残される側の考える事だ、死にゆくお前が考えるべき事ではない」
「でも……」
「……全く、どんな育て方をすればこうなるのか。お前のその献身性は美徳でもあるが、少々異常だ。気持ちが悪い、少しは我儘を言え。死ぬ前に会っておきたい人間くらい居ないのか」
「死ぬ前に、会っておきたい人……」
居る、それは間違いなく。
たとえ相手が自分を知っていなくても。
たとえ相手が自分と接点が無くても。
別の世界の人であったとしても。
死ぬ前に一度だけでもいいから、最後に顔を見ておきたい人達がいる。
どれだけ死ぬ事を躊躇うことになったとしても、今の自分にはアルフィアという線がある。
だからもし顔を見て踏ん切りが付かなくなったとしても、彼女は容赦なく自分に牙を向けてくれるだろう。だからこそ、そんな今だからこそ、会えるのなら会いたいと、そう素直に思える。
本当に会う事が許されるのであれば。
「明日はそいつ等に会って来い」
「っ!…………本当に、大丈夫なのでしょうか。私と会ってしまっても」
「何度も言わせるな、あと7日しか生きられない身で余計な事を考えるなと。7日程度を気にするのならば、お前の今日までの人生はなんだったのだ。歳を言ってみろ」
「じゅ、17歳です」
「お前が生きて来た17年間で、別に世界もオラリオも滅んではいないだろう。所詮はその程度の事だ、気にするな」
「でも、封印されていた魔獣が復活して、生まれる筈のない穢れた精霊が生まれました……」
「………分かった、その時は厄災ごとお前を殺してやる。だから行ってこい、いいな」
「……はい」
元気付けるのに『殺してやる』という前提を付けなければならないという奇妙な関係。
けれど、その前提を違えてしまえばこの少女は間違いなく再び絶望の淵へ追いやられてしまう。
故にこの約束だけは必ず果たさなければならず、むしろ2人の関係はこの前提があるからこそ成り立っていると言っても過言ではない。
(……歳は7つしか離れていないのだが、どうしてこうも庇護欲が唆られるのか。見間違いとは言え、最初に母と呼ばれたからか?)
こうして頭を撫でていても、嬉しそうにしながらも何処か寂しげに上目遣いをしてくる彼女。
いや、実際に少女は寂しいのだろう。
その証拠に、少女は恐る恐るにも、あまりに控えめにしながら、人差し指と親指で軽く挟む様にしてアルフィアの服を摘んでいる。
それはきっと少女の精一杯の甘えであり、もう少しだけアルフィアにここに居て欲しいという小さな欲を頑張って伝えた結果だ。
(……本当に、長居するつもりは無かったのだがな)
なぜならそれは、こうして絆を深めれば深めるほど、きっとオラリオの、結局は正義の味方をするであろう彼女を、これから傷付ける事になるだろうから。
だから本当なら最後の日までもう来ないつもりであったし、今日この時の会合でさえも淡白なもので終わらせるつもりだった。
それなのに自分の心は、本当にいつの間にか、この偽りの親子ごっこを心地良く感じてしまっている。
この溶かされる程に甘い微温湯に、いつまでも浸かっていたいと、そう思ってしまっている。
「…….私は、お前の母親ではない」
「!!…………分かって、います。分かっているつもりでは、います。ごめんなさい、迷惑でしたよね」
「っ」
だからそんな微温湯から抜け出す為に、冷たい自分に戻る為に、突き放す様にしてそう言ったにも関わらず……悲しげに指を離す少女のことを、どうしようもなく抱き締めたくなってしまう自分が喚く。
そんな事をしたとしても、最後には彼女を傷付けるだけだというのに。
「……料理は、できるか?」
「へ?は、はい、一通りは……」
「腹が空いた……今直ぐに帰ろうとも思ったが、満たしてからでも構わないだろう。勿論、お前が2人分の食事を作る気があるのなら、だが」
「!!ま、待ってて下さい!直ぐに作りますから!……さ、先に地下室に下りてますからね!絶対に、絶対に来て下さいね!」
「……ああ」
ああ、本当に、自分は何をしているのだろうか。
どうしてこんなにも、心が満たされているのだろうか。
今しているこの行いは、最後にはあの笑顔を黒く塗り潰す結果にしか成り得ないというのに……
「……なぜ、なぜ今なのだ。あと数ヶ月、いや数週間前に出会っていれば……私はお前の」
もう遅い、全てが遅過ぎる。
きっと期限に設定した7日後には自分は動き出さなければならない。
その日が来れば、全てが始まる。
そうすればきっと、この少女は、この優し過ぎる少女は……自分がどれだけ苦しくとも、戦場に赴くだろう。またその心を傷付けながら。
自然と、片方の青目から雫が垂れてくる。
まるでその色を共有した妹までもが泣いているかの様に。
「恨むぞ、神々……あの子にこの様な悍しい呪いをかけた事を。そして他ならぬ今、あの子と私を引き合わせたこのあまりに趣味の悪い偶然を」
これだけの会話で、ここまで自分の心を開かせた少女だ。
もし彼女と別の場所で出会っていれば……
もし彼女ともっと早く出会えていれば……
もし彼女を拾っていたのが自分であれば……
そんな何の憂いもなく、彼女を愛する事が出来ていたのなら……
きっと呪いも災厄も全て自分が打ち倒して、今度は必ず最後まで、生かして守ってやれたのに。
そう思わずには居られないし、どうしても、どうしてもそんな馬鹿げた考えを頭から切り離せないくらいに、このほんの数日で自分の心は彼女に惹かれている。
あまりに妹の影を持った彼女を無視出来ないでいる。
「……私は、お前もまた犠牲にしなければならない。次世代の、今度こそ世界を救う英雄を生む為の、その犠牲に」
その報いはいくらでも受ける。
その償いもいくらでも行う。
……だから、今だけはどうか許して欲しい。
全てを忘れて、後先も考えないで、この緩やかな微温湯に浸かって、偽りの家族ごっこに身を浸す愚かな自分を……
少女に妹を重ねて、居もしない自分の娘を重ねて、妹を見て密かに憧れを抱いていた母親という立場に自ら座り込む、あまりに無様な自分の姿を……
「ど、どうでしょう?お味は……」
「……まあ、悪くない」
「そ、それならよかったです!えへへ」
「……お前もさっさと食べろ、冷める」
「は、はい!い、いただきます……!」
「作ったのはお前だろうに、何故私に言う」
「い、いえ……」
「…………」
「…………」
「…………一つ、聞いてもいいか」
「は、はい!なんでしょう!」
「っ、そう身構えるな。ただ私は、お前がどこでこんな料理を学んだのか聞きたいだけだ」
「料理ですか?……えっと、簡単な料理くらいは病弱なお母さんの代わりにしてたんですけど、本格的な物はお店で働いていた時にでしょうか」
「……お前の母親も病弱だったのか?」
「え?ええ、何か気になりますか?」
「いや……続きを聞かせろ」
「は、はい。旅の途中でお金が必要になった時とかに各地のお店のお手伝いをしていたら、自然と料理の技術が上がりまして。最初は本当に肉や野菜を焼くくらいしか出来なかったんです」
「そうか」
「い、今は食後のデザートなんかも作れるようになったんですよ!少しずつ食材の良し悪しなんかも分かるようになって!それと、あと……!」
「そうか」
「えっと……」
「……………」
「あ、あの……やっぱり、あまりお口に合いませんでしたか?ご、ごめんなさい。そんなに材料も無かったので、野菜中心のスープしか作れなくて」
「っ、そんなことはない、満足している。……私は、見ての通りそう肉を食べる達では無い。むしろこういった料理は好ましいとすら思っている、味も好みの部類だ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、だからそう卑屈になるな。それに私は、あまり喋る事も得意では無い」
「ご、ごめんなさい……」
「…………美味かった」
「!!あ、ありがとうございます!」
「ではな」
「えっ……も、もう帰ってしまうんですか……?」
「最初に言った筈だ、腹を満たすだけだと」
「そ、そうですけど……」
「…………」
「…………」
「……食べたら寝るのだな?」
「っ!は、はい!そのつもりです!」
「ならば早くしろ。……お前が寝付くまでは、ここに居てやる」
「あ、ありがとうございます!す、直ぐに食べちゃいますね!えへへ」
「………はぁ」