「アストレア、様……」
「……?私達、どこかで会ったかしら?」
「ぁっ…………うっ、ひぐっ、うぅぅ……!」
「え!?あの、アイゼンハートさん!?」
「あらあら……アリーゼ、顔を拭ける物を持ってきて貰えるかしら?」
「わ、分かったわ!」
そんなあまりに衝撃的な出会いから半刻程が経ち、それでも今なお神アストレアに抱かれながら泣き続けている少女を見て、この時代のリューは複雑な気持ちを抱いていた。
『正義に固執して犠牲を増やしてしまうのなら、私にはそんなもの必要ない……!』
ヴァレッタとの戦闘中に発せられたその言葉。
聞いた瞬間には頭に血が上りそうになったものだが、今こうして正義を否定した彼女がその正義を司る女神に泣き付いているのを見ると、その言葉がそう簡単な経緯を経て生まれたものでは無いと思えてしまう。
リューは今日までにもう何度もあのエレンとかいう神に、自身の正義という価値観について尋ねられた。
もし彼女のその考え方が同様の過程を経て生み出されたものだというのなら、それを否定できる権利は自分には無いだろう。
……だって、他ならぬ自分がその答えを出せていないのだから。
もし仲間達があの場にいなかったら、リューはエレンに徹底的に虐められていたに違いない。それだけは今こうして振り返っても、よく分かってしまう。
「不思議な子ね、どうしてかしら。会った事なんて無い筈なのに、私はこの子の事を凄く良く知っている気がするの」
「……容姿が、似ているからではないでしょうか。目元等は彼女の方が若干鋭いですが、色は違えど髪型もよく似通っています」
「そうね……でも、この目元の鋭さはきっと生まれ付いての物じゃ無いわ。苦しい事や辛い事がいっぱいあったのね、よしよし」
「うぅぅぅうぅぅ……!!」
「ふふ、泣き方も下手なんだもの。こうやって腰を落ち着けて泣いた経験が少ないのかしら?それとも我慢して泣くのに慣れてしまったの?」
「……こうして見ていると、まるで本当にアストレア様の御息女の様にも見えてしまいますね。複雑ですが」
「あら?貴女だって私の大切な子供よ、リュー?」
「うっ……そ、そういう対応は卑怯です。アストレア様」
そんなやり取りをしながらも、チョイチョイと手で招かれたリューは、アストレアに促されるがままに目の前の少女の背中を撫でる。
……不思議と、不快感はなかった。
他種族の者と触れ合えば拒否感を示してしまうこの身体、その例外はアリーゼだけだと思っていた。
けれど彼女には、そもそもアストレアに促されたからと言って自分から触れに行った事も今考えれば驚きだが、リューは間違いなく自然と触れることが出来ていた。
「うっ、うぐっ……リュー、さん……」
「は、はい!な、なんでしょう!?」
「う、うぅぅぅぁ……」
「な、なぜ泣くのですか!?と、というよりそんなに抱き着かれると困ります!?」
「リューさん、リューさん、うぅぅぅ……」
「ふふ、とっても懐かれてるわね。ずっと末っ子だったリューにも、ついに後輩が出来たかしら?」
「レベルが2つも上の後輩って何ですか!?……い、いえまあ、彼女がそれでも良いという事でしたら、別に断る事はしませんが……」
そんな冗談染みた言葉にも、泣きながらコクコクと首を縦に振る彼女に、リューは困りながらも何となく年下の子供を見ている様な感覚に襲われて、満更でもなくなるのだから単純というものか。
実際にはこの時代ではユキの方が3つも年上であり、実力も遥かに上なのにも関わらず、面識も無いのに自然と受け入れてしまうこの奇妙な情動。
これはもう生来の相性の良さと言っても良いのかもしれない。
それとも単に彼女の育ちがいいだけなのか。
「うっ……ご、ごめんなさい……っ、少し、落ち着いて、来ました……」
「いいのよ?もう少し泣いていても」
「ま、また半日、泣き続け、うっ、ちゃいます、から……ぐすっ」
「は、半日……?」
「ふふ、半日くらいならいいのに。そう思わない、リュー?」
「は、半日は流石に……」
「うぅぅうぅ……」
「つ、付き合います!付き合えますから!だから泣かないでください!」
何にしても、お人好しのリューでは泣いている女の子を相手に強く出られる筈もなく。
仮に末っ子を卒業できたとしても、今のリューではこれから先どうやった所で先輩面する事は難しいだろう。
だって少なくとも、リューはまだユキの傷を防げる程の人生経験を積めていない。
「……そう、何も話してはくれないのね」
「ごめんなさい。でも、アストレア様の顔を見たかったというのは本当なんです。リューさんにも、会っておきたかった」
「……あの、やはりどれだけ考えても貴女の事を思い出せないのですが」
「気にしないでください。これは私が納得したかっただけで、確かにお2人は"まだ"私の事は知らない筈なんですから」
「まだ……?」
「……いえ、なんでもありません。本当に、会えてよかった」
ユキが泣き止み、ようやく会話が出来始めた頃……けれどそれでも、話が大して進む事はない。
ユキはそもそも、何も話すつもりはなかったからだ。
「あの……本当に、今日はありがとうございました。そろそろ帰ろうと思います」
「別にいいのよ、もう少し休んでいっても」
「いえ、あまり長く居ると後ろ髪を惹かれてしまうので」
「………」
だって、話した所で混乱させてしまうだけだから。今も大変な彼女達に、余計な心配を、思考を、割かせてしまうだけだから。
本来ならば自分という存在はどこにもなく、無かったからこそオラリオは闇派閥に勝利した。
だったら自分という存在は、ほんの一時の出会いとして、そしてたった一度顔を見合わせただけの存在として、残るだけでも十分だ。
(7日間の生の中で、こうして偶然にも会う事ができた。それだけで十分で、それ以上はのぞまない……)
最初から、そう決めていた。
思っていたよりも関わってしまったし、殆ど反射的にとは言え戦闘にも参加してしまったが、どう考えても今の時点で過剰接触だった。
ならばもう、これ以上、これから先の7日間の間でさえも、彼等に会うべきでは無いだろう。
だからこれが最後だ。
ここで別れれば最後、もう2度と会う事はない。
これが本当に本当に最後だ。
彼等の顔を見るのも、彼等とこうして言葉を探すのも、この人生においてはこれ以降2度とある事はない。
「さようなら」
「っ」
「!ま、待ってください!!」
「ごめんなさい、大好きでした……救いの祈りを/ホーリー」
だからもう、余計な事は言わない。
だからこそ、これ以上の言葉は交わさない。
勝手に泣いて、勝手に泣き止んで、そうして直ぐに姿を消して帰ってしまう……本当に相手からすれば意味の分からない相手だろうが、全部全部自分の我儘で、全部全部自分の為に、ユキは扉を開け、リューが追い付く事すら不可能な様に、付与魔法を使用して全速力でアストレア・ファミリアのホームを離れる。
(……知らなかった。知らなかった、アストレア様のファミリアなんて。知らなかった、あんな所にホームがあったなんて。知らなかった、髪の長いリューさんなんて)
もう十分に泣いた筈なのに。
もう本当に嫌になる。
泣きたくなんてない。
もう涙を流す事も辛くなってきた。
でも、本当に辛いのだ。
先輩としてあれだけ自分によくしてくれた、元の世界で唯一のファミリアの家族として認識できたリューと。
2年間母親と共に自分を育ててくれて、その後も3年もの間ずっと自分の側に居てくれたもう1人の母親とも言えるアストレア。
そんな2人と会話をする事が、顔を合わせる事が、これが最後だなんて。
どれだけ泣いたとしても泣き足りない。
そして、もし自分が望み、彼等に厄災を押し付ける選択さえすれば、そんな2人と手を繋いで生きていける未来があるという事を考えてしまうと、どうしようもなく苦しくなる。
こんなのきっと、最後の最後まで悲しいに決まっている。
きっと最後の最後まで求め続ける。
自分の最後の瞬間に、彼等がこの手を握っていてくれればどれだけ安心して命を終えられるだろうか。
決して叶えられないその未来と、そんな事をして彼等に要らぬ負担を背負わせる事など出来ない事を考えてしまうと、そんな事を考えてしまう自分こそ嫌になってしまうというのに。
「……アストレア様、彼女は」
「……リュー、パトロールの最中にでもいいの。もしあの子を見つけたら、もう一度ここに連れて来て貰えないかしら。寝ても覚めても泣いてる様な、あの子の力になってあげたいの」
「はい、それは勿論です。……ただ、彼女は本当に何者なのでしょう。どうしてあそこまで、私達のことを」
「………」
「それに最後のあの顔は、まるで……」
「まるで、親しい家族に最後の別れでもしに来たみたい、かしら」
「……はい」
それでもきっと、辛いのはユキだが、その辛さは伝わってしまっている。
神であるアストレアには常人以上にユキの精神状態が筒抜けてしまっているし、リューでさえもその異常ともいえる様子に感じるものはあった。
こんなのもう、殆どテロだ。
負の感情を振り撒いて、振り撒いて、心配という爆弾を置いてその場を去っていく。
止めて欲しいものだ。
そんなことをするのは。
「……ユキ・アイゼンハート。どうしてくれるのですか、貴女の名前も顔も、私はしっかり覚えてしまった」
きっともう、全部手遅れだ。
ユキの心配している事は。