白海染まれ   作:ねをんゆう

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81. daughter

その日は、朝からアルフィアが部屋に居た。

久しぶりに深い眠りに就くことが出来、普段からは考えられない様なちょっとした寝坊をしてから起きると、隣には既に普段の黒のドレスを脱いで何処から買って持ってきたのかラフな衣服を着て、何かの本を読んでいる彼女が座っている。

そうして目を擦りながら起きたユキを見て彼女は、

 

「ようやく起きたか、寝坊助」

 

なんて片目を開けながら頭を撫でてくるのだから、その昨日までとは違う柔らかな雰囲気にユキは驚くしかない。

それでも、どうだろう。

もしかすれば彼女のそんな様子に一番驚いているのは彼女自身なのかもしれないし、誰より今この状況に温かな心を持つ事が出来ていたのは、満たされた心持ちで居られているのは、それほどに雰囲気の変わった彼女自身なのは間違いない。

ユキはただ、彼女のその様子がますます亡くなった母に似ていて、冷たくも温かいその細長い指にされるがままに撫でられるしかない。

 

「あの……起こしてくれても、良かったんですよ?」

 

「いや、お前の寝顔を見ながら朝を過ごすというのも悪くなかった。寝坊するほど気持ち良く眠れたか?」

 

「は、はい。アルフィアさんのおかげです」

 

「うん?その呼び方でいいのか?」

 

「あ!……お、お母さんの、おかげ、です!」

 

「ふっ、まだぎこちないな。会った初日のお前はどこに行った」

 

「うぅぅ……アルフィアさんが"お母さんって呼ぶな"って言ったせいですよぅ」

 

「身に覚えがないな」

 

「も、もう……!」

 

そんなアルフィアの冗談に小さく頬を膨らませて抗議をするユキ。けれど互いの表情には、間違いなく笑顔が含まれている。

他者の頭を撫でるという行為にあまり慣れていないアルフィアは思いのほか乱暴にユキの頭を撫でてしまっているが、満足そうに目を細める彼女を見ればそれもまあ気にする所では無いのだろう。

 

「ユキ……ほんの僅かな間であっても、お前は私を母親だと思ってくれるか?お前に既に本当の母親が居たとしても」

 

「……私にはもう、2人のお母さんが居ます。捨てられていた私を育ててくれたお母さん、お母さんが亡くなってからずっと私を側で見ていてくれた女神様。だから、1人になった私の最期を見届けてくれる3人目のお母さんとしてでいいのなら、私は……」

 

「……3人目か。ふふ、存外私にも嫉妬という感情は残っていたのだな」

 

「あ、あの……」

 

「だが、それもまあ悪くない。私も出来たのならばお前の様な子が欲しかった。喧しくなく、純粋で、誠実で……少し泣き癖はあるが、まあそれなりに理想の子供だ」

 

「ふ、普段はこんなに泣きませんよぅ!」

 

「そうか、ならばお前はやはり私の理想だな」

 

「うっ……お母さんは卑怯です」

 

「その割には嬉しそうだな」

 

むしろこう、湧き上がってくるのはとてつもない母性という名の衝動。

枷を外したからだろうか。

覚悟を決めたからだろうか。

考える事を後回しにしたからだろうか。

きっとこれから先の何も無ければ、もし周りに他の誰もいない状況でユキと出会えていたのなら、アルフィアは間違いなく出会ったその時からこんな風に自分の娘として溺愛していただろう。最初の出会いがもっと良いものだったならばと思わずにはいられない。

 

「もう少しこちらに来い」

 

「?」

 

「早くしろ」

 

「は、はい……っ!?」

 

ああ、そしてこれだ。

昨日の夜から感じていた、この感覚。

我が子をこの胸に抱く安心感と満足感。

これだけはどうしても、やめられない。

一瞬驚きつつも、直ぐに表情が和らいで目を閉じるユキの表情すらも、今は自分の心に温度をもたらす要素にしか成り得ない。

 

「……私を育ててくれたお母さんも、こんな風によく私の事を抱き締めてくれました」

 

「……こんな状況で他の母親の話などするな、馬鹿者」

 

きっとその母親も自分と同じ気持ちだったのだろうと、今のアルフィアなら分かる。

年齢は7つしか離れていない為、真に言えば妹と言った方がいいのかもしれないが、やっぱり自身の子供としてしか見られないこの不思議。

 

きっとこの僅か1日の家族ごっこは、ユキにとってだけではなく、アルフィアにとっても最後にもたらされた幸福の期間なのだろう。

少なくとも、彼女が自身の妹が子を産み落とした時の反応を見て、その光景に無意識にとは言え少しの憧れを抱いていたのは間違いないのだから。

たとえこの日の最後にはその娘を自らの手で殺さなくてはならないとしても、それでも。

 

「ああ、やはり他人の作った物は美味いな」

 

「ふふ、なんですかそれ」

 

「自分で作れば粗が見える、だが他人が作ればそういう物なのだと受け入れられる」

 

「なるほど、つまり?」

 

「……お前の味が好みだという事だ」

 

「もう、最初からそう言ってくれればいいのに」

 

「夕食も同じ物を出してくれ」

 

「……もしかして、結構気に入ってくれてます?この野菜スープ」

 

「……だから好みだと言ったろう、何度も」

 

目を逸らす、けれど閉じない。

温かいスープ、本当に温かい。

好みの味だというのは本当だ。

しかし味だけで言えば有り合わせの材料で作られたこれでなくとも、料理店の物の方が同じ様に温かくて美味しいはずだ。

けれど、そんな物より彼女の作った物の方が好きだと思えるのは、やはりそこに温かさがあるからだろう。

 

「お昼は何を食べますか?材料はそれなりに残っていますし、言ってくだされば大抵の物は作れますよ?」

 

「……お前に任せる、お前が作る物ならばなんでもいい」

 

「そ、そうですか?お母さんのそういう偶に嬉しい事言ってくれるの、一周回って卑怯だと思います」

 

「本心しか言っていない」

 

「だからですよぅ……」

 

そうでもなければ、恥も外聞も気にせずに同じ料理を再度要求するなんて事はしない。

これでも少しは恥ずかしくはあったのだから。

ユキが本当に心を込めて作ってくれていると分かっているからこそ、その後姿を見ていたからこそ、本当の温かさがそこにある。

久しく味わっていなかった、家族の温かさというものが確かに感じられる。

 

「それで、その……私はどうして膝枕をされているのでしょうか?あぅぅ」

 

「食事の褒美だとでも思っておけ。……髪の状態が悪いな、手入れをしていないのか?」

 

「あ、えっと……最近はその、それどころじゃなくて……」

 

「……やはり膝枕は無しだ。髪の手入れをする、座れ」

 

「あ、それくらいは自分でも……!」

 

「いいから座れ、私がやってやる」

 

「……はい、お願いします」

 

妹とは真逆の黒い髪。

自身の中途半端な灰色とは異なり、けれど清々しい程の単色で、きっとしっかりと手入れをしていれば妹の物とはまた異なった美しさを放つであろうそれ。

アルフィアはそれを手慣れた様子で手入れしていく。

 

「……慣れているんですね、意外です」

 

「昔は妹の髪をよくしていた。私の髪は灰色で見れた物ではないが、妹の髪は白く美しかったのでな。放っておけなかった」

 

「私はお母さんの髪も好きですよ。灰色って、白色と黒色の良いとこ取りをしてる色だと思うんです」

 

「良いとこ取り、か……確かに、以前よりは自分の髪を好きになれるかもしれないな。私は今日まで黒色に対して負の価値しか感じていなかったのだが」

 

「ふふ、でも私もほんとはもう少し明るい色が良かったなぁって思ったりもするんです。真っ黒だなんて、ちょっぴり怖くないですか?」

 

「……馬鹿を言え、髪の色程度で怖くなどなれるものか。お前のその甘ったれた顔は髪色を足して丁度良いぐらいだ、大人しくそのままでいろ」

 

「もし白く染めようとしたら、お母さんと同じくらいの色になれたりしますかね」

 

「……頼むから、私の為にもそのままでいてくれ。せっかくこうして目を開けて、お前の姿を記憶に焼き付けているんだ。お前が居なくなったその後でも、私はお前を覚えていたい」

 

「……ごめんなさい、少し意地悪を言ってしまいました」

 

「もういい、気にしていない。……思いの外、神経質になっているのは私の方の様だからな」

 

黒色の髪。

それは確かに人より暗さや冷たさの印象を与える物かもしれないが、それと同時に周囲から目を惹く美しさをも併せ持っている。

ロキ・ファミリアでもアナキティ・オータム、エルフではフィルヴィス・シャリア、この時代ではアストレア・ファミリアのゴジョウノ・輝夜など、彼女達が美少女と評されるのには当然その特徴的な髪色も要素の一つとなっているだろう。彼女達の落ち着いた冷静な雰囲気(あくまで雰囲気)を作っているのも、またその髪色だ。

……だから、その肌の白さを引き立てる長い黒髪は、今やユキという人間を語る上では無くてはならないものである。

たかが髪色、されど髪色。

色一つ変えるだけでも雰囲気は変わり、自分は変わり、他人も変わる。

故にアルフィアは嫌がったのだ。

髪色を変えたいという気持ちはよく分かるが、それでもこの数日でせっかく刻み付けたユキのイメージを破壊してしまう様な行いを容易く受け入れることなど到底出来なかった。

だから肯定してやる。

気持ちを素直に伝えてやる。

どうやらこの少女に気持ちを誤魔化したり隠したりする事は、普通の人の何倍も心の距離を離してしまう行為の様だから。

 

「……ああ、これで綺麗になった。やはり手入れを欠かさず行えば、お前の髪は美しい」

 

「な、なんだか耳元でそう言われてしまうと恥ずかしくなってしまいますね」

 

「純粋な褒め言葉だ、大人しく受け入れておけ。……手触りも悪くない」

 

「あぅ……なんだかお母さん、頭を撫でるのも上手くなっている様な気がします」

 

「当然だ、私は大抵の事は2度目には出来る。お前がどこをどう撫でられるのかが好きなのか、少し観察していれば嫌でも分かる」

 

「そ、それはそれで少し恥ずかしいと言いますか……」

 

「それに、お前は意外と人に触れられる事に対して敏感な反応をするな」

 

「ど、どうしてそれを!?誰にも言ったことないのに!?」

 

「これに関してはむしろ分かりやすいくらいだ、そら」

 

「ひんっ!?」

 

「くくく、本当に可愛い反応をするな、お前は」

 

「も、もう……酷いですよ」

 

ツンツンと脇腹を突かれ、体をくねらせる様にして笑うユキ。

やっぱり機嫌は良くなった。

この子は本当に、言葉や態度をそのまま素直に受け取ってしまう。

だから冷たくしてやれば簡単に落ち込むし、こうして褒めて可愛がってやれば嬉しそうにしてくれる。

これは美徳でもあって、きっと弱点でもあるのだろう。

表向きは傷付いていない風を装っていても、心の中では外から入って来た言葉が全て彼女の核を一度通ってから、外に出ることなく身体の内側を跳ね続けている。

 

「脆いな、そして弱い。いや、強いのか」

 

「んと、何の話ですか?」

 

「……いや、本当に擽られるのに弱いと思っただけだ」

 

「もう、駄目ですからね。私だって恥ずかしいんですから」

 

「ふふ、そう言われるとしたくなるのが人間というものだ」

 

「あっ、駄目ですってば!あはは!」

 

……だが、もう苦しむ必要はない。

今はただ、幸福を噛み締めるだけでいい。

お前はそのまま、幸福の海に沈みながらこの生を終えればいいのだから。

 

「……あの、いいんでしょうか?私がこんな風に笑っていても」

 

「……気にするのなら、今日だけだと思え。今日だけは目一杯笑ってもいいのだと考えればいい。1日くらい、自分を許してやれ」

 

「……はい、お母さん」

 

だから笑え。

だからその笑顔をもっと見せてくれ。

そして満たしてくれ。

私の為にも、お前の為にも。

どうせ今日でお前を見る事も最後なのだから。




「汗は流せたか?」

「は、はい、なんとか。……でも、お母さんは良かったんですか?一緒に行かなくて」

「構わない、私は着替えを取りに行きがてら流してきた。何も問題ない」

「……夕食は、どうでした?」

「何度言えばお前は満足するんだ?……お前のスープの味は、私は一生忘れる事はない」

「えへへ、ごめんなさい。嬉しくて」

「………楽しかったか?今日は」

「はい、それはもう」

「心から笑えたか?」

「心から笑えていましたか?」

「……分からない。私はお前の普段を知らない」

「私も分かりません。でも、幸せだったのは間違いありません」

「私もだ、久方振りに幸福というものを感じる事が出来た」

「……これからも、お母さんって呼んでいいですか?」

「……明日の朝、起きるまでだ」

「じゃあ、あと数時間ですか」

「名残惜しいのか?」

「名残惜しいに決まってます。お母さんはそうではないんですか?」

「……どうだろうな」

「そこはハッキリと言って欲しかったですよ、私は」

「言わなくとも分かるだろう」

「言ってくれないと実感出来ません」

「聞かなくとも知っているだろう」

「聞かないと確信できません」

「知らなくとも知っているだろう」

「知らないから知りたいんです」

「……あと一月早く出会っていればと、そう思いはした」

「一月でいいんですか?」

「お前の最初の母親よりも早く、お前のことを見つけ出したかった」

「……でも、そうしたら私の事を殺してくれませんでしたよね」

「ああ、むしろお前に仇なすこの世界を殺そうとしていただろう」

「ふふ、それなら良かったです。お母さんの中で私よりも世界の方が上であるというのなら」

「……お前は時々、意地の悪い言い方をするな」

「えへへ、ごめんなさい」

「……お前は、後悔はしていないか?」

「……してますよ、たっくさん。でも今更です、生きて来た証は消えてくれません。誰かが私を覚えている限り」

「お前と出会った神々は、お前の事を忘れる事は無いだろうよ。故に、お前の生きた証はこの世界から永久に消える事は無い」

「お母さんは覚えていてくれないんですか?」

「……私は病弱でな、直ぐにでもお前の事を追う事になる。それを良しと取るか悪しと取るかはお前次第だが」

「……複雑な気持ちです。天に還っても少しくらいお話をする時間は貰えるでしょうか?」

「さあな、私はロクな人間では無い。もしかすれば少しの時間も貰えずに魂の漂白をされてしまうかもしれない」

「それなら、私が先に行って神様達を引き留めていないと行けませんね。なんだかやる気が湧いて来ました」

「なんとも後ろ向きなやる気だな。お前らしいと言えばお前らしいかもしれないが」

「……お母さん」

「ん、なんだ?」

「私はお母さんと出会えて、本当に良かったです。あの日あの時に出会ったのが他の誰でもなく貴女で本当に良かったと、心からそう思います」

「…………」

「だからもう、何も怖くありません。後悔はありますけど、決心は出来ました。お母さんになら、私は殺されてもいい」

「……お前を殺すのは明後日だと、そう言った筈だが」

「それでも、今伝えておかないとです。もし今直ぐお母さんが私を殺そうとしても、私は何も怖くなんてありません。だって、きっと抱き締めてくれますよね?私の事、最後まで離さないでいてくれますよね?」

「……ああ、そうするだろうな」

「ふふ、だから怖くなんてないんです。……本当に、私を殺してくれるのがお母さんで良かった。まるでこの出会いそのものが、私を幸福に死なせてくれる為のものみたいな」

「……否定したいが、否定の出来ない事実だな。私の寿命が長くないという事も含めて、お前の命を楽に断つ為にこれ以上無い程に条件が整い過ぎている。これも世界がお前を殺したがっているという事か?」

「だとしたら、世界さんは急に策士になりましたね。昨日までは馬鹿みたいに大騒ぎを起こして来たのに、急にこんな風に回りくどいやり方をしてくるだなんて」

「お前が死ななかったせいだろう、大騒ぎをしたところで」

「まあ、周りに迷惑を掛けないというのなら喜んでその策に乗ってやりますよ。掌の上で踊らされている様で少しだけ悔しいですが」

「ああ、思わず殺してやりたくなる」

「私をですか?」

「いや、この世界をだ」

「もう、私が死ぬ事でせっかく少しは平和になるんですから。そういうのはやめて下さい」

「……どうだろうな」

「……そろそろ寝ましょうか。最後まで、側に居てくれますよね」

「ああ、だから先に布団に入れ」

「抱き締めていてくれますよね」

「ああ、背中も叩いてやる」

「殺してくれますよね、私の事」

「……ああ、殺してやる。2日後にな」

「それなら、後はお任せします。たった数日の出会いでしたけど、私は幸福でした。大好きですよ、アルフィアお母さん」

「……ああ、私もお前を愛している。一時でもお前が私の子となってくれた事を、幸福に思う」

「おやすみなさい、そしてありがとうございました。見つけてくれて」

「……見つけるさ。次に会う時も、必ず」

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