日も沈み始め、空の赤焼けに紺色が混じり始めた頃、冒険者達は動き始めた。
闇派閥の拠点3カ所への同時攻撃。
ロキ・ファミリア、フレイヤ・ファミリア、そしてアストレア&ガネーシャ・ファミリアの合同軍が主な戦力となって仕掛けるこの作戦。
失敗するにしろ、成功するにしろ、今日という日が8年前に暗黒期が始まって以来の一つの転換期になるのであろうと、この場にいる誰もが疑っていない。それは敵も、味方も、同じ様に……
ただ1人別の事を考えている者が居るとすれば、それはガネーシャ・ファミリアの戦士達に紛れる様にして立っている、真っ黒なローブで顔まで隠している不思議な人物くらいだろうか。
そしてそんな不審者は当然のように周囲の目線を引きつけて、目立っていた。そもそも都市の治安を守るガネーシャ・ファミリアにそんな不審者が居ること自体おかしいのだから、当然と言えば当然の話なのだが。
「あら、アーディ。そっちの子は誰かしら?ヘンテコなローブを着ているみたいだけど、見たことの無い子ね」
「え?あ〜……この子はうちの切り札、みたいな?」
「切り札ですか?アーディ、あまり言いたくは無いのですが、こういう作戦なので不安要素を増やすのは良くないかと……」
「お、お姉ちゃんの許可も貰ってるから大丈夫だよ!ね、お姉ちゃん!」
「あ、ああ、そいつについては問題ない……というか、他の者がいる場でその呼び方はやめろと」
「切り札ねぇ、まあシャクティが言うなら大丈夫なのかしら?こんにちは、見知らぬ誰かさん」
「………はい」
「また無愛想なお方ですねえ。まともに意思疎通を交わしてくれそうにも見えませんし、やはり置いて行くべきではございません?」
「ま、足さえ引っ張らなければいいんじゃねぇの?歩き方を見る限り、何にも出来ないお姫様って訳じゃ無さそうだしな」
「……なんでしょう、何処かで見た事がある様な」
「…………」
気付いてはいない、気付かれてはいない。
顔が見えない事で、彼女達からすればそのローブの女は愛想の悪い性悪か、コミュニケーションに難のある残念な人物くらいにしか思われていないのかもしれない。
実際にはなるべく顔を見たくないし話をしたくない、どころか関わりたくはないと思っているくらいだが…………いや、確かにもっと詳細に言えば自分の何もかもが分からず殆ど脳が死んでいるという事もあるかもしれないが、その辺りの複雑な内心は到底言葉で表現出来る程の物では無く、混乱と絶望で思考を放棄し始めているとでもここでは締め括っておくこととしたい。
「さて、あと少しで時間ね」
「シャクティさん、私は……」
「お前はアーディに付いて行くだけでいい。出来れば戦って欲しくはあるが、無理は言わない。バレたく無いのだろう?」
「…………」
「せめて死人が出るのを防いでくれ、それだけでいい」
「……それは、敵も、ですか?」
「!……ああ、無力化して捕縛するのが我々の方針だ」
「わかり、ました……」
「時間よ、みんな突入するわ!」
アリーゼの言葉と共に、アストレア&ガネーシャ・ファミリアの合同軍が闇派閥の拠点となっているであろう施設への侵入を開始する。
言われた通りにアーディの背後を走る女。
シャクティはそんな彼女を見ながら頭に過りそうになる考え事を頭を振って追い出した。
今は何も考えなくていい。
非道であろうと何であろうと、利用するだけ利用して、責め苦でも何でも後で受けようと。
彼女が生粋の善人だと分かっている。
頼まれれば断れない性なのも分かっている。
だから任せる。
引っ張り出して、指示を出して、無理矢理にでも戦わせる。
誰一人死者を出さない為に、死者を出さずにこの作戦を成功させる為に。
そう徹すると決めたのだから。
作戦が始まった今、これ以上に考える事など何もない。
「一人たりとも逃すな!全員無力化し、捕縛しろ!」
「通路奥!後は上!来んぞ!」
「分かった!任せ……」「ふっ……!」
「ぬぐぁっ!?」
「つ、次こそ……!」「はっ……!」
「ぐはぁっ!?」
「……これちょっとボディガードが過剰過ぎないかなぁ、お姉ちゃん」
四方八方から襲いかかってくる闇派閥の信徒達を蹴散らしながら一行は進んで行く。アリーゼを中心とした本隊が最奥へと向かって突き進み、他の者達が少しずつ別れながら施設全体を掌握していく。
ユキはその中でもシャクティに指示されていた事を淡々とこなしていた。
剣を使えばアストレア・ファミリアのメンバーにバレてしまう可能性を考え、蹴りを主体として信徒達を地面へと打ち付けていく。
「…………虎砲」
「ぎゃぁああ!!?」
ユキの身に宿るレベル5の身体能力と、かつて子供達とボール遊びをしている最中で身に付けた蹴り技の数々。
空中で二度三度と回転をしながら的確に蹴りを当てていくその姿は、あまりに派手であったものの、むしろ周囲の者達からはシャクティが呼んだ強力な武闘家として見られてしまったようで、もしかすれば素性を隠すのには役立ったかもしれない。
それでも基本的な身体の動かし方はアストレアから教わったものを基礎としているため、勘付かれてしまう危険性もあったが……
「すごいわ!いい秘蔵っ子を持ってるじゃない!シャクティ!」
どうやら大丈夫らしい。
アストレア・ファミリアの団長がそう言うのだから、問題は無いのだろう。
ユキは密かに安堵感からため息をついた。
「……道が開ける!最深部!」
アーディ掛け声、一同は施設の最奥の扉を蹴破り入った。
それまでとは違い少しだけ大きな部屋。
恐らくは元々は何かしらの行事ごとを室内で執り行うための部屋だったのだろう。しかし今やそこには闇派閥の者達の溜まり場であった事が伺えるような粗末な物しか置いておらず、どころかお世辞にも綺麗とは言えない様な状態となっている。
「よぉ、来たなぁ」
「っ、おまえは……!」
……そしてそんな部屋の中央に、その女は居た。
殺戮と執着を体現したかの様な性格。
獰猛な瞳と濃厚な血の臭いを纏った熟練の殺人鬼の風格。
加えて正にその二つ名に相応しい凄惨な経歴を持った、闇派閥の幹部が、そこに。
「【殺帝(アラクネア)】!!」
「お前等、ここまで来んのが早過ぎんだろうがよぉ。電光石火どころじゃねぇぞ、ったく……」
「言葉と顔が一致してねーな、汚ねぇ笑みしやがって。……何隠してやがる」
「そんなもんテメェ等を殺す算段以外にあると思ってんのか?あん?やれよお前等!!」
「なっ、こいつ等どこに隠れて!?」
壁の一部を外して、天井裏から飛び降りて来て、別の小部屋から雪崩れ込んで来て……ヴァレッタの指示と同時に、多くの信徒達がこの大きくとも小さな部屋へと殺到する。
数に物を言わせた乱戦。
いくら上級の冒険者と言えど、空間の小さな場所で多くの者達に襲撃されれば簡単に対処する事など出来ない筈。そんな希望のある言葉に唆された信徒達による、死を覚悟した一心不乱の特攻の波。
「このっ!最後の抵抗という訳ですか!」
「ああもう!こんな事をしても勝てないんだから諦めなさいってば!!」
「うわぁぁぁあああ!死ねぇええ!!」
「闇雲に突撃して上級冒険者に勝てるなら苦労するかっての!」
「ぐはっ!?」
「アッハッハ!やるじゃねぇか!」
信徒達が武器を手に特攻し、そのまま散らされて行く様子を背後から嗤うヴァレッタ。
焦りは見られない。
どころか、余裕に満ちている様にも見える。
今確実に追い詰められているのはヴァレッタの筈だ。
にも関わらずその女は加勢するどころか動く事すらもせず、その場で目の前の光景をまるで他人事の様に嘲笑っている。
「さて、そろそろだな」
「……」
いや、それはむしろ傍観者だとか、観客だとか、そういった類の感覚なのかもしれない。
ユキはその眼に見覚えがある。
自分の策通りに進む目の前の光景を、まるで一つの劇でも見ている様に楽しむ、悪人特有の反応という物を。
「あ、ああああ!!」
「な……子供!?こんな幼い子まで巻き込んで!」
「あ、ああ……!」
「ナイフを捨てて!闘っちゃダメだ、君みたいな子に武器を持たせる大人の言うことなんか聞いちゃいけない!」
ヴァレッタの視線が動く。
その先を追ってみれば、そこには一人のナイフを持った子供に相対するアーディの姿。恐らくあの子供もまた闇派閥に唆された、今回の戦力として加えられたのだろう。
……ヴァレッタの口角が上がる。
分かっている、あの女が何かを企んでいる事など。
分かっている、正義の下に動く者達にとって、子供という存在は毒にも薬にもなり得るということを。
ああ、分かっているとも。
子供というものは一度そうだと思い込んでしまえば、他人の言葉に簡単に従ってしまい、他の可能性を考える事など出来なくなってしまうという事など。
「私は君を傷付けたりしないよ?さぁ、こっちへ」
「…………」
「…………」
「………おとうさんと、おかあさんに、会わせてくださ「ごめんね」
「えっ」
「はっ?」
少女の身体が宙を舞う。
その吹き飛ばされた先に居るのは他の誰でもなく、それまで他人事の様に見学を決め込んでいたヴァレッタ・グレーデ。
想像すらしていなかったあまりの出来事に、その場から逃げ出すのに一瞬遅れた彼女の近くで、その現実に誰よりも混乱していた吹き飛ばされた少女が既に、吹き飛ばされる寸前に、そのスイッチとなるピンを引き抜いてしまっていた。
「待って!駄目!」
「クッソがぁぁああ!!」
少女の懐から真っ白な閃光と膨大な熱量が放たれる。
恩恵すら持っていない子供の体は瞬間的に肉片となって焼き焦されながら周囲へと飛び散っていき、それを最も近くで受けてしまったヴァレッタの身体も大きく吹き飛ばされる。
それを最後まで直視していたのは当然アーディだった。
守ろうとしていたはずの子供の体が目の前で跡形も残らぬ程にグチャグチャにされ、伸ばそうとしていた手もまた、少女を吹き飛ばした蹴りと同時に地面へと押し倒されたが故に届きはしなかった。
救えなかった、その手では。
「ーーー自決?いや、でも……」
「クソが、クソが!クソがぁ!!なんでこの不意打ちが分かりやがった!?このクソ陰険野郎!!」
「もう何度も見ましたよ、その手段は。飽きもせずポンポンポンポン、そんなに爆発したいなら全部お返ししましょうか?」
「なっ、そいつは……!!」
闇派閥の信徒から剥ぎ取った衣類に包まれた、幾つもの丸い爆発物。
それはこの戦闘の最中にユキが見つけ、可能な限り奪い取った奴等の自決装備だ。
……あの少女だけは見つけられず、奪い切る事の出来なかったそれだ。
しかし奪い取ったとは言え、そこに入っている物がここにある全ての物ではない。
火炎石に撃鉄装置を取り付けたそれは、小型ながら驚異的な威力の爆発物として、恐らくこの場にいる全ての信徒達が所持しているはず。
それどころかいくつかを施設内に忍び込ませていたとしても不思議ではない。それくらいするのだ、こいつ等は。
「っ、全員倒れてる連中から離れろ!吹き飛ぶぞ!」
「いえ、むしろ全員逃げて下さい!一斉起爆するつもりです!ヴァレッタはこの施設ごと全てを吹き飛ばすつもりなんです!」
「テメェ!一体どこまで知っていやがる!!」
「貴女が闇派閥の幹部という事だけですよ……!」
ユキとライラの言葉に促されるままに、一同は施設内から撤退して行く。
呆然としたままであったアーディもまた、姉のシャクティと友人のリューに手を引かれて、強引にその部屋から引き出される。
……だが、ユキだけはその場に残っていた。
ヴァレッタに余計な思考をさせる訳にはいかない。
混乱しているこの女に、今他の信徒達に命令させられる余裕を生ませる訳にはいかない。
「おまえっ、まさかその剣……!」
「2度目ですね。今度こそ貴女の命を取りますから、殺帝ヴァレッタ・グレーデ」
「テメェェェエエエ!!」
施設内で何度も鳴り響く爆発音。
やはり最初の爆発を狼煙に、他の爆発物を起爆させる様に仕組んでいたらしい。
……だが、今のユキにはそれすらどうでもいい。
ヴァレッタはここで殺す。
それさえ成功すれば、自分はこの場で死んでもいい。
そう思っての行動だった。
始まった爆発の連鎖に味方であった者達がこの場に戻って来られる筈もなく、信徒達もその身に迫る死の恐怖に怯え、ヴァレッタの加勢に入ろうとする気概は見せつつも、行動にまでは移せない。
「貴女の事ですから、逃げ道くらいは残しているんですよね」
「っ、だとしたらなんだ……!」
「……なるほど、そこですか」
「なっ!待てテメェ!!」
自然と動いてしまったヴァレッタの視線の先に向けて、ユキは手元に持っていたいくつかの爆弾を丸ごと投げ捨てる。
直後、生じた凄まじい爆発。
壁の奥に隠されていた階段の崩落音。
ヴァレッタの顔が絶望に染まる。
逃げ道を塞がれた。
周囲は火の海、建物全体も次第に形を崩し始めている。
着実に自らの死を肌に感じ始める。
そもそもヴァレッタでは、この女に勝てないというのに。
「さて……ここで一緒に死にましょうか、ヴァレッタさん。死場所にしては少しだけ騒々しいですが、殺戮が好きだった貴女にとっては悪くないのでは?」
「……巫山戯んな、巫山戯んなぁぁあ!!死なねぇ!死んでたまるかよ!テメェと一緒にすんじゃねぇ、この異常者が!!」
「悪の元凶なんて早いうちに摘んでおくに限ります。その場で1人の犠牲が出たとしても、生かしておけば100人の犠牲者が出る訳ですし。そうは思いませんか、ヴァレッタさん」
「アアァァアアア!!」
必死の形相でヴァレッタは大剣を振るう。
しかしそんな攻撃に今更当たるユキではなく、直後に付与魔法を纏った剣によって大剣ごと左腕ごと大きく切り刻まれてしまう。
大した武器でもないのにユキと武器をぶつけ合うのは完全に悪手だった、それすら判断出来ない程に今のヴァレッタは追い詰められていた。
「……なるほど、警戒していましたが逆転のスキルも魔法も無さそうですね」
「い、嫌だ!死にたくねぇ!死にたくねぇ!!」
「そう言って助けを求めて来た人達を、貴女は殺したのでしょう?だったら貴女も同じです。何をどう言い訳した所で、私は貴女を殺すのをやめません」
「クソが、クソがぁぁああ!!」
「!」
それはもう、ヴァレッタにとって最後の賭けだった。
手に持っていた3つの爆弾を天井に向けて折れた大剣で叩きつけ、強引に起爆する。それはユキに直接その手を下されるよりも、建物の崩落に巻き込まれた方が生き残る可能性が高いと思っての行動。
実際には少しでもユキに時間を与えない様に大剣で叩いてしまったため、彼女の少し頭上で爆発してしまい、熱線や衝撃波をその身にモロに喰らう事になってしまったのだが……それでも彼女の目論見通りにユキはその瞬間にヴァレッタに近付く事は出来ず、直後に2人を割く様にして完全な施設の崩落が始まった。
「っ、どれだけの規模で爆発を……!」
施設の外壁に穴が空いた事によって聞こえ始める、地上で生じている連続した爆発音と、それによる人々の悲鳴。
脳裏に過ぎるのは、あの地獄の様な数日間。
遂に施設が天井部分が崩れ落ちた。
地鳴りが酷く、周囲を炎が埋め尽くしていく。
ユキは穴の空いた僅かな隙間から真っ赤に染まった地上を見上げ、ただ息を吐いて立ち尽くした。
ヴァレッタが本当に死んだのかは分からない。
これからオラリオは大変なことになる。
自分の影響がどこまで未来に影響を与えているかは分からない。
だが、このままいけば自分が死ぬのは確実だ。
けれどもう、それでもいいと思ったのだ。
身体よりも大きな破片がユキの隣へ落下する。
それにゆっくりと覆い被される様にして、身体ごと地面へと押し倒される。少し抵抗すれば跳ね退けられたそれに、ユキは少しも抵抗する事もなく身を委ねた。
もしこのまま何かしら頭部にでも降って来てくれれば、いくらレベル5の身と言えど死ぬ事は間違い無いだろう。例えばそれが今この身に被さっているくらいの大きさの物であれば、本当に苦しまずに逝けるのだが……
「それは少し、我儘、でしょうか……」
そんな最期を望んでいたい。
出来る事なら苦しまず、一瞬で、一思いに。
生き埋めになって餓死はきつい。
火炎によって窒息死も困る。
子供を見殺しに、いや事実この手で殺した自分が何かを求められる立場ではないとは分かっているが、愛しい母に殺される事が出来なかったのだ。これくらいは許して貰いたい。
たとえこれから赴く先が地獄だったとしても。
柱が倒れた。
天井の全てが遂に崩れ落ちた。
炎が内装を焼き尽くし、元の形の一つも残さず爆発の連鎖が続いていく。
砂埃が吹き荒れる。
酸素も益々薄くなる。
気温は高くなり、全身が黒く汚される。。
身体にのしかかる破片は重く、巨大な破片も頭部へ向けていくつも降って来た。
段々と、そして着実に、死はユキに向けて近付いて来ているのは間違いなかった。
……それなのに、
「……なんで」
何の因果か、
「どうして……」
奇跡的にも、
「どうして……!」
本当に偶然が積み重なり、
「なんで死なせてくれないの……!!」
ユキは、生きていた。
その凄まじい崩落の中。
一つの破片のダメージも受ける事なく。
殆ど無傷で。
死などとは到底言えない程に、余裕を残して。
本当に皮肉なほどに奇跡的に。
炎に包まれたオラリオ。
今も火の粉が舞い落ちる小通り。
普段は滅多に人が通ることのないそんな通りが、今日は異様な程の傷痕に苛まれていた。
強烈な氷魔法が放たれた様な跡に、床面に小規模のクレーターを生み出す程の強烈な打撃痕。
そしてその一帯全てを覆う様に刻み付けられた凄まじい嵐の痕跡。
何十人もの兵士達がそこで争ったとしても、それ程に地形が荒れる事は無いだろうし、何も知らない者がこの惨状を見渡せば本当に何が起きたことか想像すらする事は出来ないだろう。
「……所詮はこの程度、か」
そしてその破壊の嵐の中央で、1人の女が瞳を閉じて嘆き悲しむ。
彼女の前に倒れ伏すのは、緑髪の女と髭を生やしたドワーフの男。
この都市ではそれなりに有名な者達であり、他ならぬその女もまた彼等の事を知っていた。
故に少しくらいは期待していた。
この8年間で、自分達に追い付くくらいにはなっているのではないかと。
「やはり、失望しかない」
だが8年の時が経ち、自身の身がこれほど病に蝕まれてなお、彼等はここまで届いて来ない。
どころかたった一言魔法を呟いただけで、無様にもこうして地に伏せた。
これでは到底黒龍など倒せまい。
どころか、今のままではダンジョンの深層で死に絶える事すら考えられるだろう。
この程度の者達ならば、かつてのファミリアには何人も居た。
その者達よりも遥かに強い化け物が居たにも関わらず、黒龍には勝てなかった。
今のオラリオは弱かった。
それこそ、たった1人の女の、たった一言の言葉にすらも耐えられない程に。
「がっ、くっ……!ガレス!!」
「ぬ、ぅぅ……分か、っとるわ!リヴェリア!」
「ほぅ、根性だけはまだあるようだな」
一体何がそうさせるのか。
あれほどの攻撃を受けてなお未だ意識だけは手放す事なく声を上げる彼等に、女は無表情に、無感情に、対して称賛する様な気持ちもない癖に言葉だけを置いていく。
ゼウス、ヘラ・ファミリアが焼失した後、彼等の後釜となってオラリオ最大の規模として活躍しているロキ・ファミリアの幹部である2人。
現オラリオ最強の魔道士であるリヴェリア・リヨス・アールヴと、現オラリオで最高の力を持つガレス・ランドロック。
何を隠そう彼等は同じ幹部のフィン・ディムナやフレイヤ・ファミリアの団長であるオッタルと共に、8年以上前から女を含めた強大なファミリアの者達に挑み続けて来た挑戦者だった。
故にボコられ慣れている、とでも言うのか。
少なくとも死ぬ事だけは無かった。
立ち上がる事はもう出来そうに無いが、なんとか意識だけは保たせていた。
それこそ、神時代以降、眷属の中で最も才能に愛された女である『才禍の怪物』による攻撃を受けてもなお……
「だが寝ていろ、冒険者。神時代はもう終わる、私達が終わらせてやる」
「っ、お主等は……守ろうとしていた世界を破壊するつもりなのか……!」
「そう言っている」
「お前の落胆や失望は、それほど大きなものだとでもいうのか……!"アルフィア"!!」
「だからそう言っている」
元ヘラ・ファミリアのレベル7。
誰よりも才能に愛され、かつてリヴァイアサンとの戦いにおいて最後の一撃を放った事もある才能の権化。
かつてレベル9まで登ったヘラ・ファミリアの団長に、レベルを2つも離されてなお勝利を掴み取る可能性を持っていた程の本物の怪物。
それこそが『静寂』のアルフィア。
灰髪を纏った誰よりも静寂を好む最強の一員。
そしてかつて黒龍に敗れ、その姿を隠した者達の中の1人。
「お前達はここで死ぬ、力が無かったからだ。8年もの月日があったにも関わらず私に追い付けず、弱いままであったからだ」
「……無茶を言いよる」
「全くだ……」
「その無茶をどうにかしてこそ冒険者だろうに、己の足りなさを悔め」
「こっ、のっ……!」
再び2人の前に立ち手をかざしたアルフィアに、ガレスとリヴェリアは何とか立ち上がろうと奮闘する。
しかしその傷は重く、容易には身体を動かせず、ただ震える手で上半身を起こす以上の事が出来やしない。
上空を飛んでいたアスフィ・アル・アンドロメダもまた、2人を助ける機会を伺っていたにも関わらず、状況がそれを許してはくれなかった。
このままでは本当に今度こそ2人の命が奪われてしまう。
今やこのオラリオの重要な最高戦力であり、柱を担っているとも言える2人を失ってしまう。
……この街の事を考えるのならば、例え自らの命を捨ててでも助けるべきなのだろうか。
アスフィがそんな事を考え始めたその瞬間に、異変は、起きた。
「なに、してるんですか……?お母さん」
「っ!?」
小通りに繋がる更に狭い通路から、見知らぬ少女が姿を現したのだ。
まるで信じられないものを見たかの様に。
見たくないものを見てしまったかの様に。
表情をなくし、
笑みをなくし、
瞳に確かな絶望を浮かべながら、そこに。