白海染まれ   作:ねをんゆう

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85. rampage

大気を空間ごと切り裂こうとでも言うかのように、紅色の大剣が振るわれる。その一振りで周囲の存在を丸ごと消し飛ばしてしまう様な破壊の嵐に、それでもその小さな光は僅かな隙間を縫いながら必殺の一撃を黒鎧の隙間を狙って刻み込もうと走り回る。

血飛沫と共に真っ白な光粉を振り撒き、黒鎧の主がつい先程まで相手をしていた女神の戦車を超える程の速度と、Lv.7の身体でさえも生身で当てられてしまえば簡単に斬り飛ばされてしまう様な驚異的な斬撃で追い詰めるユキ・アイゼンハート。

そしてそんな彼女が飛び回る隙間を着実に潰しながら空間を破壊の旋風に依って埋めていくザルド。

 

ユキは既に全身に付与魔法を巡らせ、ほんの一撃でも直撃すれば即座に肉片の一つすら残す事なくこの世界から消え去ってしまうギリギリのラインで戦っていた。直撃せずとも衝撃波の一つでも当たってしまえば全身の皮膚が吹き飛ぶ様な、そんな状態。

まるで防御力の全てを速度に回す様なその暴挙は、側から見ている人間にとっては恐ろしい以外の何物でもない。

なにより悍しいのはそんな状態でありながらも今も動揺の一つもなく戦い続けている彼女であり、それもまたザルドが攻め切れない要因の一つにもなっていた。

 

レベルの差は2つ。

本来ならば負けるはずがない。

その程度の冒険者ならばそれこそ簡単に打ち倒せる筈。

しかしその実、彼女の今の力量はレベル6に匹敵する。

それは付与魔法の効果と死をも恐れぬ精神状態、そして何より死が近付く程に能力を向上させる彼女のスキルによるものが大きかった。

 

ザルドの大剣による極大の打撃痕に、ユキの剣から放たれる斬撃による切断痕。

周囲からは既にリヴェリアとガレスがアルフィアと戦った際に生じていた破壊痕が塗り潰されて消えており、それを見ている4人の者達もただ傍観している事以外に何も出来ることなど有りはしない。

 

「だが、そのままでどうする!傷を受けているのはお前ばかり!それではこの俺に一つの傷跡も残せんぞ!」

 

「……剣光突破/ソード・プロミネンス」

 

「っ!」

 

「二重/デュアル」

 

少女が両手の剣を左右に投げる。

突然のその行動に一瞬困惑の表情を見せたザルドは、しかしその瞬間、持ち主の手から離れた筈にも関わらず自身を挟み込む様にして回転し始めたその剣から凄まじい悪寒を感じる。

 

「魔法か!?」

 

空で回転する2本の剣から放たれる空気を抉りとる様な光の柱。

ザルドが全力でその場を飛び去る事でその熱線から逃れはしたが、そのザルドを追う様にして更に光の柱は角度を変えた。

威力はそれこそレベル5の魔法使いのものに迫るだろう。

これだけの剣術を持っていながら魔法すらも十分以上の威力を持っているという事実に、ザルドは素直に舌を巻く。

 

「ぜぁぁぁああ!!」

 

故に、敬意を表して、ザルドはその光線を正面から迎え撃った。

光速に迫る様なそれに、自身の大剣をただ純粋に叩き付け、鍔迫り合う。

確かに威力は凄まじい。

何を代償にしているのかと、そう思わずにはいられない程の熱量だ。

……だがそれでも、彼はかつてベヒーモスを討った英雄だ。

レベルだけでは測る事の出来ない強さがある、レベルだけでは届く事の出来ない力がある。

 

「っ、救いの祈りを/ホーリー」

 

「遅い!!」

 

何の魔法もスキルも使う事なく、ただ純粋なザルドの力量によって消し飛ばされてしまった光線に、しかしユキの動揺はほんの一瞬。

即座に剣を手に引き戻し、付与魔法を纏い直そうとする。

だが、そんな体勢の立て直しを簡単に許す彼でもない。

付与魔法を纏っておらず、常識的な速度に戻ってしまったユキの元に瞬間的に迫り寄り、ザルドは大剣を振り下ろす。

彼にとってもまた、彼女を追い詰めるにはこの機しか無かった。

 

「うっ」

 

まるでユキをそのまま地中に杭打ちする様な圧倒的な暴力に、受け止めた両手の剣は悲鳴を上げ、2本の細い足は膝を突きながらも震えている。今なお剣力に押さえ付けられているその姿は、殆どユキの負けを意味していた。

だがそれでもなお諦める事なく頭を巡らせている彼女の様子は、果たして自分に死を与える為のものなのか、それとも今日まで積み重ねて来た経験による癖の様な物なのか。

そんな彼女を見て、ザルドは一瞬口角を上げた後、ガラ空きになった少女の腹部を蹴り付ける。

 

「がふっ……!?」

 

「……この程度か、娘」

 

「くっ、うっ……」

 

「お前は強い、それは認めよう。だがお前は優し過ぎる、それこそ戦場になど出るべきでは無い程に、出て来る事など許されない程に、決定的に」

 

「………!」

 

「娘、なぜお前は戦う。何の為にお前は戦う。命の取り合いの最中、武器の破損にすらも気を遣っている様なお前が、何故そこまでしてここに立つ。言って見せろ」

 

ザルドが気に入らないのは、それだった。

この少女の剣から感じられるのは、殺意でもなく、敵意でもなく、むしろどうしたことか、思いやりだ。

彼女は徹頭徹尾、自身の剣にさえも気を配り、倒れ伏しているガレスやリヴェリア、どころかアルフィアにさえも余波が飛ばない様に立ち回っていた。

意味が分からない。

訳が分からない。

だがそれがもし彼女の身に染み付いた癖の様なものなのであれば、彼女の決して無視できない基盤の様なものだとすれば、これ以上に笑える事も無いだろう。

だとすれば彼女は、戦場になど出て来るべきでは無い人間なのだから。

そしてそんな人間が、仮にスキルを封じているとは言え、今日まで数多の死線を潜り抜けて来た自身と打ち合っているのだ。

そんなものザルドにしてみればとても信じられる話ではない。

 

「……私だって、本当は、戦いたくなんてない」

 

「ほう」

 

「でも、私が戦わないと何も守れなかった!私が戦えないと、全部を取りこぼしてしまいそうだった!だから戦った!だから戦ったのに!!…………その全部が、」

 

(私自身のせいだったなんて……)

 

アルフィアにだけ聞こえた、少女が語る事のなかったその一言。

アルフィアだけが知っている、彼女が抱える語る事にすらも意味が無い悍まし過ぎる一つの呪い。

 

「……英雄が居なかったが故に、お前自身が英雄になるしか無かったという事か」

 

「私は、英雄なんかじゃありません……!私は殺されないと、死なないといけない。この世界の為にも、大切な人達の為にも!」

 

「……アルフィアの顔を見る限り、戯言や世迷い言では無い様だな。なんと悍しい事か、これもまた俺達の失敗によるものか」

 

「違いますよ……これは全部、私が持って生まれてきてしまった物です。生まれてきた事自体が間違いだったんです。だから私は、たとえ今すぐにでも、誰にでもいいから、貴方にでもいいから、殺されないといけないんです」

 

「……お前がそうまで心を乱されるのも当然だな、アルフィア」

 

「…………」

 

アルフィアは何も答えない。

ただ両眼を閉じて俯くだけ。

故にザルドは再び剣をユキに向ける。

その話を聞いて一層のこと、この少女はこの場で殺しておかなければならないと感じてしまったから。

これから先の策の為にも、そしてアルフィアの精神状態の為にも……そしてこの少女の望みを叶えてやるにも。それが出来るのは恐らくこの場で、自分以外に居ないだろうから。

 

「ハァァ!!」

 

「うっ!ぐぅっ!」

 

「所詮はここで散る命、今更何を躊躇する必要がある!貴様の全てを打つけろと言った筈だ!剣を振るえ!命を放て!剣に遠慮などしている身分で、一体何が守れるという!」

 

「うぁっ!?」

 

「抗え!叫べ!獣の様に吠えろ!俺は悪逆を尽くした咎人!ここで俺を殺さねば、貴様が余波を及ばせぬ様に庇っている背後の凡愚共の命も無いのだぞ!」

 

「っ!?」

 

「お前が時間を稼げば空を飛ぶ羽虫が奴等を持って行くとでも思ったか!その様な事を許すものか!奴が一歩でも動こうとすれば俺が斬る!そいつらの命を救うには、貴様が抗うしかないということを知れ!」

 

「なんで、どうして……!どうしてそこまで!」

 

「俺がそうしたいと、俺が殺したいと!そう思ったからだ!それ以外に理由が必要か!」

 

「!!」

 

「ぬぅっ!?」

 

それはザルドの最後の情けだった。

最後の最後まで、それこそ命の終わり側まで他者の事を考え続ける哀れな娘に、最後くらいは自信の欲を解放させてやろうという、これから命を奪う女に対しての、最後の情け。

……だが想定外だったのは、それが何よりも彼女にとっての逆鱗だった事だろう。

何度も何度も大剣を打ち付けられ、ただその身を守る事しか出来なかった少女が、突然凄まじい剣撃によってザルドへ反撃して来たのだ。

それはそれこそ、ザルドの一振りが一瞬でも止められてしまう様な驚異的な一撃。

雰囲気が変わった……ザルドはそう確信した。

自然と大剣を握る両手に力が入る。

これは警戒だ。

今日まで培ってきた自身の勘が囁いているのだ。

目の前の愛らしい小動物が、この瞬間に突然、自身が本気で対峙するに値する獣に生まれ変わったという事を。

 

「……ガレスさん。この大斧、借りますね。壊しちゃうかもですけど」

 

「あ、ああ……」

 

そう言って娘は近くに転がっていたガレスの大斧を拾い上げ、肩に担ぐ。

果たして彼女のその細い体のどこにそんな大斧を片手で持つ力があったのかと、そう思わずにはいられない程の圧力で……彼女はこの場を満たしていく。

 

「……まだスキルを隠し持っていたか」

 

「……思えば、初めての経験です。このスキルを自分自身の、彼女に押し付ける事なく、私自身の意思で使うのは」

 

「来い、今度こそお前を喰い殺してやる」

 

「刺し違えます、それで私はお終いです」

 

「ほう……………ぬぅっ!?」

 

爆ぜる、爆発。

この場にいくつも刻まれている小規模のクレーターと変わらない規模の破壊痕。

しかしそれを成したのはザルドではない。

それを引き起こしたのはそれまで一度も力に頼る事など無かった、ユキだ。

 

本来は剣の方が伝導率の高い付与魔法を強引に大斧に纏わせ、この身に宿っていた姉と全く同じ使い方でザルドに向けて振り下ろす。

筋力でザルドに敵うはずもない。そもそもユキは筋力のステータスが強く上がるタイプでは無かったのだから。

故に……

 

「やぁぁあ!!」

 

「ぬぅぉっ!?」

 

大斧がザルドの大剣に触れた瞬間、小規模の爆発な引き起こされた。

しかしそれは大斧自体にかなりの負担を強いる行為であり、ガレスの自慢の凄まじい硬度を誇っているそれでさえも叩き付けられる度に徐々に損壊していく。

だが、それでもユキは殴り続けた。

 

こんなに重い武器を振るった事はない。

それこそもう1人の人格の姉でもなければ、振るう機会が無かった。

故に巨大な武器を振るうのに、彼女の中にはお手本となる様な情景は何もない。振るう為に必要な知識も全くない。

 

……だから、目の前の人間を参考にした。

これでもかと大剣を振り、破壊の嵐で空間を埋め尽くした、最も直近で最も鮮明にその姿を見る事が出来た、ザルドの斬撃を手本にした。

見様見真似。

その半分もコピーは出来ない。

 

だがそれでも、確かにユキはその斬撃を学んでいた。

決して目の前の敵を軽視せず、戦いの最中でもその一撃一撃を目に焼き付け、常に諦める事なく本当の意味で全力を持って戦闘に挑む彼女は、確かにザルドの剣撃を糧にしていた。

 

「く、くははっ!お前も、お前もアルフィアと同じ天才の部類か……!」

 

「……いや、違う。不出来なその小娘に、戦闘の才能などあるものか」

 

「なにっ?」

 

ザルドのそんな呟きに言葉を返したのは、意外にもそれまで口を噤んでいたアルフィアだ。

確かにアルフィアはザルドの剣撃を真似出来る。

だがそれは、ユキのものとは全く違うと感じていたのだ。

あれは単なる模倣ではない。

そんなに軽いものではない。

単純な才能で出来るものでもない。

なぜならアルフィアは、それこそユキ程に目の前の人間を見て、考えて、思いやって、戦闘中にそこまでしなければ敵の動きをその身に写す事など出来やしないのだから。

 

「……ああ、やはりお前はどこまでも」

 

優し過ぎる。

これから殺す人間を決して忘れる事の無いよう、対峙する人間の事を見続ける。その命を奪う事を記憶に刻み付け続ける。

よくもまあそんな状態で闇派閥などと戦えるものだ。

この世界で人間を1人殺そうとするだけに、それほどまでに責任感を感じ、相手のことを知ろうとするのだから。

それこそその責任を他の誰かが担ってくれなければ、とうの昔に潰れてしまっていたのではないかと……そう思えてしまう程に。

 

「………父神(ちち)よ、許せ、神々の晩餐をも平らげることを」

 

「っ!待てザルド!それは!!」

 

「貪れ、獄炎(えんごく)の舌!喰らえ、灼熱の牙!」

 

「よせ!!」

 

打つかり合う衝撃波の中、ザルドの口からその詠唱が紡がれる。

それは彼の唯一持つ魔法。

そして全てを無に帰す圧倒的な破滅の一撃。

それだけで自身の身体にも影響を及ぼしてしまう様な力を持ち、彼が本当に強者として認めた者にしか使う事のない必殺の刃。

スキルによるブーストをかけても、大斧をいくら犠牲にしようとも、ザルドの勢いは止まらない。一見互角に立ち回っている様にも見えながら、それでもザルドの方が明らかに二枚も三枚も上手であり、にも関わらず彼は今その身に宿る最大の一撃を以て目の前の少女を叩き潰そうとしている。

 

「……力を貸して、クレア」

 

だからユキも、それに応えた。

その一撃を正面から迎え撃つ為に、己の体に宿る最大の破壊の術を以て大斧の寿命を喰らい尽くす。

大斧の表皮が剥がれ落ちていく。

白銀に輝く内部は剥き出しになり、脈動する力の波動を撒き散らす。

もう、周りなんて何も見えなかった。

アルフィアの声すらも、その耳には届かなかった。

ガレスの呼び掛ける声も聞こえやしなかった。

ただ最後に彼女の眼に映ったのは、今もただ呆然とこちらを見つめている、元の世界よりもいくらか髪の短くなった最愛の恋人。

リヴェリア・リヨス・アールヴの美しい瞳で……

 

「剣光爆破/ソード・エクスプロージョン!!」

 

「レーム・アムブロシア!!」

 

世界が白の光に沈んだ。




爆炎の赤と闇夜の黒色に染められた街を照らす様な真っ白な閃光が放たれた直後、その爆心地に立っていたのはただ一つの人影だけだった。
肩部分が破損した黒い鎧、一部が融解してしまった紅の大剣。そして額から薄らと一筋の血を流す、紛れもない男の屈強な肉体。

必殺と必殺の衝突。
その末に勝ち残ったのは、奇跡や運命的な逆転劇が起きる事もなく、それこそ当然に、当たり前の様に、前評判通りの何の面白みもない結末。

リヴェリアの視線が動く。
あの光の最中の光景は、彼女には追い切る事が出来なかった。
だがそれでも、ザルドとの戦いに敗れ、その後どうなってしまったのかは少し考えれば直ぐにでも分かる。
ザルドが彼女と激突したその延長線上、曲がり角のある煉瓦の壁面。
その衝突によって力負けし、大きく吹き飛ばされた彼女が行き着く先はそこしかあり得ない。

「っ」

そしてリヴェリアの想像通りに、彼女は確かにそこにいた。
長年の劣化によって元より耐久性に乏しかった壁面はあまりに大きく損壊し、彼女の身体はその寸前に尻餅をつく様にして座り込んでいる。
ただそこで妙に思うのが、顔を俯かせている彼女の膝元で奇妙なほど染まってしまっている真っ赤なスカート。
記憶が正しければ、彼女の服装に赤色は入っていなかった筈だ。
なぜなら彼女の着ていた服は、自分が好みそうな服という話で、実際に一瞬でも見たそれをリヴェリア自身が気に入っていたのだから。
……だから、そんな紋様があった筈がない。
あるとすればそれは、彼女の姿を見たその後に、それこそこの戦闘の最中のどこかの段階で、何か赤色の液体が彼女のそこに付着したとか、そういう話以外でしかあり得なくて。

「うっ」

ズキンっと、頭に痛みが走る。
同時に、ある一つの記憶が蘇る。
それは衝突の瞬間に視線を交わした、少女の諦める様な、けれど何処か自分の顔を見て満足した様な、複雑な表情。

「こっ、のっ……!!」

リヴェリアは震える足に力を入れる。
それまで何度も必死に起き上がろうとしたのに、少しも立つこともままならなかったポンコツな身体。
けれど今はどうしてか、それでも立ち上がらなければならないという根拠のない思いに突き動かされていた。

今やピクリとも動かない彼女の事を、ザルドは厳しい表情で見つめている。一方でアルフィアもまた、また彼女は目を見開いて、呼吸をしているのかすらも分からない少女の姿に目を止めていた。
……助けるつもりなどないのだろう。
むしろ、例え生きていたとしても、このまま見殺す事を前提としているのだろう。

だから、助けるのなら自分しかいない。
例え彼女が自身の死を望んでいたとしても、どうしてもこのまま死なせる事は許せなかった。
そう、自分の中の何かが叫んでいた。

「そこに伏せていろ、あの娘の邪魔をするな。あの娘はもうじき死ぬ」

「ふざけるな!そんな事を許せると思うのか!例えあの子自身がそれを望んでいたとしても、それでも私は……!」

「……この場において間違っているのはお前だ、エルフ。死は救済とまでは俺とて言いたくは無いが、アレは生き続ける限り望んでもいない戦いに駆り出される宿命を背負っている。ならばその願い通り、殺してやるのも一つの優しさだろう」

「だとしても……!待て!!」

少しずつ少女の方へと這いずっていくリヴェリアを追い抜く様にして、ザルドは大剣を片手に少女の元へと歩み寄っていく。
近づくにつれて分かる、今も微かに息を残している彼女に、今度こそ本当に引導を渡す為だろう。
アルフィアはもう何も言わない。
彼女はもう既に諦めてしまっているから。
ガレスでさえもそうだ。
この状況であの少女を救い出すのは不可能であると、現実を見て感じている。

けれどリヴェリアだけは違った。
それでもなんとか体を動かしていた。
追いつけないのは分かっている。
間に合わないのは分かっている。
けれどそれでも諦められなかった。
どうしても彼女の命を諦め切れなかった。
理由は分からないが。

「………っ」

彼女の虚な目が彷徨う。
その眼に何が映っているのか分からない。
何を思っているのかは分からない。
ただ彼女の瞳がこうして地を這うみっともない自分と合ってしまった様な気がして、リヴェリアは余計に心を駆られた。

「さらばだ、哀れな少女よ。願うならば来世こそ戦や宿命に縛られる事なく、その優しき心のままに平穏な生を全う出来る様に」

「やめろぉおお!!」

ザルドが剣を振り上げる。
最後に送るその言葉は、本心から哀れに思った少女に対して捧げる願いの様な祈り。
彼女は確かに英雄の器を持っている。
けれど彼女の本当の器はもっと優しいものだ。
世界は英雄を求めている。
だとしても、戦う事を求めていない少女にそれを押し付ける事は間違っている。
だからザルドはトドメを刺す。
彼女が英雄を求めるだけで自身で何も起こす事のない愚者達によって、潰されてしまわない様に。これ以上壊れてしまうことを防ぐ為に。
……解放を願って。

「待て、ザルド」

「!」

しかし直後、そんな彼が腕を振り下ろすのを引き止める言葉が、背後の暗闇から響き渡った。

「……なぜお前が引き止める、この段階で姿を表してまで」

「だからこうして顔だけは隠しているだろう?俺だって想定外だったんだ、まさかお前達がそこまでその子に深く関わる事になるとはな」

顔や体格、それこそ性別すらも声を出していなければ分からないくらいにその身を隠した男が、はじめにユキが姿を表した小通りから歩み出る。
漂う微かな神威から彼が神である事が分かり、同時に彼がザルドとアルフィアにそう声を掛けている事から、その男こそが闇派閥に強く関係性を持つ神の一柱である事を想像できる。
しかし神の声をリヴェリアもガレスも知らない。

ただ一つ確かなのは、一体どんな理由があるのか、その神がザルドに対してユキへのトドメを止める様に指示した事だけ。
それだけは確かにリヴェリアにとっての救いであった。
だがそれが少女の立場からしてみれば絶望でしか無い事など、誰からにでも分かる事で。

「悪いが、いくらお前の指示とは言えこれだけは従えん。この娘はここで殺す、この先の災禍に巻き込ませる事など許さん」

「……それは、私も同意見だ。最初に種を撒いたのは私だ、これ以上の絶望を与える必要など何処にもない。せめて安らかに終わらせたい」

「まあ待て、そう結論を早めるな。ほら退けザルド、先ずはエリクサーを飲ませる。話はそれからだ」

男の珍しく強引なその態度に、ザルドは渋々とその身体を退かす。
それは僅かにでもある信頼故なのか、それとも例え治した所で直ぐにでも殺せると思っているからか。
それでもザルドの厳しい表情が消える事はない。アルフィアは今でもまだ複雑そうな表情をしているが。

「……なぜその娘を助ける、その娘をもお前の計画に利用する気か」

「それが出来れば最高なんだが……まあ、俺でもこれを思い通りに動かすのは無理だな。利用した結果、より手の付けられない事態になるのが眼に見える」

「ならばなぜ生かす、わざわざお前が冒険者共から奪ったディアンケヒト・ファミリア製のエリクサーまで持ち出して」

そこまでくれば、最早単純な疑問だ。
彼がそこまでする理由が、一体彼女のどこにあるのかと。
そこまでして生かさなければならない理由がどこにあるのかと。
それこそ彼女の言葉が正しいのなら、彼女は世界の為に死ななければならない存在だというのに。

「……単純に、気分が悪いだろう?一度見殺しにしたのに、また目の前で死なれたら」

「?それはどういう……」

「そら、飲ませ終わったし早く行こうぜ。そろそろ援軍も来る頃だ。エリクサーを使ったとは言え、この子が生き残るかどうかは微妙な線だが……話に聞く『聖女』とやらの力を借りれば分からないかもな」

そう言って立ち上がった男は、今も少しずつこちらへと這ってくるリヴェリアに目を向ける。
その姿に彼は一体何を感じたのか、手元に僅かに残ったエリクサーを彼女に向けて振り掛けた。
全く理解の出来ないその行動。
だがそれ故になんとか身体を動かせる様になったリヴェリアは、背中を向けて去っていくザルド達に目すら向ける事なく走り寄る。
そんな彼女の様子を、2人に続いて歩き出したアルフィアは何処か羨ましそうに見ていた。
もしそこに居るのが自分であれば、自分が居る事が出来たのであれば……そんな風に考えてしまうのも、彼女の立場を考えればもしかしたら仕方のない事かもしれないが。
彼女が結局ユキだけを選ぶ事が出来ず、その末に半端な選択を取ってしまったこともまた、仕方のない事だったのかもしれないが。

「アイゼンハート、繋ぎの英雄……あの子がもし本当にそうだとしたら、ここで死なせる訳にはいかないしな」

そんな男の小さな呟きも聞き取る事が出来たのは、無言でその隣を歩くザルドだけだ。

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