光の柱が昇る。
1つ、2つ、3つ、4つ……総じて9つ。
贄として並べられた9つの神の首。
そして始まる闇の蹂躙。
「ーー聞け、オラリオ」
冒険者が狙われる。
恩恵を失った者達が逃げ惑う。
神を失った集団を殲滅する。
「ーー聞け、創設神。時代が名乗りし暗黒のもと、下界の希望を摘みに来た」
破滅は加速する。
絶望は深まる。
多くの命が天へと還る。
「ーー我が名はエレボス。原初の幽冥にして、地下世界の神なり!」
名乗りを上げた悪の親玉。
瞳を閉じる絶対的な強者達。
見上げるは弱者の集団、付き従うも弱者の塊。
ああ、なんと醜い事か。
力の無い弱者という者達は。
「滅べ、オラリオ!我等こそが『絶対悪』!!」
オラリオ崩壊への最初の1日。
彼女が彼女と出会って6日目の夜。
止まらない爆音。
消える事のない叫び声。
響き渡る悲鳴と狂気。
終わらない、終わりが見えない。
どれだけ奮闘しようとも、その闇を掻き消すことが出来ない。
あまりに長過ぎる夜だった。
光の無い夜というものは。
「どうだ、アミッド」
「……なんとか。なぜ生きているのか分からないくらいでしたが、敵が使用したと言うエリクサーのおかげでギリギリどうにかなりました。驚異的な生命力、というよりはスキルの恩恵もあるのでしょうか」
「そうか……すまない、他の者達の所にも行ってやってくれ。忙しい所に悪かった」
「いえ、リヴェリア様もお休み下さい。貴女の傷も浅くありません」
「フィンにも同じ事を言われたな……だが、アイズを出す事も決まってしまった。休もうにも気が休まらない」
「……そうですか」
「お前も、そう歳は変わらないというのにな」
「構いません、それで人々の命が救えるというのなら。……それでは、失礼いたします」
アイズとそう変わらない歳と背丈の少女、アミッド・テアサナーレが付き添いの団員と共に部屋を出て行く。
12の年、そしてまだディアンケヒト・ファミリアに入って1年と少ししか経っていないにも関わらず、既に十分な知識と力を身に付けている彼女。果たしてそこにどれだけの想いと努力があったのか、彼女は彼のファミリアにとって何より大切な宝と言えるだろう。
そしてそんな新米の彼女すらも前線で治療活動を行わせなければならないこの状況に、果たしてその主神であるディアンケヒトは何を感じているのだろうか。
それがアイズを送り出すリヴェリアと同じ心持ちであればとは思うが、神の御心など人の身では分かりなどしない。
ここはロキ・ファミリアの本拠地。
今やすっかりとその活気をなくしてしまったこの館で、運び込まれた何人もの怪我人の治療をアミッドは行なっていた。
そして彼女はそのうちの1人。
アルフィアに敗北した自分達の前に突如として現れ、最後にはザルドの一撃によって命を落としかけた正体不明の少女。
あれほど死にたがっていた少女は、結局のところこうして生き残ってしまった。彼女がそれについて何を思うかは、否が応でもこれから分かる事だろう。
「ぅ……ぁ……」
「っ、起きたか!」
「りゔぇりあ、さん……?」
「あ、ああ、そうだ。気分はどうだ」
「………?りゔぇりあ、さん?」
「ん……?」
小さく喘ぐ様な声と共に目を覚ました少女に気付き、リヴェリアはベッド横に座っていた椅子から少しだけ立ち上がりながら彼女の顔を覗き込む。
しかしもしかすれば意識が未だ朦朧としているのか、彼女は薄らと開けた目でリヴェリアを捉え名前を呼んでみるも、何か納得出来ない事でもあったのか、もう一度リヴェリアの名前を呼んだ。
……何かを求めているのは分かる。
だがリヴェリアには彼女が一体何を求めているのかが分からない。
それはまるで……そう、"いつもならこうしているのに"とでも言いたげな表情。
だが、リヴェリアは知らない。
この世界のリヴェリアが知る筈もない。
そもそも彼女とは昨晩初めて顔を合わせたのだから。
彼女がもしリヴェリアの事を一方的に知っていたとしても、リヴェリアには彼女の情報など、それこそ人伝に聞いたものしかないのだ。
それすらも本当に僅かなものだというのに。
「っ」
ふと、自分の右手に何かが触れた。
驚きのあまりに思わず手を胸元まで持ってきてしまったが、直後にその触れたものが少女の左手だった事に気付く。
その瞬間、リヴェリアは"しまった"と、そう思わずにはいられなかった。
無意識のうちに自分の中にも未だ僅かに存在する素肌を触れ合わせる事を嫌うエルフとしての意識が、彼女の求めを拒んでしまったのだ。
不意打ちだったとは言え、無意識だったとは言え、驚きのあまり手を引いてしまった。
「あ、いや、これはだな……」
言い訳がましく言葉を吐き出す。
悪気があった訳ではないと。
決して嫌だという訳ではないと。
……けれど、それを受けた彼女の反応は、それこそリヴェリアが想像していた以上のものだった。
「ぁ……ぁあ……」
見開かれた両眼から流れ始める夥しい量の涙。
一瞬で恐ろしくなる程に青くなる顔の色。
濡れた瞳に宿り始める黒く深い、絶望の感情。
リヴェリアは間違えた、最初の一歩で。
決定的なミスを犯した。
他でもない彼女だけは、絶対にその少女に対してそれをしてはならなかったというのに。
「あ、あぁ………あ"ぁ"ぁ"あ"ぁ"あ"あ"ぁぁ!!」
「待て!何をしている!やめろ!馬鹿な真似をするな!!」
掻き毟る、首を。
傷付ける、首の血管を。
何の容赦もなく、恐怖もなく。
自身の精一杯の力で指先を皮膚に食い込ませる。
引き千切ろうとする、その全てを。
リヴェリアは必死になってそれを食い止めた。
後ろから羽交い締めにして、彼女の手を首元から引き離して。
自分の服が彼女の血に塗れる事も気にする余裕がない。
このままでは本当に、彼女はこのまま自害しかねなかったから。
「はなして!はなしてぇ!!いや!!もういやぁあ!!」
「ふざけるな!ここまでして死なせる訳には……!」
「たすけてリヴェリアさん……!りゔぇりあさぁあん!!!!」
「っ!」
彼女が誰に助けを求めているのかが、分からない。
名前だけは自分を呼んでいる筈なのに、言葉だけは自分に助けを求めている筈なのに、リヴェリアにはどうしてもそれが自分を指している言葉には聞こえない。
死の淵から戻ったばかりで本来の力の半分も出せていない彼女を押さえ付けるのは難しくなかったが。
だがもう、ここからどうしたらいいか分からない。
完全に心が壊れてしまっている彼女をどうすれば落ち着ける事ができるのか、リヴェリアには全く分からなかった。
だってそもそもリヴェリアは、彼女の事情など何一つとして知らないのだから。答えも手掛かりもどこにも無い。
「リヴェリア、どうかしたのかい……っ、これは!」
「待て待て!洒落にならへんぞこれ!」
「フィン!ロキ!彼女が突然首を掻き毟り始めて……!私はどうすれば……!」
「っ、先ずは気を失わせる!ロキ!もう一度アミッドを引き戻して来てくれ!」
「待っとき!まだ上の大部屋で治療しとる筈や!」
今も他でもないリヴェリアに助けを求めながら、そのリヴェリアの拘束から彼女の方に少しも目を向ける事なく抜け出し、首を掻き毟ろうとしている少女。
フィンは瞬時に彼女の側に近寄ると、そのまま腹部に向けて当身し、多少強引にではあるが少女の意識を刈り取った。
他の何を差し置いても、ザルドに食らい付く程の力を見せたこの少女を今死なせる訳にはいかない。そしてあのアルフィアを母と呼んだ少女から何かしらの情報を引き出さない限りは逃す訳にもいかない。
そんな打算だらけの考えも多分にあったのだが、そうでなくともフィンは彼女をこのまま死なせるつもりは無かった。
それこそ彼女がどんな形であれガレスとリヴェリアを救ったから……広場からヴァレッタを追い返し、施設突入の際にも彼女が行動を起こしてくれたおかげで被害は最小限で止まったというのだから。
その恩を返す為にも、容易く見捨てる事は絶対に出来ない。
損得勘定を抜きしても、彼女を今ここで死なせる訳にはいかなかった。
「くっ……話には聞いていたけど、まさか起きて直ぐに自殺を図るとはね。しかもこんなやり方で」
「……すまない、恐らく原因は私だ」
「だろうね、あの様子を見る限り。一体何をしたんだい?」
「……手を、振り払ってしまった。この子が私の手に触れて、反射的に手を離してしまった」
「なるほど……それにしては彼女はずっと君の名前を呼んで助けを求めていたみたいだけれど、その事については?」
「分からない、この少女と顔を合わせたのは間違いなく今日が初めてだ。それに、どうにも彼女の言う"リヴェリア"というのは私を指している言葉では無い気もしている」
「ガレスとアストレア・ファミリアの話を聞く限りでは、彼女の言うリヴェリアは間違いなく君の事の様な気もするけどね。さて、どうしたものか」
リヴェリアの言い分はともかく、このままでは次に目を覚ませば彼女は間違いなくまた自害を行う。故に何よりも今は彼女が目を覚ました時に狂気を和らげる環境が必要だろう。
記憶を思い返す。
ガレスとアストレア・ファミリアからの報告。
そして今起きた出来事と、リヴェリアからの報告。
鍵となるのは間違いなく女神アストレアと疾風のリオン、そしてリヴェリアだ。他の誰が側に居たとしても、彼女を安らげるのは難しいだろう。リヴェリアについてはもしかすれば地雷になるかもしれないが、そこは賭けだとして。
対処にかかれる時間は間違いなく少ない。
これは今この瞬間、何よりも優先して解決すべき事柄だ。
フィンの勘と思考が両方とも同じ様にその結論を指し示す。
むしろここで彼女の対処に失敗すれば、それがまた大きな火種となってしまうという事もまた、同じ様に。
「……リヴェリア、彼女を連れてアストレア・ファミリアの元へ行ってくれ。今直ぐだ」
「なっ、待て!だがこれからアイズが!」
「そちらはガレスに任せる。怪我は深いが、それでも今は動いて貰わなければならない状況だ。アストレア・ファミリアも働き詰めだろうけれど、今は何より彼女の回復を優先させたい」
「……それは、この子をまたザルド達と戦わせる為か?」
「その必要があるのならそうするよ、それが最善だと判断したのなら。それこそシャクティが拠点襲撃時に彼女を連れて行った様に、僕は彼等と同じ事を彼女に強いる」
「………」
反対したい、その想いは確かにある。
だがこの非常事態、まだ幼いアイズやアミッドでさえも駆り出されている。
怪我をした者や身体の一部を失った者でさえも戦っている。
そんな中でこの少女だけを特別扱いするのは間違っているのではないかと、そう思わずにはいられない冷静な自分が居るのだ。
勿論そこにはまだ幼いアイズをこの戦いに巻き込まなければならないという事、そしてそんな彼女を見守る役割を取られてしまったことに対する母親染みた怒りと、アイズが行くのであれば彼女だって……という贔屓だったり八つ当たりの様な負の感情が混じっているのも言い訳の出来ない話で。リヴェリアは納得した様に静かに瞳を閉じて頷いた。
そんな彼女の顔や反応を、目の前の小さな青年が何かを確かめる様に見つめているという事すらにも気付かずに。
「……リヴェリア、君はそんな中途半端な気持ちで彼女を助けて来たのかい?」
「?……何が言いたい」
「彼女の話はガレスから全部聞いている。そしてつい先程の様子を見れば、彼女の抱えている事情と自殺願望がどれだけ深刻な物なのか、僕でも少しは理解出来たつもりだ。彼女の様子を近くで見ていた君なら、僕なんかよりもよっぽど理解していた筈だろう」
「それは……」
「君が今アイズの事で混乱しているのは分かっているつもりだけれど、君は実は大してこの子の事を心配して居ないんじゃないのかい?」
「っ、そんな事は……!」
ない、と言えるだろうか。
実際にリヴェリアは彼女の手を振り払った。
そして彼女を戦いに参加させるというフィンの言葉に、不快感を感じながらも激情に駆られる程では無かったし、それならよっぽど自分がアイズの付き添いを外された時の方が取り乱しただろう。
フィンの言っていることは何も間違っていない。
今自分は確かにそこまでこの少女の事を思っては居ない。
(ならば私は、なぜ……)
しかし少女がザルドによって命を奪われそうになっていたあの瞬間には、確かにリヴェリアの心の中には彼女に対する明確に強い感情があった。それこそ必死になって身体を引き摺る程に。
だが、今はそれがこの身体の何処にも無い。
心の奥底まで覗いてみても、リヴェリアの何処にも彼女に対する愛情の様な物は存在しない。あったとしてもそれは、現実論に簡単に打ち負かされてしまう様な酷く脆弱なものだ。
もし今もう一度あの状況に戻ったとしても、あれほどに必死に彼女の生存を望めない様にリヴェリアは思えてしまうのだ。
そう考えてしまえば、自分はなんと冷たい人間なのだろう。
……いや、それこそこれは自分視点での話だ。
他者から、それこそこの少女から見た自分はどう見える?
ガレスから見た自分はどうだ?
この異常な自分の状態は、彼等の目にはどの様に映っている?
「っ」
そして思い出す。
彼女が暴れ始めた時に、自分は何と言った?
フィン達がこの部屋へと来た時、自分は何と言った?
『ふざけるな!ここまでして死なせる訳には……!』
『彼女が突然首を掻き毟り始めて……!私はどうすれば……!』
なんだ?なんだその他人事な言葉は。
ここまでしたのも何も、死にたいと言っていた彼女を助け様としたのは自分だろう。
突然首を掻き毟り始めて……?
ああ、確かに突然だろうが、まるで自分は何も悪く無い様なその言い方はなんだ?
あれだけ死にたがっていた彼女が目を覚ませば、もう一度自殺を試みようとするくらい簡単に想像出来た筈だろうに。
「そもそも、君が彼女を置いてアイズの付き添いに行こうとしていた事自体に僕は驚きを隠せないよ。知り合いも誰もいないこの場所に、君は不安定な彼女を1人置いていくつもりだったのかい?」
「それ、は……」
「リヴェリア……君は本当に、どうして彼女を助けたんだ。こんな事ならどんな形であれ彼女を殺そうとしていたザルドの方が、よっぽど彼女の事を考えていたんじゃないか?」
「ならばお前はあの時!この子を助けるべきでは無かったと!そういうのか!」
「そこまで言うつもりはない。けれど助けるのならば、相応の覚悟を決めてから助けるべきだった。少なくともガレスはそれが出来なかったから、手出しはしなかった」
「………!」
フィンにはそれが不思議でならない。
普段あれだけ思慮深い彼女が、どうして今回ばかりはこんな考えの浅い行動を起こしてしまったのか。どうしてその程度の関係でしかない彼女を救う為に、ガレスが話していた程に必死になっていたのか。
「……なんにせよ、責任だけは取るべきだ。一度助けて絶望させてしまったのなら、せめてもう一度だけでも笑わせない限り、君は本当に彼女の絶望を引き伸ばしただけになってしまう」
分からない。
分からない。
どうして自分はあの時、ああも必死になって彼女を助けたのか。
命を救ってもらった。
見ていて痛々しかった。
戦力として期待できた。
敵の情報を持っていた。
要素はいくつもあるのに、どうしても決定的な何かが足りない。
ただこの胸の内に残っているもの、それは……
『たすけてリヴェリアさん……!りゔぇりあさぁあん!!』
「っ」
あの叫び声を思い返す度に、どうしようもなく胸が痛くなるのだ。
自分ではない自分に助けを求める彼女の言葉は、それこそ本当にどうしようもなく……キツい。