「あら……どうしたのロキ、貴女が直接訪ねてくるなんて。それに……」
「すまんなアストレア、今ええか?緊急事態っちゅう奴や」
「っ!その子はもしかして……!」
静けさに染まるその本拠地に、本当に珍しい客人が2人……いや、3人現れた。
時間は夕暮れ前、日の沈みが見え始めた頃合い。
その日、偶然にも物資の補給の為に一時的に本拠に戻ってきていた女神アストレアの元に、彼等はタイミングよく出会す事が出来た。
負傷者の治療によって全身に返り血の痕を残し、諸々に走り回ったが故に少しの息を乱しながらも、ロキの背後に立つリヴェリアが背負っている少女を見た瞬間、女神アストレアの顔色は大きく変わる。
「怪我は……治療済みね。貴女が助けてくれたの?ロキ」
「いや、むしろ助けて貰ったんはこっちの方や。話を止めとるから何処まで知っとるは分からんけど、『静寂』に殺され掛けたリヴェリア達を守ってくれた。本人にその意思があったんかどうかは知らんけどな」
「そう……運んで来てくれてありがとう、ロキ。心配だったの、最後に見た時は本当に自ら命を絶ち兼ねない顔をしていたから」
「……問題はそこや、アストレア」
未だ意識を失ったまま動かない彼女を空き部屋のベッドの上に寝かせながら、アストレアはその額に手を乗せる。
容態は落ち着いているが、この安らかな寝顔がこうして意識を失っている間にだけしか持続しないと思うと、リヴェリアは何とも言えない気持ちになる。
彼女についての説明をロキに任せきりにしてしまっているのも、もしかすればそんな彼女の複雑な思いを表しているのかもしれない。
「目を覚ました瞬間に、そんな事を……?」
「せや、だから今は無理矢理気絶させとる。アストレアがこの子の事を探しとるって聞いたからな、少しでも救いにならんかと思うたんや」
「……残念だけれど、私にも力になれるかは分からないわ。だって私はこの子の事を何も知らないのだもの。会ったのも数日前に一度だけ、泣いていた彼女を慰めていただけ」
「っ、知り合いとかやないんか!?」
「残念だけれど違うわ。彼女は私と、それとリューの事を知っていたみたいだけれど……私はそれまでこの子の事を見たこともないし、話したこともない」
「……!私も同じだ!彼女は私の事を知っていて、私と親しかったとでも言う様な振る舞いをしていたが、私は彼女の顔を見た事すらも無かった!」
あまりに奇妙な共通点。
これで本人が悪人ならば気の狂った狂人か何かであると納得する事もできるが、彼女の言動はどうにも仮想の記憶として片付けるにはあまりに無理がある。それどころかその事について嫌悪感を少しも抱かない所がまた奇妙であった。
だからこそ、アストレアは彼女の事を気にし続けていた訳で……
「なんや匂うな、アストレア。神力(アルカナム)が発動したっちゅう可能性も考えなあかんで、これは」
「けどロキ、もしそうだとすれば誰も気付かない事なんて無いわ。彼女からは神力の痕跡は少しも感じられないもの」
「……ロキ、一体どういうことだ?神の力によって彼女が一体どうしたというのだ」
「別に、簡単な話や。ウチ等に持ってない記憶を持っとる子供、しかもその子がこれまで存在していた痕跡が一つも残っとらん。もう少し時間を掛けて探せば見つかるかもしれんけど、それよりももっと簡単な話がある」
「……彼女が別の時代、もしくは世界から神の力によって飛ばされて来たという可能性。この子が別の世界における私達と親しい関係を築いていたという可能性ね」
「!!」
その言葉を聞いた瞬間に、リヴェリアは確信した。二柱によって語られたその可能性が、間違いなく彼女に関する真実であるという事を。
「それだ……それに間違いない!この子は目を覚ました時、助けを求めていた!目の前に居る私を拒絶しながらも、確かに私の名前を呼んで!」
「って事は……ちょいと失礼な」
ロキは何かを思い付いた様に、仰向けに眠る少女をうつ伏せに直し、その背中を開け広げる。
アストレアもリヴェリアもその光景に少しの抵抗感はあったものの、ロキが確かめ様としている事を察して今だけは目を瞑った。
ステイタスシーフを使おうとしている訳では無いのだから、無許可で悪いとは思えども……
「アストレア、先ずは自分からや」
「ええ……ごめんなさいね、謝罪は後で直接するから」
アストレアが自分の指先から少女の背中へと神血を垂らす。
しかし、特に反応は示さない。
彼女はアストレアの眷属ではないという事だ。
そしてそれを見たロキが、次に自分の指から神血を流す。
これでどうにもならなければ、それこそステイタスシーフを使う事も視野に入れなければならなくなるが、果たして……
「あーあ、開いてもうた。こんなん確定やないか。酒の勢いで眷属作ったりしとらんで、ウチ」
鍵の付け方もステータス更新の際の癖も、何から何まで自分のもの。自分が何を考え、どういう意図を持ってこの形にしたのかが、記憶にないにも関わらず手に取るように頭で分かる。
そしてそんな浮かび上がった彼女の背中を、ルール違反という事はこの際忘れてロキ以外の2人も静かに覗き込んだ。
「名前はユキ・アイゼンハート。魔法が1つ、スキルが3つ……レベルは5になったばかりかしら、ステータスが全部0」
「スキルが一つ解読できへんな……それにこの成長促進のスキル、こんなんウチも初めて見たわ。ゼウスやヘラの所にもこんなん居らんかったんやないか?」
「……その、この『緑白心森(ミルキー・フォレスト)』というスキルは一体なんなのだ?気のせいでなければエルフに対する魅了の効果が付いている様だが」
「エルフ、緑、森……そういえばこの子、目を覚ました時に助けを求めていたのが貴女だったのよね?」
「えっ、あっ、はぁ!?なんやこれ……マジか?うわぁ、うわぁ……!そういう事かいな!だとしたら……なんやその世界線!ウチめっちゃ気になるし見てみたいわ!!面白過ぎるやろ!」
「……おいロキ、一人で勝手に納得するな。そして空気を読め、笑っていられる状況でも無いだろう。しっかりと私達にも分かるように説明しろ」
彼女の恩恵を色々と弄くり回しながらも、時に驚愕し、時に納得し、その上思い付いた想像に勝手にニヤニヤとし始めるロキ。
言っては悪いが、今は彼女の正体を探る為のそれなりに真剣な場面なのだ。アストレアはまだしも、真面目なリヴェリアからすればロキのその言動はあまり良くは思えない。
それでもロキはニヤニヤを止められず……
「この緑のエルフっちゅうんは間違いなくリヴェリアの事やろなぁ?スキルになるくらいに強く思われとったんやから、それはもう相当に仲良かったんは間違いない」
「それは、そうかもしれないが……」
「……ああ、なるほど。スキルの効果から考えるに、リヴェリアちゃんのおかげでこの子の心は強く保たれていたのね。だからリヴェリアちゃんに拒絶された事で、スキルの恩恵が受けられなくなったと」
「うっ」
「ま、そこは別にええねん。後はリヴェリアがどうするかなんやから。問題は……こっちの魅了効果の方やんなぁ?」
リヴェリアからすれば全然良くないのだが、それでもロキはこちらの方が大事だと主張する。心底面白そうな顔をしながら、アストレアもなんとなく勘付いているのか少しだけ笑みを浮かべながら。
「……どういうことだ」
「どういう事も何も、魅了ってくらいやで?スキルになるくらい魅了したい"緑色"の"エルフ"が居ったっちゅう事や。それにこの他者の精神の改善効果、ここにこの子の誠実さと献身性が現れとる」
「……だから何が言いたい」
「あのね、想いを拒まれていたのならこんなにも真面目で誠実な子に魅了なんてスキルは芽生えないという事よ。つまりこれがあるという事は、この子の世界ではその想いは成就したという事」
「……いや、待て。待てロキ、流石にそれは冗談だろう?だって彼女は女で、私は別にそういった趣味は……」
「リヴェリア、ここ見てみ?分からんならもう少し分かりやすく表示させたろか?これはアストレアもびっくりするで?」
「!!あらあら、まあまあ……!これ本当に、ロキ?こんな事って本当にあるのね」
「だから一体何を……っ!?」
ロキに促されるながら彼女の背中の上の方へと目を向ける。
そこには彼女の認識している自身の名前が表示されており、ロキによって今正にその横側に文字が浮かび始めていた。
それが認識できる様な形になればなるほどリヴェリアは自分の目を疑わざるを得なくなり、ロキの悪ふざけかと思っても隣に座るアストレアがそれを事実であると肯定して、何度も何度も少女の横顔を覗き見るが、その度にやっぱり嘘ではないのかと思ってしまって。
「この子、男の子やで」
「そんなばかな!?」
思わず大きな声を出してしまった。
彼女が男?いや彼?
信じられない、というか信じられる筈がない。
むしろ恩恵のミスだと思いたい。
だってそんなの、あのアルフィアでさえ彼女の事を娘扱いをしていたのだ。だとすればアルフィアもまたこの事実に気が付いていないという可能性があるという事だ。
けれどもし本当にそうだとすれば、ああなるほど、感じ方も変わるというか、認識も変わってくるというか……
「性別の所だけ露骨に強調しとるのを見ると、この子の世界のウチも時々忘れかける事があったんやろうなぁ……お、ここの調整の癖はウチのやないな、誰のや?」
「あら、それは私のね。きっと元は私の眷属で、その後にロキの所に改宗したんじゃないかしら?それならあの様子も納得出来るもの」
「そこでリヴェリアと出会って恋仲になったっちゅう事か……だんだん背景が見えて来たな。どや、リヴェリア?感想は?」
「い、いや、感想も何も……」
「誠実で、献身的で、乙女にしか見えない見た目をした男の子……いやぁ、リヴェリアが惹かれてまうのも仕方ないと思うで?(ニヤニヤ)」
「それに彼女、とっても良い子だったもの。少し守ってあげたくなる所もポイントかもしれないわね(ニコニコ)」
「い、一体どういう心情で話を聞けば良いのだ私は……!」
守ってあげたくなると言っても、今はアイズの事を守るだけで精一杯なリヴェリア。暗黒期のこのオラリオで他人を守る事などそれこそ難しくなっていて、そんな余裕も正直無いというのに。
……と、そこまで考えてリヴェリアはふと思った。
もしこの暗黒期が終わり、アイズがしっかりと成長してこの手を離れたとして。そんな折にこの少女と出会っていれば、自分は何をどう感じるだろうか。
もしかしたら、少しの寂しさも相まってそういった感情を抱く事もあるのではないか?なんて事を考えたり考えなかったり……
「………い、いや、だからといってここまで年齢の離れた子供に手を出すなどと」
「何を妄想しとんねん、このスケベエルフは」
「それは間違いなく誤解だ!!」
とまあ色々と分かった事はあったが、それでも分からないのは彼女(彼)がそこまでして自殺をしたい理由だ。
リヴェリアが聞いていた限りでは、彼女は生まれたその瞬間から何かしらの事情を抱えており、それが周囲や世界に悪影響をもたらすという事だった。
その為に自分は今直ぐにでも死ななければならず、あのアルフィアもザルドも一見冗談の様にしか聞こえないその話を本当のことであるかの様に納得していた。
……つまり、問題はそこだ。
そこを解決しない限り、彼女は自害を止めないだろう。
「……生まれ持っての世界に悪影響をもたらす何か。そんなもんがあるんなら、ウチ等が見た瞬間に分かりそうなもんやけどなぁ」
「でも、確かに普通の子とは違う何かを感じるのも事実よ。それが悪い物だとは全然思えないし、その呪いの様な何かがどうしてこの子を選んだのかその理由もわからない」
「というよりも、もしその正体が分かったとしても、どう対処すればいいのか。仮に生きているだけで周囲に毒を振り撒いていると仮定しても、アミッドに見せても分からなかったくらいだ。私達ではどうにもならないだろう」
「そもそもの話、そっちの世界のウチ等が何にも手を打てとらん時点で解決は困難やろうしな。その解決方法がこうして他世界に送ることってならまだしも、ほぼ間違いなく今のうち等に出来る事は殆ど無い」
「つまり……?」
「解決は諦める!」
「「えぇ……」」
ロキは無い胸を張って堂々とそう言い放った。
「作戦はこうや。この子の事情が何にしろ、別世界に飛んで来た事でこの子の中の悪影響は薄まり始めてると思い込ませる。実際その可能性も無い訳やあらへんし、そこは天界の悪戯美少女ことウチがやるわ」
「いや、そんな生易しい肩書きでは無かったと他の神々からは聞いているが……」
「ふふ。でもロキの得意分野という事は確かね、今は任せましょう?」
「せやで。リヴェリアとアストレアはともかくその子を落ち着かせる事を考えればええ。ぶっちゃけ予想した事情を考えるに2人で抱き付いとけば問題ないとは思うし。特にリヴェリアはその子のスキルに影響しとるからなぁ、心の底から受け入れる事が大切やで」
「……受け入れる、か」
「精神に超耐性ってくらいだもの、上手くいけば今よりもかなりマシになると思うわ。今だけはこの子が男の子だってことも忘れた方がいいかもしれないわね」
「……正直に言えば、今の今まで忘れていた。何だこの感覚は、普通にそっちの方が恐ろしい気がするのだが」
本当はここにリューも居れば良かったのだが、彼女も彼女で今は正義の在り方について迷いながら家出をしている。
街の見回りと彼女を探す為にアストレア・ファミリアの団員達全員が今はホームを空けている為、他の力も借りられない。
チャンスは一回きりだ。
彼女はリヴェリアが彼女の世界のリヴェリアとは異なると知っている。
対応を間違えればそれこそ本当に取り返しの付かない程の拒絶をされてしまうかもしれない。
そう思うとリヴェリアの顔にも緊張の表情が宿る。
「……大丈夫よ、リヴェリアちゃん。この子は本当に良い子だもの。精神状態が戻りさえすれば、きっと貴女の努力や悩みも理解してくれる筈」
「女神アストレア……」
「ま、アイズたんの事が今も気になっとるのは分かっとる。せやけど別世界の事とは言え、この子はウチ等の家族なんや。自分達とは関係ないから、なんて寂しい事は言わんといたってくれな」
「……ああ、分かっている」
彼女の事情を知った。
彼女と自分の関係を知った。
そして彼女が他者の為ならば泣きながらでも自死を選ぶ事の出来る優しい人間だと知った。
……きっとあの時、自分があそこまで必死になって彼女を助けようとしたのは、彼女の世界の自分がそう願ったからなのだろう。
そんな根拠のない考えも、今は全部受け入れる。
自分には彼女への愛が分からない。
彼女との記憶や思い出もない。
だが……
「せめて、命を救われた恩だけは返す。それすらも出来ない様ならば、私はエルフとして失格だ」
そんな簡単な話だったのだ、最初から。