「……ん」
夢を見ていた。
月夜の下、いつもの部屋。
もうすっかり寝慣れてしまったその場所で、その美しい緑の髪に包まれながら、抱き締められ、頭を撫でられる。
ただそれだけの、けれどそれだけで本当に幸福を感じる、そんな夢。
いつもは月ばかりを見ていた自分が、その日だけは月に背を向けて彼女の方へと顔を上げる。
いつからだったろうか、月を見るよりもそうしていた方が安心感を得られる様になったのは。
いつからだったろうか、月に感じていた憧れを、その人から強く感じる様になったのは。
『ユキ』
名前を呼ばれる。
胸が高鳴る。
頬が紅潮する。
幸福が溢れ出す。
『ユキ』
そうしたのは彼女だ。
自分を変えたのは彼女だ。
愛してくれたのは彼女だ。
愛させてくれたのは彼女だ。
恋人の愛を教えてくれたのは彼女だ。
『ユキ』
白以外の色の美しさを知った。
染められる自分が嫌じゃ無かった。
むしろ自分は染められたかった。
彼女の色をこの身に流して欲しかった。
彼女の色を流した自分が好きになれた。
『ユキ』
もっと名前を呼んで欲しい。
もっと強く抱き締めて欲しい。
頭を撫でて欲しい。
背中を叩いて欲しい。
笑いかけて欲しい。
顔を覗き込んで欲しい。
好きなのだ、どうしようもなく。
愛しているのだ、どうすることもできないくらい。
『ユキ』
だから……もう一度だけでも、あそこに戻りたい。
もう一度だけでも、会って話をしたい。
愛して貰いたい。
キスをして貰いたい。
もっともっと、彼女の色に染められたい。
お願いだから、あと一度だけでも……!
「ようやく目を覚ましたか、気分はどうだ?」
「リヴェリア、さ……」
「悪いが、私はお前の知っているリヴェリアではない。私はお前の、恋人ではない」
「っ」
思い返す。
記憶が蘇る。
生きている。
死んでいない。
それを認識した瞬間、心の奥底から再び狂気が上って来る。
目の前のリヴェリアは、リヴェリアではない。
拒絶された、拒絶してしまった。
朧な記憶に残っている。彼女が自分の手を跳ね除け、自分が彼女を無視してリヴェリアに助けを求めた、あの思い返すも酷い光景。
生きている。
それだけでは飽き足らず、乱している。
生きている癖に、迷惑をかけている。
疲労した彼女にぶつけた、悍しい自分の悪意。
狂気が登る。
後悔が押し出す。
恐怖が揺れる。
絶望が漏れる。
自殺願望が溢れ出す。
染まる、染まる、目の前が赤く。
彼女の顔が見えなくなる。
緑色の髪が変わっていく。
心臓が脈打つ。
両手の指に力が入る。
異様な程に首が柔らかくなる。
心が割れる。
涙が流れる。
冷たいのに、熱くて、痛くて、引き裂かれそうで、その苦痛すらも自分の指を、爪を駆り立てて来て。
そうしてついぞ自分の意識が認識できなくなったその瞬間に、狂気は完全に表に顔を出しながら、強引に僅かに残った自身の理性を……
「それでも、私はお前を受け入れる。私はそう決めたんだ、"ユキ"」
「!」
彼女に名前を呼ばれたその瞬間、爆ぜた。
視界一面に広がっていた赤色のフィルターが。
抱き寄せられる、彼女の胸に。
背中を撫でられる、彼女の指に。
聞こえて来るのだ、彼女の鼓動が。
何もかも、変わらない。
温かさも、匂いも、音も……違いを強いて言うならば、違うのはその慣れていない様な背中の撫で方だけ。
「落ち着け、何も考えるな。今は好きなだけ私に甘えて、心を落ち着ければいい。たとえ世界が変ろうとも、私は間違いなくリヴェリア・リヨス・アールヴだ」
「リヴェリア、さん……?」
「そうだ、私がリヴェリアだ」
自信を持って、リヴェリアはそう言う。
そうすれば腕の中に収まる少女は、ゆっくりと彼女の腰に手を回し、深く深くへと身体を沈めていく。
嫌な気はしない。
当然だ、別の世界では恋人となる様な相手なのだから。
手を振り払ってしまった時も、嫌悪感と言うよりは驚愕故にだったのだから。
「大丈夫だ、私はお前の味方だ。私はお前を受け入れる、こうして抱き締めてやる。迷惑なんて思わない、私がしたいからしているんだ」
リヴェリアは語り掛ける。
優しく、ゆっくりと、慈しみを込めて。
自分はリヴェリア・リヨス・アールヴだ。
同じリヴェリア・リヨス・アールヴが愛した人間であるのならば、何があろうとも受け入れる事が出来るはず。
だから今はとにかく話す。
足りない心を、言葉で埋める様に。
「痛くないか?強く抱き締め過ぎてはいないか?」
「……もっと、もっと強くが、いいです。いつもみたいに、痛いくらいに」
「……全く、そちらの私は一体どんな愛し方をしているのやら。恋愛などした事も無いのだから、多少は仕方のない事ではあるのかもしれないが」
彼女の世界における自分の倒錯した愛情表現に溜息を吐きつつも、リヴェリアももう少しだけ力を入れて抱いてやる。
すると少女は一瞬ふるふると身体を震わせると、直ぐにその痛みに安堵感を覚えたのか力が抜けてされるがままになってしまうのだから、それは最早癖の様なもので、彼女自身も完全にこの愛され方に染め上げられてしまっているのだと理解出来てしまう。
それにこうしていると……なるほど確かに、こうも素直に反応をしてくれれば出会って間も無くとも少しは愛おしくなるものだ。
そんな自分を簡単な女だと思うか、それとも別の自分が惚れた相手なのだから仕方のないことだと思うかはまた別の話だが。
少なくともこの行動を通して少女の身体から狂気を取り除く事が出来たという事実だけは、間違いないのだろう。
安堵感に包まれたのは何も彼女だけではない。
リヴェリアの背中からも少しだけ力が抜ける。
「あらあら、これじゃあ私の出番は無さそうかしら。上手くいったのはいいけれど、少しだけ妬けちゃうわね」
「!……アストレア様?」
「ええ、そうよ。別の世界の私ではあるけれど、久しぶりね、ユキ」
「っ……あ、あの、えと……」
「うちもおるで、ユキたん♪勝手に恩恵見させてもろて、色々事情は把握しとるつもりや。そこだけは最初に謝っとくわ、すまんかったな」
「い、いえ、それは別に……元々これはアストレア様とロキ様から頂いたものですから、お二人の好きにして頂いて構いません……」
「おおう、それを素で言えるんか。ここまで誠実に慕ってくれる子は今のうちにも居らんのやないか?」
「それはお前の普段の行動が悪いだろう、ロキ」
「……ふふ、そのやり取りも前に見た様な気がします」
「そっちの世界もおんなじなんかい!……ま、そんでユキたんの心が落ち着くんなら別にええか。ええ笑顔するんやん、なあリヴェリア」
「!」
リヴェリア、アストレア、それにロキ……そんな自分よりも頼りになる者達しか周囲に居なかった為か、リヴェリアの腕の中にいた事もあって、ユキの気が緩んでしまったのかもしれない。
いつも見ていた様なリヴェリアとロキのやりとり。それが今やもう懐かしくて、微笑ましくて、思わず笑みを溢してしまった。
初めて見たそんな彼女の自然な微笑みに一瞬目を奪われてしまったリヴェリアだが、直後にまた彼女が顔を曇らせてしまったのを見て、なんとなくその思考を予想する。
「……こうして生きている自分が、まだ許せないのか?」
「……あの、リヴェリアさん達は私の事を、どこまで?」
「ユキたんが別の世界のウチの眷属で、何かの理由でここに来たこと。それと世界に悪影響を及ぼす力を持って生まれたから、死のうとしとる、っちゅうことくらいやな」
「逆に分からない事は、貴女がどんな世界から来たのか。それと貴女が存在している事で一体どんな影響が及ぶのか。そこまでは私達も分からなかったし、恩恵にも何も記されていなかったわ」
「……そう、ですか」
「ユキ、話してくれないか?私はまだしも、ここに居るのは天界でも有名だった神々だ。もしかすれば解決法を持っているかもしれんし、何か思い当たる事もあるかもしれん」
「リヴェリアさん……」
「私はどんな理由があろうと君を受け入れる。何度も言うが、確かにそう決めてここに居るんだ」
「……分かり、ました」
その様子を見る限り、少女も何処かもう諦めている様にも感じられてしまった。
自分だけではどうにもならない。
こうして知られてしまった以上は誰にも死なせて貰えない。
自分が居ることによる悪影響は避けられない。
だからもうどうにでもなれと、リヴェリア達に頼って、任せて、甘えてしまおうと。狂気から脱したとしても、そんな風に、心の方が折れそうになってしまっている様だった。
それでも彼女の中ではまだ甘えてしまいそうになる自分を責める理性が残ってしまっている様だが、今はむしろそんな理性も壊れてしまえばいいのにと思わずにはいられない。
「……世界に死を望まれている。ユキたんを死なせる為に周囲の環境が悪化する、なぁ」
「そんな事があり得るのか……?」
「ユキ、具体的にはどんな事があったのか教えてくれるかしら?その様子だと思い当たる節はあるのでしょう?」
「はい……」
そうしてユキから語られる、これまで彼女の身に起きた数々の異常事態。
時期を大きく外れた魔獣の復活、原因不明の魔道具の暴走、何処から湧き出たかも分からない大量のモンスターや強力なモンスターの出現。加えて闇派閥の仕組んだ諸々の罠が思いもよらぬ形で成功したり、想定よりも強力な魔獣として生まれてしまうという事態の頻発。
そして彼女が密かに心の中で気にしていた……この世界で自分が向かった先で必ず起きている闇派閥による襲撃。今の彼女はその襲撃すらも自分が存在していたせいではないかと思っていた。
たとえそれを他ならぬアルフィアが否定していたとしても、今の彼女は周囲の何もかもが自分のせいではないかと思えてならない。
「……まあ色々と言いたい事はあるけども、取り敢えずユキたんは別の世界っちゅうよりは未来から来たってのが正しいんか?」
「そう、ですね……そうなると思います」
「具体的にはどれくらい先の話なんだ?例えば、あー……ロキ・ファミリアの人間の年齢だとかは分かるか?」
「は、はい。ええと、確かアイズさんが私の一つ下だったので16歳だったかと」
「アイズが16、だと……!?」
「ってことは、7年も先の話っちゅうことか……ユキたんは今起きとること、どれくらい知っとるん?」
「……実は、私もオラリオに来たのはここ最近の話なのであまりよくは知らないんです。私が知っているのは5年前に暗黒期が終わって、そのきっかけとなったのがアストレア・ファミリアの壊滅によるリューさんの暴走というくらいしか」
「っ、そんな……!」
「おおう……なんやとんでもない地雷を引き当ててしもうた。アストレア、その話は後でええやろ。今はユキたんの話や」
「……ええ、そうね。ごめんなさいユキ、続けましょう」
未来の話。
それだけでもうどれだけでも話す事ができるし、そうでなくともこの闇派閥との戦いを制す為のきっかけになるかもしれない。
そんな思いから聞いてみた一言だったが、直後に3人が想像もしていなかった様なとんでもない情報が耳に飛び込んできた。
正直に言えば、聞き出したい。
今直ぐにでもその話を聞きたい。
これだけの被害が出ているのだ、3人がそう考えてしまうのも仕方のない話だろう。
だがそれでも、それでも今はユキの事だ。
リヴェリアは一度自分の頬を軽く叩いて、もう一度ユキの方に向き直る。
「取り敢えずはロキ、今の話を聞いてどう思った?実際にそんな事があり得るのか?」
「あり得るも何も、実際になっとるやろがい!……なんて冗談はさておきやな。
全部が全部偶然やとは思わんで?ユキたんが異常事態ばかりに遭遇したのには、何かしら理由があるとはウチも思う」
「やっぱり、ですか……」
「でもユキ、勘違いしないで。私もロキと同意見だけれど、それは必ずしも貴女が世界から嫌われているとか、殺される為だとか、そういう意味ではないの」
「……?」
悲しそうな顔をしながらも首を傾げるユキに、ロキは指を一本立てる。
ちなみにそんなユキは未だにリヴェリアに抱き付いたままだ。
それが一番安心できるからという理由があるからだ。
一方で抱き着かれながらもずっとその背を撫でているリヴェリアは、なんとなくこの状況にも慣れてきた。
こうして延々と直ぐ側に居るのだが、段々と彼女の体温だったり愛らしさだったり体臭だったりが心地良く感じてくるというか……それはそれで少し変態的だと思ったりとか。
「ちょい昔話な?……それはほんまに太古の話、ある所に1匹の獣がおったんや。そいつは災害を引き連れて人の里に現れて、その度に畑や家を滅茶苦茶にしていった。見た目も真っ黒で如何にも不吉で……見つけたら直ぐに追い払ってそこから逃げろ、なんてのが下界の人間の常識になった」
「………私も、そうなるんでしょうか」
「でもね、ユキ。この話には続きがあるの。人々から忌み嫌われていたその獣は、ある日突然人里に現れて、人々を攫っては洞窟の奥へと引き摺り込み始めた。里の人は必死になって抵抗したわ。けれど、結局村の女子供は色々な方法で全員拐われてしまって、残った男達は遂にその洞窟の中に取り返しに行く事を決めたの」
「……」
「男達は真っ暗な洞窟の中を松明だけで歩いて進み、遂にその獣の居る場所にまで辿り着いた。女子供は酷く怯えとったけど無事やった。獣は男達が辿り着いた事を確認すると、直ぐにその場を逃げ出した。たくさんの食料もそこに残して」
「……まさか、その獣というのは」
「せや、リヴェリア。獣が洞窟から逃げ出した直後のことや。凄まじい地響きが響いた後、近くの浜辺から凄まじい津波が押し寄せて来よった。里は波に押し流されて、家も畑も全部海の底に引き摺り込まれてしもうた。……それでも、山の上にあった洞窟だけは無事やった。偶然にもそこに隠れとった人間達だけは、無事やった」
人の世界に今も伝わっているかどうかは分からないが、神々の中では逸話として語り継がれている悲しい獣の物語。
リヴェリアも似た様な話を知っている。
聖獣として語り継がれている存在達の中に、そういった性質を持つ獣の話があった。
「えっと……それはつまり、どういうことでしょう?人と関わりたいのを我慢出来なかった獣が、最終的には自分が引き起こした災害から人々を守った、みたいな話ですか?」
「おおう、その曲解の仕方もユキたんの立場ならではの物なんか……?」
「?」
「ふふ、違うわよユキ。その獣は本当はね、災害なんて起こしていなかったの。その獣が災害を引き寄せているんじゃなくて、その獣は災害の察知が出来たというだけ」
「………!なる、ほど」
災害を予感し、人々にそれを忠告する為に人里に現れるその獣。
本当は誰よりも優しくて、人々の為に行動しているだけなのに、勘違いした人々によりむしろ恨まれる様になってしまった悲しい獣。
「それでも、その獣は優しかった。恐ろしい見た目であるその獣は、その後も死ぬまで同じ事を繰り返した。最後は逃げ遅れて嵐に巻き込まれて命を落としたけど、そんな事を繰り返されては人間達も気付かざるを得んかった。その獣が本当は自分達を守ろうとしていた事を」
「……あの、もしかして私もその獣と同じだと?でも私、そんなの分かりませんし、それだけじゃ説明できない事もありますし……」
「別にロキがこの話を出したのは、貴女と似た能力があるからじゃないわ。ただ知って欲しかったのよ。たとえ最悪にしか思えない様な事も、少し見方を変えるだけで全く違った物に見えるという事を」
そう言われても、今のユキにそんな考え方が出来ない事くらい分かっている。
今でさえこうして心身共に疲労しているのがよく分かるのだ。
ロキもアストレアも、そこまで彼女に負担を強いるつもりはない。
「ユキたん、ウチが考えとる可能性はいくつかある。例えばユキたんが無意識のうちに災厄の起きる場所に歩いとる可能性、ぶっちゃけこれが一番可能性が高い」
「無意識に、私が……」
「私はむしろ、貴女は世界の応急処置的な役割を担っているのだと思うわ。例えばもしユキが話してくれた異常事態が起きた場所に居なければ、本当に取り返しが付かない事になっていたでしょう?……だから貴女は、そうなる事を少しでも軽減する為に呼ばれている」
「……でも、例えばモンスターが異常に出現したり強くなったりした理由も、今でも分かってないって」
「いや、それもそもそもおかしいだろう。モンスターの生態など未だによく分からない事が多い。例えばダンジョンの中でもそうだ。昨日まで存在していなかった様な凄まじい力を持つ強化種が、ある日突然現れたりもする」
「ユキたんにそう教えた何処ぞの神が、上手いこと話を作った……話を聞いた限りやと、うちはそう思えてならん。だってもし本当に世界がユキたんの事を殺そうとしとるのなら、暗黒期も含めて17年も生きとる方がおかしいやろ」
「!」
それはユキの頭の片隅にもあった僅かな疑問の一つだ。
本当に世界がユキを殺したいというのなら、今日までいくらでも殺せる機会はあった。
それこそ何度も何度も死に掛けた身なのだし、どの場面でも1匹でもモンスターを増やしていればユキは死んでいたりもしたくらいだ。
それになにより……文字が崩れた三つ目のスキル、その効果。
『死を遠ざける』
これではむしろ死んで欲しくないと言っているようなものだ。
たとえこのスキルが名前通りに周囲の人間達による英雄願望によって生まれ、それ故に死んで欲しくないという効果が発揮されたとしても、そのスキルが発現したのは本当に最近のこと。
むしろそのスキルなしでも生きてこられた事実が、なによりユキの生を肯定している。
「ユキたん。もしユキたんがその得体も知れない神の言う『世界に死を望まれている』って話を鵜呑みにするのなら、ユキたんがよく知っているウチやアストレアの言う事なら、もっともっと鵜呑みにしてくれる筈やんな?」
「そ、れは……」
「ユキ、騙されないで。貴女は世界に嫌われたりなんてしていない。だってもし本当に貴女が世界から嫌われているのなら、その世界を作り出した私達神々がこんなにも貴女に対して好印象を抱く筈が無いでしょう?」
「ぁ……」
それは彼等が神だからこそ説得力を持つ言葉。
ロキのようなチャランポランな神でさえも敬い、心の底から尊敬するユキにだからこそ強く働く言葉。
そして、目の前の二柱が本当に自分の事を大切に思ってくれていると、闇派閥との対立の最中、欲しい未来の情報があるにも関わらず、それでも自分の事を優先してくれているという事を示してくれているからこそ、そう思える。だからこそ信じられる。
なにより二柱は元の世界でもずっとユキの事を大切にしてくれていた神々なのだから。これが信じられないなど、ユキには有り得ない。
「だから大丈夫や、ユキたん。ユキたんは絶対に悪い存在なんかやない。それはウチ等の神の勘もそう言っとる。それに……」
「こうして貴女がこの世界に飛ばされて来た事にも、きっと何か意味がある筈。例えば貴女の心を救う為だったり、仮に悪影響があったとしても、それを少しずつ緩和させる為だとか」
「……ほんとに、ほんとなんですか?あの、その言い方だと私……まだ自分が生きていてもいいって、そう思っちゃいますよ……?」
「私達はそう言っているんだ、ユキ。どうして状況証拠しか無い様なたった一柱の神の言葉を信じて、私達の言葉を信じないんだ。……言い訳にしてもいい、全ての責任を私達に擦りつけてもいい。だから今はただ私達のことを信じてくれ」
……本当は、自分達が語っている言葉が真実かどうかなんて、それこそリヴェリア達にも分かっていない。
話していることは全部事実だ。
けれど証拠がない、根拠がない。
ユキという人間を知らない以上、きっと言葉の重みがあるのは彼女にそれを吹き込んだ、彼女の事をよく知るという神の方だろう。
だからこれは、信頼による思想の押し付けだ。
断れない事を知っている、善意の利用だ。
そんな事は分かっている。
分かっていても、それ以外に手がない。
もしかしたら本当にその神の言う事が正しいかもしれない。
もしかしたら本当にユキは厄災を呼び込んでいるのかもしれない。
そのせいでこれから起きる事がより悪くなる可能性だってあるかもしれない。
(……せやけど、どうせ未来の事なんて誰にも分からん。たとえ悪い事が起きたとしても、それが本当にユキたんのせいやなんて誰にも分からん。起きた結果をユキたんのせいにするか、むしろユキたんが居たからマシになったと思うのか、それを決めるのは周りの人間の主観でしかない)
だってそんな事を言い始めたのならば、そもそも神々が下界に降りて来た事すらも、人間にとって良い事だったのか分からないから。
神々が降りて来たからこそ大穴は封じられた。
神々が降りて来たからこそ人々は強くなった。
けれど神々は知っている。
自分達が来る以前から英雄は居たという事を。
自分達が来る以前から人々は強かったという事を。
故に神々が来なければ、子供達だけでより良い世界を作れていた可能性もあったかもしれない。
今の様に単に封じるのではなく、その根本から葬る事が出来ていたかもしれない。
けれどそんなもしもの未来を、過去を考えるのは、あまりにもアホらしい。
そんな不確定な話を基に1人の少女を排斥する事すらも……これから正義を成す者達が出来るはずがない。
そうして勝利を得たとしても、心から喜べる勝利になどなりはしないのだ。
「ユキたん、ウチ等に力を貸して欲しい。今のウチ等には手が足りん、何にも足りん。せやからユキたんにも手伝って貰いたいし、覚悟も決めて貰いたい」
「覚悟、ですか……?」
「せや、きっとこれから色んなことが起きる。それはユキたんに関係なく、ユキたんの世界でも同じ様に起きた闇派閥による暴虐や。その全てを自分のせいやとは思わない、そういう覚悟を」
「……でも、私が居たら、もしかしたら私の世界とは違った事が起きて、それで」
「だから、そこをユキたんにお願いしたいんや。もし明らかに異常な事が起きたら、それの対処をお願いしたい。それも含めて、ユキたんに動いて貰いたい」
「……!」
「起きるかどうかも分からんイレギュラーがなんやっちゅうねん。そんなもんも含めて、それ以上のものを救ってみせるって思って欲しいんや。……ほんまにユキたんが男の子なら、それくらい強い気概をウチ等に見せて欲しい」
これがロキが今出来る最大限の説得。
卑怯な所も多くある。
結果的には自分達の手伝いを頼んでいる。
多くの打算もあり、最低だとも思う。
けれど、それでもユキに立ち直って欲しいという気持ちは本当だ。
期待もしている。
最近オラリオに来たばかりだというのに、それでもレベル5にまで達したユキの本当の意味での強さというものに、絶望よりもむしろ希望を感じてならない。
「……もしそれでもこの戦いに負けてしまったら、どうしますか?私は、どうしたらいいんですか?」
「その時はその時や、また一から立て直せばええ。いつか絶対に勝つ為に、ウチと協力して作り直せばええ。これでもウチ、ほんまに0からここまでファミリア大きくしたんやからな?自信はあるで?」
「……もし私のせいで人々の命が多く失われてしまったら、どうすればいいんですか?」
「その時は私が一緒に罪を償うわ。私達の生涯をかけて、失ってしまった以上の命を救う旅に出ましょう。それくらいの覚悟を私は持って貴女にお願いしているのだもの、むしろ責任は私の方が大きいくらいよ」
「……もし私のせいで本当の本当に取り返しのつかない事が起きてしまったら、何もかもが悪い方向に転がって、もう少しも希望が見えなくなって、そしたら」
「その時は、私がお前と死んでやる。お前のせいだと怒り狂って、その後に私も死んでやる。……いや、どうせその時になればお前はまた自死を選ぶのだろう。そして私も生きている意味が見出せなくなる筈だ。泣いて、喚いて、一緒に命を断てばいい」
三者三様に、なんて後ろ向きな言葉だろうか。
けれど今は、何よりそれがユキに突き刺さる。
求めていたのは励ましでも気休めでもない。
失敗した未来の将来図。
少女は怖がりだった、怖がりになっていた。
だから手を差し伸べる、今ではなく将来で。
「信じ、られません。そうやって言って、アルフィアさんは私を殺してくれませんでした。頑張れば殺してくれるって言ったザルドさんも、殺してくれませんでした。だからもう私はその言葉を信じられません……一緒に死ぬだなんて、そんなの」
「ユキ……」
「……でも、私も、男の子ですから。いつまでも大好きな人の前で泣いているだけじゃ、駄目ですよね。初めて会ったというのなら、尚更」
「……ああ、そうだな。私はお前の泣いている所しか知らない。そこまで言うのなら私にもお前に惚れさせてみてくれ、格好の良い所を見せてくれ」
「……はい、頑張ります。もう一回だけ、これが最後だと思って、頑張ってみます」
俯いていても、立ち上がれる。
涙を流していても、歩く事は出来る。
それは今日までもずっとそうだった。
だったら今日も、これからも、同じ事が出来るはず。
「私も、お手伝いします。出来る事は、そう多くないですが」
そうしてぎこちなく笑ったユキの顔は、やっぱり何処からどう見ても、可愛らしい少女の笑みにしか見えなかった。