フィンとの会話を終えると、ユキはそのままリヴェリアに自室に来る様に促された。
リヴェリアの自室……7年後と比べると少し散らかっている部分も見られるが、それも今の余裕のない状況を表しているというか、仕方のない部分もある。
ただ一番違って見えるのは、そこにユキの私物が全くない、それこそユキが初めてリヴェリアの部屋を訪れた時の様な雰囲気である事か。
当然と言えば当然の話だが、ユキにはそれが寂しくも懐かしくもあり、けれど7年後と変わらずそこにある机と椅子に、慣れた様に腰掛ける。
「……妙なものだ。初めて自室に招き入れた相手が、こうまで居慣れているという光景は」
「あっ、ごめんなさい。私つい……」
「いや、気にしなくてもいい。ただ少し不思議に感じただけだ。……私もまた7年後には、君とこうして出会えるのだろうか」
「……どうでしょう。私がオラリオに来たのはファミリアを失ったアストレア様と出会ったからこそですから。それに、そうでなくとも一つ選択肢を違えるだけで命を落としていた事も多々あります。7年も待っていたら会えないかもしれませんよ?」
「くく、そんなに探して欲しいのか?この世界の君は私を求めていないかもしれないだろう」
「そうですね、これは私の個人的な想いに過ぎません。もしかしたらリューさんだったり、それこそアイズさんだったり、必ずしもリヴェリアさんと一緒になるとは限りませんから」
「そうまで言われると少し寂しくもあるな」
「だって私が恋愛感情に目覚めたのは、リヴェリアさんが私に"えっち"なことしてくれたからですし?」
「ぶっ……ち、ちなみに聞くのだが、その時の私はお前に何をしたんだ……?」
「えっと、まずこう後ろから抱き着かれて、『愛してる』って言われました♪」
「なっ……」
「それから困っていた私の唇を奪われちゃいまして〜、耳とか首とかにキスされたり〜、吸われたり〜、噛まれたりして〜、それからですね〜♪」
「そ、それから……?」
「こうやってギュ〜ッて逃げられない様に拘束されて、私の胸の上辺りにガブ〜って♪」
「なっ、なっ、なっ……!?」
「私が『待ってください〜』『今はだめです〜』って言ってもやめてくれなくて、最後は気を失って首とか胸が歯痕塗れになってましたし」
「そ、そこまでなんだな!?あ、あくまでそこまでなんだな!?それ以上の事はしていないんだな!?」
「ふふ〜♪そこは私と元の時代のリヴェリアさんだけの秘密です♪」
「いや、いや……!だが……!」
顔を真っ赤にしながらユキの話に反応するリヴェリア。
それはまさか自分がそんな事を……以上に、目の前に居るこの純粋な少女を、いくら世界が違っても他ならぬ自分が汚していたという事実に対する動揺によるものが大きい。
というか、目の前の少女の様な少年がそんな風に乱れる姿を想像してしまうだけで、なんかもう色々と駄目になってしまいそうになる。
これもまた魅了の効果のせいなのだろうか?
だがそのスキルが発現する以前からユキの世界のリヴェリアはベタ惚れだったというのだから、魅了が無くても単純な相性は良かったのだろう。
実際、如何にも男漢とした相手よりも、ユキの様な女性に見える様な相手との行為の方が、抵抗感が少ないというのも事実ではあるのだし……
「ふふ、リヴェリアさんはそういうお相手は探していないんですか?フィンさんみたいに」
「い、いや、特別そういった事は考えてはいない。……今は里を出ているとは言え、私はこれでもエルフの王族だからな。いずれは里に戻り、政治的な意図の混じった結婚をする事になるのだと思っていた」
「……本当に探し出してくれてもいいんですよ、私のこと」
「ああ、探し出しはするだろう。だが、私を選ぶかどうかはこの時代のお前が選ぶ事だ。……案外お前は女からモテるだろうからな。男気の無い男というのは、それだけで一部の女からは需要があるものだ」
「そうでしょうか、女性からの好意と言われても私はあまり実感は無いのですが……」
「少なくとも、多少なりとも男に対して嫌悪を抱えている者はお前を求めるだろう。お前に獣性が無く、攻めに回る事も少ないというのもポイントだ」
「や、やっぱり男らしくないですよね、私……」
「別にお前はそのままで居ればいい、個性を潰して凡人になる意味は無い。……まあ、仮にこの時代のお前を探すとして、目下の強敵はアストレア・ファミリアの副団長か。奴は間違いなく出張ってくるだろうからな」
「……?輝夜さんがですか?」
「あれは極端な現実主義者で基本的に世界の在り方を嫌悪している人種だが、その分なにかしら希望を見つけた時には強く貪欲になる人間でもある。……純粋で、嘘が吐けず、賢さもあり、愛らしく、獣性もなく、性別は男で、そして何より確かな将来性が確立されたお前だ。あの副団長は恐らく本気で狙いに行くぞ、お前を自身の伴侶として」
「そ、それは流石に大袈裟では……」
「実家の政略結婚、オラリオの気の強い男冒険者との婚約。ゴジョウノ・輝夜はどちらを選ぶ?」
「……ど、どちらも嫌がりそうです」
「だが未婚で居ればいずれは実家から強制されるだろう、故に奴はやはりこの街で伴侶を探すしかない。見える未来には絶望しかない。……さて、そんな所で見つけたお前の様な珍しい男。どうする?」
「……えっと」
「答えは全力で奪いに行く、だ。たとえどんな手を使おうとも、他のどんな男よりもマシなお前を、誰かの手に渡る前に取りに行く。そして誰の手に渡る事も許さず、自分の手の内に閉じ込める。他の女の事など、目にも触れさせない」
「……あ、あの、リヴェリアさん。やっぱりこの時代の私も保護して貰えませんでしょうか。最終的に輝夜さんを選ぶのならまだしも、監禁とかは、その……」
「分かっている、だから私もそのつもりだ。恐らく似た様な事を考える輩が何人か出てくるだろうからな」
「うぅ、リヴェリアさん好きです……」
「や、やめろ……私までお前を手放したくなくなる」
"好き"と言われただけでこの有様なのだから、まあ本当に毒されているというか何というか。
ただユキは少しだけ、ホームに帰るのが怖くなってしまったのも事実だった。
それが本当の話だったのか、リヴェリアがユキを手元に置いておきたいが為に誇張した話だったのかは分からないが、性別を曝け出したあの日、輝夜は何かを考え込んでいたのを思い出したから。
「あ、あの、もう少しここに居ていいですか……?」
「!……ああ。私は書類仕事を片付けているから好きに居るといい」
「あ、ありがとうございます……!」
リヴェリアの部屋で夕方近くまで他愛もないお話をした後、ユキは団員達が見回りや鍛錬に出かけて人気の少なくなったアストレア・ファミリアのホームに戻ってきていた。
ライラはアスフィの所に、リューは他の団員達と共に街の見回りに、そして他の団員達は広場で鍛錬を。
アストレアでさえも他の神々と何やら相談事をしている中でこうしてノンビリとお喋りをして帰って来た事に少しの罪悪感を感じつつ、ユキは階段を上がっていく。
ユキに与えられた部屋はそう大きくは無い、元は倉庫程度にしかならなかった様な部屋だった。
だが相部屋をしている者も居る中では、そんな部屋でさえも自分だけの物であるのなら十分なものだと言えるかもしれない。
何より性別が唯一の男であるのだから、色々と別で助かる事だってある。
「あら、ユキじゃない!丁度良かったわ!お話しましょう!」
「アリーゼさん?ええ、構いませんよ」
そんな部屋に入ろうとした直前に、丁度廊下を歩いて来たアリーゼにユキはそう声を掛けられた。
どうやら彼女もまだこの屋敷の中に居たらしい。
赤い髪に潑剌とした笑顔。
彼女がこのアストレア・ファミリアの団長。
普段は色々と余計な一言で場を乱したりする事もある彼女だが、団員達からも慕われるその人望と、他のファミリアの幹部からも一目置かれる事から、フィンやオッタルとはまた違った方向性で彼女も団長という役柄に向いているのだろう。
「……なんだかんだで、アリーゼさんともこうしてお話しする機会は中々ありませんでしたね」
「そうね、だから呼んだの。だってリューや輝夜達ばっかりずるいじゃない!私だってユキと色々お話してみたいわ!」
「ふふ、私もです。あ、お茶ありがとうございます」
「あんまり自分で入れた事ないから味には期待しないでね!」
思い返すのはリューと共に18階層の彼女達の墓場を訪れた際のこと。
あの時、普通ならば思考の伝達など出来ないはずの思念体でしか無いにも関わらず、その異常な胆力でユキに対して2度も言葉を伝えて来た彼女。
こうして生きている彼女を目の前にしてみると、なるほどあんな事が出来た理由もよく分かる。
きっと彼女は命を落とした後でさえも、ずっとリューの事を気にかけて居たのだろう。
この数日で彼女がリューの事をどれほど可愛がっていたのかもよく分かった。
本当に心の底から、リューの事を大切にしていた。
「アストレア・ファミリアはどうかしら、ユキ」
「……とても居心地がいいですよ、皆さん良くして下さいますし」
「そう、でもきっとそれは嘘ね。本当はあんまり落ち着かないでしょ、だってここには女の子しか居ないもの」
「あ、あはは……まあ、女性ばかりというのは実は私はあまり気にしていないんですよ。ただ個人的な事でずっと落ち着かないだけというか……」
「……ユキの体質の話と、元の時代に帰ることが出来るか。それが分からないからよね」
「はい……体質の方はフィンさんも言っていましたが証明出来ないので、何も起きない事を祈るしかないのですが。元の時代に帰る事が出来るかどうかは、今もずっと考えています」
「アストレア様もそれを色々と聞き回ってるみたい。でも、そもそもユキがどうやってこっちに来たのかも分からないんだもの。解決法の探し様も無いわ」
「……アリーゼさん達に出会えたのは嬉しいですけど、やっぱり元の世界には帰りたいと思います。リヴェリアさんも、リューさんも、待たせてしまっていますから」
「うん、私もそっちのリオンが心配だから早く帰ってあげて欲しい。せっかく出来た後輩も居なくなっちゃうなんて、あの子はそんなのもう耐えられないと思うの」
「……絶対に帰りますよ。向こうのアリーゼさん達にも、また挨拶がしたいですし」
「ふふ、なんだか変な感じね。自分が死んでる世界があるだなんて」
突然来たのなら、突然帰れるかもしれない。
何か条件を満たせば帰れるのかもしれない。
もしかすれば行きだけの一方通行で、2度と元の時代には戻れないかもしれない。
どれが正解なのかは全く分からない。
もしかすればその全てが間違いなのかもしれない。
けれど、ユキが帰らなければならない事だけは確かだ。
ここに留まるにはユキは元の時代にあまりにも大切な物を残し過ぎた。
この世界ではユキは本当の意味での幸福を掴み取る事もまた出来ない。
けれど、このままこの世界を置いて帰る事も、出来るはずもない。
「……ユキ、私達はこのままでは死ぬのかしら」
「……今回の戦いが原因では無いと思います。アストレア・ファミリアが壊滅したのは6年前なので、時期からすれば来年ですから」
「原因はダンジョンに現れた正体不明の怪物……名前は確か」
「"ジャガーノート"。恐らくはギルドだけが把握している、ダンジョンに致命的なダメージを与えた際に発生する防衛機関の一つ。それがアストレア・ファミリアを壊滅させた原因です」
アストレアとアリーゼ、そしてライラと輝夜にだけは、それを話している。
このまま進めば辿るであろう彼等の悲劇を。
アリーゼが最近になって自室に篭って考えている事も、それについてだ。
誰であろうと、自身や自身の親しい者の死、それに伴う狂気的な復讐など止めたいに決まっている。そんな未来は避けたいに決まっている。
「盾や防具を引き裂く攻撃力、レベル4の私達でも完全には見切れない素早さ、魔法を完全に無効化する魔力反射。……この情報だけでも厄介過ぎるわね」
「私も直接見た事はありませんが、弱点は恐らく防御力くらいでしょう。ガレスさん程の物理攻撃をまともに浴びせれば、簡単に破壊できるかと」
「……それもなかなか難しい話ね。力があっても当てる事が出来なければ意味が無いわ」
「ええ、ですからダンジョン内で大規模な爆発や破壊が発生した際には、直ぐ様その場から撤退するのが一番だと思います。まともに戦うのなら、レベル5か6以上の近接戦闘を得意とする冒険者が必要です」
「それも速度重視型なのに、巨大な身体を一撃で粉砕できる攻撃力も持った冒険者。……なるほど、つまり私ね!」
「あと1年でレベルを2つ上げれば行けると思いますよ?」
「生意気言いましたごめんなさい」
「まずは逃げるのが一番です。戦える実力があったとしても、絶対に逃げるべきです」
ザルドの剣撃を学んだ今のユキならば、もしかすれば相手をする事も出来るかもしれない。
だが、それでも怪我をしたくなければ逃げるべきだと言わざるを得ない。
命を落としてからでは、何もかもが遅いのだから。
「……大丈夫、みんなは絶対に私が守ってみせるわ。ユキがわざわざこの時代に来て教えてくれたんだもの、絶対に無駄にはしない」
「はい、お願いします。リューさんを、一人にしないであげて下さい。6年が経った今でも、心に暗い物を抱えてしまっているくらいなんですから」
「そっちのリューはよろしくするわね。貴女になら任せられるもの、貴女の存在はきっとあの子の救いになっているわ」
それは誓いであり、願い。
絶対に仲間を守って見せるという。
そして勿論、リューを復讐の道に進ませないという意味でもある。
それと同時に既に進んでしまったリューを救ってあげて欲しいという切なる思いも含んでいて。
「ユキ、私は貴女の先輩にもなれているかしら?」
「……微妙ですね!」
「酷いっ!?」
「ふふ、でもアリーゼさんがアストレア・ファミリアの団長さんで良かったなぁって思います。……リューさんがアリーゼさんの事をあんなにも慕っていた理由も分かりました」
「ふふん、嬉しい事言ってくれるじゃない!いいのよ?私のこの大きな胸に抱き付きに来ても!」
「大きな胸……羨ましいです……」
「うん?……ん?なんか想像してた反応と違うわね」
「皆さん大きいですよね、アストレア様も含めて……いいなぁ……」
「ユキ?あの、貴女は男なのよね?だったらそれは別に普通のことだと思うのだけれど……」
「羨ましいなぁ……」
「切実!?そんなに欲しいの!?考え直してユキ!貴女が胸なんか持ったら本当に誰も性別が分からなくなるわ!」
まさかこうして胸を押し付けたのに、恥ずかしがるどころか羨ましがられて落ち込まれるなんて、アリーゼは夢にも思わなかった。
けれどそうして落ち込んでいる姿も可愛らしくて、ますますこう抱き付いてしまったりするのだから、いくら年上だとしてもユキは確かに後輩気質なのかもしれない。
こんな純で可愛らしい後輩が居てもいいなぁとアリーゼが思ったのも、もしかすればこれから先の未来に大きく影響する要因の一つになるのかもしれない。