月の幻   作:泥人形

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月陰探索

 進んで、進んで、進んで。

 戦って、戦って、戦って。

 上って、上って、上る。

 果たしてどれくらい進んだだろうか、果たして何体モンスターを打倒しただろうか、果たして、どれだけ上へと上がれたのだろうか。

 あの日、この洞窟へと落ちてきて。

 発現した魔法により瓦礫を吹っ飛ばしてから、十日──恐らくではあるが──が経過していた。

 未だ地上への光は見えず、洞窟は長々とどこまでも続いてるようだった。

 

「な、なぁ、オリオン」

「うん? どうした、アルテミス」

「私たちは、どれくらい上って来れたと思う?」

「そうだなぁ……道なりに進むしかない以上、かなり遠回りしてるのが現状だ。それでも相当上っては来てるから、もう少しだとは思ってる」

「そう、か……」

 

 洞窟の端、自然に出来上がっていた小さな空洞で休憩を取りながら、アルテミスは目を伏せた。

 先程まで発してた声にいつもの気丈さはあまり見られず、ともすれば弱々しく震えていた。

 ──それも、仕方のないことだとは思うが。

 ここに落ちてきてから空腹感や眠気等から推測するに十日が過ぎた。この間、口にしたのは迷い込んだ獣を狩って得た少量の肉と、湧いていた小さな泉の水のみ。

 明かりと呼べるのはこの光苔くらいで、それだって言うほど明るくはない。

 数歩先がほとんど見えないほどの暗闇が、ずっと広がり続けている。

 その上、この洞窟にはモンスターが住み着いていた。

 流石に想定していなかったということはない、むしろ地上よりも地下の方がモンスターは多いし、しかも強い。

 それはこの世界においては常識の範疇だ。だが常識だからと言って、それが苦痛にならなくなるのかと言えば全くそんなことはない。

 というかむしろ、常識だからこそ性質が悪い。

 ここが何処なのかは分からず、出口がどこかも分からず、身体は洗えないのにずっと空腹で、ずっと暗闇で、十全に休むことはできず、しかもいつモンスターに襲われるか分からない。

 人間は──恐らくは、神様もだろうが──これだけ条件が揃ってしまえば、あっさりと壊れてしまう。

 俺の場合は秘境に態々居を構えているような変な村の一員だ、こういった事態にはもう慣れっこであるが、アルテミスはそうではない。

 そう考えればむしろアルテミスはかなり耐えている方だ。

 アルテミスファミリア自体が、狩猟と探索を主としたファミリアであり、主神であるアルテミスがその主導をしているのだから、そのお陰でもあるのだろう。

 だとしても、良く我慢できているものだとは思うが。

 

「ま、そう焦るな。進んではいるよ、確実に」

「それは、分かってはいるんだが……いや、すまない、私としたことが、少々弱気になっているようだ」

「謝らなくても良い……弱気になるのが、駄目ってことは無いしな。つーかこんな状況に陥ったら誰でも不安になるし、臆病にもなるもんだ。むしろ口に出してくれてるだけ、助かる」

「そういう、ものなのか?」

「まぁな。溜め込んで溜め込んで、溜め込み続けた結果溢れて壊れるってのが一番最悪だ。不安や怖さに種類はあるけど、この状況によるものなら分かち合える。分かち合って、支え合った方が効率的だと思わないか?」

「……へぇ」

「何だよ、その驚いたような顔」

「いやなに、お前も意外と真面目なことが言えるんだな、と思って」

「俺はいっつも真面目なんだが???」

 

 そう返せば、「それだけは無いな」とアルテミスはクスクス控えめに笑う。

 その姿に、今度はこちらが「へぇ」という反応をさせられてしまった。

 基本無感情のアルテミスがねぇ、と見ればアルテミスは睨むように目を細めた。

 

「何だ、私が笑ってると、何かおかしいか?」

「いや、そうじゃなくってさ、珍しいと思って」

「珍しい……?」

「自覚無かったのか? うちの村はお前のこと、鉄面皮のアルテミス様って呼んでるんだけど」

「なぁ……!? 失礼なっ、私とて面白い時や楽しい時があれば笑う!」

「や、それは分かってるんだけどな……こう、お前、あんまり表に感情出さないじゃん」

「む、そうか?」

「そうなんだよ、お前んとこの団員もそう思ってるのが多いんじゃないか? ほら、例えばランテとか、いっつもお前を笑かそうとして滑ってるし」

「あの子のあの道化にはそういった意図が……!?」

 

 えぇ、気付いてなかったんだ……。

 お労しやランテ……。

 恥を忍んで俺にまで上手いコミュニケーション方法聞いてきたのにな。流石にそれについては間違いなく人選ミスだとは思ったが。

 俺に聞くな、俺に。

 しかも異性との接触、禁じられてるだろーが。

 まぁ、アルテミスが見てなきゃオッケーみたいなところがあるのはそうなんだけれども。

 

「笑ったら可愛い──いや笑ってなくても見目は良いんだから、折角だしもっとオープンにいこうぜ」

「それは……私を口説いているつもりか?」

「それ、そうですって言ったら蹴りが飛んでくるやつじゃん……」

 

 良く分かってるじゃないか、という返答が笑みと共に返ってくる。

 それを見て、大分落ち着いてきたっぽいな、と思った。

 休憩自体がそこまで多くとれるものではないし、こういうところで出来るだけリラックスしてもらわんとな。

 ここから出れば、また過酷な洞窟探索スタートなのだ。

 

「さて、と。それじゃあそろそろ行くか」

「……そうだな、モンスターたちの気配も遠くなってきてる」

「ん、流石狩猟の女神様、分かるもんなんだな」

「むしろ只人のお前がわかっていたという方が私にとっては驚きなのだがな」

 

 そう言って、アルテミスは少しだけフラつきながら立ち上がる。

 コンディションは最悪の二、三歩手前と言ったところだろう。

 俺はもうちょっとマシではあるが、まあ似たようなもんだ。

 より気合を入れなきゃだな、とアルテミスから短剣を受け取った。

 

「やはり、私も前に出た方が良くないか?」

「何言ってんだ、俺よりアルテミスの方が弓矢が得意だから、俺が前衛、お前が後衛をやってるんだろ」

「確かに、そうではあるが……」

 

 アルテミスが、少しだけ視線を泳がせる。

 彼女は律儀な(ひと)だ、前衛の方が危険だとか、体力を消耗するとか、あれこれ考えているのだろう。

 実際のところ、後衛も大して変わらんとは思うんだけどな。

 俺が魔法を使えるようになったとはいえ……なに? 精神力が無いとかでもう使えないんだよな。

 後はまぁ、単純に代償にできるものがない、というのもある。

 短剣を腰に差しながら、口角を上げる。

 

「大丈夫だって、俺は……まあ弱い方じゃない。お前の眷属になってから、多少は強くなった──だから、安心しろよ。俺が、お前を守るから」

「──ふふ、その言葉、信じたからな」

「ああ、任せとけ」

 

 ──等と、そんなやり取りをしてから空洞を出て、やはり今まで同じように上へと進み始めた。

 暗闇の中を目を凝らし、神経を研ぎ澄ませながら歩くのと同時に、アルテミスを盗み見る。

 一応、ある程度立て直したとは言え彼女はもう見た目的にもボロボロだ──と言っても、その美しさが劣化するということは無かったが。

 いや、確かに髪も傷んできてるし、纏っている服だってぼろくなってきてるんだけどな。

 それでも不思議と「美しい」と思わせるものが彼女にはあった。

 これが神様だからなのか、それともアルテミスだからなのかは判断つかないが、多分後者ではあるのだろう。

 ……死なせるわけにはいかないよな。

 今更思い返すようなことでもないこと、本当に今更思う。

 決して、ここに落ちてきた直後はそう思っていなかった、という訳ではないが、まぁ、そうだな。

 心の持ちよう、というやつだ。

 俺とアルテミスファミリアは言うなればそこそこ信頼関係が作れてきたビジネスパートナー同士にすぎない。

 だから、最初に俺にあったのは義務と責任感。

 そこに今は、不確かな情があるのを、しかし俺は確かに認めていた。

 ファミリアにも入っちゃったしな、不本意ながらだけれども。

 親が子を守ろうとするように、子もまた親を守ろうとするもんだ。

 ──親子の関係とは、あまり言いたかないが。

 短剣の柄を握りしめれば、不意に自然には発せられないような音が鼓膜を弱く叩く。

 

「──アルテミス」

「あぁ」

 

 かける言葉はほとんどない、必要としない。

 ただそれだけでアルテミスは矢を番え、俺は短剣を逆手に構えた。

 守るように前に出ながら、集中を尖らせる。

 全方位に回していた警戒を薄くして、音の発生地点にだけ意識を伸ばせば音──恐らく足音は、少しずつ近づいてきていた。

 ここに来てから接敵してるモンスターはほとんどトカゲ系だったのに、どうにもリズムや歩行の重さが一致しない。

 かといって二足歩行のモンスターといった感じでもない。

 嫌な違和感だな、と小さく吐き捨ててタイミングを待った。

 大きくなる足音、鼓膜に引っかかるようないびつな金属音。

 ジリ、とひと際大きく音が鳴り、同時にアルテミスの矢──火矢が宙を駆けた。

 

「──蠍!?」

 

 揺らめく炎が映し出したのは黒の蠍だった。

 巨大な二つの前足に生えた鋭いハサミに、怪しげに揺れる黒の針が付いた尾。

 見たことも無ければ聞いたことも無いモンスター、だが踏み込みに迷いは挟まない。

 トン、トトトン、と音を奏でるように地を蹴りつける、火矢が左ハサミに突き立って炎が膨れ上がった。

 瞬間、振るわれる右のハサミを紙一重で躱す。

 風圧が髪を靡かせる、だが恐怖は無い。

 冷静に、振り落とされていく足の関節へと短剣を叩きこんだ。 

 

「っ!」

 

 ガツン、と硬質な手応えが返ってくる。

 アルテミスから渡されている短剣は、これでも相当な上物だ。

 ここ十日間ちゃんとした手入れが出来ずにいるが、それでも言うほど切れ味が鈍っているということもない。

 つまり、こいつが硬すぎるのだ。

 

「まぁ斬るけど」

 

 伝わってくる硬度さを、力づくで斬りおとす。

 緑のような、青のような血が吹き出て、それを横目に身体を少しだけ傾けた。

 同時、真後ろから飛来した矢が振り抜かれる尾とぶつかり合った。

 キィィン、という高音が響き、尾は僅かに逸れて、腕を少しだけ掠めて抜けた。

 チャンス──そう思う間もなく跳ねた。

 狙うは尾の付け根、最も細くなっている部分。

 先程のような動揺はない、あの硬さか、それ以上を想定して静かに振り切った。

 ギィィ! という小さな悲鳴のようなノイズが蠍から走って尾は落ちる、それに遅れて着地をしながら数回、連続でその甲殻へと短剣を叩きつけた。

 ちょうど、最後の一回でガキン、という魔石を砕いた時特有の手ごたえを感じ、同時に蠍は崩れ落ちた。

 

「ふー、ちょっと焦ったが、それでもこんなもんか。ナイスサポート、アルテミス」

「あぁ、そっちこそ。日に日に動きが洗練されていくな、オリオンは」

「そう見えるんだとしたら、アルテミスからの恩恵さまさまってとこだ」

 

 掠った腕に口をつけて血を吸い、ペッと吐き出す。

 行儀が悪すぎてアルテミスに軽く睨まれたが、仕方ないじゃん……と無視しておいた。

 蠍と言えば毒だし、掠っただけとは言え用心はしておくにこしたことはない。

 この状況で毒は本当にダメだ、何せ解毒剤が無いのである。

 ただまぁ、今はそれより──。

 

「思いのほか、地上は近いかもしれないな」

「ん、何故そう思う?」

「あー、まぁ、ほとんど勘ではあるんだけどな。リザード共の基本棲息地は地下だ。だってのにリザード以外のモンスターが出てきたってことはそういうことかもなって思っただけ」

「……ふむ、一理あるな。とはいえ──」

「希望的観測はなしって言うんだろ、分かってるっての。つーか今それ、自分に言い聞かせようとしただろ」

「むっ……」

 

 押し黙ったアルテミスを無視して、蠍の死体を眺めた。

 殺した以上、もうすぐ消え去るのだろうが何となく興味深かったのだ。 

 蠍──動物としてなら見てきたが、モンスターとしてもいるんだなぁ、と我ながら実に浅い感想を抱く。

 同時に、複数で襲い掛かられたら厄介そうだ、とも。

 斬れないことはないがやらしい硬度をしてる、それにあのハサミも尾も、一撃でも受けたら相当苦しそうだ。

 ここまで来るのに一本使ったから、残りのポーションはあと一本。

 なるべく外に出るまでは残しておきたいが、使う羽目になるかもな──なんて。

 そう思った直後のことだった。

 

「オリオン!」

 

 アルテミスの甲高い悲鳴が響く。

 それに反応するのに数瞬、そして、アルテミスが叫んだ意味を理解するのに刹那かかった。

 蠍の尾が、降りかかる。

 

「──!」

 

 気付かなかった、抜かった、気を抜いた。

 戦闘直後だったから、勝利したから、多少、興味深くて観察してしまったから。

 そんな反省しても仕方がない要因を並べ立てながら、クソが、ふざけんな、と吐き捨て散らして身体を傾けた。

 肩を尾の針が抉り飛ばす、だがその程度なら軽傷。

 問題はない、そう断じて尾を断ち切った。

 血飛沫が舞い、けれど同時に重い衝撃が胴へと走った。

 

「がっ──!?」

 

 恐らく、殴り飛ばされた。

 くそっ、馬鹿みたいに痛ぇ。

 恩恵刻まれてなかったらワンチャン気絶してんぞ!

 ゴロゴロと転がりながら思考を回す、両指を地面に食い込ませて勢いを殺して銃弾のように弾き飛んだ。

 敵は目でちゃんと捉えられるほどの距離にはいない、だが気配で大体の場所は分かる。

 それに、何よりも──。

 

「はぁっ!」

 

 宙を裂く矢の音が、何よりもの道しるべだ。

 カッ! と鋭く矢が突き立った音を頼りに接近、目の前で振りかぶられたハサミを切断して矢を引き抜く。

 跳躍、回転しながら矢をアルテミスの方へと放り投げ、刺さっていた場所へと短剣をねじ込んだ。

 その甲殻、剥ぎ取ってやる──!

 

「らぁぁ!」

 

 バリバリと硬質な音と、蠍の悲鳴に似た音が響く。

 それを塗りつぶすように短剣を振るった。ザクザクと、先ほどよりもずっと滑らかに短剣を叩きこみ、そうしてようやっと蠍は死んだ。

 ──だが、そこで意識は緩めない。

 呼吸を整えながら、少しずつアルテミスへと近寄った。

 

「悪い、油断した、怪我はないか?」

「私よりも、お前だ!」

 

 早くポーションを! と言うアルテミスに小さく首を横に振る。

 流石に今使うのは勿体なさすぎる、気合入れれば全然動くし、もうちょっと重い怪我をした時に使う方が良いだろう。

 無論、そんなことが起こらなければそれに越したことは無いのだが。

 

「まだ使う程でもない、そら、全然余裕」

「だ、だが……」

 

 アルテミスは暫くそう粘ったが、やがてため息をついた。

 

「本当にきつくなったら言うんだぞ、誤魔化しは許さないからな」

「分かってるって、てか、そもそも嘘言ったところで分かるだろうが」

「お前はその上で上手く誤魔化してくるから、わざわざ言っているんだ」

「はいはい……」

 

 せめて傷口を縛るくらいはしたかったが、残念ながら包帯どころか清潔な布すら存在しない。

 暫くは素で放っておくしかないだろう、そう考えたらやっぱり治した方が良かったかも……いやでも、アルテミスが怪我したらアレだしな……。

 傷物にして更に治さず連れ帰ったらレトゥーサ辺りに説教食らいそうだし。

 団長ってだけあってアルテミスに心酔してるのは言わずもがな、男女の触れ合いについてもかなり厳しいからな、あの女。

 そういうこともあって、なるべくポーションは節約したかったのだ。

 なにせ一本目は普通にガブガブ飲んじゃったしな。いやね、傷ついてたのもあったけど、お腹減ってたねん……。

 水分も足りてなかったしアルテミスと半分こにしたってわけ。

 まあ、アルテミスはめちゃくちゃ嫌そうな顔してたけど。

 間接キスくらいで顔真っ赤にしてたのは普通に眼福だったのでプラマイプラスってところだな。

 

「むっ、今何か不埒なことを考えていただろう」

「人の頭の中盗み見るのやめない? エスパー?」

「? 神だ」

「その返しは卑怯じゃん……」

 

 


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