月の幻   作:泥人形

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月陽逢瀬

 ──目を覚ます。

 夢を見ていた訳でもなく、微睡みを引きずっている訳でもなく、いつも通りスッと目が覚める。

 開いた目が最初に捉えたのは、天井からぶら下がる魔石灯だった。

 天井、と言っても正確に言えばそれはちゃんとした部屋のものではなく、テントのものだ。

 つまり俺は、一つのテントを割り当てられて寝かされていた、ということになる。

 どうやら助けられたらしい、右腕も既に完治済みだし、至れり尽くせりだな。

 身体もいつになく快調だし、ぐっすりだったのが良く分かる。

 久しぶりの布団で身体が勝手にリラックスしていた気もする。

 誰に助けられたのか、という疑問には、入り口の布に描かれたエンブレムが答えてくれていた。

 重ねられた弓矢と三日月──狩猟と月の象徴。それは、他でもないアルテミスが率いるアルテミスファミリアのエンブレム。

 まぁ上手いこと見つけてくれたらしい、ありがたい話だな。いや実際探してたのはアルテミスなのだろうが。

 洞窟での生活が長かった──体感的にではあるが──せいで、見えるところにアルテミスがいないことに違和感と不安を覚えたが、その感情は飲み干した。

 俺が助けられていて、アルテミスが助けられていないということなぞあろうはずもない。

 じゃあもう安心だ。

 洞窟を抜けた、生還した、助けられた。

 ならもう、俺とアルテミスの急造コンビは終わりである。

 めっちゃ重い荷が下りた気分だ、同時に他にも色々下ろしちゃってる気はするが、まあ気にしても仕方がない。

 切り替えだ、切り替え切り替え。

 パシパシッと頬を叩いてから立ち上がる。

 人間ってのは寝る時に滅茶苦茶汗をかく生物らしい、例によって例の如く、俺も人間故に汗まみれであった。

 ──恩恵を得た人間が、果たして本当に人間であると言えるのかどうかは、良く分からないが。

 人の形をしていることと、人であることはイコールではない。

 その逆もまた然りであるように、大切なのは本質だ。

 だからと言って自分自身が人間ではない、等と言うつもりは無いが。

 まあ何が言いたいのかと言えばちょっと汗を流したいって話である。

 近くに泉の一つや二つくらいあるだろ……と適当な布を引っ掴みながらこっそりテントを出れば、出迎えてくれたのはまたしても夜の空だった。

 時間的にはもうかなり遅い──ド深夜なのだろうな、と何となく思う。

 どのテントからも光一つ漏れていない、全員寝静まっている。

 

「つってもあんまり騒げばレトゥーサ辺りは起きてきそうだけど」

 

 そうなったらちょっと……いや、かなり面倒だな、と思う。

 レベルが上がれば上がるほど、冒険者は人外じみていく。

 誰にも気づかれないようさっと行ってさっと帰ってこよう。

 幸い、ここはアルテミスファミリアが居を構えている拠点だ、ここなら何度か来たことがある。

 近くにやたらでかい泉があるのはもうリサーチ済みである……というか一回使ったことがあった。

 わざわざ音やら何やらで「水は……こっちかな……」とかやることにならなくてラッキーだ。

 寝起きからあんまり疲れたくないしな……とガサガサゴソゴソと木々をかき分けていく。

 本当ならちゃんとした道はあるのだが、まぁショートカットってやつだ。

 どうせこの後洗うなら多少汚れても同じじゃん……。

 Tシャツ短パンみたいな格好だからさっきから草葉がくすぐったいな、とズンズン突き進めばやっと泉に──。

 

「──────」

 

 そこには神がいた。

 狩猟と貞潔、月の女神が光と水を浴びていた。

 当然ながら一糸まとわぬ姿で、その上で目を離せなかった。

 断じて言っておくのだが、やらしい気持ちや目的ではない。

 では何かと問われれば、それはもうただただ目を惹かれたのだと、そう言うしかないだろう。

 それは、美貌によるものなのか、あるいは、神特有の神秘さゆえなのか。

 分からないし、分かることも無い気がしたが、しかし目を逸らせない。

 動くことすらも忘れて、縫い付けられるように見つめていれば不意に彼女はこちらへと振り返った。

 美しい青の長髪が揺れて、翡翠の瞳が俺を捉える。

 

「あっ」

 

 やべっ。

 ここに来て、ようやく俺は事のヤバさに気付いて声を出したのだった。

 ついでに「あーあ、終わりだよ終わり」と脳みそが言っていた。

 普通に考えなくとも、異性の沐浴を盗み見かつガン見するのは犯罪過ぎる。

 土下座で何とかなるかしら……。

 

「オリオン?」

 

 が、降ってきたのは予想外に柔らかな声だった。

 優し気で、こちらを慮るような、それでいてどこか信じられないとでも言いたげな雰囲気を纏った声音。

 ザバザバと水をかき分けて、アルテミスは歩み寄ってきた。

 

「あぁ、やっぱりオリオンだ。目を覚ましたんだな、良かった……本当に、良かった」

「アルテミス?」

 

 白磁のような色の手に、そっと頬を撫でられる。

 ここに俺がいる、ということを確認するように。

 アルテミスは、俺を抱きしめた。

 ……!?

 

「はぁ──? 何やって、おまっ」

「良いじゃないか、今更だろう? 私の意識が無い間に抱えて外まで運び出してくれたのは、何処の誰だ?」

「や、それは──申し訳ないとは思ってるけどさ」

 

 仕方なかったってやつじゃん……とごにょごにょすれば、アルテミスは笑った。

 分かっている、と言わんばかりにポンポン背中を叩く。

 

「謝ってほしいのではない、私は感謝しているんだ、ありがとう、オリオン」

「感謝……いやでも、それはアレだろお前、持ちつ持たれつだったって言うか、俺こそありがとうございました、というか」

「だからと言って感謝が無くなるということは無いだろう、オリオンがそう思うなら、私たちは互いに感謝し合っているというだけのことだろう」

「それはまぁ、そうかもしれないけどさ……」

 

 でも何か随分と距離が近い──いや、そうでもないのか?

 ダメだな、遭難とかいう異常事態に晒され続けた時間が長すぎて適切な距離というのが分からない。

 あの時だったら多分この程度気にしなかったかもしれないが、今の俺はもうしっかり休んで思考もクリア、体調も万全なのである。

 全部がもう元通りになったはずなのだ、今までと同じようにはいかない。

 勘違いは、あまりするべきじゃない。

 

「何だ、随分と身体を引こうとするな、オリオン?」

「逆だ逆、お前が近いんだよ、貞潔の女神様なんじゃなかったのか?」

「ふふ、このくらいは普通だったじゃないか」

「異常事態における普通と、平常時における普通はかなり異なってくるだろうが……」

 

 思考に余裕が出たらそりゃ色々考えさせられるに決まってんだろ。

 何だ、貞操観念でも逆転しちゃった?

 ドキドキしすぎちゃうからやめてほしい。

 

「そうかもしれないな──けれど、過ぎ去った時間は、得た経験は無くなったことにはならない」

「……?」

「むぅ、よりにもよって私の口から言わせる気か? 罪な男だな、オリオンは」

「いやなんの話?」

「私にこうされるのは嫌か? と聞いているんだ」

 

 私に近寄られるのが。

 私に触れられるのが。

 私に抱きしめられるのが。

 嫌なら、嫌と言ってくれ、とアルテミスは言った。

 言ってから、アルテミスは一際強く俺を抱きしめた。

 その言い草は卑怯過ぎない?

 

「──嫌だったら、さっさと突き放してる」

「直接的な言い回しを避けるのは、オリオンの悪いところだな。洞窟内だとあれだけ情熱的だったというのに」

「うっさいな、ちょっと恥ずかしいんだよ」

 

 あといい加減服を着ろ。

 処女神名乗るにはちょっとはっちゃけすぎだろ。

 目を逸らしながら言えば、アルテミスはようやく、少しだけ顔を赤らめながら服を纏った。

 服、と言ってもワンピースみたいなパジャマなのだが。

 何となく、白はこの(ひと)に良く似合う、と思いながら、その華奢な身体を優しく抱きしめる。

 あれだけ傷だらけだった肌も、全部元通りになっていて、少しだけ安心した。

 

「そう言えば、私たちが遭難していたのはちょうど十四日間だったらしいな」

「ま、マジ? 思いの外みじか……てっきり三週間はいたもんだと思ってたな」

「私なんて一か月はいるものだと思っていた、目を覚まして、ランテに教えられた時は驚いてしまったよ」

「だろうな……そういえば、実際のところ俺が気絶してからどうなったんだ?」

「入れ替わりのように私が目を覚ましたよ──オリオン、お前、私に残ったポーションを飲ませただろう」

「ぐぇ、ばれてーら……」

「体調が随分と良かった、バレるも何も無いだろう……血塗れで倒れているオリオンを見た時、私がどれだけ泣きそうだったか語ってやろうか?」

「や、それに関しては本当に悪かったって……あっ、ちょっ、背中をつねるな!」

「私からの些細な罰だ、甘んじて受け入れろっ」

 

 えいえいっ、やめろやめろ、と言い合いながら振り回す。

 その勢いのままバシャバシャ水の方に入っていけば、その内に楽しそうにアルテミスは楽し気に笑いだした。

 ついでに言えば俺も何だか楽しくなって、声が出てしまう。

 二人しかいない泉に、笑い声が響く。

 暫くそうやって遊んでから、やっとのことでアルテミスを下ろした。

 

「ふふふ──えぇと、何だったか、そう、私が目を覚ました後のことだ……端的に言えば、動物たちに助けてもらった。モンスターと違って彼らは話を聞いてくれるからな、背に乗せてもらって移動して、その途中で子供たちと再会したという訳だ」

「うーん、情報量の洪水」

 

 動物と話せるって何? 蛇語的なニュアンス?

 そう聞けばどうにも言葉通りの意味らしい。女神、謎が多すぎんだろ。

 まあ動物とすぐ仲良くなれる、みたいな捉え方で良いのだろう。野生児みたいだな。

 ……流石に神相手に野生児は暴言が過ぎるな。

 野生神と言い換えておこう。

 あんまり不遜さが抜けなかった。

 

「取り敢えず良いじゃないか、今くらいは。互いが無事であった喜びに浸る、そういうのも悪くはないだろう?」

「ま、それもそうだな」

 

 難しい話も、ややこしい話も後で良い。

 どうせ後からレトゥーサにでも根掘り葉掘り聞かれて詳細を語らねばならないのだし、その際に色々聞かせてくれるだろう。

 そう考えると若干ながら気が重いが、それも取り敢えずは放っておこう。

 今考えるのは、目の前の女神様のことだけで良い。

 美しい、青の長髪に翡翠の瞳、恐ろしい程に整った容姿。

 白磁のような肌、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ身体。

 貞潔かつ純潔の女神、誰にも触れさせないどころか、見ることさえ許さなかった処女神。

 それを今、独り占めしているのだと考えれば何だか酷く背徳的な気持ちになった。

 意識すればするほど、身体の内側に熱が籠る。あるいはそれは、心の内なのか。

 どっちもかもしれないな、と思ってアルテミスから身体を離した。

 

「なぁ、アルテミス」

「なんだ? オリオン」

「折角の月夜だ、踊ろうか」

「──えぇ、喜んで」

 

 月が照らし、泉がそれを反射する中で、差し出した手を、アルテミスが優しく取る。

 誘っておいて何だが、俺は踊りの作法を詳しく知っているという訳じゃない。

 何せ元一般高校生、今は辺境の村の狩人だ。

 でも、何となくそうすべきだと思ったから、そうした。

 多分、アルテミスも良く知っているというわけでもないのだろう。

 曲はない──強いて言うならば、風がそよぎ、木々が騒ぎ、水面が揺れる音だけ。

 そんな中で俺達は手を繋いだまま、くっついたり離れたり、回ったり、身を預けたり。

 波紋を生み出しながら、好き放題に踊っていた。

 ここは俺達だけの空間。

 三日月の下、鏡のような泉をステージに広がる舞踏会だった。

 

「以前──オリオンと出逢う、ずっと前に子供たちに熱弁されたことがある」

「へぇ、珍しいこともあるもんだな。なんて?」

 

 基本的にアルテミスファミリアってのは仲良くはあるが、それ以上に規律が厳しいファミリアだ。

 ついでに言えばアルテミス自体に惚れ込んでいる、心酔しているやつばかり。

 だから、基本的に──これは飽くまで俺のイメージに過ぎないのだが──アルテミスが、団員たちに話を聞かせることが多いのだとばかり思っていた。

 

「曰く、"アルテミス様も恋をした方が良い"だとさ」

「それは何ともお前に喧嘩を売ってるようなことを言ったもんだな……それ、言い始めたのランテだろ」

「分かるのか?」

「それくらいはな」

 

 アルテミスファミリア自体がもう、それなりの付き合いだ。

 何に臆することも無く急に言い出すのはランテくらいしか思いつかない。

 その勢いだけで、周りを巻き込めるのも、彼女くらいだろう。

 

「恋をする前と、後では私たちは変わる……レトゥーサにさえそう言われたよ。なぁ、オリオン、私は神だ。人であるお前たちと違う、不変たる存在。そんな私でさえ、変われるものなのだろうか?」

「んー、まぁ、そもそもアンタら神は、良く自分たちのことを変わらない存在だとは言うけどさ、そうでもないと思うんだよな」

 

 手は繋ぎ合ったまま、クルリと回ったアルテミスと少しだけ近づき合う。

 その細い腰に手を当てた。

 

「恋が云々ってのは分からないけれど、それでも人も神も、常に等しく変わり続けているだろうよ。人はそれが目に見えやすいってだけで」

「そう、なのだろうか?」

「ああ、間違いない。だってアルテミスだってほら、ちょっと前のお前なら、俺と踊るだなんて夢だとしても有り得なかっただろう?」

「むっ……」

「こうやって手を繋ぐことは無かっただろうし、抱き合うなんてもってのほかだ。でも今はそうしてる、一緒にいた時間が、経験がアルテミスをちょっとだけ変えた証拠だ」

 

 そりゃ今回のはあまり良い変化の仕方じゃないとは俺も思うけど。

 それでも、変わりはするものだ、何事も。

 

「私はこういう存在である、俺はこういう存在であるってのがハッキリしてるから自覚しづらいだけだと思うし、だからこそ神は他の神の変化に気付きづらい、それだけの話だと俺は思うよ」

「そう、か。そう見えるか、私は、変わったように見えるか」

「むしろ見えないやつの目は節穴だろうな」

「そこまでか?」

 

 クスクスと、鈴の音を鳴らすようにアルテミスは笑う。

 良く笑うようになったものだな、と思った。

 感情が表に出やすくなった──というのとはまた違うか。

 元より感情が薄いとかそういう(ひと)だった訳じゃない。

 だから、正確に言うのならば笑顔を見せるのを許してくれるようになった、なのだろう。

 

「そう見えるのならば、やはりそれは、オリオンのお陰なのだろうな」

「お陰って言葉を使うのは、ちょっと語弊があり過ぎる気もするけどな。アレは流石に命懸け過ぎた」

「確かに、あんな経験は一度で良い……色々な意味で、な」

 

 一瞬、『色々な意味』ってのが何なのか言及しようとして、しかしやめる。

 何となく、今はまだ踏み込んではいけない部分だと、そう思った。

 単純に日和ったとも言う、うっせーわ。

 

「もうすぐ、夜が明けるな」

「あー……朝か、朝が来るのか。何だか滅茶苦茶感慨深いな……」

「そういえばオリオンはさっき目覚めたばかりだったものな、ふふ、存分に光を浴びると良い」

「そうさせてもらう……つっても多分、朝になったらアルテミスの団員に事情聴取されるんだろうが」

「その時は私も一緒だ、安心しろ」

 

 何が? って感じだがまあ良い感じにフォローとかしてくれるのだろう。

 お互い、記憶が曖昧なところもあるし補完し合えばまあ、一応の説明にはなるか。

 ただ、一番の問題は起きたことの説明ってより──

 

「今後の俺の扱い、だよなあ。実際、どうするつもりなんだ?」

「……経緯はどうあれ、私が恩恵を与えたのは事実だ、ファミリアに入れるべきだとは思っている。だが他でもない私自身が男女の接触を禁じてきたのも事実だ、もし嫌がる子が一人でもいるのなら、その時は──」

 

 そこで言葉を切って、アルテミスが静かに目を伏せた。

 それを見ながら、まあそうだろうな、と特に落胆することも無く思う。

 単純な話のように見えて、結構デリケートな問題なのである。

 そもそも女性しかいなかった場所に男一人ポンと投げ出されるのはそれはそれで抵抗あるしな……。

 どっちに転んでもあまり得をしなさそうだ、とちょっと思った。

 いや、できれば入れた方が良いのだろうけれども。

 レベルアップ? ランクアップ? とかしてみたいし。

 後はまあ……アルテミスの顔を見ていたい、というのは否定すると嘘になる。

 

「じゃ、そろそろ戻っておくか、二人でいるところを見られても面倒だしな」

「……そうだな、名残惜しいがひゃわぁ!? オ、オリオン!?」

 

 言葉の途中で、アルテミスの身体を持ち上げる。

 片手は背中に、片手は両膝を支えるように……まぁなんだ、いわゆるお姫様抱っこってやつである。

 アルテミスは暫くの間顔を赤く染めて暴れていたが、やがて諦めたように俺の首へと腕を回した。

 

「オリオンは時折本当に突飛なことをする」

「そう睨むなよ、嫌なら下ろしても良いんだけど?」

「嫌とは言っていないっ──あっ、くぅ……反射で否定してしまった……」

「思いのほか素直な解答来たな……ま、拠点近くまでくらいなら良いだろ」

「ん、そうだな、落とすなよ?」

「誰に言ってんだか」

 

 本当に落とすぞ、と揺らせばアルテミスの小さい悲鳴が控えめに響き渡った。

 

 


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