GODEATER3の短編小説です。時間軸は本編後、フィムとリル・ペニーウォートのお話です。本編では特に言及されませんが、フィムおめーその姿は何喰って形成されたもんなんだよオッラァンって感じの話です。
オリ主要素は(ほぼ)ありません。ハウンド1の名前も出てきません。
※pixivにも同一内容の投稿をしています。
※※※
クリサンセマムのミナトに保護されてからしばらく。形式上はAGEであるペニーウォートの子供たちは、キャラバンでの輸送任務にも一緒に付き添うが、それにしたって、以前のミナトとは大違いの待遇に、リルはとても満足していた。しかしここ最近、そんなリル・ペニーウォートの平穏な生活は少しずつ変化している。
朝起きて、顔を洗う。服を着替えて、食堂に行く。リルが動き出す時間はまだ早朝と言っていい。マールは時々起きているけど、ショウはだいたい夢の中。起きるのが早いのは昔からだ。そもそも、気持ちよく眠ることもできなかった。生活が安定して、昔じゃ考えられないくらいに満たされても、リルは二人の兄弟ほど適応しきれていないのだ。
「リルー! おはよー! ございます!」
「あ、フィム……おはよう。今日も元気だね」
そんなリルに合わせる様なちょうど良い時間。フィムは廊下からひょっこりと顔を出し、元気よくリルに挨拶した。そのまま流れるように抱き着くと、同じくらいの高さの頬に、すりすりと自分の頬をこすりつける。
「ちょ、ちょっと、フィム」
「ん~?」
「近いよ」
苦言を呈したものの、本気で嫌なわけではない。フィムもそれを分かっているのか、離れようとはせずに、むしろもっと密着しようとすらしている。
「えへへ……一緒にご飯、食べましょう!」
「もう……」
こうなったフィムを引きはがすことはもうできない。何度かの経験を基に悟ったリルは、フィムを腕に巻き付けたまま食堂へ向かう。マール達に見られていなくて良かった。仲間に見られると、変に煽られて気恥ずかしいのだ。
クリサンセマムの食堂にたどり着くと、何人かのクルー達は既に食事を始めていた。食事は、生きる者すべてにとって重要なことだ。ミナトを移ってから劇的に変化した生活の中で、リルはそれを強く体感している。
給仕担当のおばさんから赤いスープやパンの入ったトレイを受け取る。フィムとは隣合わせの席に座った。スープを口に入れてみると、酸っぱいような甘いような、あまり食べたことのない不思議な味わいだった。
「んん~、今日もご飯、おいしいね!」
「そうだね。でも、言う割にあんまり食べないよね、フィム」
「うっ……えへへ、ごめんなさい。なんだか、すぐに胸がいっぱいになってしまうのです」
フィムが食べる量は、いつもリルの半分くらいである。給仕としては、すでにフィム専用の盛り付けが出来上がっているらしい。アラガミなのに、食べる量はそこまで多くない。不思議な事である。
フィムが目覚めたのは、ちょうど私達と出会った時なのだそうだ。つまり、クリサンセマムでの食事以外の食生活は体験していない。もし自分がその立場であったら、ご飯がおいしいことを、食べ物から温かみを感じる事そのものが幸せだと、今と同じ様に感じられていただろうか。
「リル~」
「なあに」
「なんでしょう、何でもないです!」
にこにこと、本当に嬉しそうにフィムは笑った。何それ、と返すと、いっそう笑みを深くするのだ。
混じりけの無い好意。リルには、それを向けられた経験がない。心無い大人達からは蔑まれた。一蓮托生の仲間達から感じる物はもっと別の物だ。
食事が終わると、フィムは決まってリルの膝の上にやってくる。膝の上に乗って向き合って、なんだか変な体勢になるのだ。体格がそう変わらないので、正直乗りかかられるとかなり動きづらいのだが、フィムの体は意外なほどに軽い。それに、密着した体はやわらかくて温かい。注目を浴びるのにはもはや慣れてしまった。煽って来そうな面々が来る頃にはフィムは勝手に離れてくれるので、実害は大きくない事だけが救いだ。
ここまで直線的で混じり気のない好意を、10年にも満たない己の生の中で感じた経験は、リルにはあまりない。信じられる家族達がいた。家族以外の誰もが信じられなかった。周りの大人達は、時には同じAGEでさえも、リルにとっては敵になる可能性があった。
裏表なく人に好意を示す事ができる。それそのものが、悪意に触れ続けた私にはもうできない事で。
リルにはそれが何か恐ろしい様にも思えたが、それと同じくらい、そうやって向けられた気持ちの温かさが心地よい物に思えてしまう。
「ねえ、フィム」
「ん~?」
「私の事、すき?」
「ん! もちろん、だいすきです!」
何が楽しいのか、私の顔を眺め続けるフィムに問いかける。返って来たのは、予想通りの答えだった。
私自身、そんな予想ができてしまう事に驚いてしまう。自分はもっと、疑う事を知っている筈。きっと、フィムが相手でなければこうはならないのだ。こんな風に接して来るのは、フィムだけだから。
ありがとう、と微笑みかける。
「ほかの皆より?」
そう問いかけると、フィムは大きな目を少し丸くして、首を傾げた。
「ほかの、皆……」
「うん」
フィムは難しい顔をして、うんうんとうなり始める。「好き」に順位をつけたりすることを、した事がないのだ。一定のラインを超えれば、皆好き。彼女の中ではきっとそんな認識なのだろうけれど、それで片付けるには、フィムのリルへのひっつき方はあからさま過ぎた。
「リルは、それが気になりますか?」
「うん」
「うーん……おとうさん達と……うーん……」
悩むフィムの姿がなんとなく苦しそうに見えて、無理に考えなくてもいいよ、と付け加える。しかし、フィムはそのまま考えて考えて、何とか答えを絞り出した。
「リルに好きって思うのと、おとうさん達に好きって思うのとって、なんだか違う好きなんだなって」
「違うの?」
「うん。なんだろ、おとうさんとか、クレアはあったかい感じで……リルは……いい匂いがします!」
「えー……何それ」
フィムは、クリサンセマムの仲間達の事をとても大切に思っている。自分を見つけ、安心を与えてくれる父やユウゴ。いつも優しいクレアやルル。一緒に遊んでくれるジークに、ショウ、マール。リカルドも、イルダも、エイミーも、皆が特別で、かけがえのない繋がりだった。大好きだと、何回言っても足りないくらい大好きだ。リルもそう。けれど、皆の特別とリルの特別は、違うもの。
「そっかぁ……そっか……」
リルはその答えを聞いても納得はできなかったが、フィムの中では何か胸にすくような物があったのか、その言葉を噛み締める様に目を閉じていた。
「何で私なのかなあ」
「フィムにもよくわかりませんけど、リルが凄く特別なんだってわかって嬉しい、です!」
「そ、そう」
ぎゅーっ、と声に出しながら更に抱き着いてきたフィムに押されながらも、やっぱり悪くは思わない自分がいる。
結局その朝も、皆が来る直前まで密着して過ごした二人だった。
※※※
嘘を、ついた。
リルとお別れした後。今日はお勉強をしたり、おとうさん達の特訓に混ざったりして過ごしました。けれど、あんまり集中できませんでした。
ベッドの中でぱたぱた足を動かしながら枕を抱え込むと、恥ずかしいような、嬉しいような、この不思議な感覚が少しは収まると思ったけれど。
顔が熱いなあ。
初めての気持ちでした。
顔を見るたびにはっとして、ぽかぽかして、もっと近づきたいと思う。とってもいいにおいがする。覚えはないけれど、どこかで感じたにおい。欲しい、欲しいって、からだ全部が求めるにおい。
知っている。それが何を意味するのかを、フィムは知っているのです。
データベースのお話を読む事も大好きなフィムは、「そういうお話」を目にすることも何度かあったので。きっとこの気持ちが、そういう物なんだと、知ることができたのです。
「すき」
言葉にすると、既に熱を持った頬が、更にあつくなってくる。
好きって、こんな気持ちなんだ。
今にも体全部から飛び出してしまいそうなこの熱量を、いつかリルも抱いてくれるのかな、とか。そんなことばかり考えてしまう。
「リル、おいしいんだろうなあ」
肩から腕の、ちょっと肉付きのいいところ。
腰の方の、引き締まったところ。
ぷりっとした血管がある首のところ。
どこを食べても、それはきっと、幸福の味がするのです。
だから、フィムはどうやら、リルに恋をしているのでした。
※※※
フィムとリルが朝に二人で食事を摂っている姿は、クリサンセマムの面々にとって見慣れた光景となりつつあった。最初の方こそ子供たちの間で多少の冷やかしの様なものがあったりもしたが、それもリルが予想した程でもなく。大人達の生温かい視線にも、だんだん慣れた。
人目を気にしなくても問題がなくなるのは、まあいい。
問題は、リル自身人目が気にならなくなっているのを察し始めたフィムのひっつき具合が、どんどんエスカレートしていく事くらいか。
最初のうちは、朝だけの筈だった。朝ごはんを一緒に食べたら、フィムはフィムの、リルにはリルの一日が始まっていた。フィムはミナトのマスコットキャラの様な存在ではあるが、あれで戦闘要員でもある。勉強や訓練も立派な仕事であったし、周辺にアラガミが出た時には、主要メンバーと共に出撃する事も当然あった。リルはリルで、キャラバンでできる勉強もあったし、時には安全圏限定で、キースやユウゴ達に連れられて物資の探索に出る事もあった。
その上で、空いた時間は殆どと言っていいほどフィムはリルに会いに来るようになったし、リルの出撃にも絶対に同行するようになっていた。リルの方も、なんだかフィムが一緒に居ないと落ち着かない様な気分になる事が増えている。一人でいる時でも、何もない空間に手を回しそうになる事すらあった。
「フィムー、さっきぶりー」
「リルー! お仕事終わりました! 見ててくれた?」
「うん、見てた。最近、特に連携とかうまくなってるなあって思う」
「えへへ、おとうさん達に合わせてもらうだけじゃなくって、フィムから合わせるのを意識しています! ぎゅー!」
「ぎゅー」
その日は、フィムが出撃して、リルがエイミーの後ろからその姿を見守っていた。本当はあまりよろしくない事らしいのだが、少し離れた位置でそわそわしているリルを、エイミーはいつも苦笑しながら迎え入れてくれるのだ。
仲のいい友達が、戦っている。ペニーウォートでも、友達が自分のいないところで戦って、死ぬ経験をたくさんしてきた。その姿を見られなかったのは、幸福なのか不幸なのか、リルには分からなかったが、フィムがもし自分の知らないところで死んでしまったりしたら、と考えると、それはとても恐ろしい事だった。
今日も無事に帰って来たフィムに心配を悟られないよう平静を保って話しかけると、フィムはすぐさまリルに抱き着いた。いつもの様に頬ずりしながら、戦果の話。思ったままを伝えると、フィムは嬉しそうに強くリルに密着するのだった。
それはいつものやり取り。
それで終わっていれば、周囲もほほえましい光景を見るだけで終わっていた。その場に居たユウゴやクルー達は、何かひりつく様な、嫌な予感を感じていた。
そして、その答えを彼らが出す前に、違和感は形となって現れる事になる。
フィムは、とてもお腹が空いていた。任務の終わり、戦闘で高揚したまま戻ったエントランスで待ってくれていたリルに抱き着くと、心がもっと高い所へと飛んでいく。
あの時恋心を自覚してから、リルから感じる匂いはどんどん強くなっていた。甘くて、やわらかくて、変になりそうな匂い。
ちょっとだけ。ちょっとだけならいいかな。
つまみ食いをするような軽い気持ちで、フィムは絡み付いたリルの腕の、肩の近くを食べてみた。どちらかというと硬めの場所の、浅い部分。ほとんど皮だけだったけど、それでもそれは、フィムを十二分に満足させる味だった。
「う゛っあ゛っ……あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!」
エントランスに響く叫び声。いち早く状況を察したユウゴとその相棒が、フィムとリルを引き離した。
左腕を抑え蹲るリルを見ながら、フィムは突然慌てだした周囲に首をかしげる。
「あれ?」
口の端の、そぎ落とされたリルの肉と血を口に入れなおす。とても美味しかった。幸せな味がした。
けれど、何かがおかしい。
大丈夫、とか、医療スタッフを、とか、そんな周りの声だけが大きく頭の中に響いている。現実感のない、ふわふわした感覚の中で、フィムは父と慕う人物に抱きすくめられ、背中を撫でられていた。
「もしかして……これって、すきじゃ、ない?」
フィムの呟きは、自分を抱く父にだけ聞こえていた。抱きしめられる力が、いっそう強くなるのだった。
※※※
その日の事は、不問になった。今のクリサンセマムに、フィムを裁く法律は存在しない。原因の究明は急がれていたが、それはフィムには告げられなかった。
フィムは、あの後自室から出る事なく過ごしていた。一旦自室で待機していて、と、父に告げられ、フィムは言う通りにした。自室でできる事と言えば、勉強か、ノルンでのデータ漁りくらい。
フィムには、考えなければならない事があった。
「何で、こんな事になってるんだろう」
フィムの思考にはもやがかかっていた。何か、致命的なすれ違いがある。その気持ちの悪い感覚を、フィムは一刻も早くなんとかしたかった。
リルは、齧られてとてもつらそうだった。
今にして思えば、それは当然の事だ。リルは人間なのだ。齧られたら、血が出て、治るのにも時間がかかる。
食べたいと思っていた。その時は、何も疑問に思わなかった。
フィムは、データベースの中で、アラガミの項を調べていた。何故、こんな事になっているのか。自分がアラガミである事が答えだと。確信めいた予感があった。
『アラガミとは、それ単体が「考えて」「捕食する」能力を持つ単細胞生物「オラクル細胞」が集まって構成された生物であり、その個体自体が数万数千のオラクル細胞の群である。』
『オラクル細胞とは、アラガミを構成する「考えて、喰らう細胞」。生物とは根本的に構造が異なる。「捕喰」に特化した極めて特異な器官を細胞壁状に所持しておりあらゆるものを取り込んで「喰らう」ことができる。 』
自分がどうやって構成されているのか。
考えた事もなかったが、情報を得ると、ある程度の納得はあった。実感は全く湧かないが。
そして、読み進めていく中で、フィムの目にある項目が留まった。
偏食──「オラクル細胞」及び、その群体である「アラガミ」が持つ「あらゆるものを捕喰できる能力を持ちつつも、特定の対象しか捕喰しない」という特性。この特性を研究する事で得られた「偏食因子」により「オラクル細胞」の技術利用が可能になり、オラクル技術が発展した。
「あ……」
答えが、繋がる。
アラガミが、取り込んだ物の形質を模るモノであるのなら。1つのものしか食べなくなるモノであるなら。
「あぁ……」
少女の形を模っているフィムは。今、リルを一番食べたいと思うフィムは。
「うあ、あああああ」
ずっと小さな女の子を食べ続けていて、リルも食べたくなっただけの事で──
「こ、恋じゃ、ない……こんなの、恋じゃ……!」
大声で泣いているのが部屋の前の父に聞こえたのか、父はすぐに乗り込んで来た。そして、あの時と同じ様に抱きしめて、頭を撫でてくれた。
しかし、フィムの気持ちはこれっぽっちも軽くならない。
父の胸の中で、フィムは泣き続けていた。
※※※
父はそれからもずっと一緒に居て、食事をもって来たり、タオルで体を拭いたり、色んな世話をしてくれた。その間、フィムは一言も喋らずふさぎ込んでいた。父も、そこに言葉をかける事なく、ただ傍に居続けた。
数時間も経たない内に、控え目なノックの音。訪ねて来たのはイルダだった。
辛かったわね、ごめんね、すぐに来て上げられなくて、と声をかけられると、フィムは少し顔を向けて、それからまたふさぎ込んだ。イルダはその様子に少し困ったように眉を下げると、フィムの隣に佇む仲間に声をかけた。促され、一時的に部屋を出る。少しフィムの様子を心配そうにしていたが、当のフィムは俯いたまま。気付いていない筈は無かったが、止めようとする様なことはなかった。
「今回の件だけど……おそらく再発は防げると結論は出たわ」
イルダは扉を出てすぐ簡潔に状況を説明すると、彼は予想は出来ていた、と言わんばかりに頷いたのだった。実際、フィムが自分で考えた事とイルダ達の結論は同じだった。フィムの開いたデータベースのページを見ていた時点で、状況は察せていたのだ。
「原因は、フィムを構成するオラクル細胞の趣向に合った存在との濃密かつ継続的な接触。近づきさえしなければ、あの発作のような事態にはならないと思う。もちろんこれは対症療法に過ぎないから、後々然るべき対策は取る事になる」
要は、偏食因子によって、フィムがリルに対して捕食衝動を抱いてしまっていた事に尽きる。少し前までは、そこまで接近する事がなかったために何も起きなかったが、ここ最近の二人の距離感を鑑みれば、それは何らおかしい事ではない。それに、食べていない事で欲求が強まり、無理に行動してしまうという程の物でもないらしいという事が、本部への確認で裏取りできたとの事だった。色々と確認に手間取って来るのが遅れてごめんなさいね、と謝るイルダに文句を言う者は居ない。
「ただ、かわいそうではあるけど……二人には距離をとってもらう必要があるし、今後、同年代に近い子とも、目がない状況じゃ合わせられない」
それも、仕方のない事であった。現状、取りうる策がその程度しかないのだ。本能という言葉の痛烈さを、戦いに身を置く者は皆恐ろしいほどに知っている。気合と根性だけでどうにかなる問題ではない。
フィムは悪くない。
名実共にフィムの父として振る舞う彼の言葉には、似つかわしくない棘があった。イルダは整った眉を下げながら、そうね、と一言、力なくつぶやいた。
「この事を、フィムに伝えるべきだと思う?」
そう問うと、彼は黙り込む。
「あの子は、とても傷ついているわ。もちろん、リルも。今突き放す様な事を言えば、余計に追い詰めてしまう可能性もある」
二人の仲睦まじさは、誰しもが知っている事だった。そして、二人の人となりも。彼女達は、どちらも自分が傷つく事より、相手を傷つけた事を気にしてしまう。折り合いをつける為の時間は、確かに必要でもあるとは思えた。フェンリルという組織の一員として決して褒められた物ではないが、彼はクリサンセマムという場所のそういった優しさが好きだった。
「とりあえず、あの子に伝えるべきは、皆怖がったりしていないっていう事ね」
それに関して、イルダ達の意見は合致していた。エントランスで事が起きた以上、目撃者は複数居たし、話自体もすぐに伝わった筈である。それでも、クリサンセマムの面々がフィムを恐れている様子はなく、むしろ彼女達を気遣う様子さえ見せていたのは、イルダにとっても嬉しい誤算だった。いくら優しいといっても、実際に死の気配を目の当たりにして、それを忌避し、排除しようと動くのは悪いことではなく、むしろ当然の反応といえる。少なくともキャラバンに居る面々は、恐怖よりもフィムへの心配が上回ったのだ。フィムが今までにクリサンセマムで作ってきた関わりが、結果としてフィムを救っていた。
「運命とか、そんな陳腐な言葉で片付けたくはないけれど」
あの子たちは負けないって、私は信じているわ。
閉め切った扉を見つめながら、イルダはそう言った。クリサンセマムを見守って来た、組織の長として。家族の様な仲間達の、母として。最大限の信頼を込めたその言葉に、同じ様に仲間を見守って来た彼も、力強く頷くのだった。
※※※
父が出て行ってからしばらくしても、フィムの部屋に人が入ってくる事はなかった。誰かが自分の傍に居る事が申し訳なくて仕方のないフィムには、そちらの方が都合がよかった。
リルの事は、好きだ。今もその気持ちは変わらない。自分は、リルをどうしたいのか。
一緒に居たい。食べたい。幸せでいて欲しい。あの控え目な笑顔を自分に向けてほしい。もっと近くに行きたい。どこまでが「人間」としておかしくなくて、どこからが「アラガミ」だから持ってしまった気持ちなのか、分からない。
「何で、こうなっちゃったんだろう」
自分の「好き」がリルを傷つける事になるだなんて、夢にも思っていなかった。その結果がこれだ。
自分が近づくだけで、リルが傷ついてしまうのだというのなら。
「何で……」
リルとは、一緒にいちゃいけない。
フィムがそう結論づけるのに、時間はかからなかった。父の横で泣いて泣いて、枯れ果てたと思っていた涙が、また一筋の線を作り出した。
※※※
リルは左肩の激痛と共に目を覚ました。簡素なベッドから飛び起きると同時に、小さなうめき声が医務室に響く。
「リル!」
すぐそばに控えていたジークが慌てて駆け寄り、リルの体を優しく支えた。
「痛いか? 痛いよな? 動かない方がいいぞ。ほら、これ痛み止めだから、飲んどけ? な?」
「うぅ……ジーク、ありがと……」
何とかお礼を言って、差し出された錠剤と水を一気に流し込む。すぐには効いてこないだろうが、誰かが近くに居てくれたという事実が、リルの自身を蝕む痛みを些か以上に抑えてくれた。
「これ飲んだら横になっとけよ。いくらAGEでも、そんなすぐには回復しねえんだからさ」
リルが痛みで意識を失ってから、ジークはずっとついてくれていたらしい。自分がどのくらい寝ていたのかは分からないが、そう短くない時間が経過していたのだろう。隅の方でショウとマールが寝入っているのが見えた。
「私、行かないと」
「はぁ!? どこ行くんだよ、寝てろって!」
「フィム、絶対気にしてる」
あれから、何が起こったのか。リルには状況を把握する時間も余裕もなかった。しかし、リルの言葉を聞いたジークが言葉を失った事で、リルの気持ちはさらに固まる。
「わかるよ、ずっと一緒にいたもん。私は気にしてないって伝えないと」
「……それでも、今は会わない方がいいんじゃないか」
痛みをこらえながら床に足を下ろすと、言い辛そうにジークは口を開いた。腹芸が苦手なジークにとっては、これが精いっぱいの遠回しだった。
「心配してくれてるのは嬉しいんだけど、今は行かせて。お願い」
ジークがその気になれば、リルを部屋から出さない事など容易い。無視していく訳にはいかなかった。
「ねえ、分かるでしょ、ジーク。ペニーウォートに居た時も、絶対放っておかなかったよね」
「そりゃ……そうだけどよ、今はあいつも居るし……」
「他の皆が居るのも分かるけど、それでも、私は……私が行かなきゃいけないと思うの」
「それは、その……危ねえんだって……」
ジークは、リルの傷口を見ながら言った。その場に居合わせた訳ではなかったが、少女から痛ましく滲んだ血は、彼が再会を引き留めるには十分過ぎる理由だった。
「それでも、今、フィムが一番近くに居てほしいって思うのは……きっと私なんだよ」
これは、ただのわがままだ。だが、それがフィムにとってどれだけの救いとなるか。自惚れの様に見える台詞を、ジークは否定できなかった。彼女達の姿を、ジークもまた見守り続けていたからだ。
これが自惚れであれば、どれだけ良かっただろう。二人が距離を取るだけで全て解決するのならば、そうするべきだ。だが、今のフィムがリルに会えないまま時が経てば、どうなってしまうのか。罪悪感に呑まれ。許しを失い。ただ本能に負けたという経験だけが残ったフィムが、この先ミナトの面々と、向き合えるのだろうか。
ジークの直感は、ただ現状に甘んじる事を良しとはしていない。
「……俺も一緒に行く。もし何かあれば、無理やり引き剥がすからな」
一生分とも思える熟考の末ジークが出した結論は、最悪の事態になった場合、自分が責任を持って止める事だった。
「うん。ごめんなさい、本当に、ありがとう。私、頑張るから」
リルは素直にお礼を言った。ジークがどれだけ困っているか、痛いほどに伝わって来たから。恥ずかしいので直接言おうとは思わないが、いつも自分達の為に一生懸命な兄貴分に、リルはいつも尊敬と感謝を覚えていた。
「……はー……情けねえよな。リルに言い負かされちまった」
「いつもの事じゃん」
「はぁ!? いつもじゃねえだろ!」
「そうだね、イカサマしてる時のジークは実際無敵だもんね」
リルが少し笑いながらそう言うと、イカサマしてなくても無敵だっての……とぶつくさ言いながら、ジークは寝入ったままのショウとマールを見やった。
「俺も、どうすればいいのか、全然わかんねえんだけどよ」
「うん」
「少なくとも、俺もユウゴ、あいつも……フィムが一番して欲しいことは、してやれねえと思う」
リルは、まだ目覚めたばかりだ。何があって、何故ああなったのか、殆ど把握できていない。それでも一番にフィムの許へ向かおうとした。あの子が傷ついていると、すぐに理解していた。今のフィムに必要な言葉を届けられるのは、きっとリルだけなのだ。
「ほら、おぶるぞ。痛かったらすぐに言えよ」
「あ……ありがとう」
おそるおそる乗せてもらったジークの背中は、思っていたより大きくて温かい。
やっぱり頼りになるんだよね。
それも直接言うのは恥ずかしくて、心の中で小さく呟いたのだった。
※※※
自室でほぼ軟禁状態だったフィムは、現在クリサンセマム内を決死の形相で走り回っていた。立ち直ったわけではない。本来であれば、今も涙で顔を腫らして、ふさぎ込んでいる筈だったが、突然自室に乗り込んで来たリルによってその予定は覆されてしまった。
リルの顔が見られて嬉しい気持ちと、危ないよ、どうして来てしまったの、という気持ちと、認識したくない、昏い欲求が体の中でうねり始める。それが表出してしまう前に、フィムは全力でリルを押しのけて部屋から逃走したのだった。つい先ほどまでジークに背負われていたリルは、痛みなぞ知らぬとばかりにそれを追って駆け出した。
ジークは突然の事に目を白黒させている仲間に視線をやると、大丈夫、と言わんばかりに頷き、走り去る二人を追いかけた。勿論、ここで手をこまねく理由もなく、フィムの父たる青年もそれに追随する。
横を通る度にぎょっと目を剥く人々も、距離を空けてジークたちがついているのを確認すると、怪訝そうではありながらも介入は避けた。その結果がこれだ。
リルの傷は痛くないのだろうか。いくらAGEとはいえ、まだ戦闘に耐えうるほど体ができていないのに、肉が抉られたのだ。事が起きてから数日も経っていない中、経験も知識も無いフィムでも、そこまで早く傷が治るとは思えなかった。それでもリルは振り向きすらしないフィムに「待ちなさい!」「話を聞きなさい!」と怒鳴り声を上げている。
怒鳴っているのだ。普段聞きなれない、昂った声にフィムは恐怖さえ覚えた。あの事で怒っているのではない。というのは分かっていても、リルが怒っている、という事実そのものが、何故だかどうしようもなく怖かったのだ。それも相まって、万全のフィムの動きは一層リルを引き離しにかかった。
「いたっ!」
「! リルっ!」
動きが激しくなれば、それに食いつくための負荷は当然上がる。無理を重ねたリルは、ふとした拍子に足をもつれさせ転んでしまった。小さな悲鳴を聞いたフィムは、後ろで様子を見ていたジーク達が駆け寄るよりも早くリルに飛びついた。
「だ、大丈夫!? けが、けがはないですか!?」
「……捕まえた」
「……あっ……」
失策を認識した頃には、既に腕を掴まれていた。痛みをこらえながら不敵に笑って自分を見つめるリルに、この期に及んでまで「かわいい」という感想しか浮かばなかったフィムは更に自己嫌悪した。
フィムには、もうどうする事もできなかった。華奢な手を払う事も、また押しのけて離れる事も。まして、これ以上リルを傷つけるのは、ごめんなのだ。
「私、気にしてないから」
「フィムの事……怖いとか、そんな風に思った事ないから」
リルはフィムを安心させる様に、努めてやわらかく言った。これまでの関わりで、フィムがとても優しい子である事を知っている。あなたは悪くない。そう伝えられるように、精いっぱいの思いを込めて、震える体を抱き寄せた。
「ちょっと齧られたくらいで、今更嫌いになんてなれないよ。だからほら、また一緒に遊ぼうよ。いっぱい遊んで、いっぱい食べて、色んな事をフィムとしたいよ」
「リル……だめなんです、それじゃ、だめなんです」
絞り出すような声でフィムが言った。ジーク達が、いつでも割って入れる距離に立ちながらも、その様子を見守る。
「ダメなんかじゃないよ。ちょっとくらい……」
「ちょっとじゃないんです!」
悲鳴の様な叫びだった。リルが近くに居る事が、フィムの感情をさんざんにかき回している。
「リルが思ってるより、きっともっと、フィムはリルの事が大好きなんです……」
離れれば心を傷つけてしまう。けれど離れなくても、今度は体を傷つけてしまう。今まさにあふれ出しそうな「好き」の気持ちと、直接触れ合う事で高まってくるはっきりとした欲求が、酷くせめぎ合っている。
一緒に居たい。好き。一緒になりたい。頭の中の余計な言葉がどんどん削られ、混ざりあっていく。
その瞳がリルを捉えると、リルは一瞬、すくんでしまった。
こんなフィムを、見た事がない。
捕食者の目。自分を、食べようとする目。
「あ、ああ……もう……」
限界か。
燦然と輝くフィムの赤目に暴走の色を感じ取ったジークが、すぐさま止めに入ろうとすると、フィムは自分の腕に思い切り噛みついた。
「フィム……?」
「はっ……はっ……」
息を荒げ、それでもリルを傷つけようとはしないフィム。リルは、ここに来て、自分の存在が今一番フィムを苦しめているのだという事に気が付いてしまった。
「これ以上は、我慢できないから。本当に食べちゃうから……どこかに行ってください。お願いだから……」
「ご、ごめんなさい、フィム……わたし……」
「はやく、行って!!!」
「あ……く……!」
涙を流しながらの必死の懇願に、リルも涙を抑えられなくなりながら、その場を走り去るしかなかった。
どうすればいいかなんて、この場に居る誰も分からなかった。ジークはリルの背中とうずくまるフィムを交互に見て、ついて来てくれていた頼れる仲間に「わりい」と一言伝え、リルを追った。
残された青年はフィムに歩み寄る。とはいえ、何ができるわけでもない。寄り添うだけでは、何も変わらない時もある。
「なんでこうなっちゃうの!なんで!」
フィムは、荒れ狂う感情のままに泣き喚いた。ままならない状況が。制御できない自分の心の弱さが。全てが嫌になっていた。
もう、何も考えたくない。ここで泣いているだけで全てが解決すれば、どれだけ良かっただろう。
そこにいても、どうにもならない事を、フィムはよく知っている。いつだって、人間は自分の力で道を切り開いてきた事を、フィムは何よりもわかっている。
「こんな事になるんだったら、こんな気持ち要らなかった……」
顔を上げて、前を向かないと。頭の中で思い描く言葉とは裏腹に、弱音ばかりが口をつく。
「知りたく……なかったよぉ……!」
その言葉は、フィムを正しく最初から見続けて来た彼に少なくない衝撃をもたらした。フィムは、変化を喜べる子だ。新しい事を知って、影響を受けて、その全てを嬉しいと全力で表現してくれる子だ。
それが、得た筈の感情を後悔している。人を好きになる事が、不幸な事だと感じている。
愛だ何だと語れるような経験は、自分には無い。
けれど、それはとても悲しい事だと思う。
絶望する少女をただ見ている事しかできなかった青年の握った拳からは、血が滲んでいた。
何がクリサンセマムの鬼神だ。持て囃された所で、今大切な娘を守ってやれないで、どうするのだ。
ごうごうと音を立てて駆動する艦内に、少女のすすり泣く声が消えていった。
※※※
リルは、自室に入ると、そのままベッドにへたり込んで動かなくなった。
「リル……」
追いかけたものの、かける言葉が見つからなかったジークがせめて傷の治療だけでもしようと近寄ると、リルは「あっち行って!」とそこら中の物を投げつけ始めた。たまらず部屋から出ると、すすり泣く声だけが小さく部屋の中から響き始める。
「なんかまたややこしい事になってんなぁ」
「あ、ユウゴ……」
そこに、任務終わりのユウゴが合流した。どうにも心配したクルーが呼んでくれたらしい。
「悪い。俺、何にもできなかった。今も……」
「お前は悪くねえって」
ユウゴは苦笑しながらジークの肩を叩くと、「というか、誰も悪くねえよなあ」とぼやいた。
「リルは……たぶん、フィムに拒絶された事より、自分自身に対して嫌気が差してんだ。傷もまだ痛いだろうから……ユウゴ、これ、そっちからも言ってやってくれねえか」
「おう。やってみる」
痛み止めや包帯を渡しつつ、ジークはその場を離れた。今のリルと話をするのに、これ以上の適任は居ないから。
※※※
リルは、とにかく落ち込んでいた。気にならなくなっていた筈の傷が、じくじくと痛み始めている。
もっと痛くなれ。こんな自分なんか、痛みにまかれてそのまま死んでしまえばいい。
自己嫌悪が止まらない。ジークの手を振り払った事だって、なんてひどいやつなんだと、自分で思った。きっと、皆愛想をつかす事だろう。こんな自分に、救われる価値なんてないのだ。いっそこのまま、一人のままで消えてなくなってしまえばいい。
「リル、ちょっといいか」
リルが返事をする前に、声の主は「入るぞー」と軽く声かけして部屋に入ってきた。昔から、いつも一番頼りにしていた存在がそこに居た。
「ユウゴ……」
「大変だったな。隣、いいか?」
「……うん」
ユウゴはベッドサイドでふさぎ込むリルの横に座ると、「腕、痛むか?」と声をかけた。
「……うん」
「包帯、替えるか?」
「……うん」
返事は弱かったが、拒否は無かった。ユウゴはてきぱき傷の処置を済ませると、ジークも心配してたぞ、と一声かけた。
「ジークに、悪い事しちゃった」
フィムは、私の事好きって言ってくれたんだ、と、リルはぽつぽつ話し始めた。
「私、嬉しいって思った。恥ずかしくって言えなかったけど、本当に、嬉しかったんだよ」
リルの表情がやわらかくなる。自分に向けられる笑顔を思い出してか、直線的な好意への照れくささか。
「我慢できないって言ったフィムの目、怖かった。本当に食べられるって、思った」
あの時、自分に噛みつきそうになって、寸前で止めたフィムの姿を思い出す。苦しそうな目。物欲しそうな目。動き出すのを必死で抑えて、震える体。あの時、確かにリルは恐怖を覚え、硬直した。気にしてないと言った。実際気にしていなかった。それでも、あの瞬間、実感したのだ。フィムが、紛れもなく「アラガミ」なのだという事を。殺されると、死が目の前に迫っているのだと。それが、何よりも情けなかった。自分がフィムの近くに居る資格などないと、そう言われている様だった。
「気にしてないって、言ったのに。フィム、泣いてたっ……何も悪くないのに!」
もう出し尽くしたと思った涙が、再び零れた。一度出てしまえば、堰を切った様に弱音が出て来た。
どうして自分はあそこで怖がってしまったのか。どうして好きなのに会えないのか。
どうして、フィムがあんな目に遭わなきゃいけないのか。途中からは、もはやリル自身何を言っているのもよく分からない。ただ「どうして」という気持ちをひたすらぶつけていた。
ユウゴは相槌を打ちながら、時々リルの鼻水や涙を拭っていた。
「よく頑張ったな」
やがて話が終わるまで、黙って聞き続けたユウゴの第一声はねぎらいだった。
「お前も、フィムも、子供だってのに、よくできてるよ、本当に」
「何も考えられない様な子供なら、ここまで生きて来られなかった」
「ああ……そうだな」
「ユウゴは、もし自分が食べられそうって思った時、怖い?」
「そりゃ怖いさ。俺たちはいつだって恐れてる。ミスした時、死にそうな時、恐怖で体が動かない事だってある。アラガミですらそうさ」
「そう、なんだ」
おう、あいつら逃げ足も速いからな、大変なんだとユウゴは苦笑した。いまだ戦場に出ていないリルにはそのイメージははっきりとは持てなかったが、何となくそんなものなのだろう、と理解した。
「それで良いんだよ。生き物ってのはみんなそうなんだ。まあ、俺たちは怖くても戦わなくちゃならならんが」
とにかく、大人でも怖いんだよ。俺たちが生きてる限り、それは仕方のない事なんだ。ゆるりとリルの頭を撫でるユウゴは、話しかけながらも、どこか遠くを見つめている様だった。
リルは、ユウゴが誰よりも死に近い状況を経験してきた事を知っている。常に一番前で、自分達を生かすために最善を尽くしてきた。そこにどれだけの綱渡りがあったかなんて、想像するのも恐ろしくなってしまう。
「怖いのは当然。問題は、どうやってそれと付き合うかだなあ」
「付き合う……」
「おう。そりゃ、今すぐに答えの出る事じゃあないがな。大切で、失くしたくないもの。あるんだろ?」
「……うん」
抽象的な言葉だ。リルには、今何をどうすればいいのかが分からない。
フィムには、会いたい。
けれど、近づけば、フィムは苦しい思いをする。
苦しみの根本は、きっとどうしようもない物で。それを否定することはフィムという存在の否定につながる気すらした。
「まずは、落ち着いて話をする事だな。その感じだと、お互いの気持ち、伝えきれてないんだろ」
「……うん。フィムは……たぶん、私の事……誤解してる。私だって、ちゃんとフィムの事が好きだって。言ってあげられてない……」
ユウゴがそうだな、と返すと、少しの沈黙が場を支配した。
「でも、フィムとはもう話せない。近くに居れないもん」
結局、この前提が覆らない限り、状況の解決は見込めないのだ。ユウゴは少しの間考え込むと、思いを伝えるだけなら、できなくはないかもな、と神妙に話した。
「そんなの、どうやって……」
「むしろ、俺たちしにか取れない方法。あるんじゃないか? リル、お前だってAGEなんだからよ」
そう言われ、1つ、心当たりが頭の中を過ぎった。しかし、それはちゃんとした神機使いが使う物だ。中途半端なリルが使える保証は、何もない。
「私に、できるのかな……」
「できるさ。なんたって、お前らはペニーウォートで戦い抜いた、俺の自慢の仲間なんだからな」
そう言うと、ユウゴは立ち上がり、「まだ報告書とか上げてねえから、一旦戻るぞ」とリルに背を向ける。
「見守りは必要か?」
「……ううん、大丈夫。ありがとう、ユウゴ」
「ちゃんとジークにもお礼言っとけよ」
「うん。ユウゴ呼んでくれてありがとうって言うね!」
「ジークに呼ばれた訳でもねえしそれはそれで傷つきそうだからやめてやれ」
※※※
ユウゴを見送ったリルは、再びフィムを探して彷徨い始めた。さっきの様に焦燥に駆られてではない。ゆっくりとした足取りで、一つ一つ心当たりを潰していく。とはいえ、状況が状況だ。場所に関しては殆ど絞られていた。
リルが足を止めた先には、フィムの私室と、その扉の横に立つ仲間──ユウゴが一番の相棒と言って譲らない──の姿があった。
「フィムの事、見ててくれてありがとう」
そう声をかけると、これくらいしかできる事がない、と沈んだ声が返って来た。とんでもない、とリルは笑い返した。それは、彼にしかできない事だった。今のリルでは傷ついたフィムの傍に居てやる事ができない。でもそれがなければ、きっとフィムは壊れてしまっていただろうという確信があった。
「試したい事があるの。いい?」
少しの間思案した後、リルの目を見て何を感じたのか、ゆるりと頷いた青年は、扉から数歩離れた。
「フィム……フィム。ちょっとだけ、いい?」
数回のノックのあと、そう声かけした。返事は無い。クリサンセマムの私室に繋がる扉はそこそこ厚く、多少囁きかけたところで音が届く事はない。そんな事は分かっていた。ただ、そこに私が居る事が伝わって欲しい。
「私、待ってるから。フィムなら来てくれるって、信じてるから」
きっとうまくいく。ユウゴができると言ってくれた。ユウゴの相棒だって、今も見守ってくれている。
扉に背をつけて目を閉じると、運航を止めているのか、艦内は驚くほど静かだった。
ここからは耐久戦だ。終わるかどうかも分からない、進むかどうかも分からない。それでも、そこに可能性があるのなら。
ペニーウォートの神機使いは、いつだってそこに飛び込んでいったのだ。
※※※
父に抱えられてまた自室に戻って来たフィムには、何もする気力が起きなかった。
これからどうなるのか。何をすればいいのか。何も考えられない。
フィムという存在の8割は、もはやその活動を停止していると言っても過言ではなかった。
呆けた顔で椅子に座りながら、父の心配そうな視線を思い出す。見た事がないくらい、不安そうだった。
フィムに、そんな目を向けられるような価値はあるのだろうか。受け取って来た感情を、好きと思ったものさえも、全て台無しにしようとしている様なアラガミに。
消えたい。
今はそれしか考えられなかった。石の様に動きを止めて、既にどれくらいの時間が経過したのか。フィムの部屋にはもちろん時計もあったが、見る事すら億劫だった。
そんな時、フィムのアラガミとしての鋭敏な感覚器官が、扉の前にたたずむ何かを感知した。
「リル……?」
見えていなくても分かってしまうのは、獲物と認識しているからなのか。フィムはこんな時まで食欲が前に出るのか、と自嘲し一層ふさぎ込んだ。
感じるな。探すな。見るな。
フィムは全力で逃避した。リルに向き合う事で、捕食本能が増大するのが怖くて仕方がなかった。
ここでじっとしていれば、去ってくれる。そう考えて、ひたすらに心を閉ざした。
しかし、待てども待てども扉の前の気配が去る事はなかった。
どく、どく、と、フィムの鼓動が早まっていく。
感じるな。リルなんていない。何も考えるな。
じっと待った。気配は動かない。
扉の前で、背中をつけてる。感じるな。
待ち続けた。気配は動かない。
何をしているんだろう。何故ここに来たんだろう。感じるな。
気配は動かない。
「……たい」
それは、自然と口から零れ落ちた。
「会いたい、リルに会いたい……お話、したいよぉ……っ!」
行くな、と全力で警鐘を鳴らす心と、行きたい、と願う心が、再びせめぎ合う。気が付くと、フィムは涙を流し、這いつくばりながらゆっくりと、縋るように扉に向かっていた。
この扉の先だ。これを開けてしまえば、リルに会える。そしたら、きっと自分はまた捕食本能に負けて、リルを襲ってしまう。それは、いけない事で。
いけない事なのに。
そんな事は分かり切っているのに。
「何で、なん、で……」
フィムは震える手を扉に伸ばした。
その瞬間、あたたかな光がフィムに流れ込んだ。
※※※
「できた……」
「え……これ、何……リル!?」
フィムは気が付くと、何もない空間に居た。本当に何もない。地平線の先まで広がる白い光景に圧倒されながらも、フィムの前には、焦がれてやまない人がいた。
「さっきぶり、フィム」
「リル……いけません、近づいちゃ……」
「本当に?」
リルが聞き返すと、フィムは先ほどまでと全く自身の体が違う感覚を覚えているのに気が付いた。
「あれ……? 何か、変じゃ、ない……」
「やっぱり。こういう近づき方なら大丈夫なんだ」
リルは安心してほっと息をついた。
リルを前にしても、あの自分ですら恐ろしくなるような、制御のきかない衝動に襲われていないのだ。
「あの、これ……エンゲージ、ですよね……」
「うん。たぶん、そう。こんな感じなんだね、エンゲージって」
「うぅん……こんな感じ、ではあるんだけど……これは、初めてです……」
「そうなんだ」
神機使い同士で行われる感応現象を基として発展した新技術。エンゲージと名付けられたそれは、前線の神機使い達にとってはとても重要な能力である。しかし、殆ど飾りでしかない腕輪しか持たないリルにその能力が使えるかどうかは、大きな賭けだった。しかし、相手はフィムだ。腕輪を持たないながら、通常の神機使いよりも強い感応能力を持った彼女となら。もしかしたら何とかなるんじゃないだろうか。
リルの考えはそのくらいの物だったが、二人の会いたいという強い気持ちと、扉を隔てながらも近づいた距離が、実際にその効果を発現させた。それどころか、意識のみを触れ合わせ、交信するという結果まで生み出した。現実には数秒も経過していないが、二人は確かに今、通じあっている。
二人は今何が起きているのか、理解しきれた訳ではない。しかし、まずは行うべき事があった。
「リル」
「うん、フィム」
「リル、リル」
「うん」
「リル!」
「うん!」
がばりと。フィムは思い切りリルに抱き着いた。我慢した分、何度も何度も頬ずりして、ぎゅーっと、強く抱きしめた。リルも負けじとばかりに、思い切り抱き返す。
「フィム、こうしててもいいんですね。リルを感じても、いいんですね」
「うん。いいよ。私もフィムが……その、大好きだから」
そう言うと、フィムは、また勢いよくリルの胸にうずめた顔を離した。あの時は言えなかったけど、と、ぽかんと口をあけたフィムにそう続ける。
「本当ですか!」
「うん。一緒に居たい、色んな事をしたいって言った。本当にそうなの。ずっと一緒に居たい。何でも一緒にしたい。もう、離れたくない」
それを聞いたフィムは、また涙を浮かべながら「私もです!」と返した。あの時の涙とは違う、花開くような優しい涙。
「フィムは……フィムは本当に怖かったんです。この食べたいっていう気持ちがもし無くなったら。リルの事を何とも思わなくなるんじゃないかって。食べたいだけで、それしかないんじゃないかって」
「でも、そうじゃなかった。私はわかってたよ。フィムの気持ち、伝わってたよ」
「よかった……本当によかったぁ!」
涙声を大きくしながら、それでもしっかりフィムは自分の言葉で、気持ちを伝えた。リルも、自分の想いを精いっぱい伝えた。
「好き。好きだよ、フィム」
「はあ……やっぱりリルは、いい匂いがします」
「好きだけど匂いはちょっと恥ずかしいから正直やめて欲しい」
匂いに関しても捕食本能が関係ない事が分かったが、それはそれで問題では?リルは訝しんだ。
※※※
クリサンセマムの会議室で、イルダ・エンリケスは頭を抱えていた。
「えっと……つまり、エンゲージが発動したら、リルに対するフィムの捕食本能は抑えられるのね」
そういう事になる、と、鬼神と呼ばれる青年は苦笑しながら答えた。
エンゲージが発動している間は、どうも偏食因子の方が、お互いをお互いと誤認、ないし混ざり合っている様な状態になるらしい。粗食で知られるアラガミも、流石に自分を食べようとは思わないという寸法だ。
「エンゲージって、そういう物なの……?」
具体的な機序に関しては、今後も研究の必要がありそうだ。何せ感応現象自体が未だ謎の多い現象であるからに。
「まあ、それはいいとして」
いや、よくないんだけどね、と前置きしつつ、イルダは続ける。
「そのエンゲージ、そんな長持ちするの……?」
どうも、フィムとリルが一緒に居る時は発動しっぱなしで、止まる気配も無い。
鬼神の返答には流石のイルダも頭痛を感じ始めていた。
「いや……まあ、二人の問題が一応解決……した事は素直に喜びましょう。けれど、フィムが抱えている根本的な問題はまだ残っている」
それを考えるのがこちらの役目だ、と真顔で返した青年は、まあ、まだミナトに戻るまで時間もあるし、ひとまずは二人が勝ったという事でいいでしょうと続ける。
「まあ、そうね。なんというか、足元をすくわれた様な気分でもあるけど……何が決め手だったのかしら」
はあ、とため息をついたイルダに、簡潔な報告を終えた青年は「何、愛ですよ、愛」と笑いかけ、退室した。
その様子を見送ったイルダは、机にしまっていた胃薬を取り出し、ざらざらと一気に飲み干すのだった。
※※※
「リル!」
「おはよう、フィム」
早朝。マールやショウが起き出すより早く部屋を出たリルは、扉のすぐ前で待っていたフィムとあいさつを交わすなり抱きしめ合った。すると、二人の間にやわらかい光が生まれる。
二人が溶け合う。胸の奥から、あたたかい感じがする。
数分間。そのままの姿勢で抱き合っていた二人は、どちらともなく名残惜しそうに体を離す。もちろん、手はつないだままだ。
あの時エンゲージを発動してから、二人の繋がりは、とても強くなった。たとえ離れたとしても、お互いがお互いを感じられるくらいに。日が落ちて眠りにつく頃にはその繋がりも途切れているが、こうして朝に一緒にいる事で、また一日はパスが繋がる。
それはたとえフィムが任務に出ていたとしても続いた。どれだけ距離が離れても、二人の繋がりは途切れなかったのだ。
フィムはより一層リルにひっつくようになったし、リルはリルでそれを恥ずかしがる事もなく、むしろ自分からも距離を詰めるようになった。
この関係がいつまで続くのか。二人はどこまで生きられるのか、どんな風にこれから成長するのか。問題は山積みのまま。フィムの未来も、リルの未来も、分からない事だらけだ。
けれど、乗り越えられる。フィムにはリルが居るし、リルにはフィムが居る。それに、皆が一緒になって考えてくれる。
今の二人に怖いものは無かった。
「今日のご飯、何かなあ」
「リルの好きなカレーがあるといいですね!」
「朝からカレーはちょっと……」
二人は繋いだ手を振りながら廊下を歩く。職員にあいさつすると、今日も仲がいいねと微笑まれた。
「私達、ずっと一緒なので!」
弾ける様な笑顔でそう返したフィムとリルだった。