メリクリ!(ヤケクソ)

1 / 1
 アンデルセン先生に敬意と感謝を。
(注)この作品はファンタジーです。


火は燃える

 

 ある夜のこと。

 凍えそうなほど冷たい風が吹く冬の夜、路地を行き交う人々は暖かな家を思いながら、寒さに首をすくめ帰路を急いでいた。確かに寒風のせいか表情は顰め面ではあるが、しかし誰も彼も浮き足立った様子で、どこか穏やかな雰囲気を纏っていた。きっと理由はみんな一緒だろう。道沿いの家屋から溢れる柔らかな光と朗らかな声は中を見るまでもなく聖夜を祝う幸福な住人達を脳裏に描かせ、行く人の歩みをもう一段速める。

 

 仕事終わりの人々に溢れ、そわそわとした浮ついた活気の満ちる人波。そんな中、流れに取り残される小石のように道の端っこで座り込む一人の少女。そう、私です。

 

 私は浮かれた人々を横目に何をするでもなく、ただ虚空を茫洋と眺めていた。けれど私は小石。あるとは分かっていても誰も気に留めないありふれた路傍の石。道行く人はチラリと視線を投げつけてはすぐに戻す。ほら、やっぱり。

 星が瞬く空は厚い雲に隠されて見えず、視界には雲を縫い止めるかのように曇天を突き刺す赤黒い煙突だけが(そび)えていた。燻んだ先端から溢れ天へと昇る煙が雲に溶ける様を眺めていると、ひときわ冷たい風がぴゅうと吹き、思わず身震いする。

 ふと、右手の籠に意識が向いた。ごちゃごちゃとマッチ箱の入った大切な生命線(売り物)だった。数日前に憐れんだ牧師様が一つ買っていかれたけれど、それ以来は露ほども売れないただの荷物。

 マッチはいりませんか。誰に聞いても何度尋ねても止まった足は無かった。特に今日なんてひどいもので、帰りを急ぐ人に邪魔だと張り倒された。きっとそれが最後の糸を切ってしまったのだろう。お尻から伝わる地面の冷たさは身体の芯にまで浸潤していたけれど、もう立つほどの力が湧かなかった。

 最後に食べ物を口にしたのはいつだったか。思い出すことも出来ないけれど、どうであれ空腹を水で誤魔化すのはもう限界だった。

 体力と一緒に売る気力も無くなってしまった私にとって、しかしマッチは違う光明に思えた。命の糧を稼ぐための道具ではなく、命そのものを紡ぐための文字通りの灯火(ともしび)

 気が付けばマッチの赤い薬頭から目が離せなかった。悴む指先で一本のマッチを摘み、側薬へ震える赤をぶつける。かしゅ、かしゅ、と何度か失敗しながら、ついにその先端へ火が灯る──

 

「え……」

 

 ──かくして奇跡は齎された。

 凍てた空気に晒されていた私は、いつのまにか暖かな居間にいた。雨風を遮る屋根と壁。立派なテーブルの上では七面鳥やケーキが聖夜を彩り、暖炉には薪がぱちぱちと爆ぜている。壁には綺麗な装飾が色とりどりに散りばめられ、煌びやかに飾り付けられたツリーの頂上には星のモジュールが一等星のごとく輝いていた。

 幸福な空間。それは窓の外から眺めていた、私の理想を体現した光景。

 あの暖炉は春の温度を宿しているのだろう。あの七面鳥はどんなパンよりも柔らかいのだろう。あのケーキはどんな果実より甘いのだろう。

 光に集まる蛾のように、魅了された脳に従いふらふらと手を伸ばす──

 

「あ……」

 

 ──ふつ、と幻が途切れた。

 ツリーも、飾りも暖炉も、ケーキもターキーも壁も屋根も全てが消え失せた。世界は寒夜へと回帰し、人の喧騒と曇天に世界は塗り潰された。伸ばされた腕はただ宙を彷徨い、パタンと落とすほか無かった。

 鼻を突く刺激臭に、茫然としながら異臭の元へ視線だけを向ければ、黒焦げたマッチから薬品の匂いを漂わせる細い煙。幻想は幻と共に消えたのだろうと直感が教えてくれた。

 目にはあの幻影が鮮明に焼き付いていた。一度(ひとたび)呼び起こされた憧憬と渇愛は奇跡の()()に合わせて色褪せるどころか、胸の中で轟々と燃え続けていた。

 まだ残るマッチを擦れば、あの幻の続きを見れるだろうか。薬品の焦げた匂いに鼻腔を焼かれながら熱に浮かされたように一本のマッチを手に取り、再び火を灯す。

 

 ──その直前で、冷静なもう一人の私が待ったをかけた。

 不自然に止まった格好のまま、じっとマッチの先端を見つめる。

 先程の幻は一体なんだったのか。最有力候補はあまりの寒さに異常をきたした私の幻覚。きっと、お腹が減った時にその辺りに転がる石が真っ赤な林檎に見えるのと似たようなもの。十中八九おかしくなった私に原因がある。

 しかし、と学のない私は考えてしまう。難しい理屈の分からない無知蒙昧な愚か者だからこそ十の一、万が一を考えてしまう。

 見えた幻は私の異常ではなく──むしろ奇跡が宿ったマッチによるものではないか、と。

 根拠もないただの憶測は、しかし私の中でもくもくと肥大化する。マッチに奇跡が宿ったとして、奇跡が宿るのは先程の一本だけだったのか。しかし試しにもう一本燃やしてそれが最後だったら勿体ない。それと、幻がマッチの火と一緒に消えたのはなぜ? 重要なのはマッチではなくマッチに起こされた火だったのではないか。ならば他のものに火を移したらどうなるのだろう。マッチから葉へ、葉から枝へ火を焼べて、更に焚き火のように火を継ぎ続ければ永遠に夢を見れるのだろうか──

 疑問が、好奇心が止まらない。内なる衝動に居ても立っても居られず、冷え切った身体に鞭を打って駆け出した。あれだけ虚脱していた身体が嘘みたいに動く。胡乱げに白眼視する周りの人もバクバクとうるさい心臓も知ったこっちゃなかった。冷えた身体なんてすぐにカッと熱を帯び脚は回転数を上げ、そしてまた熱が上がって回転数も上がる。発熱と加速の循環を繰り返しながら、目的地へ脇目も振らず風を裂く。人の代わりに落ち葉と廃材がたっぷりある、あの場所へ。

 悲鳴を上げる脚も、くぅくぅと抗議の声を上げるお腹も気にならなかった。じっと動かない重鈍な曇天も、今は星空より輝いて見えた。

 

 

 

 

 結論から言えば、私の試みは予想を超えた成功を収めた。

 まず、他のマッチもあの幻を生んだ。私の望むがままを映し出す奇跡は──確かめた限りだけど──あの籠のマッチ全てに顕現していた。

 マッチが見せる幻影は私の()()()が由来ではなく、マッチに宿る神秘が齎した祝福そのものであった。一度火を灯せば幸福な夢を見せ、火の絶えるその時まで世界を暖かな夢幻に塗り替える。

 そう、()()()()()()()

 マッチから落葉へ、落葉から乾いた蔦へ、蔦から廃材へ、火と共に幻想は引き継がれて燃え続ける。

 そして、分かったことがもう一つ。

 

「ねね、エフ、これでお金稼げないかな!?」

 

 この奇跡の恩恵に(あずか)れるのは決して私だけではない、ということだ。

 

 

 

 お金を稼ごうと持ち掛けたのは燻んだ黒の髪を揺らす少女。私は彼女をナインと呼び、彼女は私をエフと呼ぶ。呼び名の由来なんて単純で、彼女は九番(ナイン)通り、私はF(エフ)区画を(ねぐら)にしているというだけのこと。

 この子がなぜ奇跡を知っているかというのもまた簡単な話。あの幻は他の人にも見えるのかと疑問に思い、一緒に試してみたから。

 ナインがマッチを()ればナインは幻を見る。私が灯した火に薪を継いでもナインは幻を見る。そして逆もまた然り。更に継いだ薪が燃え尽きたり、夢から覚めたいと願ったりすれば私だけが正気に戻ったりもする。

 しかし不思議なことに──そも奇跡に不思議も何もあるものではないけれど──同じ火を前にしても見る物は異なるらしい。私が暖かな家を夢見ていても、ナインは沢山のお金を稼ぐ自分を夢見ているように。

 

 そしてこの事を発見したところで、ナインの目が輝いた。お金になるのでは、と。

 

 そこからナインの行動は早かった。

 暗い路地裏に廃材や枯れ枝を集めて焚き火を作り、「あなたの望む夢を見せます」と胡散臭い噂をコソコソ流す。

 私も生きるためのお金が欲しかったし、幸せな人が増えるならそれも良いかな、と思っていたからナインを手伝っていた。

 来た人に銀貨一枚を対価に枝を、火を渡すだけの生業(なりわい)

 そこそこの頻度で人が来るせいか火が絶える事はなく、しかし段々と燃料が無くなり始めたので、噂に「枝を持って来る」ことがつけ加わった。

 

 

 

 

 お腹いっぱい食べたいという子供が、必死に貯めた銀貨片手に来た。

 美味しいものでお腹いっぱいになれたと幸せそうに笑った。

 数日後に窃盗で捕まったと聞いた。

 

 遠い地に住む家族に会いたいと願う軍人が来た。

 また祖国を守る元気が出た、ありがとうと彼は豪快に笑った。

 数日後に戦争で死んだと風の噂で聞いた。

 

 亡くした妻ともう一度会いたいと願う老紳士が来た。

 良い夢を見ることが出来たと、泣きながらお礼を言われた。

 その夜に老紳士は自殺したらしい。

 

 優しい頃の夫を見たいと願う奥さんが来た。

 あの人への愛を思い出せたと喜んでいた。

 数日後に夫婦の家で火災が起きた。人は心中だと言っていた。

 

 

 

 

 そして、奇跡の炎の話は静かに広がっていく。

 

 炎を奪わんとする盗賊が来た。

 強引に押し入り炎を継いだ瞬間幻に飲まれ、炎へとふらふらと寄せられて燃え死んだ。

 

 炎を消さんとする聖職者様が来た。

 人を惑わす邪悪だと消そうとしたところで、炎の見せる奇跡に魅入られた人に殺された。

 

 炎を解明せんとする学者様が来た。

 炎を継いだ瞬間、()()()()()()()を見て、そのまま炎へ飲み込まれた。

 

 

 

 

 この辺りになると、私は段々と気味悪さを覚え始めていた。

 炎に理想を見出した者は、段々と神格化を始めた。それは決して美しいものではなくて、むしろ狂信とすら思える。

 幸福とは麻薬だ。あまりにも強い光は脳を焼き、一度味わってしまえば戻れない。そして理性の枷を、自制の楔を緩めて人を堕とす。

 炎自体も気味が悪かった。

 幻に囚われた者は暫くすると、何もしなければふらふらと炎へ自ら入っていく。きっとそれは理想へと向かっただけなのだろうけど、私にはそれが、炎が燃え続けるための燃料を求め、人を呼んでいるように思えてならなかった。

 私は稼いだお金で身なりを整え、他の仕事を見つけていた。あの炎に関わり続ける事に対する忌避感が、警鐘のようにこびりついて離れなかったのだ。ナインにも「もうやめよう」と声を掛けたけど、彼女は「大丈夫だ」と、からから幸せそうに笑って聞く耳も持たなかった。

 だから私は一人、炎から離れた。

 

 

 

 

 数年後。

 あの焔は公然の事実として語られていた。あの焔は神から使わされた神秘として、祀り、継ぎ続けるためだけの堂が作られ、雨風から守られながら煌々と燃え続けていた。

 人に安らぎを、幸せを齎す福音として(あが)められている焔は、しかし私にとっては未だ恐怖であった。あの焔に魅入られ自ら薪と化した人々の姿は今も網膜に焼き付いて、毎夜私を魘し続けている。私だけが焔に(たた)られている気分だ。

 でも、どれだけ民衆に崇拝されていようとも、あの焔は良くない物だという直感は拭い去ることが出来なかった。

 

 そして、その直感は間違っていなかった。

 

 きっかけは冬の一夜、焔が外へ持ち出された事だった。一人の女性が理想に溺れ、我が物とせんと聖堂から外へ強奪する事に成功し──その道中で、あの禍焔(かえん)に焼かれた。

 

 ──かくして地獄は齎された。

 焔は人から家屋に燃え移った。焔は住人が薪を継いだと判断して理想を押し付けた。幻影に導かれ住人は焔に喰われた。

 乾いた風に運ばれて焔は更に燃え広がる。

 少しでも燃える物──住居、消すのに被せた布、果てには出したゴミ──を焼べた者は瞬く間に神秘を押し付けられて廃人と化した。そして最期は薪となることでその命を終える。

 

 街が燃えていた。

 人が燃えていた。

 違う。焔が街を、人を喰らっていた。

 風に乗ってその腕を伸ばし、老若男女貴賤を問わずその全てを喰らい尽くして行く。

 

 私はその街を駆けた。寝ている間に燃え広がった焔から逃げるように、一心不乱に逃げていた。

 軋む。

 正気を失い幽鬼の如くふらふらと歩く人の様は、焔を求め彷徨う人間の根源的な、始原を思わせる姿だった。

 苦しい。

 人が夢遊し、焔へ自ら飛び込む地獄。その根源たる最初の火は、あの日の私に暖かな幻想を見せた小さな灯火。

 割れる。

 マッチ一本を擦るためだけに駆けた路地は炭化した人で埋め尽くされ、あの日の曇天は不気味な橙赤色に塗りつぶされていた。

 砕ける。

 ナインと一緒に目を輝かせ、人の幸せを願った路地裏には逃げ遅れた一匹の黒猫が静かに座って、こちらを見つめていた。

 

 走り続けた脚はいつのまにか止まっていて、私は焔に囲まれながら座り込んでいた。

 ここはもう街の外に近い。我慢すればこれぐらいの焔はすぐに越えられるし、そうすれば街外れの川に出るのは容易いだろう。

 けれどもう、立つほどの力が湧かなかった。あの日と違って身体の芯まで焼けるように熱かったけれど、それは心を立たせる熱になりえなかった。

 目を閉じる。そこに安寧の闇はなく、瞼を貫く焔の緋色が存在していた。

 私は間違っていたのだろうか。

 凍えて体力と気力すら湧かないまま、あの一歩たりとも動けない身体を抱えて、マッチの仄かな灯りを見ながら静かに眠るべきだったのだろうか。

 生きるために奇跡を売るという冒涜を、他人の幸福を願い正当化すべきではなかったのだろうか。

 私だけが逃げたあの日、幸せに笑うナインを引きずってでも焔から引き剥がすべきだったろうか。

 ああ、そういえば。

 ナインはちゃんと焔から逃げられただろうか。

 

 

 

 

 気が付くと私は、冷たい路地の隅で座り込んでいた。

 お尻から伝わる冬の地面の冷たさ。赤黒い煙突に縫いとめられた曇天。小さな手には今にも擦らんとしているマッチ。

 そうだ。火をつけるだけで幸せな夢を見せるこのマッチの不思議を、私は調べようとしたんだ。こんな奇跡みたいなこと、きっと誰も知らない。湧き出る疑問も好奇心も全部ぶつけて、この神秘を解き明かしたい。

 その気持ちを燃料にぐっと身体を持ち上げる。身体は冷えてお腹も空いているはずなのに不思議と身体は活力に溢れていて、今ならどこへだって行ける気がした。

 でも、目的地はとっくに決まっている。落ち葉と廃材の沢山転がる秘密の路地裏。ナインも誘って二人で実験するのも楽しいかもしれないと胸が躍り、小さな火が胸に灯った。

 居ても立っても居られず駆け出した。走り出した脚は羽根のように軽い。周りの人は何事かと驚きながら私を見送り、心臓は強く拍動して私の身体を後押しする。身体は熱を帯び脚は回転数を上げながら、風を、空気を、世界を割いていった。

 夜だというのに世界は明るく見えた。落陽に染められたかのような橙赤色の世界はなんだかとっても眩しくて、思わず目を細めてしまう。走って来たせいか身体は心地よい暖かさに包まれていて、疲労のせいか力が抜けて眠たくもなって来た。

 いつのまにか目的地の路地裏には辿り着いていた。呼んだ覚えもないのに、そこには黒髪の少女が待っていた。

 

「遅かったね」

 

 彼女はいつものようにからからと笑っていた。なんとなくその姿に安堵して私も声を掛けようとしたけれど、もう身体に力が入らなかった。糸が切れたようにパタリと倒れそうになったところでナインに支えられる。

 割れ物のようにゆっくりと身体を横たえられる。もう目を開ける気力も残っていなかった。頬を優しく撫でる手は少し硬くて思っていたより大きいけれど、これはナインの手だった。たとえ見えなくとも、確信に近い直感で分かっていた。

 ああ、もう考えることも疲れた。この身を包む暖かさと柔らかな光に包まれて、私の名前(エフ)を知るナインと一緒に眠るのはきっと悪くない。

 手足の感覚も五感も段々と離れて行く。安らかな微睡みに落ちて行くのがなんとなく分かった。

 

 おやすみ。

 

 声には出ない。でも、きっと伝わった。

 

「お疲れ様、エフ」




 三日前に心折杯の存在知って普通にクリスマスに間に合わなかった作品がこちらです。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。