六月も半ばになる頃、隣の部屋に久國さんが帰ってきていた。いつもどうしていなくなるのか、今井さんはなんにも教えてくれないけれど、その前日のこと、僕は帰ってくるんだと嬉しそうに話していた彼女にふと問いかけてみた。
「どうして、今井さんはいっつも待つんですか?」
「そりゃ、アタシが付きまとうのは翔の迷惑になるからね」
「……意味がわかりません」
僕がましろとずっと一緒にいて不都合なのは欲の処理くらいだ。それ以外だったらずっと、目の届くところにいてほしいとすら思う。それは所有欲なのかもしれないけれど、僕にとってのましろを愛してるっていうのは、そういう意味でもあるから。
「海斗は……んー、知ったら絶対に拒否すると思う」
「そうなんですか?」
「うん、だから教えたくない。翔のこと、悪く言われるとアタシは……どこまでも最悪になれるから」
その表情は、爪を明かりに透かしているその顔に宿っている感情は、僕が見たことのあるなによりも熱を持っていて、冗談なんかではないことが伺えた。理解するけど拒否する。つまり僕が久國さんのことを最低だと思わず罵ってしまうようなことが、根底にあるってことはわかった。
「海斗から見て、翔はどういうやつ?」
「完璧、でしょうか。笑みも立ち振る舞いも雰囲気もなにもかも、相手を不快にさせる要素がなに一つ見当たらない。嫌いになる要素が何一つ見当たらない人物です」
「んふふ~、ベタ褒めだね~」
「嬉しそうですね」
「そりゃ、大好きなカレシを褒めちぎられて、嬉しくならないカノジョはいないって」
女の子だったら妬くケドと付け加えた今井さんは、本当に嬉しそうだった。嬉しそうに
「なんで?」
「セックスの時はいっぱいするじゃん」
「それと今は関係あります?」
そもそも、もう一つ問いたいのはなんでカレシを褒められた喜びで僕にキスしようとしてくるのかってことなんですけどね。
そういえばましろも、最近は妙にキスをしたがる。キスをしたいってどういう心理なんですか? と問いかけてみた。
「逆に、海斗はどういう時?」
「僕は……どうなんだろう」
「ほら、アタシにしてみな?」
人差し指で触って誘う彼女の唇に自分の唇を重ねる。すると、いややはりと言うべきだろうか、触れ合うだけでは収まるワケもなく、あっという間に舌が入ってきて、リサの吐息が熱を帯びていく。
「……っはぁ、どう?」
「リサのキスは、熱されすぎてる」
ましろとのキスがふんわりと暖かい、優しい……そうホットミルクのような温さだとするならば、彼女はマグマのような、ドロっとしていて火傷をしてしまいそうで、欲望にまみれている。キスは求めること。僕は少なくともそう感じた。でも同じ求めているという行為だけど、愛と欲では大きく様変わりしている。
「一緒になる時もあるだろうケド、海斗の場合はそだよね」
「ましろに、愛以外を求めたりはしない」
「うん……じゃあ、今日は激しめに……ね♪」
ましろに求めることはしない。求めたくない。だからって、リサに欲を求めてしまうのを僕は、どうにも止められなくなっていた。
そして、やっぱり気になってしまう。リサがその唇に乗せない、僕で言うところのましろが、どういう人なのか。久國さんは、どういうヒトなんだろう。僕の第一印象を肯定したリサは、欠点なんてないよと言い出した。
「
「うん。頭も顔も雰囲気もいいし、家事もアタシに負けないくらいできる。というかアタシが翔に対して誇れるのが家事くらい。楽器持たせても歌わせても、あっという間に人を引き付ける、あとセックスが上手」
「最後の、いる?」
「アタシ、翔と海斗以外経験ないケド」
「……それは知らなかった」
つまり今僕は久國さんに比べてヘタクソと罵られたってこと? それはなんだか嫌だなと感じていると下手、じゃないと訂正してきた。下手じゃないけど、ただ単純にカレとする方が
「それ、下手ってことじゃ」
「違う。翔とするのは……そんだけ、好きって気持ちが乗るから」
「なるほど、好きな相手だと、きもちいってこと」
「そ、海斗にはわからないだろーケドね」
「なるべくなら一生わかりたくない」
それは、ましろの方がということだ。そんな快楽の差のため
──話が逸れた気がするけれど、ならなんでリサは僕を誘ったのかという疑問が残った。僕に足らなかったものを、教えるにしてはいくら何でもこの関係は惰性で続きすぎている。
「そりゃ、海斗、完璧な人間はいないからだよ」
「……言ってることが矛盾してる」
「
意味がわからずに首を傾げるけれど、もうアイツの話はいいでしょとリサが僕に背を向けた。これで、まるで僕がましろに向けるような好きという気持ちを久國さんに向けているというのだから、まだまだ僕はリサのことを理解なんてできていないんだろう。
「それじゃあ、おやすみなさい……今井さん」
「は?」
「……は、って」
「なんで帰ろうとしてんの?」
「え……理不尽ですか?」
「そだよ」
いや肯定しないでほしい。今日は一人で寝るんだろうなぁと思って気を遣って服を着始めたのに、リサはそれを許してはくれなかった。いやまぁこの部屋で寝泊まりすることは一度や二度じゃないからいいんだけど。むしろそっちの方が多いし。そう思ってベッドに戻っていくと甘えるように寄ってくる。これは珍しいとかいうレベルじゃない。
「……なんですか?」
「海斗は、あったかいから」
「はぁ」
「表情筋とは違って」
一言余計だけど、要するに抱き枕になれということか。つくづく、リサは僕のことをモノ扱いする時がある。この間思ったのは台所で料理の作り置きをしている時だった。やけに裾の丈が短いけどそういう短パンとか履いてるのかなとかスマホを触りながら考えていたら、キッチンでシたかったと怒られたくらいだし。
「今井さん」
「なに?」
「久國さん、いつ帰ってくるんでしたっけ?」
「明日の、夜だケド」
「それじゃあ、明日はデートしませんか? いつものように荷物持ちでもいいですよ」
「……海斗」
僕は、リサのことを知らない。彼女が何を考えて、なんで完璧なはずのカレとは離れて過ごし僕を利用しようとするのか。高校生だからというのもあるだろう。でもだったらなんで去年の夏休みも冬休みも春休みも会いに行く素振りすら見せないのだろうか。今年のGWだってそうだ。会いに行こうと思えば行けるのに、どうして僕で代用するのか。
「じゃあ、どこ行く?」
「今井さんのお好きに」
「海斗の言った場所」
「……僕は、家でのんびりしてたいですね」
「デートしよって言ったの海斗なのに?」
だから買い物に行って、一緒にご飯を作って食べて夕方くらいまで過ごしていたい。リサはそこで気づいたように、いいの? と少し熱の籠った問いかけを投げてきた。僕は最初から提案している側なので、それに対して肯定することしかしない。
「……海斗は、最低だね。カノジョいるくせに、アタシに情でも湧いた?」
「愛情は一ミリも」
「やっぱ、最低」
「それはリサもでしょう?」
「んっ、や、ばか……さわられたら、シたくなる、からぁ」
けれど、僕にとってリサは誰にも代えられない
「じゃあ……もう一回」
「わざわざ、着たのに脱ぐんだ」
「じゃないと、できないでしょう?」
「……だね」
ましろ、僕はね──リサを部屋に上げた。そこで夕方まで過ごして、行ってらっしゃいと声を掛けて、一人の静寂を過ごした。平穏だと思った。だけどそれが破られたのはそれから数日後のこと、今井さんとバイトを終えたちょうどその時だった。
「海斗~、透子ちゃんから緊急! ってメッセージ届いてるよ」
「中身なんて書いてありますか?」
「……翔にナンパされたって」
「はい?」
「あちゃ~、アイツ……やらかしてる」
理解が追いつかなかった。桐ヶ谷さんからはシロがカケルさんに声を掛けられてそのままついてっちゃったんだけど! と焦り交じりの連絡が届いていた。ついてった? というかそのカケルさんってのが久國さんなの?
「翔がオンで使う時の名前。確か昨日透子ちゃんとコラボしたって言ってた」
「でも、ナンパって」
「アタシが言った完璧じゃないとこ! アイツ、女癖がめちゃくちゃ悪いの!」
「……え」
僕は桐ヶ谷さんと通話を繋げながら急いでましろたちの元へと向かった。急展開すぎて頭がついていかないけれど、あの時の無意識の嫌悪が全く間違いではなかったことがわかった。ただ、僕もあんまり人のことは言えないけれど。
もどかしいでしょうが、一話挟みました。数話ぶりのメインメンバー全員集合まであと数十分。
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決して健全でもライトな物語でもない。血液に現すと不健康そのものの物語ではありますが、感想、お気に入り、評価がいただける限り、マイナーだろうとなんだろうと一話一話を大切に書かせていただきます! よろしく!