久國さんの家で、僕たち四人は向かい合っていた。あっけらかんとましろちゃんには別に何かまずいことをしたわけじゃない、と彼は言い放つ。だが、意外なのは同意を求められ翔さんの言う通りだよと笑顔を浮かべるましろの方だった。
「わたしは事情を説明してもらっただけだよ、カイくん」
「でも、あの時」
「あの時は触ってごめん」
「いえ……
どうして、ましろは彼を拒否しないのだろう? 僕も事情の説明はだいたい今井さんにしてもらったけれど、理解に苦しむ。まだ、愛のない、ただ気持ちよくなりたいだけの代替品というのなら納得できる。なのに、久國さんはおかしいことを言うなと苦笑いをしてきた。まるで僕や、今井さんが間違っているとでもいいたげに。
「多少なりとも愛があるからセックスができるものじゃないか? 欲だけじゃあ、動物と同じだ」
「……複数人を愛してるとでも?」
「
言い切る。罪悪感なんて欠片もなく、笑顔で。更にその中でも一番はもちろんリサだよ、だなんて言って隣にいる彼女に微笑みかけた。まるでキスでもするような距離感で、今井さんもアリガト、だなんて熱を帯びた目で微笑みを返した。僕がおかしいのだろうかと思うレベルだ。
「僕には、あなたが理解できない」
「理解してほしいわけじゃない。けど、俺はそうなんだよ」
完全に僕だけが孤立している感覚だった。今井さんは、そうだ彼女は究極までに彼の味方であり、彼に愛を向けるってスタンスだから。でも、ましろまでそこになんの言葉も非難もぶつけないのは、どうして?
「普通じゃないことは理解している。だからこそ、俺は理解してもらいたいだなんて押し付けはしない。リサも、そんな俺でもいいと言ってくれるからこそ、同じ家にいるのだから」
「……うん、だって翔は……アタシのこと愛してくれるから」
ならなんでそんな貼り付けたような顔をするんですか、なんでそんな冷めた目をするんですか。そんなこと言えるはずもなかった。彼女に釘を刺されていたから、どんな理由であろうと、どれだけの理由があろうと久國さんを悪く言うことは絶対に許さないし、許せないと。それはきっと
「……わかりました。だけど、僕はましろに誘いをかけたことを、許しません」
「それは、申し訳ないことをした。まさかモニカのましろちゃんが、お隣さんとお付き合いをしているだなんて思わなくて」
「わたしも……わたしも、別にホテルに連れ込まるとか、そういうことだったら絶対に拒否してたから、ね?」
「……うん」
そう、だからもう僕に彼を非難する動機はない。ましろに
「んじゃあ、完全に仲直りってワケにはいかないだろーケド、今日はアタシがご飯をごちそうしてあげる! ちょうど今日はハンバーグにしようと思ってたんだ~」
「リサの料理はホントにおいしいんだ。ましろちゃんもとっても気に入るはずだよ」
「そうなんですね、リサさんの手料理、楽しみです!」
「まかせて、腕によりをかけちゃうからね♪」
そこからは淡々と日常が繰り広げられた。雑談をして、ご飯を食べてそしてごちそうさまですと隣の部屋へと戻っていく。それが、僕にはなんだか気味が悪かった。きっと気味の悪さの原因は罪悪感の欠如だ。あのヒトには欠片だって今井さんを傷付けてるという意識がない。あのヒトがどれだけ自分の悪癖に傷ついているのか、言いたいことが言えないのかがわかってない。あれだけ、今井さんのことを愛していると囁きながら、彼は彼女を真の意味で見てなんていないからだ。
「ましろ」
「ん?」
「帰るなら送ってくけど、泊まってく?」
「あ、えっと……制服しかないから、帰るね」
「そっか、じゃあ」
「ううん、透子ちゃんが迎えに来てくれたから……大丈夫」
「……わかった」
「うん、それじゃあ、着いたら連絡する」
もう一つが、ましろの態度だった。まるで躱されているような感覚、いや実際に避けられているんだろう。ましろがこうまで僕と一緒にいることを嫌がったり離れたがることは一度もないのだから。どうして? と大きなショックを受けてしまうのも、何かおかしいことなのかもしれないけれど、僕はその原因には久國さんがいるのでは、というわけのわからない妄想めいた怒りを胸に抱いていた。
「ヤッホー☆」
「……なんで」
「こういうのを正しく、来ちゃった♡ ってヤツかな?」
気持ち悪くて、頭が痛くなりそうで沈みそうになっていた僕の部屋のインターホンを鳴らし、笑顔を向けてきたのは、今井さんだった。彼女は僕の質問を半分くらい無視して、ドアを閉め、内側から鍵をかけた。いや、待ってほしい。確かに数日前に部屋に上げたから思ったほどの焦りはなかったけれど、それは久國さんがいないからだ。
「……翔なら、別のヒトんとこ行ったよ」
「え……それって」
「ましろじゃないから安心していいよ」
そうじゃなくて、今井さんを放置して、彼は浮気をしに行ったということ? そう訊ねると首を横に振って、だから言ってたでしょ? アイツはそれを浮気だなんて思ってもないからさと冷たい笑みを浮かべた。
「そんなこと」
「アタシの知り合いにさ、世界を笑顔にーなんて言っちゃって、本気でそれを信じてる子がいるんだケド」
「はい」
「そういう底なしの善意を、翔は持ってる。ヒトのために生きれるヤツなんだよ」
ね、アタシのカレシってすごいでしょ? そう言いたげに僕を見上げてくる。それが、その結論が恋人を放置して他の女性とセックスをしに行くってことだって言うの? 恋人が、今井さんがこんなに悲しそうな顔をしているのに?
「……アタシは、
「なんですか、それ」
「翔にはアタシ以外にも幸せにしたくて、愛してあげたいヒトがいーっぱいいて、手が届く限り、そういう子たちを幸せにしてる」
「でも、今井さんは」
「アタシは翔の傍にいられるだけで幸せだよ」
そんなの、そんなのあり得ない。複数を愛せるというのは理解した。わかったけれど、だったら今井さんにこんな顔をさせたらダメでしょう。でも、久國さんにはそれがわからない。わからないから、彼女は満たされないんだ。
「ようやく、今井さんが僕に向けた言葉の意味が理解できました」
「そっか」
付き合ってるからって万人が万人、そうじゃないと言ったのは、最初は久國さんがなんらかの形で今井さんを愛しているわけじゃないとずっと思っていた。今井さんはいつだって久國さんのことを愛していたし、それを見ていた僕は疑うこともなかった。もしそれが付き合ってるからって愛し合ってるわけじゃないと言いたいのではなく、付き合ってることが即ちきちんと愛し合ってるとは言えないという意味だったら?
「海斗は、薄々気づいてたんじゃない? アタシがデートをしたがる理由」
「まぁ、本当に薄々ですけど」
このヒトはデートというのをあまりしたことがないんだろう。忙しいヒトなんだったら尚更だろう。そこから考えられる彼女が描いていた幸せが見えてくる。欠けているんだ。この二人には大事なものが欠けている。それは時間だ。二人は長い間一緒にいるようで、その実、中身がない。スカスカなんだ。
「うん、それに気づいた時にはさ、もう手遅れだった」
「……今井さん」
「だからね、正直、アタシはお子様みたいな恋をしてる海斗に……嫉妬してた。なんなら別れちゃえ、壊れちゃえって気持ちで、海斗に浮気をさせた」
「……そう、だったんですね」
「うん、アタシもさ、どっちかっていうと困ってるヒトは放っておけないタイプじゃん?」
そうですね、と頷く。アルバイトで一緒になってそれは本当に思ったことだ。何かに迷ったり、困ったりしたお客さんに対して今井さんは絶対に声を掛ける。声をかけて身振り手振りと笑顔で相手の困ってることを訊きだして、なんとか解決しようと試みる。それで一度詐欺にあいそうだったおばあさんを助けたことだってあるくらいだ。
「あはは、でもね……海斗だけ」
「なるほど、確かに」
「海斗だけ、アタシは困ってたところを助けるんじゃなくて、逆に
「……それは、違う」
「え?」
確かに浮気をしたのは大きな過ちだ。今井さんと身体を重ねて、とっくの昔に汚れていた僕が、もうましろを名前の通りまっしろのままだなんて無理なことなのかもしれない。だけど、僕はあの日、今井さんと身体を重ねたことに対してましろのことを考えれば、後悔し懺悔することだけどそれで前に進めないなんてことは、したくない。
「僕は、リサに救われてはないけど……大事なことは教えてもらった」
「海斗?」
「僕は正義のヒーローになんてなれないってこと」
ましろ、僕はね──どっちつかずの灰色の自分を、やめようと思う。僕はましろのような色にはなれない。最初から真っ黒な欲望を持ってた僕が白になれるはずもなかったんだ。だから僕は、もう覚悟を決めた。
「リサ」
「……ホントに、ホントにそれでいいの?」
「うん。これが、僕のケジメだよ」
僕はリサを抱きしめる。もう躊躇いも何もなく唇を重ねて貪っていく、けれど頭の中に僅かにましろの笑顔が浮かんで、浮かんでしまったからこそ僕は敢えて彼女の耳許で囁いていく。それに答えてもらわなくたっていい。僕は、それでいいんだ。
──愛してるよ、リサ。
彼の、そしてましろの決意/覚悟の先へ。ましろと海斗の恋は翔くんとリサを巻き込む形で、加速していきます。
というわけでどんどんと坂を転がっていきます。
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ここだけの話、最近伸びないんだ……くすん。