僕の日常は、カタチを変えて、歪めながらも順調に進んでいく。すっかり外に出るだけで命の危険も感じるようになってしまったある日のこと、バイトから帰ってきた僕は少しだけ隣の部屋に目線を送ってから玄関の鍵を開けた。
八月になって、久國さんが帰ってきていた。リサ曰く結構前からアタシらが浮気してるの知ってると思うよ、とは言っていたし僕もそう思っているけれど、どうしても不思議なことがあった。
「……あのヒトが怒るところ、想像できないな」
少なくとも僕が見た限りでは久國翔という人物が笑顔以外の表情をするのを見たことがない。そりゃあ普通は浮気されて怒るだろうけれど、それすら、想像ができない。というか想像できる人だったらあのファミレスの時点で怒りの片鱗くらい見せてくれてもいいはずだから。
『
『……そうなのかな?』
あのヒトは笑顔を崩すことなく
「今は、どうなんだろう」
今となっては僕とリサの関係は更にヒトに褒められたものじゃなくなっていた。なんならどちらかというと現状リサと久國さんより、僕とリサの方が同棲してるような気がする。一日一緒のことなんてまずなかったらしいし、今は海斗がいるからね、と嬉しそうにするリサの瞳からだんだんと久國さんが消えているような感覚がしたのもその一端なのかも。
「あ、海斗サン!」
「桐ヶ谷さん、こんばんは」
「ちす! 海斗サンはコンビニ飯っスか?」
「うん、偶にはね」
コンビニへとUターンして買い物をしていると桐ヶ谷さんに話しかけられた。ましろとの件はどうやら知らないようではあるけれど、ある種巻き込まれているためそういえば、とひと月前のことを訊ねてくる。
「あれから、ましろとはうまく行ってます?」
「なんとか久國さんに取られずに済んでるよ」
「カケルさん、あたしがチャラいって脅してたんですけどそうでもなかったーってシロのヤツが言ってましたね」
ズキリと胸が痛んだ。ここひと月の間に、リサがどうやって情報を入手したのかは教えてくれなかったけれど、ましろと久國さんが喫茶店にいたらしいよと言っていた。見間違いとかではないというか確たる証拠まであるらしい。そのこと、桐ヶ谷さんなら知っているのだろうか、それとも、彼女は何も知らないままなのか。
「桐ヶ谷さんは」
「はい」
「何か飲む?」
「……いいんですか?」
いいも何も、たかがジュース一本だ。そりゃあ毎日はちょっと無理だけれど、ここで会ったましろの友達に、はいそれじゃあなんて薄情な精神は持ってないよ。そう言うと桐ヶ谷さんはきょとんとしてから、んじゃあ遠慮なくと嬉しそうに選んでいく。その後ろ姿にようやく、そういえばこの子、偏見になるかもしれないけど言動からは想像がつかないようなお金持ちの名家出身だったことを想い出した。
「いやいや、カンケーないですよ。ありがたさに変わりはないっスから!」
「そう? ならいいけど」
「ぷっはー、キク~!」
お酒じゃない。ただの炭酸ジュースだけど、桐ヶ谷さんはまるで仕事終わりに飲酒したみたいな味わいを表情に浮かべていた。イートインスペースでもう少ししゃべろうということになったものの、会話が始まったのはそれから少ししてからだった。
「シロのこと、訊かないんですね」
「どうして?」
「前だったら、海斗サンはシロの話するシロも海斗サンの話してたのになぁって、それだけっス」
普通なら、タダのケンカかって思いますけど、と付け加えられ、露骨に何かあったことを察知されている雰囲気に、僕は何を話せばいいのかわからなくなった。ましろのこと? それともいっそ自分の状況を打ち明ける? そんな永遠に終わらない言葉選びをぶった切ったのは、いつもの快活な雰囲気とは違った桐ヶ谷さんの言葉だった。
「カケルさん」
「……っ!」
「──と、なにかあったんスね」
鋭い。というかカマをかけられたのか。だが桐ヶ谷さんはそれ以上の詮索をする気はなさそうで興味が無さそうにジュースを煽っていく。炭酸が彼女の喉を動かし、潤し、癒しの吐息に変わっていくのをじっと見ていた僕は、ましろは、と口を開いていた。
「ましろは……久國さんと会ってるの?」
「……っぽいってことをふーすけ、えっとツインテのちっちゃいのが」
「二葉さん?」
「そっス。なんでもきょうだいの面倒見てたらデートっぽい服装のシロがめちゃ笑顔の素敵な高身長イケメンと歩いてたって言ってました」
めちゃ笑顔が素敵ってところで僕じゃないと悟ったらしいのはこの際聞かなかったことにしておくとして。そっか、
「シロのこと、もう冷めたんスか?」
「冷めた……か。そうじゃなくて冷められたのかもね」
「でも、前の海斗サンだったら、ここでブチ切れそうな感じ、ありましたよ」
男に触れられることが我慢できないのは、ましろがそれで過去ひどい目に遭ってるからだ。彼女に性欲を向けてはならないと思ったのは、それがましろのトラウマだからだ。僕はそのトラウマの中で唯一、そういう目で見ない男だったから傍にいただけだ。
──ましろが僕に守られなくていい。平気になったというなら、僕は必要ない。
「だいたい、そのトラウマ云々が……しょーじきキモイってか、考えすぎな気もしますね」
「キモ……でも、ましろは」
「なんでシロのこと信じてあげらんないんですか? あたしだったら、例え好きな幼馴染だろうとトラウマあったらハグすら拒否りますよ」
「……桐ヶ谷さん」
「でもシロとキスとかハグとかしたんですよね? つかシロから半裸で迫ったけど避けられたって話もされましたけど」
「そうだね」
「結局ソレって、海斗サンがチキってるだけじゃん。だから
「──え?」
思わず、桐ヶ谷さんに目線を向ける。知ってますよとでも言いたげな目線で空になった炭酸ジュースのペットボトルをゴミ箱に捨てながら、この近辺住んでるのになんでバレないと思ったんですか? と逆に煽られてしまった。
「あたし、ケッコーこの近辺に仲いい先輩とかいるんですよ」
「なるほど。最近は隠すとかそういうこともロクにしてないから」
「つか、海斗サンがやろうとしてること、予想できてるヒトとも、知り合いってか友達なんですよ」
それは、僕はそんなにわかりやすくなってしまったのだろうか。いつも無表情で何を考えてるのかわからないと言われる僕の思考を読める人間なんているなんて。別にポーカーフェイスってわけじゃないけれど、今までましろ以外に会ったことがなかったな。
「……わかってんじゃん」
「え?」
小さな声で呟かれて聞こえなかったけれど、訊き返しても無視されてしまう。代わりに、桐ヶ谷さんは軽蔑するわけでもなく、怒るわけでもないような、微妙にフラットなまま海斗サンは、と去り際の問いを投げかけてきた。
「海斗サンは、シロのこと好きなんですよね?」
「……え、それは」
「あー、それは、言葉じゃない方が……あたしは好きっス」
イートインスペースから去っていく桐ヶ谷さんの言葉は、どういう意味なのか。僕は少しだけ考えて、わからなくて頭を振った。ただ一つだけ言えるのは、言葉でならましろのことを好きだと言えるけれど、それじゃあ足りないということ。きっとリサは久國さんと一緒に寝ているんだろうということがわかっても、特に何かを感じたり、特段リサに連絡をしてみたりする気にはならなかった。別に、久國さんからリサを寝取るつもりなんて最初からないし、愛してるだとか好きだとか言葉にして、恋人みたいに過ごしていても、所詮僕らの関係は足りないものを補うための
ましろ、僕はね──ましろが愛おしいよ。ましろに会いたい、会って、大好きだって、愛してるって伝えたい。前までは気軽だった言葉たちが、伝えられなくて、僕は水の中で呼吸困難になったみたいに、もがいているよ。
散々浮気しまくったせいでましろは翔くんとたびたび(東京にいる日中のほんの数時間程度)デートをしていて、かつ夜は代替品に頼ることもできない(翔くんが帰ってきてリサを取られる)海斗くん。いや、メシウマですね。もっとやれ、桐ヶ谷さんにいじめられ、メンブレ状態の主人公くんに救いはあるのか! ないです!!!!!! あるわけねぇだろ!!!!!!
※ちゃんとハッピーエンドにします。
☆9ひとつありがとうございます! これでなんと! ついにバー三本目が赤色になりました! みなさん評価ありがとうございます! 感想も気づけば46件になってました。とってもとっても嬉しい(語彙力)
お気に入りの伸びはいまいちなのはひとえに求められていないとはわかっていますが、それでもこうして高い評価をいただけていることを励みに、毎日のクオリティを落とさず! 落とさずに頑張っていこうと思います。