夏祭り当日、僕は集合時間までリサと過ごしていた。それに対して何の躊躇いもなくなってきた自分に、少しだけ苦い感覚がする。ましろが久國さんと一緒に行動していた。それ自体はショックだった。リサに、海斗はショックを受けてる時だけはわかりやすいと言われるほど、僕に衝撃を与えたものの、結局は僕の浅はかさが招いた結果だ。ましろがどういう行動を取ろうと、誰かの欲を求めようと、僕に咎める権利はない。だからといって、リサとの関係を続けてしまう自分が、嫌いになっていくけれど。
「え、甚平着てかないの?」
「……なんで」
「だってカッコいいじゃん? ましろの浴衣と海斗の甚平ってそれだけで映えるよ~」
そもそもましろが浴衣かどうかと言われたら間違いなく私服で来るから、僕にその選択肢はなかったよ。あと映える意味はないでしょ。僕らどっちも写真が苦手なんだから。人見知りのましろと表情筋が死んでる僕が並んだ写真は、お世辞にも楽しそうには映れないから。
「暗いな~」
「……自分が浮気してるのに、明るい顔で会えないよ」
「ましろだってしてるんだよ?」
「確定じゃないし……それで僕が正当化されることはないよ」
浮気は悪だし、それが正当化されていいことなんて何一つない。例えお互い様だとしても、お互いが悪というだけ。僕はそう考えてる。
リサは少しだけしょうがないヤツ、とでも言いたげな顔をして、それからそっと抱き着いてくる。
「……リサ?」
「帰ってこなくてもいいケド、どっか行っちゃわないでね」
まるで恋人を見送るように言われるけれど、リサには久國さんがいる。僕がいなくなっても、彼女はどこか知らないところで幸せになれる。ましろも、きっとそうなんだろう。僕がいなくたって、いつの間にか幸せになっていたのかもしれない。むしろ、僕が縛り付けていただけなのかもしれない。そう、考える時がある。
「ん……やっぱ」
「なに?」
「出かけるの、お風呂入ってからにしない?」
「済ませてくれる?」
「それは、もちろん」
リサは、見えるところにアトが欲しいとねだってくる。でも、逆に見えるところにアトをつけることはない。きっといいよと言っても彼女は遠慮する。それがどういう気持ちなのか僕にはわからない。ただその赤黒い小さな点が首筋にあるだけで、僕はリサと深く繋がれている気がしてしまう。喘ぐ声も好きという言葉も、嘘じゃないような気がしてしまう。何が本当なのかを、そのアトで隠してしまっている。
「カイくん、お待たせ」
「……ましろ」
案の定、ましろは普通の服装で現れて、僕も普通の服装だった。むしろ浴衣とかそういう気合を入れた格好をされてしまうと、僕はどうしたらいいのかわからなくなってしまうから。そういう意味だとなんとなく、いつものましろでほっとした。
「ヒト多いね」
「うん、気を付けてね」
「……ありがと、カイくん」
仕草も、笑い方も、繋いだ手の温もりですら、僕の知ってるましろだ。いつものましろなはずなのに、僕はどうしてそこに裏があるんじゃないか、なんて思ってしまうんだろう。どうして、ましろの笑顔を素直に受け取れなくなってしまっているんだろう。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
ましろの瞳が、じっと僕を見上げてくる。その澄んだ瞳にすら、僕は非難されているような気がしてしまって、思わず目を逸らしてしまう。なんでだろう、一緒にいるのに、一緒にいるからこそ、胸が痛い。僕の胸中を覆うこの暗雲の名前は、不安。リサとより深い仲になったせいか、それとも……僕は無意識にましろの浮気を咎めているのか。
「あのさ……ましろ」
「──何も言わないで」
「え?」
「何も言わないで、何も訊かないで。わたしもカイくんに訊いたり言ったりしないから」
「……それって」
「今日は……昔みたいにデートがしたい。なんにも知らなかった、無邪気なあの頃みたいに」
ましろが中学一年生の頃、まだただの両片思いだったころにも一度、夏祭りに行ったことがいる。その次の年は僕が受験で、その翌年はましろが、という感じのため本当に手放しで楽しめるはずのデートだったのに。
「無理だよ」
「無理じゃない」
「……無理なんだよ。僕は、もう真っ黒なんだ」
僕の見えないところには、リサのアトがつけられている。僕はもう、あの頃には戻れないし、ましろだってそうでしょう? あれだけ男のヒトが苦手だったましろが、久國さんとデートに行ってるんだから。
「翔さんとは……何も」
「何も? じゃあ僕はリサと何もなかったって言って、信用できるの?」
「……カイくん」
やっぱり、僕らは会うべきじゃなかった。ううん、もう付き合うべきじゃない。本当はリサがちゃんと久國さんと向き合った後に打ち明けようと思っていたけれど、もう限界だ。ううん、とっくに限界を越えていたのを、まだだ、まだだって誤魔化してきただけだ。もう、僕はましろをまっすぐ見れない。愛せない。この性欲に塗れた手でましろの手を握ることさえ、僕には耐えられない。
「……わたしは、そんなにキレイじゃないよ、カイくん」
「でも」
「ずっと前から、わたしは……もうずっとカイくんの色だよ。そうじゃなきゃ、カイくんの傍で、カイくんの欲に平気な顔なんてできないよ」
「……え」
それを知った僕は、急激な吐き気に襲われた。ずっと、もうずっと僕はましろを汚してきた? ましろは、隠していた気になってた僕の色を知っていた? その事実は、僕を嫌悪に進ませた。汚い、汚い。こんな気持ち、こんな愛なんて、汚い。性欲を伴った愛なんてまやかしであるはずなんだ。僕はましろをそういう意味で一緒にいたかったんじゃない。ましろとセックスがしたくて傍にいたんじゃない。違う、違う、汚い、汚い。
──僕は、僕はずっと、ましろを真っ黒な手で汚していたのか。それを、ましろはただ笑顔で受けとめてくれていただけ。
「──っ!」
「か、カイくん? カイくん!」
「く、るな……こない、で」
喧騒が狂騒に変わる。道端のど真ん中で突然大の男が嘔吐したんだからしょうがないのかもしれない。汚いものを避けるように、嫌悪のまなざしを僕に向けてくる。でも止まらない。気持ち悪くて、一歩も動けなくて、そんな自分が嫌で、ましろに見られたくなくて。そんな僕をましろは触れようとしてくる。汚いのに、こんな……こんなに、汚れているのに。
「大崎くん大丈夫か? ましろちゃんは下ってて」
「ふえ、しょ、翔さん……?」
「どういう状況なんコレ? ねぇカケルっち!」
「いいからお前は救急車呼べ、シン!」
「お、おう……」
涙があふれる。みっともない、汚い。僕はどうしてこうも、誰かに寄りかからないと生きていけないんだ。知らないヒトに介抱してもらいながらずっと、うわごとのようにごめんなさい、と繰り返し続ける。チラリと、薄い意識の中で状況がわからず涙を流すましろを、久國さんが抱きしめているのを見て、ああ、そうなんだなと思った。
「……僕じゃ、ダメだ。ましろを幸せにするのは、僕じゃない」
僕は、ただ……ましろを愛したかったはずなのに。ましろを穢そうとするヒトから守りたかっただけなのに。いつの間にか、いや、最初からましろを誰よりも汚していたのは僕だったんだ。まず最初に粛清されるべきは、
ましろ、僕はね──気づけばましろに向けていた愛も、何もかも全部、取り返しのつかないほど真っ黒に汚れていたよ。僕が愛を向ける先なんて、なくていい。
「……行ってきます」
「ん! ほら、そんな沈んだ顔しない! ましろだって、海斗のことちゃんと好きだからデートしたいって誘ったんだからさ!」
「そう、かな……?」
「そうなの、偶にはおねーさんを信じなさいって!」
「……ごめん」
「いいからそういうの。戻ってくるならちゃんと戻ってきてね。独りで寝るの、やっぱ寂しいんだから」
リサ、ごめん──約束は守れないみたい。リサがちゃんと久國さんと前に進めるまでは一緒にいよう、代わりになろうって決めたのに……それすらもまともにこなせない。きっとリサは僕のこと、怒るんだろうな。バカって泣きながら。
──僕は、どうするのが正解だったのかな。それとも、リサと浮気をした時点で、もう幸せになる権利を失っていたのかな。意識が海の底に沈むような感覚がして、僕は怖くて、目を閉じることでその恐怖を和らげようとした。
あらすじ回収からの、病状はストレスによる急性胃腸炎ですどんまい。
次回は海斗とましろの甘々デート回です! ほんと、これまじ。だって今回がいじめようシリーズの最終話だからね。
気づかぬうちに感想が50件を越えていました、やった! 途中感想もらえなくて寂しい思いをしたこともありましたが、毎度の感想もありがたいです、ありがとうございます!
いよいよクライマックス! 別に感動するものでもないのでハンカチはいりませんが、どうぞ最後までよろしくお願いいたします!