目を覚ました時、知らない部屋の天井が見えた。ちょっとだけぎょっとして慌てて何があったのかと起き上がろうとして、何かあったのは自分だったことを察した。ここは病院か。すっかり空は明るくなっており、記憶を漁っているとそこに見慣れた顔が入ってきた。
「あ、おはよー海斗」
「リサ?」
「もう朝だよ」
リサに言われて時計を見ると既に九時を回っていた。どうやら十二時間以上眠っていたらしい。結局、花火を見ることすらなく僕は……そうだ。僕はましろの前で嘔吐したのか。段々と鮮明になってくる記憶は、やっぱり思い出さない方が幸せなんじゃないかと思うことばかりだったけれど。
「飲む? 一応点滴はしてもらってたケド」
「飲む」
「ほい」
そうやって手渡されたのはスポーツ飲料。なんだか喉がカラカラな気分だったから余計に染み渡っていく気がした。点滴、とリサは言っていたけれど、もうどうやらその対処も既に過去のものらしく、僕の右腕は自由な状態だった。
「よ……っと」
「あ、ちょ……どこ行くの?」
「トイレ」
「……もう、案内してあげるから」
どうやらリサは、僕が運ばれていったという連絡を久國さんから受けて急いで向かってきたらしい。当の僕はすやすやだったからムカついて頬を抓ってやったと言われて、僕は怒るわけでも苦笑いをするわけでもなく、謝罪をした。
「ごめん」
「なんで海斗が謝るの」
「迷惑かけたから」
「はいダメ、海斗はダメダメ」
「……なに、急に」
僕の隣を歩きながら謝るのはいいケド、理由がダメとわけのわからないダメ出しをしてきた。流石にノーヒント過ぎると首を傾げていたら、迷惑だなんて思ってない、と急に真剣な顔でリサは僕の手を握った。
「じゃあ……」
「心配した」
「……心配」
「うん、翔から電話来て、心臓がめちゃくちゃ痛くなった。どうしようどうしようって、病院で海斗の寝顔見るまでずーっと頭んなかそればっかだった」
「……ごめん、心配かけて、ごめん」
「ん! いいよ! 今元気ならそれで!」
迷惑じゃなくて心配、というところと握られた体温にリサの優しさをしばらく感じていたけれど、病院のヒトに知らせてくるねとリサは嬉しそうに後ろで縛ったクセッ毛を揺らしながら部屋を後にした。
「そうだ、久國さん……」
翔から電話が来て、と言っていたように僕を介抱してくれたのは間違いなく彼だった。一応知らない仲ではないとはいえ、道端で突如倒れた僕に真っ先に駆け寄って、声を掛けてくれたヒト。救急車を呼んで、狼狽えるましろを……ましろを抱きしめていた。それに嫉妬はしない。悪意なんてあるはずがないから。それが、久國翔さんというヒトだから。
「カッコいいな……かなわない」
周囲の人間は僕のことを汚いと騒ぎ立てていた。状況がわからず関わらないように逃げるように僕から距離を置いた。なのに、あのヒトはましろの次に距離を詰めてきた。ああいうのがカッコいいヒーローなのだろう。外見だとか対応だとかそういうのとは違う、カッコよさがあった。
「大丈夫か、大崎くん」
「……久國さん」
「顔色は良くなったな。よかった」
「ご迷惑をお掛けしました」
「迷惑なんて言うなよ。俺はそういう謝罪がほしくて対処したわけじゃない」
「……リサと、同じようなことを言うんですね」
まぁな、と優しい笑みをくれる。ついでましろちゃんはご両親が心配するからと思って帰らせたよと補足してくれた。ありがとうございます。何から何までお世話になりっぱなしだった。本来ならば、僕と久國さんはお互いの恋人に手を出してる敵のような存在なのに、こうも助けられてしまうと、なんとも言えなくなる。嫉妬も憎悪も、感じない。それは、人間的に負けているからか。
「あーでもな、今言うことじゃないとは思うんだが、今じゃないと九月過ぎちまうから言っとくな」
「はぁ?」
──だがそこで、僕は久國さんの笑顔以外の感情を初めて目にすることになった。それは怒りと、嫉妬と、色んな感情がごちゃ混ぜになった……少なくともあの久國さんがしているとは思えないような表情だった。
「リサのこと頼むと思うと同時に……俺はキミを許せそうにはない」
「……は?」
この間と向けられる圧が違いすぎて僕はたじろいだ。許せない、それは僕が久國さんにファミレスの後で向けたものと同じ言葉。あの日確かに嫉妬はしないのかという遠回しな問いに笑みで応えたはずの彼から放たれたのは、まっすぐな肯定を示す熱だった。
「だから俺に教えてほしい」
「……なにを?」
「リサとどこに出かけたのか、とか。思い出せる範囲でいいから」
僕は、それこそが久國さんが変わろうとしている証だということに気づいた。彼は、遠回りをしながら気づいたんだ。自分がリサに対して与えていたものは何かということに、リサを幸せにできていなかったということに。
──まったくもって敵わない。僕は言える限りの、というか言えないことなんてないから全て教えていった。動物園や水族館、遊園地なんてのも一回あった。それから普通のショッピング、映画鑑賞、二人とも高校生だというのに興味本位でラブホにも行った。
「なるほどね」
「……どれも、久國さんとは行ってないって言ってました」
「うん。俺とリサって、実はマトモにデートってしかことないんだ。それこそ帰りにちょっとご飯行くとか、そういうのだけ」
だからこそ、僕は
「……すいません」
「いや、いいんだ。良くないけど……そっか、旅行……そういうのも、きっと恋人らしさなんだろうな」
僕だって女性と泊りがけの遠出なんて初めてですよ、と言うと久國さんはふふふと笑って俺もバンドメンバーの泊まりがなきゃ同じだな、なんて返してきた。そういえばもう一人のボーカルのヒト、女のヒトだったっけ。
「お、もしかして」
「ええまぁお隣さんですから、ちょっとくらいは調べたし曲も聴きましたよ」
リサのRoseliaだってそうだけど。雑談を繰り返しているとリサが戻ってきて、僕は万全とは言い難いけれどベッドを使うまでではないと薬を処方されて病院を後にした。万全じゃないとは、胃がものすごい荒れてるらしい。ストレスはしばらく控えた方がいいそうだ。
「ストレスになるものは控える、かぁ。こりゃしばらくご飯も消化のいいもの中心だね」
「別に僕に合わせなくても」
「いいのいいの。ほら、帰ろ!」
久國さんは、ましろちゃんにちゃんと連絡しておくことと言われた。そしてストレスの原因ならそういうことも、嫌だろうけどちゃんと伝えること、とも。そういうところも少し変わったような、そんな気がする。
「翔があんなこと言うなんてね……悔しいけど、海斗たちのおかげカナ?」
「僕は別に」
「アタシは、海斗のおかげで変われそう」
僕のおかげ、なんておおげさなことを言われても。むしろ僕は久國さんとリサが分かり合う遠回りをさせてしまっているだろうから。だけどリサはでも僕がいなかったらずっと変わらないままだった、と言われて首を横に振って否定した。
「正当化したくない。僕は僕の浅はかで愚かな気持ちでリサと浮気をしたから」
「でもその浅はかさが、現実としてアタシと翔の止まってた時間を動かした」
だから正当化はしないけど、感謝はしてるよ、とリサは僕の頬にキスをした。それだけで胸が痛くなるほど、幸せな気持ちになった。
ましろ、僕はね──しばらくキミには会えなさそうです。会ったらまた、とても心配をかけてしまうだろうから。でも、心配しないで。落ち着いた後でちゃんと話をしに行こうと思う。ちゃんと僕らの関係を、言葉にしておきたいから。
「とりあえず、帰ったらいーっぱいぎゅーってしたいな~」
「さみしがり屋だね」
「……知ってるでしょ?」
「知ってる。後甘えん坊だってことも」
「なら、ほらほら、とびっきり甘やかしてくれないと襲っちゃうからね~!」
「これでも病み上がりだから、お手柔らかに」
──もう、付き合うとか、付き合ってないとか。特別とかそうじゃないとかそういうのはどうでもいい。僕とリサの間にあるもののように、いくら汚くても、真っ黒でも、僕の手が誰かを幸せにできるなら、誰かのために汚れてくれているなら。僕は大好きなキミに……お別れを言おうと思う。だって、ましろには、世界で一番幸せになってほしいから。ましろのことを、愛してるから。
海斗は前に進んでいきます。どれだけ遠回りでも、どれだけ傷ついたとしても。歩むということそのものが、幸せになると信じているから。