夏祭りから数日経ち、僕はすっかりよくなった胃の調子を病院で看てもらっていた。ただしまた強いストレスで同じことにならないとは限らない、と念を押され僕は頷いた。
──ましろに連絡を送ると、よかったとすぐさま返事が来る。でも、それ以上の話はしない。僕とましろは距離を置いた方がいい。それは全員が納得したことだった。
「なんか……思ってたよりも拗れちゃったね」
「ごめん」
「海斗のせいじゃないよ。それよりも、今は旅行を楽しみにしたいかな」
「……そうだね」
そもそも、きちんとリサが久國さんと向き合えたらこの関係を終わらせようと決めていたはずなのに、僕は情けないことに倒れて以来より強くリサに依存するようになってしまった。甘やかすように抱きしめているはずなのに、すがるように抱き着いてしまっている。キスマークも、リサが求めるのではなく、僕の欲で首筋にアトを残す。
「んっ、いいよ……アタシを海斗で、海斗の好きなようにして……」
セックスの激しさも回数も格段に増えてしまって、僕は後から顔から火が出るんじゃないかというほどの羞恥に襲われることもしばしばだった。
でも、わかったことが、わかってしまったこともある。リサとの浮気がなければ気づかなかったこともたくさん。
「確かに、最近めっちゃ激しいよね~、ふとももんところ見たらびっくりした」
「……ごめん」
「んーん、ヤじゃない。そんだけ、海斗はアタシに愛してるって伝えてくれてるんだからさ、それに……アタシは海斗の好きなようにされると、きもちいし?」
愛してる、という伝え方は、ただ言葉にするだけじゃないってこと。身体で触れなければ言葉にしないと、とでも言わんばっかりにましろに対しては言葉で縛り付けるように、狂ったように言葉にしていたけれど、リサにはキスと腰に手を回すだけで伝わる。あるいは、彼女をイカせて、僕がイクことでも伝わる。イッた余韻に熱の籠ったキスをすることでも。
「かーいと~? バイト遅刻するよ~?」
「……休みたい、腰だるい」
「ダメでーす。バイト行かないとアタシ隣の部屋で寝るカラ」
「もう一回って言ったのリサだよ」
「何言ってもダメなものはダメ~。ほら、バイトから返ってきたら……ね?」
「ん……行ってくる」
そして、愛してるは安らぎだってことも。僕はましろを守るための言葉にしか使ってなかったのに、気を張るための言葉だったのに。リサは当たり前の日々の中に溶かしこんでくれる。愛してるは特別な感情なんかじゃないってことを、愛を伝える手段としてキスしたい、触れたい、セックスがしたいというのは、何も特別なものでもなんでもないと。リサは教えてくれた。
「ただいま」
「あ、おかえり~」
「……うん」
「これは、テンプレなヤツやっとく? ご飯にする? お風呂にする? それとも~、アタシ?」
「リサが最初でもいいの?」
「ご飯にしてアタシにしてからお風呂にしよーね」
「決まってるんだ……」
なんでもない日々にこそ、好きという言葉が、愛してるという言葉が溶け込んでいる。僕とましろはそれに気づくことができなかった。いや、ましろは必死にそれを伝えようとしてくれていたのを、僕がずっと耳を塞いでいただけなんだろう。
「明日さ、夕方からなんもなかったよね?」
「ないね」
「じゃあ、水着選びに行こうよ」
「……まだ買ってなかったの?」
ひと月くらい前に水着の話してたから、とっくに買ってるものだと思ってたよ。そう言うとアタシも買おうと思ってたんだケドさ、と浴槽からスラリとした脚を伸ばしながら僕にもたれかかった。
「そういうの、勝手に選ぶんじゃなくて、海斗とおしゃべりしながら決めたい」
「……そういうのが、幸せだから?」
「んーん、単純に海斗とデートしたい。デートして、買い物して……ホテル行きたい」
微笑まれ、二重の意味で誘われて僕は耳の裏にキスをすることで誘いに対する返事にした。その翌日、僕はリサがバンドの練習しているというスタジオまで迎えに行くことにした。ちょうどそこは外にカフェテラスがあり、僕は暑いなぁと思いながらもぼーっと終わるのを待つこと十分ほど。
「ごめんっ、お待たせ~!」
「いいよ、大丈夫」
「あれ、リサ姉? そのヒトは?」
「久國さん……ではないのですか?」
リサが来て、立ち上がり
──だが、そこで後ろから声を掛けられたことで僕は自分のミスを悟った。
「あー、そだった忘れてた」
「……忘れてたんだ」
僕もあんまりヒトのことは言えないけど、リサはもっとヤバいこと言ってると思うよ。そんなリサは何かを考える仕草をした後、僕を指して名前を明かした上で実質同棲してるアタシのセフレとか言い出した。意味がわからない名称だね、否定できる要素が何も見当たらないのは、そうなんだけど。
「……同棲、してるのに……セフレ、ですか……」
「しかも久國さんはどうしたんですか」
「元はお隣さんなんだ。翔はホラ、帰ってこないし」
「翔兄……」
「ちなみに翔公認だから、言いつけたかったらいいよ~」
嘘は言ってない。元はというか現在もお隣さんですよ一応ってくらいだろうか。じっと見られて僕は心臓がうるさくなる。これもストレスのうちだと思うんだけど、思わぬところで嫌疑の目を向けられて僕は嫌な汗が流れるようだった。
「そう、彼が」
「……あの、あなたは?」
「湊友希那、リサを……よろしく」
「友希那さん……そっか、リサの幼馴染の」
「ええ」
──湊さんにだけは言っていたみたいで、でもそもそもリサの話によると彼女は久國さんのことを好きで、関係を持っててそれじゃあリサが幸せにならないと言って離れたって聞いたけど、それじゃあ今の状態ってとっても湊さんには許せないところじゃ?
「幾らなんでも、ふしだらすぎます! いくらあの方が女性関係に無頓着とはいえ、あなたまでそんなことでは!」
「……えー、紗夜ってば、海斗がカッコよくてヤキモチ?」
「翔兄とはタイプ違うイケメンだよね~、クール系?」
「……そうだね」
そうだね、と黒髪の女性に言われてしまう。ごめんなさい……僕はクールなんじゃなくて表情筋が死んでるだけなんです。クール系というのは湊さんのようなヒトのことを言うんじゃないかなと思うんだ。
「友希那も海斗と一緒だよ。表情筋が死んでるだけ」
「……生きてるわ」
「ほらね」
なんだか騒々しい、姦しい雰囲気に巻き込まれてしまって……ああ、なんだかモニカの騒ぎに似ている気がした。
事情は説明するとややこしいからと諦めて、僕とリサは困惑を隠せないメンバーに背を向けて本来の目的であるショッピングモールへと進路を切り替えた。
「忘れてた、なんて嘘でしょ」
「バレた? 海斗のこと、説明しとかなきゃじゃん?」
「説明もしてないけどね」
「だって、アタシと海斗の関係は、アタシたちにしかわからないからさ」
たち、ということは僕とリサ、そして久國さんとましろのことだろう。四人の縺れてしまった糸は、妙な絡み合いをしてお互いを近づけているような感覚があった。リサと、久國さんと。そしてましろとも。物理的には随分と遠くなってしまったけれど、昔よりもましろのことを、むしろ考えるくらいだ。
「そういえば水着を選ぶコンセプト決めなきゃ」
「コンセプト?」
「そそ、んー海斗が思わずアタシのおしりにアレを擦りつけてくるような──とか?」
「やけに具体的だし、却下でしょ」
「なんで」
「海水浴ができないからね」
なんでなんて野暮なこと訊かないでほしい。僕は純粋に海水浴がしたいのであって、岩場に隠れてとか、そういうのも思い出かもしれないけどさ。
ましろ、僕はね──ましろが昔言ってた、思い出というものが何かをやっとわかった気がしたよ。ましろは、今どういう思い出を刻んでいるのかな。久國さんとの思い出? わからないけど、泣いてたりしないといいな。僕は、ましろの笑顔が好きだから。そしてそれと同じくらい、リサとの思い出がどうなるのか楽しみな自分がいた。