九月になって少し、二学期が始まってすぐの頃、久國さん、翔さんが戻ってきた。戻ってきた、と言っても相変わらず戻ってきても忙しない日々が続いているようで、家にいない日が多いんだけど。どうやら少しずつ、彼も変わってきているらしい。
それから更に三ヶ月もの月日が経ち、もうすぐ二学期も終わりに差し掛かろうとしていた。
「あ、おっはよー海斗!」
「おはようございます、
「今出るとこ? 一緒に行こっか」
「はい」
過去に戻れないのはわかってる。今更リサのことを拗れる前の呼び方に直して、敬語にしたところで僕は彼女と浮気をしたことも、彼女と幸福を分け合ってしまったという事実が消えるわけじゃない。だけど僕とリサさんは、あの旅行以来、こうして住む場所も関係もきっちり分けていた。それが、僕と彼女なりの、決意というやつだ。
「そこでセンセーがさ、最初から拗れる要素ねぇだろ、とか言い出してさ! だったら苦労してないって、ね?」
「確かに」
「ほんっと、海斗のことまで言わなくてよかった」
「言ったらヤバかったんじゃないですか? 問題になるかも」
「ないない、チョーテキトーだもん」
なくなってはいないけれど、僕は時折、あの時に戻りたいと思ってしまうこともある。リサに生かされていた頃に、リサに何もかもをぶつけることで大崎海斗という記号を使われるにふさわしい輪郭をなんとか保っていたあの頃に。
──痛いことばっかりだったのに、今のほうが安定しているのに。不思議なことに僕はあの時間が心底必要だったんだろう。
「そういえばさ」
「はい」
「ましろとはどう?」
「……変わりませんよ特には」
「えー」
苦い顔されながら、もうアタシは代わりになってなんてあげないからねと言われ、僕はわかってますよと返した。
こんな時でも、僕の声は平坦なまま。震えることもなく淡々と表情筋と一緒で、死んでしまったようだ。
「ねーねー、おーさきさ~ん」
「……どしたの青葉さん」
「いや~、リサさんとの会話ちょーっと聴こえちゃって~」
バックヤードで休憩をしていると青葉さんがやってきて、そんなことを言う。にししと子どもみたいに笑う彼女はきっとましろとの間の云々を聴いたのだろう。リサとの関係ではないと、だがそんな楽観をするりと蛇のような狡猾で冷たい笑みに変わって、僕は鳥肌を立てた。
「別れちゃったんですか~? リサさんと~?」
「付き合ってないよ」
「あ~、浮気ですもんね~? バイト来た時からちょいちょい、いちゃいちゃしてましたもんね~?」
「……知ってたんだ」
「最初から~」
ずっと黙っていてくれたのを感謝すべきなのか、それを今明かしたことを訝しむべきなのか迷っていると、それで~? と青葉さんは畳みかけてくる。
僕はリサとの関係を夏で終わらせたよ、と素直に明かすとそっちじゃなくて~と僕との距離を一歩近づいてきた。
「なんで嘘つくんですか~? もう付き合ってもないですよ~って言わないんですか~?」
「なんで知ってるの?」
「あたし~、嘘つきを見抜くの、ちょー得意なんで~」
間延びした口調でとんでもないことを言われて汗を掻いてしまう。さっきの会話で僕が嘘を吐いていたことがわかるなんて、カマをかけていたとしてもすごい。僕の表情や感情を察知できるヒトなんて、リサかましろのように密接な関係になったヒトだけだと思っていた。
「リサさんは~、もう代わりにはなって、くれないんですよね~?」
「そうだね、リサさんは翔さんとちゃんと歩んでいけるようにって、幸せになろうとしてる」
「……あたし、フリー、なんですけど~」
「誰かを代わりにするのは、もういいよ」
僕と同種だと思っていた。ずっと表情の動かないと思っていた青葉さんなのに、その本性はとても表情豊かで、演技なのかどうなのかまでは判別できないけれど、ぞわりと鳥肌が収まらないほど、青葉モカという同級生は性欲を滲ませてきた。
「でも~、リサさんは~?」
「かけがえのないヒトだった。僕はそう思ってるよ」
「ですよね~、やっぱほんとは~、くやしーんですよね~? しょーさんなんかより~、自分の方が、ちゃーんと、リサさんを幸せにできたし~、えっちのあいしょーもバツグン、てきな~……思ってますよね?」
「そうだね」
「ありゃ、認めた~。てっきり怒るもんだと~」
思ってたよ。結局忙しくて会えなくて寂しがってることも、偶のデートでも結局他の女の子に声を掛けられて素直に楽しめなくなってしまうことも。僕の方がリサの求めるセックスができることも。でも、リサには翔さんしかいないんだ。僕にましろしかいなかったように、翔さんのことしか考えられないんだよ。
「それで納得してるんですか~?」
「青葉さんは、何が言いたいの?」
「……あの男が許せないだけですよ。あの男が不幸になるなら、なんだってする」
「翔さんが何かしたの?」
ヒトの不幸を願うなんて、そう思うけれど僕だって以前は翔さんに同じような思いを抱いていた。結局それも僕が一方的に恨んでいることだってわかってからはそうでもないけれど。だけど青葉さんの憎悪は、僕には計り知れないほど大きなものだった。
「女誑し……ってのは知ってますよね~?」
「複数の子と関係を持ってたってね」
「その多数の中に、あたしのだいじな幼馴染がいたんですよ~」
いた、いたんだね。翔さんはリサさんとの時間を作るために誘いを断るという技術を身に着けたらしい。どうやらましろに散々注意されて、じゃないとリサさんは一生僕に取られたままだと脅され続けたらしく、僕の方もリサさんとの関係がただのセフレを越えていたことから、翔さんは選ぶ、ということを覚えたようだ。それが、青葉さんの憎悪の原因だと。
「今まではどんなに彼女がいよーが、誘ったらホイホイヤってたクセに、都合が悪くなったからって全部切り捨てた。愛してるだなんて言いつつ、結局セフレ以下の存在だったんだ」
「それは違うでしょ。翔さんがそんな気持ちで」
「──あたしから見たらそうでしょ~? 事実として、ここ数ヶ月、つぐはふさぎ込んじゃってるし~?」
「……そうかも、しれないけど」
すごい迫力に圧倒され、僕はたじろぐしかなかった。そこで手始めに~と青葉さんはエプロンを持ち上げ、ショートパンツのジッパーを下ろし始める。流石の僕も焦りが顔に出て、彼女の奇行を止めた。
「なにしてるの?」
「これでもけーけんは積んでるので~、口でも、なんでもいーですよ~?」
「いやそうじゃなくて、僕が言いたいのはなんで脱ぐのってことなんだけど」
「……ニブちんだな~。おーさきさんには~、リサさんとカンケーを続けてほしいんですよ~、あたし的にはそれが、最優先なんだってば~」
青葉さんの間延びした解説を要約すると、僕にはリサと関係を続けてほしい。でも一度崩れた関係を元に戻すにはなにかキッカケを作らなければならない。そこで青葉さんが利用するのは僕が一ヶ月ほどましろと連絡を取っておらず、ほぼ自然消滅になっているという点である。そこを青葉さんはリサさんに察知させる手っ取り早い方法として、僕が青葉さんとセックスしているところを匂わせる、または見せることで問い詰めてもらうというスタートを計画しているらしい。
「いや、むちゃくちゃじゃ……」
「別にセックスとか減るもんじゃないし、そりゃ妊娠とかしちゃうとメンドーだけどさ~」
青葉さんが双方に上げるメリットとして、青葉さんは翔さんを不幸にすることで自分の幼馴染を悲しませた復讐を遂げられる。しかも自分の手を汚すことなく裏から。僕は自分の溜め込んでる欲を青葉さんに放出でき、更に願ってもない数ヶ月前の幸せな時間が返ってくるというものだ。
「あ、拒否権ないよ? 今のあたしに手を伸ばした状態……証拠として保存しちゃったからさ~」
「……は?」
「コレ、どう見えるかな~? あたしが誘ってるように見えるか、おーさきさんが無理やりやらせてるように見えるか、どっちだと思う~?」
ましろ、僕はね──結局あそこで変われなかった僕は、よくわからない人間関係の縺れに巻き込まれることになってしまったよ。こうなると、自分の愚かさとかバカみたいな制約とかをかけてしまって首を絞めているんだってことを嫌でも自覚させられてしまう。
でも、僕は……ましろに性欲を向けること自体が、怖くなってしまっていたんだ。わかってほしいなんて、もう二度と口にはしないけれど、僕はこれから、前に進んでいけるのだろうか。
大丈夫です。ちゃんとましろも出てきます。そりゃもうがっつりと……がっつりはでないかも。
最近前書きとかあとがきとか書くのにテンション割くのが面倒になってしまって空白でしたが、☆10ひとつきて復活しました。やっぱり評価は最高だな!
お気に入りは伸びないけどね。
次回はましろと海斗がどうして自然消滅したかを追ってイクゾー(疲れてる)