知られてしまったからには、向き合わないといけない。けれどこの向き合あうというものは簡単なことじゃない。僕もリサも。僕たちはあまりに間違え過ぎてしまって、間違えすぎたが故に自分たちが正解だと思っていたものよりも更に正解に近いものを、見てしまった。見つけてしまった。
「モカは、やっぱり……諦める気なんてないよね」
「ないだろうね。それだけ、幼馴染を不幸にされたっていうのが、青葉さんにとっては重い罪なんだから」
「ん……そだよね」
約四か月振りにリサが僕の部屋にやってきて、言葉を交わす。幼馴染の大切さは、奇しくも僕とリサもわかることだった。リサにとっての湊友希那さんであり、僕にとってのましろが、青葉さんにとっての幼馴染なんだ。僕の場合は異性だし、恋人になってしまったから少し違うかもしれないけど。
「どうしたら、いいのかな」
「考える必要はないと思うけど」
「でも! アタシにとってつぐみ……モカの幼馴染は知らない仲じゃないし、他にもきっと同じ子たちがいっぱいいるって思うと」
「だからってリサは自分を犠牲にしてもいいって? それで翔さんが喜ぶと思ってるの?」
「海斗だって、今自分がしてることでましろが喜ぶと思ってやってるの?」
「僕のことは関係ないでしょ」
「なくない、勝手に自分を蚊帳の外に置かないでよ」
何故か僕もリサもケンカ腰になってしまう。それだけ、心に余裕がないってことなんだろうか。それとも別の何かが原因なのか……僕にはもうなにもわからなかった。たった数ヶ月離れただけで、目の前にいるリサがまるで昔のブラックボックスだった頃に戻ったみたいに何も感じない。何も伝わってくることもなかった。
「……少なくとも、今は喜ぶなんて思ってない。でも、いつかはそれがよかったって思える日が来るって信じてるよ」
「なに、それ……ばかだ、ばかじゃないの? あんたは何年ましろの傍にいるの、何年、ましろの心を独占したと思ってんの? それをいつかはよかったって思える? そんな半端な覚悟で……っ!」
胸倉を掴まれるけれど、僕はそれを力づくで払う。半端な覚悟とか、何年独占しただとかもう、そんな客観的な一言で胸を抉られることなんてなかった。雨に濡れることもない、溢れる川も海もない。不毛の焼けつく荒野のような、ぽっかりと空いた虚しさだけが僕を支配していた。そこに感情の一滴だって染み込んじゃいないんだ。
「だったら」
「なに?」
「だったら僕が我慢と嘘を続ければよかった? あの時、九月のあの時にハッピーエンドのままエンドマークをつければ、納得したって言うの?」
「──海斗」
あのままだったとしても僕は何も変わらないし一歩だって前に進めなかった。だから僕は、自分ができる最大の行動を起こした。これ以上僕はましろを不幸にしたくない。それに、ましろはもう引っ込み思案で人見知りで、後ろ向きな子じゃない。仲間を得て、経験を得て、暖かい光に包まれることを知った。
──僕が愛さなくたって、誰かはましろを愛してくれる。なら、僕である必要はないでしょう?
「それ、翔をカノジョに持つアタシの前で言うの? それでもって翔の傍に居続けた、アタシの前で?」
「リサである必要はなかったんだろうね」
「……っ!」
顔が怒りに染まり、僕を睨みつける。それでいいよ、僕のことは放っておいてほしい。幸せになるなら勝手に幸せになってよ。僕を翔さんとリサの恋に巻き込まないでよ。最初から、最初からそうだったよ。
──リサが僕を誘わなきゃ、こんな面倒な感情を持つこともなかった。
「それは……それは、アタシ……アタシはっ」
「僕は、リサを恨んでるよ。巻き込まれなきゃきっと、あっさりと僕とましろの関係は終わっていただろうから」
「……そんな言い方」
それまで上向きだった顔が下を向いた。乾いていたはずの胸に何かが突き刺さっていく感覚を無視しながら、僕はもう帰ってとリサを追い出した。もう限界だった。もう顔も見たくない。二度と関わってほしくない。そんな風に、強い言葉を浴びせながら。
「海斗……アタシは、海斗にとって、迷惑だった?」
「……じゃなきゃなんだって言うの?」
「だよね……ごめん」
扉が僕とリサを隔てていく。最後の顔は……前髪に隠れて見えなかったけれど、笑顔だったんだろう。彼女はそういうヒトだ。悲しくても、なんだったとしても、他人には笑顔ばっかりを向ける。素直な表情なんて少しだってしない。悪感情なんてなおさらだ。怒りとか悲しみとか、そういう強い気持ちを向けるのは彼女にとって本当に大切なヒトだけだろうから。
「……ごめん、リサ。でも……僕はもう、リサに頼っちゃだめだから」
──独りになった空間で、考える。ちゃんと嘘は吐けていただろうか。表情筋が死んでるから、大丈夫だ……とは言いたいけれど、リサは僕の感情を読んでくる時もあったから不安だ。あと実は泣き虫なところもあるから、本当はすぐにでも扉を開けて抱きしめていたいくらいに胸が痛んだ。
「僕がリサを頼ったら、それこそ青葉さんの復讐になる。翔さんを悲しませることになる。それだけは……できない」
僕はもしかしたら、リサを幸せにできるのかもしれない。あの陽だまりのヒトを優しく包んであげることができるのかもしれない。でも、その資格があるのは僕じゃない、翔さんだ。そして、僕はましろを幸せにする資格はあっても、できはしない。結局、僕はましろにセックスに対して恐怖しか与えることができなかった。性欲というものに、不安と恐怖を植え付けた、あの男と同じように。
「……結局、逃げてばっかりだな、僕は」
もっと向き合えればいいんだけど、弱虫だから。見た目だけは強そうな言葉を、薄っぺらい言葉ばかりを使ってきた僕には、傷つけないと離れることすらできない。ましろにだって、リサにだって。失うと胸にぽっかりと穴が空いたように感じるらしい。前まではそうなんだ程度にしか考えていないけれど、いざ失う側に立ってみるとそれはすごく的確な表現なんだと実感できた。手を入れれば向こう側に貫通しているんじゃないかと思うほど、僕は満たされないものを感じながらそのまま眠りについた。
──その日見た夢は過去の中でも最悪のものだった。旅行の時にリサが言っていたものとほぼ同じような夢を、僕がリサと恋人同士の、幸せで退屈でただただそこに日常の中に二人の人生が浪費されていくような夢を見た。同時に僕は、僕はこんなものを求めていたんだと嫌悪した。
「あ、おはよー海斗!」
「おはよう海斗くん」
「──え」
目が覚めて、最悪だなと鈍い頭を振りながら朝ご飯を簡単に済ませようと扉を開けるとそこにはまるで当たり前のようにパンを頬張る翔さんと、台所に立つリサがいた。一瞬僕は隣の部屋にいるのかと思ったけれど、振り返ると見知った寝室で、リビングにあるものも自分の部屋のものだった。
「なんで、いるの」
「海斗に合鍵返してないし」
「そうじゃなくて」
「──海斗の嘘なんて、お見通しだし」
「これリサの嘘な、後で俺がそうなんじゃないかって話したんだよ」
「翔はとっとと事務所行っていーよ」
「おい、浮気するのか? 邪魔ものか?」
「はいはい、いーからばいばい」
「ちょ──ひどくね?」
何を、何を見せられるんだろうか。リサが翔さんを追い出してまた部屋で二人きりになる。忙しい朝にため息をついて、それから振り返ってリサはごめんねと優しい笑顔で、でも泣きそうな笑顔でそうつぶやいた。
「海斗の気持ち、わかってるつもりだったのに……アタシは焦ってばっかりだった。どうにかしなきゃ、ってさ。それってすごく独り善がりだよね」
「……リサは何を言ってるの?」
「今なら、翔がどうしてああまでして、アタシを蔑ろにしてまで誰かの愛に応えたのか……わかっちゃうな」
やめて、と首を横に振る。その表情をしないでほしい。その顔でその笑顔で、その暖かさで僕に触れないで。そうならないように昨日はあんな風に拒絶したのに、もう二度と僕とリサの道が交わらないようにってそう思っていたのに。
「──もう、我慢しなくていいよ海斗……独りになろうとしないで」
「……どうして、僕を……リサには、翔さんが」
「翔はいるケド、アタシは海斗が自分の欲のせいで自分を傷付ける姿を、ほっとけなかった。ごめん、せっかくアタシのためにって突き放してくれたのに」
抱きしめられて、慰められて絆されて、僕は涙を流しながら、リサだけじゃなくて翔さんにも心の中で謝りながらリサを襲った。さながら獣のように、お昼にお腹が空きすぎて大きな音が鳴るまで。いいよ海斗、という言葉に全てが流されてしまった。
──僕は認められたかった。そうだ、僕はいいよって言ってほしかったんだ。それがもう叶わないことも。
「翔には言ってあるよ。あはは、だいぶケンカしちゃったケド」
「……ごめん、リサ」
「いーってば、アタシのせいで海斗はましろとごっちゃになったのは事実なんだし」
「それは、リサを突き放すための嘘だし」
「んーん、海斗はホントのこと言ってるよ。それなのに、アタシは海斗のおかげで翔と今までより一緒になったんだよ? 感謝しても、しきれない」
だからこれだけは譲れない。アタシのやり残したことだからと決意の表情でリサは僕の腕の中に納まった。
僕はね──向き合わなくちゃいけないみたいだ。逃げることなんて許してもらえなくて、自分の欲とも気持ちとも、ケジメをつけなくっちゃいけない。それに、羨ましいとも思ったよ。ケンカしたんだ。リサと翔さんは、ケンカをした。僕はケンカなんてしてこれてないんだってことを、認識させられた。言いたいこと、実はずっと言えてなかったことを僕は今更ながら知ったよ。
結局こうなる。でもちゃんと前に進んでいるのですよ、あなたたちは。