翔さんの件については、どうやら翔さん自身で決着をつけに行くと決めたらしい。カッコいいな、本当にカッコいい。僕には真似できないカッコよさだ。そのつぐみちゃんって子が本当に自分のことを呪っているのか確かめに行くなんて特にできっこない。せいぜい今みたいに、自分がしたことに対して後悔をしながらその相手を抱きしめることくらいしか、できない。
「海斗はどうするの? ホントに別れたまんまにする?」
「……それは、ダメなんでしょう?」
「そりゃダメだケドさ、アタシはそんな正論とおんなじくらい、海斗に傷ついてほしくないから」
「二学期が終わる前に、ましろと話がしたい」
二学期が終わって年が変わったら、もう二度と会う勇気がでない気がする。このままリサとのぬるま湯のような幸せに浸かっていたいと思うこともあるけど、やっぱり風邪は引きたくないからね。
「……アタシ、海斗を苦しめてばっかだよね」
「そんなこと」
「正直さ、別れるくらい……言っちゃうとよくあることじゃん?」
「そうだね」
学生カップルが別れるなんて珍しいことじゃない。くだらないきっかけで別れるだなんて吐いて捨てるほどある。だからそこまで重くみなくていいってリサは逃げ道を作ろうとすることもできた。だけど、それを口にしなかった。僕に、辛い道を示してくる。
「僕のほうこそ、また浮気させて……苦しめてごめん」
「しょーがない、惚れた弱みってやつだし」
「……うん」
僕とリサは、どうしてこう理想に近すぎるんだろうか。あまりに残酷で、割り切れないほどに幸せな歩幅だから。鼻孔をくすぐるリサの暖かい香りに目を閉じているとそういえばさ、と腰に触れていた僕の手から視線を移しながらましろと話していたことを教えてくれた。
「モデルさん、好きだったの?」
「……小、中の時に」
「アタシに似てた?」
どうなんだろう、思い返すとタイプ的には似ていたのかもしれない。後ましろにはモデルって言い含めてきたけど……その、水着グラビアとかだから。たぶんそのヒト、グラドルだったと思う。
「ふーん、やっぱ昔の海斗ってむっつり?」
「言われるとそうかも。でもそういうのが好きだったせいか同級生は全然だった」
ましろは特別だったから。というかましろがその僕の欲情してしまうようなスタイルから外れていたことも、ここまで我慢できた原因にあったのかもしれないとくだらない結論に至ってしまうくらいだ。
「翔はさ」
「うん」
「今はそーでもないんだろうなとは思うんだけど、それでもやっぱ忙しいから一瞬ためらっちゃうんだよ。わがまま言ってもいいのかな、甘えていいのかなって」
でも、とリサは唇を重ねてくる。受け止められることがまるで当たり前だとでも言うように何度も、何度も熱を込めて、身体を密着させてきながら僕に向かって、微笑みを浮かべてきた。
「僕なら、迷う必要はないって?」
「海斗は……アタシと一緒なんだって安心感があるからね」
「一緒、か」
「でしょ?」
「うん、一緒だ」
安心感、か。確かに僕もリサにならいいんだって思う。どこまで欲を見せてもいいか、どこまでなら不快じゃないのかって触れるさいに考えることがない。強引に求めても、リサは応えてくれることを知ってるから。一緒なんだって思えるから。
「わがままだよね、アタシたち」
「そうだね」
このわがままだから我慢しよう、嘘をついてまで自分の本音が誰かを傷付けて、誰かに影響を与えるのを極端に怖がってしまうところが、僕やリサの悪い癖というものだ。相手がそれで変わることを望んでいても、僕らは……変わってほしくなんてなかった。自分なんかのために歩み寄ろうとしてほしくなかった。
「リサ」
「なに?」
「ありがとう」
「独りになろうとしないでよ? たとえ独りが楽だったとしてもさ」
「うん」
逃げるのはもうやめよう。リサとの約束があるから、僕は僕のわがままを怖がらずにましろに伝えようと思う。だって、ましろは僕の人生に色を付けてくれたヒトだから。甘えん坊で、わがままで、そのくせすぐに後ろ向きになって。でも何かにまっすぐ前を向けるヒト。僕のこうありたいというヒト。
「それで別れても、今度こそ慰めてなんてあげないから」
「……とか言って、リサは構ってきそう」
「うるさい」
図星だったのかくるりと寝返りを打って僕に背中を見せる。それを指摘すると更にうるさいばかと、海斗なんて嫌いだと顔を合わせずに怒ってくる。きっとましろに同じことをされたらどうしようと戸惑うだろう。だけど、リサならきっと大丈夫だから。彼女を包むようにして抱きしめた。
「僕はすきだよ、リサのこと」
「……ばか、どこでそんなの覚えてきたの」
「嫌だった?」
「んーん、すき」
ミルクチョコレートが口の中で溶けていくような、ただただ甘く、それゆえに顔を顰めたくなるほどの愛情に僕とリサはお互いの中にある口にできなかった言葉たちを交わしていく。やがてそれは熱の籠った吐息が混じり、嬌声の中に溶けていく。お互いの耳許に言葉で、唇を重ね奪い合うように、腰を打ち付け、言葉にならないほどの快楽の中で。僕たちはお互いの中に芽生えていた愛を確かめあった。心のどこかにあったタガの外れたセックスは、それまでのものを遥かに上回るほどに、充足感と幸福感に満ちていた。
「はぁーあ、やっぱ初恋追い求めすぎるのはミスってたカナ~?」
「どうして?」
「こんな好きで好きで仕方なくても許してくれるヒトがいるなんて、思わなかった」
「……僕も、幼馴染で初恋ってものにがむしゃらになりすぎたのかも」
「でも、そうやって理想を追い求めたから、アタシたちは出逢えたんだよね」
そうだ。僕とリサは出逢いが違えばとても幸せなカップルになれたのかもしれない。だけど、僕とリサが出逢ったのはこのマンションでお隣さんだったから。いつかましろと一緒に住む場所をと考えた僕と、翔さんとの幸せを欲しがったリサだったから。こうして出会えたんだ。
「……うん、アタシ決めたよ海斗」
「ん?」
「もし、ましろと話し合って、結局別れたりうまくいかなくなったら……アタシは、海斗と一緒にどこまでも堕ちていきたい」
「そこまでしなくても」
「いーの! どーせ海斗が泣いてたら手放しで翔と幸せになんてなれなくなっちゃうんだもん、だったらアタシはアタシの幸せのためだけに生きる。アタシだけが、海斗を救ってあげられるんだって手を伸ばすから」
それは、僕の決心が鈍ることのないようにと背中を押してくれるものだった。楽な方はないと叱咤してくれるような言葉だった。同時にリサは僕が望んでいた自分の幸せというものを追い求めてくれるとも約束してくれた。
「よかった。リサはいっつも翔さんや僕の幸せばっかり優先してたから、実は幸せになりたくなんてないんじゃないかって思ってた」
「……昔のアタシは、そうだったかも。海斗と浮気して、それで翔に罰してほしかったのかもね。そんな汚い女とは一緒にいられないって、言ってほしかったのかも」
「でも今は、幸せになろうとしてくれてる」
「だって、そうじゃないと海斗がアタシから離れてくれなさそうだし」
「……そっか、ふふ、あはは……ありがとう、リサ」
「──海斗」
リサの目がまん丸になる。僕だって正直すごく驚いている。いつも表情の出なかった僕が、笑いたい時にも、泣きたい時にも、一切動かなかったのに。
──僕は笑った。こらえきれなかったように、大好きなヒトを抱きしめながら笑みをこぼした。
「さっきの顔、ましろにも見せてあげなよ……見せてあげられるのなら」
「見せてあげられなかったら?」
「アタシがマウント取る。海斗を笑わせたのはアタシですよってさ」
僕の笑顔はきっと、リサからもらったものだ。いつだって笑顔で僕の傍にいてくれたリサのおかげで、僕は心から笑うということを覚えた。そんな風に笑顔をくれたリサが、僕は大好きだ。大好きだからこそ、もう二度とセックスをすることも大好きだって言葉にすることもしちゃいけない。僕とリサは今度こそ、最後にしなくちゃいけないんだ。
「……翔が、ましろと話し合う場所を作ってくれたってさ」
「翔さんも必死だね」
「ましろもね」
みんなそうなんだ。みんなそうだったんだ。僕たちが違っただけで、みんながみんな、自分の幸せのために必死に生きている。ましろにとっての幸せのために、翔さんにとっての幸せのために。そうやって生きてきた僕たちは、間違っていたんだろうね。
「んじゃ、行ってらっしゃい……二度と、おかえりなんて言わせないでよ、海斗」
「じゃあ、ただいまは言わなくていいね……行ってきます、リサ」
玄関先で僕はつま先立ちになったリサの腰と、頬に手を添えてたっぷりと数秒、唇を触れ合わせた。夢に見た理想の世界、夏の間にあった幸せな時間、その全てを終わりにすることへの躊躇いは、その唇に触れることで消し去っていく。
リサ、僕はね──もうリサのことを代わりになんてしない。次にもし、リサにこうして触れることがあったのならそれはもう誰かの代わりになんかじゃない。掛け替えのない、大好きなヒトとして、誰より僕がリサと幸せになる時だから。だから願わくば、そんな日が来ないことを。僕が幸せになる相手はもう、決めているから。
海斗くんついにメンタルリセット。そして更に五話の遠回りをしている関係に決着をつけに。翔さんは自分で解決できるんだから、自分で解決してください。青葉さんとバチバチやり合ってくれ。