早苗友人帳   作:ウォールナッツ

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人を愛した妖

『ここも随分変わったなぁ』

 

「諏訪子様は以前にもこの地へ来たことがあるんですか?」

 

『うん、何千年か前に一度だけね』

 

 手を繋いで歩くのも早々に飽きた諏訪子は、山道をピョンピョンと軽やかに進んでいく。早苗もそんな彼女の後ろを元気に歩いていた。

 話の内容は、この地域についてだ。彼女たちが引っ越して来た理由は幻想郷へのテスト転移だったが、この場所を選んだのは偶然ではない。昔はここに守矢の分社が有ったからだ。

 

『神奈子からも聞いたと思うけど、昔は守矢神社の分社や傘下の神社は沢山あったんだよ。諏訪地域だけじゃなく日本全国にね。この山にも分社を置いて、部下の神格を在籍させてた。とっくの昔に管理する人間も神格も居なくなったから、今はもう跡形も無くなっちゃったけどさ』

 

「諏訪子様…」

 

 なんてことは無さそうに話す諏訪子だったが、早苗はそんな彼女を労るように名を呼んだ。

 遠く離れた地にも建てられた無数の分社。それこそ守矢の栄華だった。しかし、今ではもう何も残っていないこの場所は、没落の象徴でもあったのだ。

 そんな場所を転移の練習へと選んだ理由は、守矢に関係する地でありながら何も残っておらず、転移に丁度良かったからである。なんとも皮肉な話だった。

 だが、諏訪子は湿っぽい空気を振り払うかのようにパタパタと手を振ると、何事も無かったかのように振る舞いながら話を続けた。

 

『そんなこんなで久しぶりに訪れたこの地なんだけどさ。力を持った妖どもが各地で好き勝手やってるわ、半端に封印された奴も沢山居るわ、おまけに妖の害から人を守る為に祓い屋たちも活発に活動してるわで、全然統率出来てないみたいなんだよねぇ…』

 

「確かに、この辺りの妖たちはアグレッシブですよね。元居た諏訪の地でも人を襲う妖は多少いましたが、この地域ほどではないですよ」

 

『そりゃあ、うちは神奈子がしっかり統治してたもん。守矢の縄張りで人を襲うような馬鹿も、ほとんどが外から入ってきた妖だったしね。ただ、諏訪以外と比べても、ここは騒がしいよ。やっぱり周囲を纏められるような強い奴が居ないせいかな?』

 

 諏訪子は首を傾げながらそう言った。確かにこの地は森一つ、山一つを縄張りにする妖や神格はいるものの、地域全体を支配している者が居ない。この騒がしさはそれが原因だろうと諏訪子は思っていた。

 その話を聞いて、早苗はポンと手を打つ。

 

「なるほど!では、そこで我らの出番という訳ですか!守矢神社の力でこの辺りを支配すれば皆が幸福になります!」

 

『いや、幻想郷に行く予定の私たちがここを統治してどうするのさ。いくら私たちでも、向こう行ったらここの面倒なんて見きれないでしょうが』

 

「あ、そうでした…。あはは」

 

 諏訪子が呆れた声で諭すと、早苗は照れくさそうに笑ってお茶を濁した。そんな彼女を尻目に、諏訪子は話を進めていく。

 

『まぁ、そうは言っても何とかしておきたいのは確かだよ。昔とはいえ、ここに分社を置いていた神格として責任感じている訳だし』

 

「流石は諏訪子様!下々の事まで案ずるとは、なんと慈悲深い…!」

 

(責任感じているのは神奈子だけで、私はこの地がどうなろうと別に構わないんだけど…。まぁいいや、黙っとこ)

 

 目をキラキラさせて感動している早苗に、諏訪子は『私は超やさしいからねー』と棒読みで答える。早苗は基本的に真面目な良い子ちゃんなので、誤魔化すのは簡単なのだ。

 

『ある程度こっちで治めてから、力ある大妖か神格にでも譲渡して安定させる。とりあえずの目標はそのくらいかな。時間はあまり無いけど、この辺の強い奴を適当に探しておくか~』

 

「ミシャグジ様では駄目なのですか?十分お強いですよね」

 

『流石に地元の連中から選んだ方が心証良いでしょ。昔は分社を置いていたとはいえ、今の私たちなんてほとんど部外者みたいなモンだし』

 

 無関心な諏訪子といえども、一応そのくらいの譲歩はするつもりだった。無論、そうは言っても面倒臭くなってきたら、ミシャグジでも何でも良いので代理を立ててしまうつもりではある。

 時間も無駄遣い出来るほど多くは残されていないので、神奈子も仕方無いなと納得するだろう。彼女たちにとっては、この地の問題などその程度の事でしかなかったのだ。

 

『だから、“関係無い奴が今更この地域のことに口出してんじゃねーよ!”って言われたら、私たち何も言い返せないね。完全な事実だし。アハハ』

 

「そんなことはありません!そのような愚かなことを言う者たちでも神奈子様や諏訪子様の御力を知れば、すぐにでも恭順する筈です!なにせ、守矢は最強で無敵なのですから!」

 

 諏訪子がケラケラ笑いながら言うと、早苗は頬を膨らませながら守矢の神々を讃えた。彼女にとって、諏訪子と神奈子は絶対の存在だ。如何に彼女らが部外者と言われようとも、地元の妖たちは二神に従うべきだと早苗は思っていた。そして、それは弱肉強食の妖の世界においても道理であるのだ。

 実際、こうやって軽く笑っている諏訪子も、反抗する生意気な妖がいれば死ぬ寸前まで殴りつけた後に『まだ反論ある?』と問い質すだろう*1。そこらの妖ごときに守矢神社が舐められる訳にはいかないのである。

 

『私たちを褒めてくれるのは嬉しいけど、はしゃいでいるとコケるよ、早苗』

 

「大丈夫ですよ!山の神の祝子である私が山道で転ぶはずがありませんから!」

 

 守矢を賞賛している内にテンションが上がってきたらしく、早苗は山道を歩きながら腕を大きく振り回していた。

 守矢の主神たる八坂神奈子は軍神であると同時に、山を司る神でもある。その祝子でもある自分が夜の山道程度で…と早苗が思っていた時、足元が泥でズルッと滑った。

 

「きゃあ!?」

 

『ああ、もう。言わんこっちゃない』

 

 諏訪子が助けようと思えば、いくらでも助けてやれる。だが、彼女はあえて手を出さなかった。早苗を助けようとしてくれている者が近くに居たからだ。

 

「あ、あれ?」

 

「風祝殿、お怪我はありませぬか?」

 

 地面に倒れる前に、早苗は何かにボフンと包まれた。そして、その上から涼しげな男性の声をかけられる。声の主の名はリオウ。人型の妖であり、守矢神社が転移してくる前はこの山の森を治めていた上級の妖であった。

 天使のように白く美しい翼を持つ彼は、それをもって早苗を救っていた。

 

「リオウさん!ありがとうございます!フカフカの翼のおかげで無傷です!」

 

「それは良かった。洩矢神(もりやしん)様もご機嫌麗しく存じます」

 

 リオウは早苗を背中の翼で背負いつつ、諏訪子に対しては片膝をついて丁寧に(かしず)いた。

 彼は山に転移してきた存在が守矢だと気付いた時、すぐに神社まで赴いて降伏を申し出ている。その際、リオウは諏訪子とも面会していたため、両者とも面識があった。

 

『やっほ、リオウ。早苗を助けてくれてありがとね。でも、やっぱりリオウくらいの妖になると、隠れてた私の姿も見えちゃうか~』

 

「ふふふ。実は、風祝殿が一人で誰かと会話しているように見えましたので目と耳を凝らしておりました。私程度の妖力では、それでようやく分かるくらいですよ。それに、洩矢神様が本気で姿を隠しておれば、私程度では看破など出来ぬでしょう?」

 

『まぁね。一応、私もソコソコの神格だし、そのくらいはね~』

 

 リオウに問われると、諏訪子はニヤリと笑ってそう答えた。しかし、リオウは恐れ多いとばかりに首を横に振る。彼は洩矢諏訪子という神格が持っている“伝説”を知っていた。見た目が幼いからといって、彼女は決して侮って良い存在ではないのだ。

 

「ご謙遜を。『土着神の頂点』とも呼ばれた御方がソコソコなどとは、とてもとても…。すみませぬが、風祝殿。そろそろ降りて頂いてよろしいか?」

 

「えへへ。まだ物足りませんが、堪能させてもらいました」

 

 早苗はリオウたちが会話している間、ずっと彼の翼を触っていた。女子高生らしくフワフワしたものやモフモフしたものが好きなようだが、カエルや蛇などの両生類・爬虫類系も好きなので単に動物や生物が好きなだけなのかもしれない。

 

「おや、主様。それに早苗様も」

 

 そうこうしていると、山道の先から着物を着た女が1人歩いてきた。こんな夜中に着物を着て山道を歩く女など普通の人間であるはずがない。事実、彼女はこの山に住む妖であった。

 

「あ、紅峰さん。どこか出かけていらしたのですか?」

 

 彼女の名は紅峰。リオウの配下の1人であり、彼を“主様”と呼び慕う女妖だ。リオウとは違い人間嫌いな彼女であるが、現人神である早苗には好感を抱いていた。また、早苗の方も紅峰が理性的で人型の女妖ということで、彼女とは話しやすいと感じていた。

 

「ええ。斑様の、知り合いの妖の所に行った帰りでして。ただ、留守だったらしく会えなかったんですけどね。早苗様と主様はここでどうなされました?」

 

「私は山に入ってきた邪鬼を祓い、神社に帰るついでに見回りをしていたところでリオウさんとバッタリ出会ったのです。そして、リオウさんの翼をモフらせてもらってました!」

 

「ぬ、主様の翼を!?何とも羨ま…ゴホンゴホン!主様、少々お待ち下さい!早苗様と女だけでの内密のお話が…!ささ、どうぞこちらへ、早苗様。そ、それで主様の翼は一体どの様な感触でしたか…?」

 

 道で滑って転びそうになっていた部分をちゃっかり省略しているところは、実に早苗らしい。

 しかし、紅峰にとって重要な点はそこではなく、己ですら堪能したことはない(リオウ)の翼についてだった。諏訪子の存在に気付かなかった彼女は、女だけと称して早苗を少し離れた所へ連れていく。

 その様子をリオウは何ともいえない表情で見送り、諏訪子はクスクス笑いながらそんな顔をする彼を眺めていた。

 

『そういえばさぁ、リオウは早苗に対して素っ気ないトコ有るよね~。なんで?』

 

 諏訪子は思い立ったかのようにリオウを見ながら問う。

 事実、リオウは早苗と距離を置いて接していた。先ほど早苗を助けた時ですら、彼は一度も視線を合わせていない。正面を向き合って早苗と会話する際も、リオウは目を伏せてやり取りしているほどだ。当の本人である早苗は全く気付いていなかったが、諏訪子は当初から勘付いていた。

 

『あ、別に“急に外からやって来て縄張り奪いやがったのはテメェらなのに、なんでもクソもあるかボケ!”って理由でも良いよ?さっき早苗を助けてくれたから、アンタは何言っても許してあげる』

 

「守矢の方々を憎んではおりませんよ。むしろ、森の瘴気を打ち払っていただいて感謝しているくらいです。風祝殿への態度については……、一度でも心を許してしまえば幻想郷へと行かれる際の別れが辛くなる。そう思った次第でございます」

 

 諏訪子の冗談を華麗に流し、リオウは静かに答えた。

 人との関わりの深さは、時間の長さではない。たった一度の出会いでさえ、心を強く惹きつけられてしまうこともある。最近では“夏目”という少年にも惹かれつつあったリオウは、だからこそ今以上の関わりを作るつもりはなかった。

 

『ふぅん。幻想郷に来る気は無いの?神奈子から誘われたと思うけど』

 

「確かに以前、八坂様へ謁見した際に幻想郷へのお誘いを受けました。“神格でも妖でも、共に幻想郷に行きたい者がいれば受け入れよう”と。我らのような卑しい妖にも声をかけて下さるとは、守矢の神々の恩情には感謝するばかりでございます」

 

 守矢はこの地の妖たちに幻想郷への渡航を誘っている。任意であり“幻想郷に行きたい奴が居るなら一緒に来れば?”程度の勧誘だが、妖の中には興味を持つ者も居た。

 リオウもその恩情はありがたく感じている。彼女たちのような高位の神格が、妖如きを(おもんばか)るなど滅多に無いことなのだ。

 しかし、彼はその話に乗るつもりは無かった。

 

「されども私は幻想郷には行かず、この地に残るつもりです。…それに、たとえ幻想郷へと共に移り住んだとしても人の一生は(わたしたち)には短すぎます。それは洩矢神様もお分かりでしょう?」

 

『そうだね。人間は私たちと生きる時間が違うからね』

 

 諏訪子はそう頷いた。早苗は現人神だが、だからといって寿命は普通の人間と変わらない。万を優に超える年数を生きてきた諏訪子にとって、その時間は一瞬で過ぎていくだろう。

 そして神格ほどではないが、リオウを始めとする妖も寿命は長い。彼自身、数百年を生きてきた妖であるし、もっと強い者は千年を超える者だっている。つまり、どう足掻こうとも人間と人外は長く一緒に居られない運命にあるのだ。

 

「大切な友人に先立たれる悲しみは想像を遙かに超えるものでした。呼びかけてくれた声が、差し伸べてくれた手の感触が…今でも全てが懐かしく、愛おしい」

 

 リオウの脳裏に今は亡き友の姿が浮かび上がる。何もかもが忘れられない記憶だ。手を伸ばせば、あの時の温もりが甦ってくるようだった。

 

「人は好きです。故に、私はこれ以上の別れを望みません。洩矢神様は恐ろしくありませんか?たとえ風祝殿が天寿を全うしたとしても、それは我々にとって僅かな時間でしかないという現実が…」

 

 愛するが故に近づかない。リオウは己でそう決めていた。

 だからこそ、彼は諏訪子に尋ねたかったのだ。かつては無数に人間たちと接し、そして別れてきたであろう彼女たち神々は、今は東風谷早苗という1人の少女を見守っている。その想いを聞いてみたかった。

 

『人の寿命は短い。それはもちろん私だって辛いし、怖いよ。私たちが幻想郷で生き永らえるってことは、いつの日にか早苗を看取る日が来るってことなんだから。きっとその時は、私も神奈子も泣き喚いて悲しむだろうねぇ。“こんな思いをするくらいなら、あのまま現世で朽ち果てていれば良かった!”って叫ぶかもしれない』

 

「……」

 

 妖でも、神格でも。たった一度だとしても、幾度となく経験していたとしても。愛する人間と別れを告げるのは辛い。諏訪子ですら、早苗との死別を考えると胸が張り裂けそうになるほどだった。

 しかし、それでも彼女はニコリと笑みを見せ、リオウに語りかけた。

 

『でもね、私たちにはそれと同じくらいの確信があるんだよ。“どんなに悲しくても、早苗と過ごした日々は絶対に後悔しない!”って。だから、幻想郷で共に過ごすことを早苗に乞われた時、私たちはそれを断らなかった。だってさ、あの子と一緒に居るの楽しいんだもん!』

 

 そう笑って言う諏訪子の姿を、リオウは眩しそうに見た。

 未来(さき)を悲観するのではなく、現在(いま)を楽しむ。それは彼には無い勇気だったのだ。

 

「お強いのですね、御二柱は…」

 

『強い?あはは、まさか!私たちは寂しがり屋でワガママなだけだよ。本当に強い奴だったら、そんなこと気にも留めないって!」

 

 リオウの褒め言葉を、諏訪子は一笑に付した。続く言葉は己の弱さを認める自虐的なものだったが、後悔の念は一切こもっていない。悲観することは無いのだ。諏訪子と神奈子は、早苗と共に前を向いて歩んでいくだけ。それが彼女たちの想いだった。

 

「…人から距離を置くという私の考え方は間違いなのでしょうか?」

 

 寂しそうに、そして羨ましそうにリオウは尋ねた。彼女の想いに触れて、リオウは自分の選択に迷いが生じてしまったのだ。

 しかし、諏訪子の答えは実に単純なものだった。

 

『別に何が正解とかじゃないでしょ。自分の思うように過ごせば良いじゃん。私たちも好きなようにやってるんだし、リオウはリオウで自由にしなよ』

 

「……」

 

 己の思うがままに。そう言われたリオウは、暫し無言になって考えた。視線は未だに紅峰との会話を楽しんでいる早苗に向けられている。しかし、彼女を通して別の誰かの幻影を見ているような表情でもあった。

 そうした後、彼はゆっくりと腰を折って、諏訪子に深々と頭を下げた。

 

「…幻想の(さと)へのお誘いは嬉しゅうございました。ですが、やはり私は大切な友人が眠るこの地に残りたいと思います」

 

『うん、そっかぁ』

 

 やはり、リオウはかつての友が忘れられなかった。死別した友を唯一無二の存在として心の中に残したままでありたかったのだ。しかし、それもまた勇気。諏訪子や神奈子とは、また違った勇気だと言えるだろう。

 だからこそ、彼はこの地に残ることに決めた。当初の選択と変わらないものであったが、その顔は明らかに晴れやかになっていた。

 

『良い顔するじゃん。私たちはアンタの選択を尊重するよ』

 

 断られた形となった諏訪子だが、彼女はむしろ上機嫌だった。

 人間(さなえ)を愛してしまった人外として、同じく人間を愛し続けるリオウに嫌悪感を抱けるはずもない。歩む方向が違ったからといって、咎める気など諏訪子には更々無かったのである。

 

「ありがとうございます。ですが、私の配下の中には移住を希望する妖もおるやもしれません。そのような者がおりましたら、どうかよろしくお願い致します。幻想郷がどのような地であろうとも、守矢の神々が新たな主となれば彼らも安心して過ごせるでしょう」

 

『うん、任された。とはいえ、リオウが残るなら配下の妖たちも殆ど残りそうだけどね。アンタかなり慕われているし。それに妖たちは神格と違ってそこまで切羽詰まってないってのも大きいかな』

 

 恐らくリオウ配下の妖たちも幻想郷には来ないだろう。弱小妖だった彼らにとって、リオウとはそれだけ恩の有る存在だったからだ。

 故に、呼びかけに応じる者たちが居たとするのならば、それはきっと現世に見切りをつけた神格くらいなものだと諏訪子は考えていた。

 

「神々の大変な御苦労、心中お察し致します。最近でも七つ森の露神(ツユカミ)様が御逝きになられたと聞きました。悲しいことです」

 

『まったく世知辛い時代だね…。ああ、そうだ。地元の神格って話で思い出したよ。リオウ、アンタこの地に残るんだったら、ついでにこの辺りの地域一帯も治めてみない?今探してるんだよ、ここらをしっかり統治出来そうな強い奴。力不足ってんなら、神奈子が持ってる八咫烏(ヤタガラス)の力をプレゼントするからさ』

 

「八咫烏と申しますと、神の火の力…!」

 

 リオウは目を見開いて驚いた。

 八咫烏は太陽神である天照大神(アマテラス)の使神である。風雨の神である八坂神奈子は天候を司る神でもあり、即ち太陽信仰を受ける神でもある為、彼女は八咫烏の力を扱うことが出来たのだ。

 

『そ。つまり太陽の力を得られるわけさ。割と馴染むと思うんだよね。ほらアンタ翼生えてるし、鳥仲間って感じで。それに太陽は核融合の力だから、すごいエネルギー出せると思うよ。扱いミスると一帯が放射能で汚染されるかもしれないけど』

 

 諏訪子が説明する通り、八咫烏の力は凄まじい。火力という一点においては上位の神々にも迫る戦闘力を得られるかもしれない。

 しかし、同時に扱いも非常に難しいというのも事実だ。この力を上手く扱える妖は、リオウのように賢く能力に優れた者か、本能で扱いを理解出来てしまうような格別の馬鹿者くらいに限られるだろうと諏訪子や神奈子は思っていた。

 

「も、申し訳ありませんが洩矢神様。それは私には過ぎた力です。それに、私は住家の森以外を治めようとも思いません。幻想郷の件といい、頂いたお話をこう何度も断るのは大変失礼だとは思いますが…」

 

 予想外の提案をリオウが狼狽えながら断ると、諏訪子は笑いながら頷いた。元々、彼女もリオウが力に靡くとは思っていなかったのだろう。そういう選択肢も有るのだと教えたかっただけだ。

 

『真面目だねぇ。力なんて貰うだけ貰っておいて、私たちが居なくなったら好きなように使えばいいのに。ま、いいや。無理言って悪かったね。気にしないでいいよ。…さてと、そろそろ早苗を戻さないと神奈子も心配するし、これでお暇しようかな』

 

 グイッと背伸びをしながら言う諏訪子に、リオウは再び深々と頭を下げる。それから彼は配下の妖である紅峰へと声をかけた。

 

「はっ、洩矢神様。私たちも失礼させて頂きます…。紅峰、風祝殿とのお話しは済んだかい?人の子には昼の生活がある。あまり夜遅くまで付き合わせていてはいけないよ」

 

「はい、主様!丁度全て聞き終えたところでございます!触感から匂いに至るまで、細部も完璧です!」

 

「…そうか」

 

 とても良い顔で紅峰が答えると、リオウは色々と諦めたような表情で小さく頷く。それを見て、やはり諏訪子はニヤニヤと笑っていた。それから気を取り直したリオウは、早苗に対しても深く頭を下げた。

 

「それでは早苗様。我らはこれにて失礼致します」

 

「失礼致しますわ」

 

「さようなら、リオウさん、紅峰さん。またお喋りしましょうね!」

 

『またね~』

 

 諏訪子はヒラヒラと、早苗はブンブンと手を振って別れを告げる。時刻は既に深夜近い。リオウたちの見送りが済んだ早苗も今から帰宅するつもりだった。

 

「もう見回る時間は無さそうですね。空を飛んで帰るとしましょう」

 

『いや…、お客さんがもう1人居るみたいだよ』

 

 諏訪子がそう言って近くの木へと目をやった。早苗も視線を辿ってそちらを見ると、1人の妖が恐る恐るという様子で木の陰から現われる。獣が混じったような様相をした妖だった。

 

「お、お待ち下さい、巫女様…!」

 

「おや、あなたは…見かけない方ですね。もしや、リオウさんの配下の妖ではなく、余所から来られた方でしょうか?」

 

 その妖からは大した妖力を感じられなかった。当然、その程度の弱い妖では諏訪子の姿は見えない。

 それに加えて、この妖はリオウたちが居なくなったのを見計らって早苗に話しかけてきている。つまりは、彼女に内密の話を持ちかけてきたということであった。

 

「ええ!隣山の下等な妖でございます。実は、人間との関わりがあるという現人神の巫女様にお願いがあるのです!」

 

「お願いですか?構いませんよ、出来る限りではありますが力になりましょう。それで、どうなさいましたか?」

 

 土下座をして頼み込んでくる妖の願いを、彼女は快く引き受けた。それを聞いた妖は涙を溢すほど喜んでみせた。

 

「ああ、巫女様!ありがとうございます。実は私、人間めに名を奪われたのでございます」

 

「名を奪われた…?大変じゃないですか!?」

 

 人外の者たちにとって『名』とは、ただの呼び名ではない。契約を持ってその者の名を縛れば、命を縛ることと同義になるのである。当然、そのくらいは早苗でも知っていた。

 たとえば、妖が紙に己の本名を書いたとする*2。そうすると、名の書かれた紙は己の命そのものになるのだ。紙を破けば身体が裂かれ、紙を燃やせば全身が燃える。更にその紙を他人が持って書かれた名を呼べば、その者のどんな命令にも逆らうことが出来なくなるのである。

 それ程の力を持つため、人外たちはそう簡単に自分の名を他人に渡したりしない。その『名』が人間に奪われたというのは、まさしく余程のことが起きたということである。

 

「しかも、被害は私一人ではございません!多くの妖たちや神々も被害を受けているのでございます。名を奪われて以来、私たちはどんな酷い扱いを受けるかと恐れ、怯える日々を過ごしておりました…」

 

「妖だけでは飽き足らず、神々からも名を!?な、なんという悪行を…!」

 

 早苗は敬虔な神官だ。信仰は守矢に捧げているが、だからといって他の神格を蔑んでいる訳ではなかった。少なくとも守矢と敵対でもしない限りは、どんな神格であろうともキッチリ敬うつもりでいる。

 故に、神格からも名を奪った人間が居ると聞いて、彼女は驚きと怒りを隠し切れなかった。妖も彼女の怒りに同意するように何度も頷いてみせる。

 

「ええ、ええ!極悪人ですとも!ですが、口惜しいことに我らではその人間に敵いませぬ。どうか巫女様。奴を懲らしめ、我らの名を取り返していただけないでしょうか?どうかどうか、伏してお願い申し上げます…!」

 

 妖は地に頭を擦りつけて懇願する。そんな彼の願いに応えるかのように、早苗はお祓い棒を堂々と構えてみせた。

 

「これは神に仕える者の1人として見過ごせません!良いでしょう!この守矢の風祝、東風谷早苗があなたの力になりましょう!それで、あなたや神々の名を奪ったという罰当たり者は、一体どのような人間なのですか?」

 

『……』

 

 早苗の顔は正義を成す為と言わんばかりに自信に満ちている。

 しかし一方で、諏訪子だけはその妖をつまらなさそうに見続けていた。害虫を見るかのような冷たい視線だったが、諏訪子の存在にすら気付いていない彼は当然その視線にも気付かず、そのままペラペラと語り出した。

 

「其奴めの名は『夏目レイコ』。人で在りながら有り余るほどの妖力を持った女で、その様相は恐ろしく、口は真っ赤で髪を振り乱しながら襲って来ます。そして暴力をもって名を無理矢理聞き出し、子分になるように誓わせるのです。恐ろしい女でございましょう?」

 

「怖ッ!?その女性ホントに人間なんですか?ほとんど化物じゃないですか…」

 

「それが本当に人間でして…」

 

 それはもう口裂け女とかの(たぐい)ではなかろうかと早苗は思うが、彼の話が正しければ本当に人間らしい。それはそれで妖以上に怖い気もするが、こちとら軍神の風祝であり現人神である。自分が負ける要素など無いという自信を早苗は強く持っていた。

 

「とはいえ、名前も分かっているのならば、幾らでも探しようがあると思いますよ。悪名高いようですし、妖たちに聞いて回れば所在もすぐに割れることでしょう」

 

「お待ちを!他の妖どもに感づかれるようなことはお止め下さいませ、巫女様。我が名を奪われていることを他の妖どもに知られれば、掠め取り利用しようとする輩も出て来るやもしれません。それを想像するだけで…おお、恐ろしゅうございます」

 

 早苗が捜索方法を提案すると、妖がブルブルと身を震わせて言った。たかが下級妖の名前であるが、本人からしてみれば一大事なのである。それを聞いた早苗は、彼の心配も尤もだと頷いてみせた。

 

「確かにそうですね…。分かりました。では、まず私の周囲の人々に夏目レイコを知っている人がいないか聞き込みをしようかと思います。話を聞く相手が人間だけなら安心でしょう?」

 

「ありがとうございます、巫女様。このご恩は忘れませぬ…!」

 

 妖はまたも土下座を繰り返す。だが、先程までと違い、その顔は満面の笑みに包まれていた。期待に満ちた表情である。

 

「ふふふ、良いのですよ。守矢の信者を守るのは風祝として当然ですから。では次は…明後日の(とり)の刻(午後5時から午後7時頃)にまたここで会いましょう。それでは失礼しますね」

 

「ははーっ!」

 

 早苗はそう言って、その妖と別れた。

 彼女にとって他人に頼られるということは悪いものでは無い。むしろ、嬉しくすらある。それが自分しか解決出来ないとなると尚更だ。少なくとも早苗は、人に頼られても“面倒臭い”や“なんで私が”などという負の感情を持たないくらいには善性の持ち主であった。

 機嫌良く神社へ帰ろうとする早苗だったが、その背に諏訪子が声をかけた。

 

『早苗。私はもう少し散歩して帰るから、先に帰ってな』

 

「は~い。でも、夜更かしはダメですよ、諏訪子様~」

 

『はいはい。アンタも風呂に入ったら早く寝なよ』

 

 家族らしい会話を交わした後、空を浮遊して帰る早苗を諏訪子は見送る。

 そして面倒臭そうに妖が去って行った方角を見ると、彼女はピョンと跳んだ。一瞬で先ほどの妖の近くまで移動すると、手頃な岩に座って軽く耳を澄ます。この妖が嗤いながらブツブツと独り言を呟いていたからだ。

 

「ヒヒッ、クヒヒヒ!馬鹿な巫女め。簡単に騙されおった。喰ろうてやる…喰ろうてやるぞ、夏目レイコめ!人間ごときが儂を殴りおって…!巫女に倒された暁には生きたままハラワタを喰ろうてやる!」

 

 この妖は早苗に嘘を吐いていた。元より、彼は夏目レイコに名など奪われていないのだ。

 ただ単に、人を喰らおうとしたところをレイコに殴られ、撃退されただけの下等な悪妖だった。名を奪う価値も無いどころか、レイコ自身ですら数分後には存在を忘れるほどの小者だったのである。

 しかし、彼本人だけは人間に負けたという屈辱が忘れられなかった。憎悪を抱き続けて幾年。レイコが既に亡くなっていることも知らないこの妖は、守矢がやって来たことで復讐のチャンスが訪れたと意気込み、持ち前のズル賢さで早苗を騙してみせたのであった。

 

「いや、待てよ。巫女とレイコが相打ちになれば…。ヒヒッ、クヒヒヒ、クヒヒヒヒヒッ!」

 

『……』

 

 人食いの妖にとって、霊力や妖力に満ちた人間という存在は御馳走である。ましてや神聖な神官や巫女といった存在は格別であり、喰らえば妖力も大いに増すだろう。彼はそれを想像してボタボタと涎を零していた。

 しかし、この言動は明らかに守矢への侮蔑であるし、そもそも悪意を持って早苗に接近してきたこと自体が許されざる行為である。ミシャグジたちはこの無礼者を殺戮せんと蠢いたが、当の諏訪子が手をやる気無く挙げてそれを止めさせた。

 

(こういう馬鹿が居るのは予想通り。普段なら速攻で殺しちゃうんだけど…今回は早苗に任せようかな。幻想郷に行ったら何が起こるか分かんないし、その前に少しでも悪意ってモンに慣れさせておかないとねぇ)

 

 元より、諏訪子はこの妖が嘘を吐いていることなど一瞬で看破している。

 名を奪われていれば、その分だけ妖力も封じられてしまうものだが、彼にはその様子がまるで無かったし、悲壮感も演技的であった。その程度で海千山千*3どころか万の時を経験してきた諏訪子に通じるはずがないのだ。

 そして簡単に騙されてしまった純真な早苗は、事態が収拾した後は多少なりとも他人を疑うことを学んでくれるだろう。諏訪子はそう願っていた。

 

『でも、“夏目レイコ”。そっちの話は本当みたいだったんだよねぇ。人外から名を奪うって、普通の祓い屋とかだと禁術のはずなんだけど…まぁ、どうでも良いけどね』

 

 誰に言う訳でもなく諏訪子はそう呟いた。

 彼女や神奈子ほどの大神格になれば、相手の名を奪う必要など無い。妖なんて簡単に消し飛ばせる力を持っているのだから、その武力を背景に命令すればそれで片付くのだ。だから、どうでも良いというのは本心だった。

 無論、妖の中には八雲紫のように常軌を逸した強さを持つ大妖怪級も居る。しかし、そのレベルまで行くと、今度はもう『名』如きでは縛られなくなる。妖力で、腕力で、技術で、そして固有の能力で常識という壁を打ち破っていく。最上位の妖という存在はそういうものなのだ。

 

『さ、私たちも帰ろ帰ろ』

 

 故に、先ほどの妖への興味は既に無かった。諏訪子はミシャグジたちを引き連れ、守矢神社へと帰って行くのだった。

 

*1
諏訪子に反抗するなど、その時点でミシャグジたちに問答無用で祟り殺されてもおかしくないのだから、これは非常に慈悲深い説得方法である

*2
平仮名やカタカナ、漢字などの文字ではなく、妖たち特有の文字である

*3
この諺は『海に千年、山に千年住み続けた蛇は竜になる』という古代中国の故事からきている




 早苗の寿命
 東方茨歌仙には神奈子と諏訪子に対して『お二人には無限の時間があるのかもしれないですけど…』という早苗の台詞があります。現人神になっても寿命があるみたいですね。
 もちろん現人神になったことで寿命が多少なりとも延びている可能性も有りますが、このSS内では一般人と同じ寿命ということで。

 紅峰
 夏目たちの家を訪れるが、行き違いになってしまった模様。会って事情を説明してさえいれば、誤解は生まれなかったのだが…。

 神奈子と諏訪子の歳
 モデルとなっている神様で計算すると、
 日本書紀によると天孫降臨(ニニギノミコトが神様の世界から地上にやって来た)が現代から約180万年前。その頃には神奈子のモデルとなった神様は居たみたいなので180万歳以上。諏訪子は神奈子よりも年上なのは間違い無いそうなので、それ以上。そりゃあ人間の一生なんて一瞬ですね。
 というか日本書紀くん年数盛りすぎィ!180万年前とか人類がまだ猿人とか原人とかの時代なんですけど…(困惑)。
 なので、このSSでは諏訪子が楽に1万歳超え、神奈子が一万前後かなって感じで書いています。
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