このSSは、基本的には東方原作の設定にある程度沿って書いていくつもりですが、原作には幻想入り前の守矢の情報はあまり多くないので、オリ設定を入れつつ諏訪大社の史実にも沿ったり沿わなかったりする予定です。
(名取さんに連絡が取れなかった。俳優の仕事が忙しいだけだと思うけど…)
学校の授業が終わり、夏目は校内の廊下を歩きながら焦りを抱いていた。
あの遭遇から一夜明け、朝を迎えると夏目はすぐに名取の自宅へと電話をかけた。しかし、電話は留守電に繋がるばかりで彼と連絡を取ることは叶わなかったのだ。一応、留守電に昨日の状況を伝え残したが、それでも出来ることなら直接話をして相談したい。家に帰ったら再び電話をかけるつもりだが、その前に夏目にはやることがあった。タキと田沼に会って、気をつけるように言わなければならないのだ。
「あっ、田沼!」
「やぁ、夏目。そんなに慌ててどうかしたのか?」
廊下の曲がり角でバッタリという感じで田沼に出会った。急いで彼を呼び止めると、辺りを見渡す。他人が近くに居ないことを確認して、夏目はすぐさま話を始めた。
「田沼、タキがどこに居るか知っているか?」
「タキ?いや、今日はまだ見てないな。何か用事か?」
「ああ…。実は、先週タキのクラスに転校してきた女子についてなんだ」
夏目がそう切り出すと、田沼は首を傾げる。その後、思い出したという感じで口を開いた。
「タキのクラスの?ああ、廊下で一度すれ違ったことがあるな。それがどうかしたのか?」
「…髪の色は覚えているか?」
「髪…?そういえば遠くから見た時は普通の黒髪かと思ってたんだが、すれ違った時に一瞬だけ緑色に見えたんだよ。振り返って見たらやっぱり黒色だったから、変だな?って感じたのを覚えているけど…」
田沼は妖を見ることは出来ない。しかし、妖の気配を感じたり、怪しい影を見たりする程度の妖力は持っていた。一瞬だけ髪が緑色に見えたというのもその影響だろう。夏目はコクリと頷いてみせた。
「田沼。俺にはあの女子の髪が緑色に見えている。明るい緑色に。だけど、他の人にはそれが見えていないんだ」
「まさか妖か…?」
問題事を察した田沼がそう聞いてくる。だが、夏目は神妙な面持ちのまま首を横に振った。
「分からない。だけど昨日の夜、あの女子がミシャグジ様と呼ばれる祟り神たちを操って妖を喰わせていたんだ」
「喰わせ…!?」
夏目が言うと、田沼はドン引きした様子を見せる。“それ…ヤバくないか?”、“ああ、ヤバかった”。顔を見合わせながらそんな会話を小さな声で交わしていると、不意に後ろから声をかけられた。聞き覚えのある女子生徒の声だ。
「あ、夏目君に田沼君。そんな所でどうしたの?」
「タキ…!」
夏目が探していた女子、タキが軽く手を振りながら歩いてくる。緑髪の転入生と同じクラスであるため心配していたが、別段いつもと変わった様子はない。夏目はホッと胸を撫で下ろしながら彼女と合流した。
「タキ。無事で良かった、実は――」
そのまま3人で下校して、帰り道を歩きつつ夏目は昨夜の出来事を説明した。友人帳のことは内緒にしながらも昨夜の状況を伝えると、タキは絶句していた。詳しい話を聞いた田沼も眉を顰めている。
特に、転入生がミシャグジを操り邪鬼を喰わせて殺したと聞くと、その残虐性にタキは口元を抑えて信じられないといった表情をしていた。
「そんな…あの東風谷さんが…!?」
「ああ…。だが、ニャンコ先生は妖の匂いはしなかったと言っていた。むしろ、人と神格が混じったような匂いがしたと…」
「神格…。まさかカイのように人に紛れて学校に…?」
夏目とタキは、かつて『カイ』と名乗る妖に出会ったことがある。妖であり神格でもあった彼は、八白岳という山の頂きで水源を守っていた水神の類だった。
しかし、誰も居ない山頂で長い間たった一人居た彼は、いつしか寂しさを覚えるようになってしまった。今の時代、人が供物を持ってくることもなく、周囲には妖すらいない。そうして彼は孤独に耐えかねて山を下り、人間の営みに混ざった。己の姿を小学生くらいの男の子へと変化させ、人々の認識を操り『石尾カイ』という名前で人の世に混ざったのである。そして、カイは小学校で友人を作り、目一杯遊んだ。誰かと一緒に居ることが堪らなく楽しかったのだ。
夏目とタキが彼に出会ったのは、そんなある日のことだ。最初、誤解があったものの3人はすぐに打ち解け、大の仲良しになった。それは夏目が家族という存在を想ってしまうほど温かい日々だった。
しかし、その後カイが妖であることを夏目は知ってしまい――結果、彼は夏目たちの前から姿を消した。自分という存在が夏目たちを困らせていると勘違いしてしまったカイは涙を流し、泣きじゃくりながら去っていったのだ。
「東風谷さんも、カイみたいな理由で学校に来たのかしら?でも、もしも東風谷さんが悪い妖だったら…」
あの転入生がカイと同じ理由で学校に来ているのだとしたら何とかしてあげたい。彼を救ってやれなかったタキはそう思っていた。しかし、同時に恐怖も感じる。かつて彼女には悪意有る妖に祟られた過去があり、自分だけでなく夏目たちの命をも危険に晒してしまった経験を持っていたからだ。
困惑するタキだったが、夏目もそれに対する答えは持ち合わせていない。ただ首を横に振るしかなかった。
「全く分からないんだ。人に危害を加えるかどうかも。ただ、ニャンコ先生は隣に控えていたヤバい神様が暴れ出したら酷い被害が出るだろうと言っていた。だから2人とも。念の為、あの女子には出来るだけ関わらないように気をつけてくれ」
「ああ、分かった。だが、タキは…」
「ええ、同じクラスだから不自然に成りすぎないよう気をつけないといけないわね」
田沼もタキも頷いて応えた。転入生と同クラスのタキはより一層の警戒が必要であるが、それを悟られないようにもしなければならないという難しさもあった。しかし、要領の良い彼女ならば問題無くやり過ごせるだろう。
「ところで、タキ。あの女子に知ってることはないか?何でも良いんだ、情報が欲しい」
「私自身はあまり東風谷さんとは話してないけど、他の人と話しているのが聞こえたことなら少し。東風谷さんは守矢って名前の神社で巫女をやっているらしいの。そこで祀っている神様は軍神。
「守矢神社…」
「戦の神様か。なんか怖そうな神様だな」
タキの言葉に夏目と田沼はそう呟いた。
守矢神社と軍神。残念な事にそれ以上の情報は彼女も知らないという。しかし、重要なキーワードであることは確かだ。家に帰って斑に会ったら早速このことを伝えようと夏目が思っていると、突如として近くの茂みが大きく揺れた。人による揺れ方ではない。3人が慌てて身構えると、茂みの中からデカい大福のようなものがニュッと現われた。
「む、夏目ではないか」
「あ、ニャンコ先生!」
その正体は斑だった。どうやら茂みを突っ切るこの道は、斑たち妖の通り道になっているらしい。
しかし、そんなこと今はどうでも良いとばかりに、夏目と斑は同時に口を開いた。
「先生、さっきタキからあの女子について教えてもらったんだ!」
「おい、昨日の神格について調べてきてやったぞ!」
「「守矢神社だ!…ん?」」
夏目と斑の声が重なる。そして、同じように首を傾げた。
夏目はタキから、斑は知り合いの妖から。結局、2人とも同じ結論に至っていたということだった。
「相変わらず仲が良いな」
『似た者同士であります』
「「く…!」」
微笑ましい光景に田沼はクスクスと笑い、斑の後ろから現われた顔の大きなちょび髭の妖は呆れたような声を出した。彼らの反応に気付いた夏目と斑は顔を顰めて赤面している。
そんな中、タキだけは目を煌めかせながらソロリソロリと斑の背後から近付くと、彼を一気に抱きかかえた。それからは頬ずりの嵐である。
「つるふか先生~!」
「ひぃ!?止めんか小娘!」
タキは中々変わった感性の持ち主であり、斑のもっちりボディとつるつるフカフカの毛並みが堪らなく好きらしい。彼女曰く『可愛いものを目にすると心が乱れる』とのことであるが、斑からしてみれば良い迷惑であった。激しすぎるスキンシップはNGなのだ。
「ん…この感覚…。もしかして誰か居るのか?」
それらも笑って見ていた田沼が、周囲の違和感に気付いて目をゴシゴシと擦った。彼やタキの目には見えていないが、斑と共に現われた妖は3人居る。
1人は先ほど呆れ声を出していた顔の大きなちょび髭の妖、通称“ちょび”だ。彼は高貴な妖を自称しており、丁寧な口調ではあるものの実は割と毒舌気味な妖である。
そして残りの2人は大きな一つ目の中級妖怪と牛顔の中級妖怪である。夏目は“つるつる”と“牛顔”と呼んでいるが、いつも2人一組で行動しているので、よく2人まとめて“中級”と呼んでいた。
『夏目様、聞きましたぞ!あの守矢神社に喧嘩を売るとか!』
『人の身でありながら軍神を相手取るとは!その勇姿、我らも拝見させて頂きますぞ!』
自称『夏目組・犬の会』の発起人でもある中級たちは“喧嘩上等!”、“夏目組・犬の会 参上!”と書かれた扇子やら
「ちょびだけじゃなく、中級たちも。おい、言っておくが俺は戦わないからな!というか、何でそんな話になってるんだ、お前たち!」
夏目が怒って中級たちを追いかけると、彼らはキャーキャー言いながら楽しそうに辺りを駆け回る。傍目から見るとテンションが上がった夏目が突然1人で走り出したようにしか見えないが、当然タキも田沼も事情は分かっていた。
「え、ちょびさんたちも居るの?先生、何て言っているか教えてくれないかしら」
「あ、俺にも教えてくれ」
「ええい、何故この私がお前たちの通訳などしなければならんのだ!陣を書けばよかろうが、あの陣を!それより早く離さんか、小娘!」
斑が目を吊り上げて怒鳴ると、タキは名残惜しそうに彼を地面に降ろした。
斑の言う通り、タキには不思議な陣を書く特技を持っている。陣の中に入った妖の姿を妖力の無い者にも見せることが出来る『姿写しの陣』と呼ばれるその術は、妖怪マニアだった彼女の亡き祖父がメモに残したものだった。祖父は全く扱えなかったが、タキは波長が合っていたのか見事に扱えるのである。
「はぁはぁ…。待ってくれ、ニャンコ先生。これ以上タキや田沼たちを巻き込む訳には…」
息が切れてしまい中級たちとの追いかけっこを止めた夏目が、横から斑に待ったをかけた。無関係の彼らをこれ以上巻き込む訳にはいかないからだ。それに、タキのその陣は祓い人の間では禁術と呼ばれる類のものである。無闇矢鱈に書いて良いものではなかった。
だが、斑は夏目の顔を見ながら、諭すように言葉を発した。
「言ったはずだぞ夏目。あの存在が暴れれば甚大な被害が出るだろうと。コイツらが知っていようと知ってなかろうと、事が起きてしまえば巻き込まれるかもしれんのだ。ならば原因を知り、危機に備えていた方が良かろう。無論、後はこの2人次第だがな」
そう言って斑は田沼とタキを顎でしゃくる。彼は別に強制するつもりはない。話を聞くも聞かないも2人の自由だ。
しかし、どうやらそれは余計なお世話だったらしい。斑が言うまでもなく、田沼とタキの答えは決まっていた。
「私、陣を書くわ」
「俺も聞くぞ」
「2人とも!」
夏目が声を大にしてタキと田沼を止める。だが、彼らの決意は固かった。
「巻き込んでしまったなんて思わなくて良いんだ、夏目。俺たちは大した力にはなれないかもしれないけれど…、それでも友人として相談して欲しい。これは俺たちからのお願いだ」
「そうよ、夏目君!…うん、陣はここに書きましょう。人通りはほとんど無いし、周りを茂みに囲まれているから他の人に見られる心配は無いわ」
「田沼…!タキ…!」
夏目が彼らの名を小さく呟くと、田沼は微笑みを浮かべながら頷いた。タキも夏目の返答を待たずして、既に陣を地面に書き始めている。夏目はただ彼らの友情に感謝するしかなかった。
「書けたわ。さぁ、陣の中に入って」
そうしてタキはすぐに陣を書き上げてみせた。ちょびや中級たちが中に入ると、その姿が写し出される。一般人が見たら腰を抜かすような人外の面々だが、タキも田沼も今更動じることはない。むしろ、2人の目は別の所に向けられていた。
「喧嘩上等…。夏目組・犬の会 参上…?」
「え、夏目君…。これって…」
「わー!そこは気にしなくて良いんだ!中級たちも早く片付けてくれ、そんなもの!」
中級たちの持っていた扇子や幟を見て困惑した様子を見せる2人に、夏目は顔を真っ赤にして慌てる。そんなこともあったが、皆で陣の中に入ると地面に直接座って話す体勢を整えた。タキだけは上品に地面にハンカチを敷いて、その上に座っている。
そして、最初に口を開いたのはちょびだった。
「怒ったり青春したり騒いだり…。人の子というのは情緒不安定でありますな。そんなことはともかく、白狸や夏目殿が何を心配しているのか私には分からないであります。守矢の主神の偉業は数有れど、日ノ本の民に非道を働いたなどという話は一度も聞いた事もありませぬ故。心配のしすぎでは?」
「「そうですぞ~」」
ちょびが溜息交じりで語ると、中級たちも楽観的に同意した。事実、その通りである。
守矢神社は軍神を奉る神社だからこそ懐が深い。主神は威厳に溢れながらも気さくで慈悲深く、お祭り好きの酒好き。諏訪から遠く離れたこの地でも、昔からそういう噂が流れるくらい仁徳を持った神格だった。
それらの話を知っているからこそ、中級たちも能天気でいられるのだ。もしも、本当に万が一、夏目が守矢神社に喧嘩をふっかけたとしても、かの大神格からすれば子犬がじゃれついてくるようなものでしかない。笑って相手をしてくれるだろうし、気に入られたならば秘蔵の酒でも奢ってもらえるかもしれないと思っていた*1。
「確かに、守矢神社が突然やって来たのには驚きましたなぁ。そのせいで大妖が侵略にやって来たとか色々な噂も流れましたが、よくよく噂を確かめれば守矢の主神が大規模転移術で神社ごとこの地にお越しになられたというではありませんか」
「その御神徳にあやかろうと、貢ぎ物を持って守矢神社へ参詣する妖も多いみたいですぞ。我らも近々、柿や栗などを手にして参ろうかと思っていたところです。そうしていると斑様と道端で出会い、色々聞かれましてな。もしや、夏目様たちも参詣に行かれますか?守矢神社は人の足でも十分行ける距離にありますぞ~。ほら、あの山の頂上らしいです」
斑はまだ彼らに昨日の出来事を話していないのだろう。夏目の両隣に座っている中級たちは上機嫌な様子で山を指し示していた。そこは間違い無く夏目たちが昨晩行った山だ。それを見た夏目は顔色悪く眉を顰めていた。
「おや、どうしました夏目様?顔色が悪いですぞ」
「やはりモヤシの足で山登りは厳しいですかな?」
ナチュラルに夏目を煽る中級たちを横目に、斑は“ふぅー…”と深い溜息を吐いた。
やって来た神社が守矢だと聞いた瞬間、斑はあの時出会った神格が何者だったのかを理解してしまっていたのだ。それを話さなければならないのである。
「…昨晩、その山で『洩矢神』と思われる御方の姿を見た。大勢のミシャグジたちと共にな」
「な、なんと…!」
ちょびは正しく絶句という反応を見せた。信じられないといった表情だ。一方で、中級たちは笑顔のままその場でフリーズしている。そして数秒後、つるつると呼ばれている方の中級がポンと手を軽く打ち鳴らした。
「おっと、我々そういえば予定が入っているのでした」
「然り然り。失礼しますぞ夏目様」
牛顔の方も真面目な顔でウンウンと頷きながら、2人とも立ち上がろうとする。しかし、着ていた着物を引っ張られて上手く立ち上がれなかった。何事かと思って引っ張られた方を見ると、夏目が手をこちらに伸ばしている。
「絶対に逃がさないからな、お前たち…!」
「「ひぇぇ…」」
夏目が半ギレの笑顔で彼らの着物を掴んでいた。今度ばかりは逃がさなかったという訳だ。助ける者は誰も居ない。煽ったのは中級たちなので自業自得という話である。
夏目は改めて彼らを座り直させると、斑に問いかけた。
「それで先生。昨日俺たちが見たあの小さな女の子はやっぱり神様だったのか?」
「ああ、それも飛びっきりのな。と言ったところで夏目たちには分からんか。少し守矢神社とその神々について教えてやろう」
妖たちの間では常識らしいが、今の時代の人間はそういう情報に疎い。それを知っている斑は夏目たち3人に向けて守矢神社の解説を始めてくれた。
「人が神話と呼ぶ時代のことだ。諏訪地方、現在の長野県辺りを中心に『
「土着神?」
夏目が首を傾げる。聞き覚えのない言葉だった。田沼やタキも良く分かっていないようである。
そんな彼らの疑問に答えるかのように斑は一つ頷いた。
「土着神とは日本の古来よりその土地に住んでいる神格のことだ。ツユカミやオババ、豊月神、不月神、そしてカイなどが例だな。妖であっても信仰を得れば神格に至るが、物や自然現象、自然そのものに対して信仰が加わることで産まれる八百万の神々も居る。逆に信仰を失ってしまえば、弱体化してしまい穢れたり消えたりしてしまうがな」
「カイ…」
カイの名前が出たことで、タキが切なそうにその名を呟いた。クッキーを食べたことが無いと言っていたカイ。タキは彼のためにクッキーを手作りで焼いたが、渡す前にカイは去ってしまった。夏目経由で元居た山に帰ったのではないかと聞いたが、恐らく今の彼はほとんど信仰を受けていない状態だろう。タキに出来る事といえば、カイが穢れたり消えたりしていないことを祈ることだけだった。
そんな中、斑の解説は続く。
「そういった土着神というのは、一般的に祟り神としての一面も持っている。特に、諏訪地方の神々はその傾向が強く、彼ら諏訪の祟り神たちは『ミシャグジ』と呼ばれ恐れられた。そんなミシャグジたちを力で統べていたのが洩矢神だ。洩矢神自身もミシャグジと呼ばれることがあったようだが、混同すると訳が分からなくなるので、ここでは洩矢神以外の諏訪の祟り神たちをミシャグジと呼ぶことにするぞ」
「洩矢神とミシャグジか…」
つまり、その神々こそが夏目が昨晩見た者たちの正体である。彼らの名を夏目が呟くと、それを聞いた中級たちがすぐさま警鐘を鳴らした。
「な、夏目様。人の子はキチンと洩矢神“様”、ミシャグジ“様”と敬称を付けて呼ばないとダメです」
「神々に聞かれたら酷く祟られるかもしれませんぞ」
「わ、分かった、気をつける…。洩矢神様とミシャグジ様だな」
彼らの慌てた様子に、夏目もすぐに言い直す。中級たちが恐れている通り、彼ら祟り神は無礼者を許さない。斑くらいの力ある妖ならばともかく、人間や中級以下の妖はしっかりと敬意を持たなければならないのだ。
「つまり、洩矢神様は日本古来の神々の中で最も強い祟り神だったのであります。人々からも非常に恐れられ、逆らう者は誰一人として居なかったそうであります。いわゆる、恐怖政治というやつでありますな」
「うむ、そんな最強の祟り神であった洩矢神だったが、ある時それを見かねた
斑が語る神々の戦争。正しく神話の物語そのものなのだが、妖が語るが故に生々しい。
話を聞きながら夏目たちは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「諏訪大戦は筆舌に尽くしがたいほど凄まじいものだったらしい。地形が変わるほどの戦闘が何度も起き、大勢の神格や妖、人が死んでいき消えていったと聞いた。その戦いの末に、敗北を悟った洩矢神は降伏。タケミナカタ様が勝利を収め、洩矢の王国はタケミナカタ様の領地になったという」
「ニャンコ先生はその諏訪大戦を直接見ていないのか?」
夏目がそう問いかける。しかし、斑はフンと鼻を鳴らして否と答えた。
「阿呆め。何千年と昔の話だぞ。私はまだ産まれておらんし、同じ時代に居たとしても神々の戦争に近付こうなどとは思わんわ」
「物見遊山気分で遙か遠くから戦を見物していた妖たちが、二神の戦闘の余波で消し飛んだという話を聞いたことがありますな。神々の御力を見誤ったのでしょう。因みに私ほどの高貴な妖ですら、まだ産まれていなかった時代でもあります」
「「無論、私たちもですぞ」」
これら諏訪大戦の話は、彼らがそれぞれ伝え聞いた話だ。妖はこういった伝説を会話の中で話して後世に残す。人間とは違い、長寿でありながらも娯楽が少ない妖たちは、そういう話を好むのだろう。伝記や伝承など古い話に詳しい妖は多かった。
「戦争か…。恐ろしいな…」
「うん…」
田沼とタキが静かにそう呟く。夏目も含め、彼らは戦争の無い時代に産まれた心優しい人間である。そういったものに恐怖を感じてしまうことは仕方無いことだった。
「話を戻すが、守矢神社の建立はその諏訪大戦の勝利を起源としたものと聞く。すなわち守矢神社とは、大和の軍神タケミナカタ様を祀った神社なのだ」
「ちょっと待ってくれ、先生。それなら昨晩の妖たちが言っていた八坂様って一体誰なんだ?」
「その八坂様がタケミナカタ様なのだろう。高貴な神々であれば、名を複数持つのは良くある事だからな」
『八坂様』は『タケミナカタ様』である。昨晩感じた神気と守矢神社の知識から、それは間違いないと斑は断言する。しかし、彼にはそんなことよりも、もっと大きな懸念があった。
「むしろ、私が気になるのは洩矢神だ。諏訪大戦で降伏した洩矢神は守矢神社の奥底に封印されたと聞いたが、配下であったミシャグジたちと共に山中を出歩いているということは封印が破れたのだろうか?」
「ふむ?私が聞いた話では、降伏した洩矢神様はその後タケミナカタ様によって滅せられたという内容でした。故に、夏目殿たちが洩矢神様を見かけたと聞いて驚いたのでありますが」
「我々は、洩矢の王を引退した後に秘境へと隠居されたと聞きましたが…?」
「なに…?」
どうにもおかしいと斑たちは顔を見合わせた。伝え聞いた内容が三者三様で違うのだ。
確かに、それぞれ別々の者たちから話を聞いているのだから、内容に多少の差違があるのは普通のことだろう。しかし、洩矢神は最強の祟り神として一国をも支配したことある大物だ。それほどの大神格の末期がここまで大きく異なって伝わることはそう無いはずなのである。
この謎に妖たちは揃って首を傾げるが、悩んでいても答えは出ない。仕方無いので斑は話を進めることにした。
「その真実はともかくとして…。昨晩、緑髪の小娘の隣に隠れていた神格が洩矢神であったことは間違いないだろう」
「人違い…じゃなくて神違いってことはないのか?」
夏目がそう尋ねた。恐らく、可能性として聞いたのではなく、そうであって欲しいという願いから尋ねたのだろう。だが、無情にも斑は首を横に振って否定した。
「鈍感夏目は感じとれなかったかもしれんが、私はハッキリと力の大きさを感じたのだ。あんな力を持った神格がそう何柱もいて堪るか。それに加え、幼い少女の姿をしておったからな。間違いない」
「幼い少女の姿をしていたから洩矢神様?どういうことかしら?」
今度はタキが尋ねる。それに応じたのはちょびだった。いつも無表情の彼にしては珍しく、眉を顰めながら彼女の質問に答えてくれた。
「かつて洩矢の国では、洩矢神様に幼い人間の少女を生贄として捧げていたらしいのであります。故に、その形を取り込んだ洩矢神様は幼い少女の御姿をしている、という言い伝えがあるのでありますよ」
「い、生贄…!?」
「なんか聞けば聞くほどヤバい神様だな…」
「のんきな奴らめ!実際にヤバい神様だから、私たちがこうやって焦っているのだろうが!」
夏目たちの呟きに、斑は怒る。
生贄の伝承があるということは、洩矢神の荒ぶりは幼い少女を犠牲にしなければ治まらぬということだ。無論、それを口にすると夏目たち人間組は『そんなことは絶対にさせない』などという面倒臭い反応をするだろう。そう思ったので、斑はそこまで打ち明けることはしなかった。
一方で、事情を知っている妖組は戦々恐々である。中でも、そこまで大きな力を持たない中級たちは半ベソで夏目に縋っていた。
「夏目様ぁ。洩矢神様から見れば、中級の私たちなんて吹けば飛ぶような存在ですぞぉ…」
「私たち居ても役に立たないでしょうから、帰っても良いですか…?」
「う~ん…」
両サイドから懇願されては夏目も迷う。そこに無情にも拒否を叩きつけたのは斑だった。
「帰すなよ、夏目。コイツらでも囮くらいにはなるだろう」
「横暴だー!」
「パワハラだー!」
斑がジト目で言い捨てると、中級たちは酷い酷いと騒ぎ立てる。とはいえ、斑も夏目も分かっていた。口ではこう言っているが、結局は彼らもいつものように最後まで手伝ってくれる。夏目たちの間にはそういう信頼関係があったのだ。
騒ぐ中級たちをフフンと鼻で笑い、斑は言葉を続けた。
「半分は冗談だ。なにせ私たちだって好き好んで近づくつもりは無いからな。それに守矢神社にはタケミナカタ様が…いや、八坂様が居られるのだ。昨晩、山に満ちていた気配も力強い見事なものだったし、洩矢神が非道を働こうとしても八坂様が止めてくれるだろう」
「と言うよりも『八坂様以外、誰も止められない』が正しいでありますな。我々が下手に首を突っ込むと洩矢神様を刺激しかねません。ここは八坂様に任せるしかないであります」
そう、斑たちではどうすることも出来ない。いくら議論を尽くそうが結論はそこに行き着く。
故に、斑たちがやるべき事はただ一つ。万が一に備えての警戒だけだった。
「うーん、そうか…。ん?それなら、ニャンコ先生。結局、あの緑髪の転入生は八坂様と洩矢神様の、どちらの味方なんだ?」
ふと疑問を感じた夏目が斑に尋ねた。今までの話から、夏目の頭の中では八坂様が良い神様で、洩矢神が悪い神様というイメージが構築されてしまっている。ならば、その神社の巫女だというあの緑髪の女子は善か悪か。それが気になった。
「それは八坂様だろう。昨日も言ったが、あの緑髪の小娘は八坂様と思われる神格の加護を受けている気配があった。それは間違い無い。…いや、待てよ。だとすると、奴は主神である八坂様の代わりに、封印から出てしまった洩矢神の動向を見張っていたのかもしれん。使役していたミシャグジたちも、八坂様から借りていたのだとしたら納得がいく。諏訪大戦の敗北後、生き残ったミシャグジたちは八坂様に降伏しているはずだからな」
「洩矢神様の自由を八坂様が条件付きで御認めになられている、ということでありますか?…なるほど、それなら辻褄は合うであります」
「「そうですな」」
斑とちょびの言葉に中級たちもウンウンと頷く。確かにそれならば有り得る。というよりも、そうでなければ八坂様が健在だというのに洩矢神が出歩いていることに説明がつかない。可能性は高いと斑たちは踏んでいた。
「じゃあ、とりあえずは安心ってことか?あの転入生の女子も悪い奴じゃ無かったんだな。…妖をミシャグジ様に喰わせていたのは怖かったけど」
「そうだな。妖がハッキリ見えるのなら、夏目とも話が合うんじゃないか?」
「私も明日、東風谷さんと少し話してみようかしら」
夏目、田沼、タキの3人もホッと息を吐くと、思い思いに言葉を交わした。悪い妖でないのならば、妖の見える彼女は夏目たちの良い友人になれるだろう。
しかし、あくまでもそれは“斑たちの話が真実であれば”という前提の話だ。斑はそれを窘めた。
「おい、今の話はあくまでも私たちの予想だ。安心するにはまだ早いぞ。そもそも、守矢神社の主神たちが何故この地にやって来たのか理由が分からんのだ。手は出せぬが、目的が分からねば安心も出来ん。一応、今ヒノエに探らせさせているところだが…」
「ヒノエが?そうか、ヒノエも手伝ってくれているんだな」
夏目がしみじみと呟く。ヒノエとは呪術を得意とする人型の女妖である。夏目の祖母・レイコに心底惚れ込んでいた彼女は、レイコに瓜二つの夏目を非常に気に入っていた*2。
斑とは旧知の仲であり喧嘩友達のような関係であるヒノエだが、今回の件に対しては彼らと同様に危機感を覚えたのだろう。斑が昨晩の出来事を伝えるとすぐに調べに行ってくれたとのことだった。
「ふぅむ、それにしても守矢神社がやって来た目的ですか…。今は無くなってしまいましたが、昔はこの辺りにも守矢の分社があったと聞いたことがあるので、その関係で来られたのでは?」
「とはいえ、こんな田舎にまで主神が直々に来られたという話は聞いたことも無いですが」
中級の2人が所見を述べた。そもそも守矢神社との関係など、この地にはその位しか無い。そして、その『分社』と言う単語に夏目が思い出したかのように頷いた。
「そういえば、あの転入生が初日に言っていたな。途絶えた分社を立て直すために引っ越して来たって…」
「分社を立て直しに来た?ふん、嘘だな。それだけの為に主神がわざわざ大規模転移術を使用して来るなど考えられん」
しかし、それは違うと斑は言う。
そもそも転移術というのは恐ろしく難易度の高い術である。小さな物質の転移ですら非常に手間と妖力が必要となるというのに、神社ごと持ってくるとは頭がおかしいレベルである。
その手間をかけてまで分社を立て直しに来たなどとは到底ありえない。故に、その言い訳は嘘に違いなかった。
「う~ん、じゃあ他の理由か…」
「あ、そうだ!」
「タキ、なにか思い出したのか?」
夏目が唸っていると、タキが声を出す。田沼がそれを彼女に尋ねると、タキはコクリと頷いて話し出した。
「うん。実は今日、学校で東風谷さんがクラスの人たちに聞いて回っていたの。『夏目レイコって女性を探しているのですが、名前に聞き覚えはありませんか?』って…。同じ名字だから夏目君に後で聞いてみようかなって思ってたんだけど、それどころじゃない話になっちゃったから忘れちゃってて…え?皆どうしたの?」
タキが周りを見ると、皆がポカンと口を開けている。ただ、夏目だけが魂の抜けた表情で天を仰いでいた。
一方で、先に気を取り直した妖たちは口々に騒ぎ出す。レイコのことはもちろん、彼女が作り出した『友人帳』のことも知っている彼らは揃って焦っていた。
「小娘!それをさっさと言わんか!マズいぞ、レイコ関係か!」
「守矢神社を相手に一体何をやったでありますか、あの人間は…」
「「やっぱり帰らせて下さい、夏目様~!」」
斑は小さな前足で頭を抱えているし、ちょびは大きな溜息を吐いている。中級たちは放心している夏目を左右からガクガクと揺すっていた。
「確か、夏目レイコって…」
「え?え?皆は知ってるの?」
田沼も夏目との今までの付き合いから少々知っている。無論、友人帳については知らないが、少なくとも『夏目レイコ』という名前くらいは知っていた。知らないのはタキだけだ。
一難去ってまた一難。結局、悩みは解決せずに夏目たちの苦悩は続くのであった。
八坂神奈子=タケミナカタ説
東方原作では同一だと明言はされていません。そのため別の神様説も存在してますが、風神録の早苗も『準備「サモンタケミナカタ」』というスペルカードを使っていることですし、このSSでは同一説で行かせてもらいます。
生贄を捧げられた諏訪子様
生贄についても東方原作においては明記なし。しかし、史実における洩矢神は本当に生贄を捧げられていました。史実では女児ではなく男児を生贄に捧げていたらしいので、洩矢神は男児の姿をしていると言い伝えられているそうです。東方の諏訪子様がロリ体型なのは、その伝説からのイメージだと思われます。