早苗友人帳   作:ウォールナッツ

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邂逅

 あの転入生が夏目レイコを探していると知ってから一日が経った。結局、それ以外の事は分からずじまいで、名取とも未だに連絡が取れていない。夏目としては正に手詰まりといった状態であった。

 

「はぁ…」

 

 授業が終わると、夏目は帰る準備を整えつつ溜息を吐いた。今日こそは名取と連絡が取りたい。というよりも、ここまで繋がらないとなると逆に彼のことが心配になってくる。名取が俳優業の裏でやっている妖祓い人という仕事は、それほど危険なものなのだ。

 そういう焦りもあって夏目が少し急いで下校しようとしていると、友人の西村が興奮したように肩を叩いてきた。

 

「おいおい、夏目!いつの間に知り合ったんだよ!」

 

「ん?何の話だ、西村?」

 

 そう聞き返す夏目に、西村はニヤニヤと笑いながら肘で夏目を突いてくる。彼がこんな感じになるのは、大抵女の子絡みの時だ。つまり、割といつもの事である。

 

「とぼけるなって!ほら、例の美人転入生が夏目を探しているぜ!」

 

「すみませ~ん。このクラスに夏目さんという方がいらっしゃるとお聞きしたのですが…」

 

「ゴホッ!?ゲホッ!?」

 

 西村が指差す先はあの緑髪の転入生。しかも、彼の言う通り夏目を探している。あまりの衝撃に、夏目は激しく咳き込んでしまった。

 

「夏目君なら、あそこに居るよ」

 

「わぁ、どうもご親切にありがとうございます!」

 

 たまたま転入生の近くに居たクラスの女子が夏目の場所を教える。彼女はニッコリと笑みを見せながら礼を言うと、こちらへと向かって来た。

 

(まずい!あの転入生が安全かどうかまだ分からないし、そうでなくても学校でレイコさんの話は出来ない!)

 

 どちらにしても、学校では人目が有りすぎる。夏目は自分のカバンを引っ掴むと、走って教室から飛び出した。

 

「あ、おい夏目?」

 

「ダッシュで逃げられた!?ちょっと待ってくださ~い!」

 

 転入生も慌てて夏目の後を追う。残された生徒たちはポカンと口を開けてそれを見ていた。

 

「今、走っていったの夏目と5組の転入生じゃないか。一体どうしたんだ?」

 

 夏目たちとは入れ違いで2組にやって来た北本が、クラスに残っていた西村や辻に尋ねる。しかし、彼らも全く分からないので適当に推測し始めた。

 

「はは~ん。夏目の奴め、さては美人の前で緊張しちゃったな~」

 

「夏目はシャイだからな」

 

「東風谷さん、この近所で夏目誰々っていう女性の人を探してるんだって」

 

「ああ、それで夏目に…」

 

 西村と辻は夏目がシャイボーイということで納得している。その横で北本は近くの女子から転入生が訪ねてきた理由を聞いていた。確かに、この辺りで夏目性といえば彼くらいしかいないが、そもそも夏目自身違う町から来た転入生である。恐らく人違いだろうと北本は頷いて見せた。

 

 

 

「やぁ西村、辻。夏目知らないか?ちょっと用事があるんだが…」

 

 夏目たちが出て行って数分もせずに田沼が2組を訪れた。タキも一緒である。昨日の斑たちの話もあり、用心の為に今日も3人で下校しようと思って夏目を探しに来ていたのだ。

 田沼は西村たちに声をかけながら夏目を探す。しかし、彼は見当たらない。もしかして先に帰ったのかなと思っていると、西村が衝撃的なことを口にした。

 

「よう、田沼。タキさんも。夏目なら帰ったんじゃないか?五組の転入生が夏目を探しに来た途端、顔色変えて教室から飛び出して行ったぞ」

 

「「え!?」」

 

「それで転入生も夏目を追いかけていったぜ」

 

「「え゛!?」」

 

 補足するように辻がそう付け加えると、田沼たちは顔を真っ青にして二度目の声を上げた。先手を打たれたことを知って動揺が隠せないようだ。しかし、2人はすぐに気を取り直し、夏目救出への行動を起こした。

 

「タキ!俺たちも追いかけるぞ!」

 

「ええ!」

 

 何をするにしても、とにかく夏目たちに追いつかねば話にならないだろう。田沼とタキは互いに頷くと走り出していった。

 

「何なんだ?」

 

「さぁ…?」

 

 しかし、残された者たちは何が何だか分からない。それでも、『まぁ、今度聞けば良いか…』という雰囲気になり、彼らも下校していくのであった。

 

 

 

「待ってくださ~い!」

 

「はぁはぁ…!」

 

 一方、夏目は未だ転入生に追われていた。

 夏目は自宅に向かう道ではなく、近くの林道を走っている。その理由として藤原夫妻を巻き込みたくなかったことが一つ。二つ目に、今の時間帯であれば斑がこの辺りをよく散歩しているからだ。この転入生が妖だった場合、夏目単独で撃退するのは難しいだろう。故に、どうしても斑の力が必要だった。

 

「もうちょっとで追いつきますよ!」

 

「はぁはぁ…。くっ…!」

 

 しかし、斑を見つける前に夏目は追いつかれそうになっていた。彼が貧弱なのは仕方無いとしても、転入生が意外と健脚なのである。夏目が息も絶え絶えでヘロヘロなのに対して、彼女はほとんど息も切れておらずスピードも落ちていなかった。

 2人の距離が徐々に近付いていく。このままでは背後から襲われてしまうと夏目が痛みを覚悟した瞬間――隣を転入生が抜き去っていった。

 

「やった、勝ちました!…はっ!?違った!」

 

 夏目を追い抜き、ドヤ顔で両手ガッツポーズを決める転入生。逆に、疲れ果てた夏目は走る足を止めて、膝から地面に崩れ落ちた。四つん這いの状態でゼェゼェと息を整えていると、転入生がゆっくりと近付いてきた。

 

「すみません、少々お聞きしたいことがあるのですが…あの、大丈夫ですか?」

 

「な、なんとか…」

 

 死にそうなくらいの顔色を見て、流石の転入生も心配になったらしい。彼女が気にかけて声をかけてきた。その様子を見る限り、少なくともいきなり襲いかかってくるということは無さそうだ。

 それからしばらく経つと、夏目も会話が出来る程度には呼吸が戻ってきた。フラフラと立ち上がり転入生と向かい合う。すると早速、彼女の方から話を切り出してきた。

 

「私、先週5組に転入してきた東風谷早苗と申します。貴方が夏目さんですね?」

 

「ああ…。2組の夏目貴志だ…」

 

「実は私、人を探しているのです。その方は夏目レイコさん。夏目さんと同じ名字ということでお声をかけたのですが、ご存知ないでしょうか?」

 

 タキから聞いた通り、転入生こと東風谷早苗はレイコを探しているようだ。強大な神格を有する守矢神社と祖母レイコ。どんな関係にあるのか夏目には想像もつかないが、レイコが恨まれているのであればマズいことになるだろう。

 故に、夏目は彼女の質問には答えず、恐る恐る問い返した。

 

「…なぜ、その人を探しているんだ?」

 

「ええっと、私の知り合いの方がレイコさんにとある物を預けていまして。それを返してほしいのです」

 

「知り合いのとある物…」

 

 夏目が呟くと、早苗は真剣な表情でコクリと頷いた。全く具体性の無い回答である。普通であれば、何のことか分からないだろう。しかし、夏目には心当たりがあった。レイコが唯一遺した冊子、『友人帳』。その友人帳の中にはレイコが集めた妖の名が眠っているのだ。

 

「恐らくレイコさん本人しか知らない物だと思います。ですから、どうにか会ってお話したいのです」

 

 “レイコしか知らない”ということは、やはりそうなのだろう。孫である夏目ですら斑から聞くまでは全く知らなかった程だ。それこそ、妖からその情報を聞かない限り、他に知っている人間は居ないはずである。

 

「夏目さん。ご存知であれば、お願いします!」

 

 そう言って早苗は頭を下げて頼んだ。妖の名を使って悪用しようとしている雰囲気には見えない。実際、悪意があれば力尽くで夏目から聞き出そうとしているだろう。あの夜に見た彼女はそれだけの力を振るっていたのだから、強いのは間違いないはずだ。

 だというのに、こうやって頭を下げているのだから、少なくとも悪い妖ではないと夏目は思った。

 

「…分かった、教えるよ。少しだけだがレイコさんのことは知っている。夏目レイコは…俺の祖母だ」

 

「本当ですか!?わぁ、良かった。これで返してもらえれば一件落着です!夏目さん、お婆様の所在を教えてもらえないでしょうか?」

 

 顔を上げた早苗は、パァっと顔を輝かせる。夏目レイコという人物を探し始めてまだ2日だというのに、早くも重要な手掛かりを入手した。後は、彼女の所に赴いて妖や神格たちの名を返してもらうだけだ。彼のような孫がいるほどのお婆さんなのだから、心配していたほど粗暴な女性ではないだろう。

 神格の名を奪った件については少々お説教が必要だが、これは簡単に解決出来そうだと早苗が安堵していると、反対に夏目は静かに首を横に振った。

 

「いや…、レイコさんはもう居ないんだ」

 

「え?」

 

「若い頃に亡くなったらしい。俺もレイコさんのことは他人から聞いた話しか知らないんだ」

 

「そんな…。すみません夏目さん。私、知らずとはいえ失礼なことを…」

 

 早苗が申し訳なそうに謝った。そう、妖は長命なのだ。思い返してみれば、あの妖は名をまるで最近奪われたかのような口調だったが、いつ奪われたなどは言っていなかった。恐らく、何十年も前の事であり、あの妖も既にレイコが故人であることを知らなかったに違いない。

 

「気にしないでくれ。それよりも返してほしいものって、もしかして…妖に関係することか?」

 

「そ、そうです!ということは夏目さんも“見える”のですね。妖力が高いように感じたので、もしかしたらとは思っていましたが」

 

 夏目が真意を探るように訪ねると、早苗は少し驚いた様子を見せながらも朗らかに肯定した。

 妖が見える人間はそう多くないが、皆無という訳でもない。早苗も諏訪の地では、他神社の神主や寺の住職など見える人物とは出会ったことがある。ただ、そのほとんどが高齢者であり、夏目のように同世代で見える人と出会ったのは早苗にとって初めてのことだった。

 

「ああ、見える。…キミの髪も明るい緑色に見えている。今も」

 

 夏目が早苗を見ながら言った。向かい合って見てみると、彼女は髪だけではなく瞳の色すらも薄く緑がかっていることが分かる。顔が非常に整っているだけに、かなり神秘的な雰囲気だ。しかし、笑みを浮かべると途端に素朴で陽気な雰囲気に変わるのだから不思議である。

 夏目がそう思いながら見ていると、早苗は感心したかのように頷いた。

 

「へぇ~。では、完全に妖が見えるタイプですね。私の髪は普通の人が見ると黒色なのですが、妖力が有る人には緑色に見えるんですよ。特に、夏目さんみたいに妖力が強い人には、明るい緑色に見えるみたいです」

 

「それって大丈夫なのか?身体に何か悪い影響があったりするんじゃないか?」

 

 早苗がその緑のロングヘアを手で梳いてみせながら教えると、夏目は単純に心配になってそう声をかけてしまった。彼の友人の名取にも全身を動き回るヤモリ型の痣という奇異がある。それと同じように彼女も悩んでいるのではないかと思ったのだ。

 だが、早苗はそんなことを悩むどころか気にしてすらもいなかった。

 

「あはは、大丈夫ですよ。私の髪が緑色なのは生まれつきなんです。妖力や霊力の強さが髪の色に出ちゃっているだけだと私の神社の神様は仰っていました」

 

「へぇ、そうなのか…」

 

 もしも、髪色が早苗の身体に悪影響を与えているのだとしたら、守矢の神々は必死に、それこそ形振り構わず解決策を探るだろう。しかし、彼女らにそんな様子は無いし、そもそも守矢の神々も金髪だったり紫っぽい青髪だったりする。言ってしまえば、髪の色なんてそういうものなのだ。

 

「それはともかく、夏目さんも妖について語れるのでしたら話は早いですね。私が探しているのは妖の名前。隣山の妖さんから『夏目レイコに名を奪われたので、それを取り返して欲しい』というお願いを受けたので叶えてあげたいのです」

 

「えっと…レイコさんが守矢神社にちょっかいを出したとかそういうのじゃなくて、普通に妖の名を探しているのか?本当に?」

 

 話を本題に戻して早苗は言うと、夏目は“それだけ?”といった様子で聞き返した。あのレイコならば、もっと派手にやらかしているかもと思っていたが、そんなことは無かったようだ。その証拠に、早苗は不思議そうに首を傾げていた。

 

「ええ、そうです。彼女のことを聞いたのも、その妖さんからですし。…え、というかレイコさんってウチのような神社にも手を出す方だったんですか?妖さんから、暴力で名を聞き出して子分になるように迫ってくるとか、神格からも名を奪っているとか聞いてはいたのですが…」

 

「……。大体間違ってはないな。暴力じゃなくて名を賭けて勝負した結果だけど」

 

 彼女の神社と敵対していないことには一安心だが、名を奪った件についてはどうにも悪い印象を与えてしまっているらしい。特に神格については、ツユカミやオババなど夏目が知っているだけでもレイコは2人の神格から名を奪っている。

 しかし、一応これらはレイコが『負けた場合は自分を食べても良い』と自分の命を賭けた上での勝負である。夏目がそれを早苗に伝えると、彼女は困ったように唸った。

 

「勝負ですか。う~ん、両人が納得した上での結果なら良い…のでしょうか?でも、一昨日の妖さんは全く納得していませんでしたし、尊ぶべき神々の名を奪うのは流石に不敬ですし…」

 

「いや…。レイコさんは妖たちを従わせるために名を奪った訳じゃないんだ。妖が見えることで、変人だとか心を病んでいるとか周りの人たちから言われて避けられて…。たぶん寂しかったんだと思う。だから、妖と関わった興味から名前を集めて…、それが偶然にも力を持って彼らを縛ってしまった。レイコさんはただ寂しかったんだ…」

 

 正しいか、正しくないか。早苗が悶々と悩んでいると、夏目は静かにそう語った。

 妖たちからレイコの話を聞くにつれ分かってくる彼女の想い。夏目も全てを知った訳ではないが、少なくともレイコは妖の名を悪用することは無かった。きっと、彼らの名は彼女にとって大切な宝物だったのだ。

 

「うう…」

 

「え?」

 

 彼女の経緯を聞いた途端、早苗が俯いて呻き声を上げた。一体どうしたのかと夏目が声をかけようとした瞬間、彼女がバッと顔を上げて大きく叫んだ。

 

「私、感動しました!!」

 

「うわっ!?」

 

 突然の大声に、夏目は思わず後ずさる。しかし、彼女はそんなことを気にせず、瞳を星々の様に煌めかせながら夏目に詰め寄ってきた。

 

「人ならざる者が見えることで生まれてしまう悲劇はあるかもしれません!ですが、見えるからこそ生まれる関係もあるのですね!」

 

「あ、いや、それでもレイコさんが横暴だったのは事実らしいし、恨んでいる妖は結構居るんだけど…」

 

「自分の命を賭けてまで友情を育むなんて…!正しく種の垣根を越えた関係です!本当に感動しましたよ!夏目さん!」

 

「聞いていないな…」

 

 早苗が鼻息荒く熱弁を振るう。グイグイと顔を近づけてくるので、気恥ずかしさもあり夏目は顔を背ける。しかし、ずっとそうしている訳にもいかないので、早苗が少し落ち着いてきたタイミングを見計らい夏目は彼女に語りかけた。

 

「まぁ、そうは言ってもレイコさんが亡くなっている以上は、俺も何とかして妖たちに名を返したいと思っているんだ。名を取られた妖たちも不安だろうし、奪い返しに襲って来られるのも困る」

 

「あ、そうですね!お願いしてきた妖さんみたいに、レイコさんのことを誤解している方もいるようなので、私も返してあげた方が良いと思います」

 

(その妖たぶん誤解じゃなくて、本当にレイコさんのことを恨んでいるんだろうなぁ…)

 

 夏目は複雑な表情をしながら心の中でそう呟いた。実際、レイコを好意的に見ている妖も居るが、同時にそれ以上の数の妖たちから恨みを買っていたのだ。これまでも、名を返した途端に襲って来た妖も居たので楽観視することは出来なかった。

 

「ですが、ちょっと困りましたね。恐らく妖さんの名前は紙や木札などに書かれていると思うのですが、レイコさんが亡くなっているのなら行方がしれません。仮に見つけたとしても、このタイプの解呪は本人でないとかなり厄介です」

 

「…!」

 

 口元に指を当てて首を傾げながら早苗は言う。その言葉に、夏目は僅かに冷汗を浮かべた。彼は流石に『友人帳』の存在までは喋るつもりは無い。しかし、彼女はそういう呪物に対する知識が豊富なのだろう。その予想はかなり近いところを突いていた。

 そこで、夏目は試しにと質問を投げかけてみた。

 

「…名を書かれた物を見つけたら妖を解放してやるのか?自分の物にする訳ではなく?」

 

「もちろんです!もしも、それを壊されたり燃やされたりでもされてしまったら、妖さんは成す術なく死んじゃうんですよ?この先ずっとそんな恐怖に怯えたまま過ごすだなんて…そんなの可哀想じゃないですか」

 

 そう断言する早苗の顔は憐れみに満ちている。少なくとも夏目にはそう見えた。

 しかし、だからこそ分からない。あの日の夜、こんな優しい少女がミシャグジたちを操り、邪鬼を殺し喰わせていたのだ。その相反する彼女の二面性が、夏目の中で酷く気にかかっていた。

 

「…なぁ、俺をその妖の所まで案内してくれないか?レイコさんの孫の俺なら、もしかしたら何とか出来るかもしれないんだ」

 

 故に、夏目は危険を承知でそう言った。どちらにしろ、彼女の神社から藤原夫妻の家までの距離はそこまで離れていないのだ。ならば、遅かれ早かれ見極める必要があった。

 その為に夏目が立てた作戦は、『早苗と共に行動して、雑談の中で守矢神社の目的をこっそり探る』。そして、『彼女の見ていない所で、妖の名を返す』の二つである。

 つまりところ、行き当たりばったりだ。

 

「え、本当ですか!?是非ともお願いします!解呪出来なくとも、レイコさんの血縁で妖力の強い夏目さんが居れば手掛かりになるかもしれませんし、いざという時は頑張って私が“奇跡”を起こしますので!」

 

「はは…。じゃあ、その時は頼むよ」

 

 諸手を挙げて喜ぶ彼女に、夏目は表面だけの笑みを浮かべて答えた。

 なお、早苗は軽く奇跡と口にしたが、もちろんこれは“運が良ければ”という意味合いでは無く、本物の“神の奇跡”のことである。神々の力を誰よりも信じている早苗は、その奇跡さえ起こせば解呪など楽勝だと考えていた。*1

 

「では、早速行きましょうか!丁度、その妖さんとは今日の夕方に会う約束をしていたんですよ。そろそろ時間になりそうですし、今から案内しますね!」

 

「い、今から…?」

 

「ええ、そうですとも!さぁ、夏目さん。こっちですよ!」

 

「ちょっ!?」

 

 早速、道案内にズンズン歩き出した早苗を夏目は慌てて追いかける。せめて、一度家に戻って斑と合流してから向かいたかった。しかし、どうやら彼女は人の話を聞かないタイプらしく、それも恐らく善意からきていることなので余計にタチが悪い。

 どうしようかと夏目が歩きながら悩んでいると、見覚えのある丸っこいボディが目に入った。そう、元々ここは斑の散歩コース。彼と出会う確率が高いからこそ、夏目はここに逃げてきていたのだ。

 

「あれは…!お~い、先生!ニャンコ先生~!」

 

「む、なんだ夏目か。私は情報収集で忙し…ぬお!?緑髪の小娘が居るではないか!?一体、どういうことだ!?」

 

 夏目の呼びかけに斑が面倒臭そうに振り返った瞬間、血相を変えて驚愕の声を上げた。せっかく慎重に事を進めようと顔の利く場所で情報を集めようとしていたのに、無謀にも彼女に接触しているのだ。あれほど守矢神社を刺激するなと言っておいたのに“一体お前は何をやっているんだ”という話である。

 無論、逃げる夏目を早苗が追いかけてきた訳なので、彼にも言い分は有るのだが。

 

「もしかして夏目さんのお友達の妖さんですか?へー、ずいぶんとボン()キュッ()ボン()ボン()ボン()!な猫ちゃんですね!」

 

 近くに寄ってきた斑を早苗は興味深そうに覗き込んだ。よほど妖に慣れているのだろう。相手が喋る猫だからといって驚く様子は全く無く、むしろ当然のように接していた。

 

「猫の妖といえば猫又などが有名ですが、この子の尻尾は…あら、短くて可愛らしいのが1本。猫又ちゃんではないのですね」

 

「コ、コラ!尻を覗くな!尻を!おい、夏目!説明しろ!」

 

 早苗が尻を重点的に観察(セクハラ)していると、斑が抗議の声を上げた。そして、夏目の身体を登ると肩に乗りつつ問い質す。彼は斑にだけ聞こえる小声でこれまでの経緯を話した。

 

(――という訳なんだ)

 

(妖に頼まれただと?う~む、いくら大神の巫女といえども、妖が名を奪われたことを人間に話すとは思えんが…)

 

 斑は訝しげに唸った。妖にも野生の獣のように危険を察知する本能というものがある。故に、名を奪われた妖が暴露するとは考えがたい。加えて、守矢神社はつい最近やって来た余所者の筈である。ますます名を奪われたことを話すとは思えなかった。

 

「猫ちゃん、おいでおいで」

 

「…む?」

 

 そんな斑の疑念も知らずに、早苗は手を差し出して呑気に彼を呼んでいる。しかし、完全に警戒している斑がそう簡単に身を許す筈もない。夏目の肩から下りた斑は、早苗の周りを歩きながら彼女を検分する。

 そして、そこまで近付いたことであることに気が付いた。彼女が持つ独特の気配。斑はそれを匂いとして感じていたのだ。

 

「むむむ!?こ、この匂い!まさか貴様はッ!」

 

「せ、先生?どうした?」

 

 斑がその場を飛び退き、早苗から距離をとった。そして夏目の前へと移動し、彼を守るかの如く立ちはだかる。その顔は焦りと緊張に満ちていた。

 彼のただならぬ様子に夏目が訪ねる。すると、斑は早苗から一切視線を外さず、強張った表情でその理由を話した。

 

「この神格と人が混じったような奇妙な匂い…!八坂様の巫女だからそれ故の匂いかと思っていたが、それだけではない!この娘自体からも明らかに神格の匂いがする!人間では有り得ぬ匂いだ!気をつけろ夏目!お前が懸念していた通り、此奴は人間ではなかった!」

 

「な!?そんな…!?」

 

 夏目は絶句した。間違い無く人間だと、自分と同じ境遇にある者だと思っていた。しかし、そうではない。人間ではなかったのだ。先程まで彼女が言っていたことが全て嘘だったと考えると、裏切られたようで酷く悲しくなった。

 しかし、そんな思いを胸にしまい込み、夏目は早苗と相対して構えた。正体がバレた以上、彼女は襲ってくるだろう。ミシャグジや洩矢神をけしかけてくる可能性だってある。夏目も斑もそう考えていると、早苗はニンマリと笑いながら歩をゆっくりと進めてきた。

 ――襲ってくる!夏目と斑は酷く緊張しながら身構えた。

 

「そうなんですよ~。今の私、半分人間で半分神様なんです。驚きました?」

 

「か、軽いな…」

 

 なんてことはない。ノンビリ歩きながら軽いノリで暴露した早苗に、身構えていた夏目と斑の身体からガクッと力が抜けた。軽すぎて逆にビックリする。そして当然、彼女が襲ってくる気配など微塵もなかった。

 

「…半分とは、混血ということか?」

 

 何ともいえない表情で斑が問う。神格と人間の混血というのは大変珍しいが、前例が無い訳ではない。神と人との間に生まれた存在は『半神』と呼ばれ、日本神話だけでなく世界各地の神話でも記されているのだ。*2

 彼女もそういった半神なのかと聞いたが、彼女はそうではないと首を横に振った。

 

「いえ。元々は人間だったのですが、ちょっと前に現人神になっちゃいまして。それで半分神格に」

 

「なっ…!?馬鹿な、この時代に現人神だと…!?」

 

 斑が目を見開いて驚く。フレーメン反応する猫のような顔である。つまり斑にとって、それだけ衝撃を受ける事実だったのだ。

 

「先生、あらひとがみって?」

 

「生きながらにして神格へと至った人間の呼び名だ…。死後に神格として奉られた偉人は数多く存在するが、存命中に神格へ至った人間というのはほとんど居ない。故に、非常に珍しい存在なのだ。少なくとも近年は噂すら聞いたことが無かったのだが、まさかこんな小娘が…」

 

「えへへ。凄いでしょう?」

 

 斑の説明に早苗が腰に手を当てて胸を張った。渾身のドヤ顔である。

 斑の言う通り、現人神という存在は半神に並んで珍しかった。ただ人々の信仰を集めるだけならカルト教団の教祖や有名人程度だって可能だが、無論その程度で現人神に成れるはずがないからである。

 人が神格に至る為には、まず大前提として強い霊力・妖力を持っていなければならなかった。その上で神格としての修行を積む必要がある。神とは何たるかを深く理解し、身も心も神へと近づけていくのだが、これがどんな苦行よりも難しい。聖人や名僧と呼ばれ歴史に名を残した者たちですら、この領域に至れた者は数えるほどしかおらず、至った者たちですら死の間際でようやく悟ったというレベルであった。

 

 しかし、早苗は年若くして神格へと至った。強い霊力・妖力を生まれながらに持っていたことはもちろん、最高位の神々と家族として過ごしてきたことで神格の領域が非常に身近であったからだ。つまり、彼女は始めから現人神に至る下地が完成されていたのである。

 後は、人々から少し信仰されるだけで簡単に現人神になれる。これが最年少の現人神・東風谷早苗の誕生秘話であった。

 

「ええっと…、じゃあキミは一応人間ってことなのか…?」

 

「そうですね。信仰が無くなったら現人神から元の人間に戻っちゃうみたいなので、基本(ベーシック)は人間で、今は神格の力が宿った特殊な状態って感じです」

 

 そう説明されて、ようやく夏目は安堵した。一方で、斑は一応の納得はしたものの、まだ彼女を疑っているらしい。早苗をジロジロと観察しながら疑問を口にした。

 

「ふぅむ、現人神ならばこの混じり合った気配にも理解出来る。理解は出来るが…守矢の主神は納得しておられるのか?信仰が御自身ではなく巫女に向かっているのだから、あまり良い顔はせんだろうに」

 

「そんなことはありませんよ?『早苗は凄いなぁ』って沢山褒めてもらいましたから!」

 

 早苗は嬉しそうに答えた。確かに、信仰は彼女に向かってしまっている。しかし、その早苗自身が守矢の主神たちを強く深く信仰しているのだから、信仰は彼女を経由して神々に届いていた。

 だが、そうでなかったとしても神々が早苗を叱責することは無いだろう。彼女たちならば、間違い無く己よりも早苗を優先する。早苗はそれほど愛されていたのだ。

 

「へぇ、優しい神様なんだな。えぇと、確か八坂様だったか?」

 

「ええ、そうです。とぉってもお優しい御方なんですよ!」

 

「お優しい…か。ならば洩矢神が出歩いているのは、八坂様のその優しさ故か?」

 

 鼻高々に自らの主神を自慢する早苗に、斑が鋭い視線で本題に切り込んだ。それを聞いて夏目にも緊張が走る。最強の祟り神と恐れられる洩矢神。行動次第では、どんな大災害が起こるかも分からない存在だ。

 しかし、そんな彼らの緊張とは裏腹に、早苗は自然体のままであった。

 

「諏訪子様?あの御方がどうかなさいましたか?あ、諏訪子様というのは洩矢神様の御名前です。もちろん諏訪子様もお優しいですよ!」

 

「え?」

 

「え?」

 

 早苗の返答に、斑は意味が分からないという声を出して首を傾げた。その反応を見て、答えた早苗も同じく疑問の声を上げる。早苗としては、別に変なことを言ったつもりはない。諏訪子様は優しい。それは彼女にとって当たり前のことだった。

 しかし、斑からしてみれば意味不明といっていい。なにせ相手はあの洩矢神なのだ。優しいなんて、そんな筈がない。

 

「ちょっと待て。守矢の主神は八坂様、つまりタケミナカタ様なのだろう?ならば洩矢神にとっては不倶戴天の宿敵ではないか。何故、八坂様に仕えるお主を可愛がるのだ?」

 

「んん?仰るとおり建御名方神(タケミナカタノカミ)様というのは私がお仕えしている御方の表向きの名称ですが、それで何故私たちが諏訪子様の敵になるんですか?御二方は偶にケンカをすることもありますが、普段はとても仲の良い方々ですよ」

 

「え?」

 

「え?」

 

 今度は顔を見合わせながら、またしても2人は疑問の声を上げる。斑の頭は疑問符だらけだが、逆に早苗は彼が何でそんなに困惑しているのか分からなかった。

 因みに、一緒に聞いていた夏目は話に着いていけず置いてけぼり状態である。

 

「仲が良い?八坂様と洩矢神だぞ?」

 

「そうですよ。だって家族ですもの」

 

「え?」

 

「え?」

 

 三度目の疑問の声。斑はもう訳が分からなくなってきた。諏訪大戦で互いに殺し合った者同士が今や家族になっているなど、誰が理解出来るというのか。意味が分からなすぎて知恵熱が出てしまいそうである。

 

「家族?馬鹿な、そんな筈は…。あの悪名高き洩矢神が…?」

 

 斑が両目をグルグルと回しながら独り言を呟く。

 しかし、混乱しているとはいえ、口に出した言葉が悪かった。早苗はそんな『悪名高い洩矢神』を親のように慕い敬愛しているのである。目の前で悪口を言われては温厚な彼女といえども流石にムッとする。早苗は片頬を膨らませて斑を咎めた。

 

「もう!一体何なんですか!確かに諏訪子様は周りから恐れられているかもしれませんが、本当はとてもお優しい御方なんです。神社の外に出るときは無闇に妖さんたちを怯えさせないよう、わざわざ姿を消して行動なさっているくらいなんですから。いくら可愛い猫ちゃんだからって、失礼な事は言わないでください!あと、諏訪子様にもちゃんと『様』をつけること!罰として肉球プニプニの刑です!えいえい!…うへへ」

 

 早苗は絶賛困惑中の斑をコロンと仰向けに転がすと、その短い前足を捕まえてピンク色の肉球を揉みしだいた。猫の肉球というのは神経が集まっている部分であるため、触ると嫌がる猫は多い。

 しかし、だからこそ重罰となるのだ。決して触りたくて触っている訳ではない…と早苗は自分に言い訳をしながら魅惑の肉球を堪能する。ついでと言わんばかりに、まん丸とした腹も撫で回すがモチモチとした柔らかさが堪らない。何なのだ、この妖は。もしかしたら猫の妖ではなく、大福餅の妖かもしれない。

 

「待て待て…。追いつかん、理解が追いつかんのだ…。夏目はどうだ…?」

 

「お、俺…!?ええっと…八坂様も洩矢神様も、とても優しくて凄い神様ってことか…?」

 

 早苗にされるがままの状態で斑は力無く夏目に尋ねた。しかし、そうは言われても彼だって理解は出来ていないのだ。当たり障りのないことを怖ず怖ずと答えて、早苗の反応を確かめてみると――彼女は満面の笑みだった。

 

「全く以てその通りです!流石は夏目さんですね!素晴らしいです!」

 

「もう、それで良いわ…」

 

 どうやら正解だったらしい。夏目を絶賛する早苗の声を聞きながら、斑は疲れ果てたように呟くのであった。

 

*1
なお、実際に解呪可能かどうかは不明である

*2
特にギリシア神話には半神が多く登場する




 タキ&田沼「夏目たちは何処にいったんだ…?」
 現在、2人で頑張って夏目君を捜索中です。でも、見つける可能性は低そう。

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