これはとある一人の吸血姫の、そして家族たちが戦った一幕の物語。
とは言っても、当時の構想とは大分違うものに仕上がった感はあるけども……。
アクロニア大陸の東に存在する農業国家ファーイースト。
緑豊かで放牧的に平和であったここは、現在戦禍に包まれていた。
多くの影法師のようなモンスターたちと、負の感情に当てられ正気を失った住民たち。
住民たちの多くは狂気に走った表情で農具を手に持ち、モンスターたちや、何より自身と同じファーイーストの住人へと襲いかかる。
「ひ、ひはははははは」
「おまえか! おまえがばけものか?!」
大柄の住民の一人がケタケタと笑いながら、近くにいる人へと手に持つ鍬を頭部めがけて振り下ろす一撃。
もし、そのまま当たってしまえばその住人の頭部は柘榴のように砕けてしまっていたであろう。
しかし、一人の少女は疾風のように駆け付けると華奢な細腕を掲げる。
受け止めるつもりなのだろうが、その華奢な体躯では大柄の住人の力強い一撃で諸共に叩き潰されてしまう────はずだった。
だが現実はまるで幼子が大人に小枝を振るったように軽々と止められ、あまつさえ彼女の身の丈と同等の大きさがある鍬を奪い取るという、目を疑うような事態が起きていた。
「まったく、キリがありませんわね」
そう言いながら、闇色のゴシックドレスを身にまとう紫色の髪をしたツインテールの少女、『アルカード・ロア』は嘆息し、相対する大柄な住人の鳩尾をその白魚のようにしなやかな細指で軽く小突く。
するとその住人はぐるんと白目をむき、まるでゼンマイが切れたブリキの人形のように崩れ落ちる。
アルカードは、倒れた住人をむんずと掴むとそのまま軽々と背負いあげる。
体格差の関係でアルカードに覆いかぶさる成人男性といえる光景であったが、彼女は意も介さずに、まるで軽い荷物を持つように軽快な歩みを見せる。
まさしく異様な光景であったが、狂気に陥っている住人やモンスターはともかくとして、その他の正気を保った住人にも驚きなどの表情はない。
それもそのはず、彼らにとって彼女は見知った人物でもあり、そしてなによりも彼女『たち』がどのような存在かも知っているからだ。
──ロア。
彼女たち仲間──ある意味家族とも言えるが──の種族名のようなものであり、彼女たち自身の異能を司る部分でもある。
というのも、ロアとは世界に存在する伝承や偉人伝、英雄譚などの人々がよく知る物語、その中において、この人物は、化け物はこういうものであるという認識、一種の信仰とも言えるものがこの世界に存在する想いの力と呼ばれる願望器の役割を果たすエネルギーによって具現化した存在だ。
そしてアルカード、彼女は吸血鬼の物語から具現化した存在であり、人々の想像する吸血鬼の力、つまり人外の膂力に
──実際に彼女は以前に子供ではあるが、二人を抱えた状態で高度2000メートル上空に存在する場所に飛行して移動したという実績もある。
そのような事例からもわかるように、傍から見ると異様な光景であっても知る人間からしたら驚くに値しないことであった。
気絶した住人を運んでいるアルカードだったが、モンスターたちはそんなことは知らぬとばかりに彼女へ襲いかかろうとする。
無論アルカードもそれに気付かないほど能天気でも敵意に鈍いわけでもない。
「……行きなさい、眷属たち!」
彼女の号令に全体的にディフォルメされた、どことなく可愛らしい見た目のコウモリたちがモンスターの前に降り立つ。
そしてモンスターたちの周辺を飛び回りながら、硬化された羽による斬撃を、またあるときはその小さな見た目には似合わぬほどの突風を浴びせかけて足止めする。
そうやって眷属たちが足止めしている合間にアルカードは目的地にたどり着く。
そこには球状の花吹雪が舞う結界が張られて、その中には同じように気絶した住人が数多く横たえられて、一人の女性が忙しなく動いている。
「玉藻、すみませんけど一人追加ですわ」
「アルカードちゃん。うん、お姉ちゃんは大丈夫だから。そっちこそ大丈夫?」
アルカードに振り返り、額に汗を滲ませながらも微笑みを浮かべて女性は逆にアルカードの心配をする。
「わたくしは問題ありませんわ。玉藻こそ無理をしてはいけませんわよ?」
アルカードに苦言を呈された女性、改造されて全体的に丈が短くなった十二単を身にまとった、白髪と狐の耳に、そして一番の特徴として臀部から生えているであろう九房からなる尻尾を生やした、九尾の狐の物語から生まれた『玉藻・ロア』は、アルカードを安心させるように腕まくりをすると、力瘤を作るようなポーズをする。
最も、本当に力瘤を出したわけではなく、彼女のきれいな腕を見せるだけにとどまっていたが。
「ほ~ら、お姉ちゃんはこんなに元気、元気」
玉藻はおどけるようにそんな言葉を出す。
その姿を見たアルカードは小さく嘆息しながらも、玉藻が大丈夫ということは理解できたようで表情が柔らかくなっていた。
「それではここはお任せしますわね。わたくしは前線に戻りますわ」
「うん、お姉ちゃんに任せて」
玉藻の返答を聞いたアルカードは踵を返すと元いた場所へと駆けていく。
それを見送った玉藻は気合を入れるように、全身に力を行き渡らせると手に紙切れ、術に使うための符を持つと気絶した人々へそれを貼り付けていく。
するとその紙を触媒として人々から黒い瘴気が吹き出し、その吹き出す量に比例して人々の顔が穏やかになっていく。
これが人々を狂気へと走らせているものであり、その正体は人々の不安や恐怖が想いの力で増幅されたものである。
もともと想いの力とは無色の力であり、人々の願いや想いといった正の感情でも、恐怖などの負の感情でも関係なく具現化するという特性がある。
それでも本来は人々が暴走するようなほどの強大な力が渦巻くことはないのだが、今回のことに関してはとある理由が関係していた。
そしてその理由を説明するためには時間を巻き戻す必要がある。
そもそもの原因となっている人物の名はハスター。
もともとはこの世界とは別の異世界、『地球』と呼ばれる世界で暮らしていたとある研究の主任研究員であったが、ある時彼や仲間たち、そして愛娘であるローラと供に宇宙船で月に向かっている時にとある事故に巻き込まれる。
その事故というのは、この世界においては次元クジラ『クトゥルフ』と呼ばれる存在との遭遇であり、そして彼らはそのまま次元クジラに地球で初めて捕食された犠牲者となってしまう。
捕食された彼らが見たものは、あらゆるものが白い砂で埋まった廃墟の世界であった。
ハスターは宇宙船の中の乗組員を集めて調査隊を編成すると彼らを送り出す。
しかしその調査隊は幾度かの通信を取り合ったあとに音信不通となる。
その後は、音信不通になった調査隊を探すための救助隊を編成するが結果は同じく音信不通になり、それを何度か繰り返すうちに宇宙船の物資もほぼ底をつき、乗組員もハスターと娘のローラ、そして彼の部下の科学者が一人の計三名だけになってしまう。
そして、彼らはその時になって初めてこの次元クジラの恐ろしさ、悍ましさを理解することとなる。
その日は数日前から全員に起きていた、主に頭痛からなる体調不良が特に酷くなっていた。
ハスターは自身の不調に耐えながらもローラに頭痛薬を飲ませていたが、その時部下の科学者が頭を抑えくぐもった声を出す。
その姿を心配したハスターが科学者に声をかけるが、彼はハスターに逃げるように告げた次の瞬間。
彼の周りに黒い瘴気が集まり、そして晴れたときには彼が立っていた場所には影法師のモンスターが存在していた。
その光景を目の当たりにしたハスターは困惑、その後に恐慌状態に陥りローラの手を取ると命綱である宇宙船から飛び出し逃げ惑う。
訳も分からず逃げ惑う二人であったが、その目の前にまたもや影法師のモンスターが現れる。
そこで初めてハスターは気付く。
このクジラの腹の中の世界は狂気に包まれた世界であり、そして狂気に飲まれた存在は化け物に変じてしまうということを。
最も、気付いたところで手遅れであり、そして何よりも自分たちは目の前のモンスターに襲われて死ぬことになる────はずだった。
心静かに、せめてローラだけは助かるようにと自身が盾になるようにとローラを抱きしめるハスターだが。
そのローラが霞のように消え去ってしまう。
そして同時に襲ってくるはずの影法師のモンスターの気配もなくなっている。
驚き振り返るハスターが見た光景は。
先程自分たちに襲いかかろうとしたモンスターがいた場所に倒れている人の姿と。
「ウォオオオ、オ……オオ」
彼を、ハスターを守るように背を向けている背丈の小さい、それこそ娘のローラと同じ位の影法師のモンスターが立っていた。
それを見た彼は直感的に気付いてしまう。
『アレ』はローラが変じた姿であると。
モンスターはハスターには見向きもせずに去ろうとする。
「ま、待ってくれ! ローラなんだろう!」
ハスターは血を吐くように絶叫するが、モンスターはそのまま去っていく。
「まってくれ……」
ハスターはそう言いながらも限界だったのか倒れ伏す。
それでも彼の思考だけはしばらく続き、最後には自身に対して呪詛を吐くこととなる。
──俺にもっと力があれば、何もかもを守れるほどの力があれば皆を、ローラを救えたのに……!
彼が思考できたのはそこまでだった。
いよいよ彼自身も力尽き、狂気に囚われ化生と化す。
彼がいた場所に存在していたのは、黄衣の外套を身にまとった朱と蒼の瞳を持つ名状しがたき化け物であった。
そしてその化け物は、ハスターは、人間であった頃の最後の望みだけを目的に動き出す。
即ち。
──力を、もっと力を……!
ただそれのみを求めて動き出す。
自身がなんのために、何がしたいから力を求めたのも忘れて。
その後ハスターは、次元クジラを誘導してこの世界を襲撃させる。
それ自体は守護竜たちの必死の抵抗により失敗し、自身と次元クジラも封印されてしまうものの、その際にタイタニア界の守護竜タイタニア・ドラゴンを行動不能なほどの深手を負わせ、守護竜最強であるエミル・ドラゴンも次元クジラの封印の楔として実質的な行動不能な状態に陥らせ、結果的に存在している守護竜三体のうち二体を排除することに成功する。
そうして一定の成功を収めたハスターは、次は自ら人々を操り、時には欲望を増幅させるように暗躍して各地に戦乱をもたらしつつ、この世界独自の力である想いの力の収集と研究並びに、次元クジラの封印開放を目指す。
ハスターが永い年月をかけて暗躍しているうちに、この世界の人間たちもまた戦乱の中で様々な技術を生み出していく。
その中には勿論想いの力関連のものも多く含まれていた。
そしてハスターはその中の一つの技術に目をつける。
かつてエミル世界のアクロニア大陸、その北方に存在する魔導王国であるノーザン王国に生を受けた天才学者であり、想いの力の研究の第一人者であった『イリス』が研究していた人の心、その願いを想いの力に乗せることにより本来存在し得ない者たちを顕現化、即ちこの世界独自の精霊である守護魔や、遥かな未来に生まれることとなるロアたちに関する技術であった。
そしてその成果物である想いの力の集積装置、通称『フシギなたまご』の存在を知ったハスターはその時偶然クジラが封印されていた地を訪れていた冒険者の身体を乗っ取り、装置が存在するエミル世界を徘徊する。
各地を徘徊したハスターは大陸中央に存在するアクロポリス、その地下にフシギなたまごが存在することを突き止める。
だがそれはとある理由により損壊していたが、ハスターはそれを自身の力によって修復。
修復されたフシギなたまごは本来の役割である想いの力の集積を開始し、ハスターは内部に溜め込められた力を自身に吸収することにより自身の実力を飛躍的に向上させることに成功するが、彼にとって想定外の出来事が二つ起こる。
一つ目は彼自身と次元クジラが引き起こした世界侵略の影響でこのエミル世界自体の次元の壁が損壊していたことにより、複数の世界から彼の予想以上の想いの力がフシギなたまごに集まり、結果として暴走して再び損壊するだけにとどまらず、吸収できなかった力が各地にばら撒かれ、一時的に世界中に思いの力が溢れる状態になりそのまま暴走。
その結果、各地に新種のモンスター、しかも主に街中にそのモンスターが発生するようになり世界が大混乱に陥る事態となる。
それ自体は、ハスター自身が世界で動くときの隠れ蓑となったために彼にとっては歓迎することであった。
しかし二つ目の出来事がある意味においてはモンスターと化した彼には看破できない事態を引き起こす。
その出来事とは想いの力を大量に取り込んでしまったために、彼の人としての意識が復活、覚醒してしまったことだった。
もっとも、それだけであれば不快ではあるが、その意識を深層領域に封印すれば良いだけの話であり、そこまで大きな問題ではなかったのだがここで彼にとっての誤算が起きる。
その時彼は封印されていた時に乗っ取っていた冒険者とは別の肉体に乗り移っていたのだが、その時彼が使っていた肉体は、守護竜たち以上に彼にとっては宿敵というべき、幾度となく彼の計画を妨害してきた冒険者の肉体だった。
しかも件の冒険者は並み居る者たちとは比肩できないほどの強大な力を身に宿しており、想いの力によって強化された彼の実力を持ってしても完全に掌握することが難しいほどであり、そして冒険者の身体に憑依しているということは、即ちハスター自身と冒険者の意識が同じ肉体に宿っているということでもある。
そこでかの冒険者は人としてのハスターの意識と出会うことになり、彼の協力によりモンスターとしてのハスターの支配から脱却し、更には冒険者の類稀なる想いの力の容量と制御技術により、人としてのハスターをモンスターから分離させて肉体を再構築し脱出。
その結果モンスターの方は、想いの力を取り込む前よりは強くはあるが、それでも大幅に弱体化することとなる。
その後、人としてのハスターは冒険者一行の仲間となり行動を共にし、モンスターは自身の計画の遂行のため、そして宿敵である冒険者を確実に仕留めるための謀略の仕込みをするために各地を転々とする。
そしてその行動の途中に冒険者たちの支援をしているタイタニア・ドラゴンの手によってモンスターのハスターがファーイーストにいることを察知されて彼らもまたこの地に訪れる。
冒険者一行に追いつかれたハスターは一戦を交えるが隙きを突きそのまま逃走。
置き土産とばかりにその場に大量の瘴気をばら撒き、それと暴走する想いの力が複雑に絡み合い住人の一部を影法師のモンスターへと変化させていく。
影法師のモンスターたちは冒険者一行に攻撃を仕掛けるが、彼らはそれに対して防戦一方となる。
モンスターに変化してしまったとは言え彼らにとっては守るべき対象には変わりなく、そして全員が人を超えた力を持っている故に下手に攻撃してしまうと住人たちを死なせてしまう可能性が高かった。
更には住人がモンスターになるところを見た他の住人が、奴らがモンスターに変えたんだ、と告げると瘴気によって正常な思考ができなくなっている住人たちはそれを鵜呑みにして、彼らもまた冒険者一行に敵対。
いよいよ持って進退窮まった一行であったが、そこにアルカードを始めとするロア達一行が援軍として登場し、彼らに先に行くように促す。
一行のリーダーであり、ロアとの交流もある冒険者は君たちだけを危険な場所に残せないと一度は拒否するが。
「今ここに残っても事態は何も解決しませんわ! あなた達は、あなた達の成すべきことを成しなさい!」
というアルカードの一喝を受けて後ろ髪を引かれる思いで、彼女に無理だけはしないように告げるとその場を後にする。
そしてその後は物語の冒頭へと舞い戻ることとなる。
前線に戻ってきたアルカードは辺りを見渡しながら次は何をするべきかを思案する。
もし何も考えずに戦うことができたのであれば、それこそ今すぐに突撃してあらゆるものを蹂躙できるだろう。
先程救助した住人のときも、もしも彼女が一切の手加減なしに攻撃していた場合、彼の胴体がとても風通りが良くなっていたか、もしくは上半身と下半身が泣き別れになっていたであろうことは確実だ。
それだけの種族としての肉体のスペック差があるのは確かだった。
しかしそれをやるのは彼女の矜持が、そして何よりも親愛の情を抱いているかの冒険者に顔向けできなくなってしまうために憚られた。
「…………とは言え面倒なことには違いありませんわね」
アルカードがそう愚痴を言ってしまいたくなるほどには、人間の身体は彼女にとっては脆すぎるものだった。
モンスターに変化した者たちの方は多少なりとも硬くなっているが、それでも彼女にとっては誤差の範囲でしかなく、攻撃の際には細心の注意を払って撫でるように行っている。
だがそれは彼女に対してかなりのストレスになってしまっている。
防御するだけなら自身から能動的に動く必要もないので問題ないのだが、攻撃に関しては全てにおいて小さな針に糸を連続で通すような緻密さを求められてしまう故に。
そして更にもう一つの問題があった、それは…………。
「あぁ! がぁぁぁぁあぁあ!!」
アルカードの見ている前で、正気を失った住民の一人が影法師のモンスターへと変わる。
「……本当に、キリがありませんわね」
そう、これだ。
ハスターの置き土産の瘴気が未だに充満し続けているために、彼女たちが救助するよりも早く次々とモンスターへと変化してしまっている。
しかも厄介なことにこの瘴気はファーイースト全体に満遍なく撒かれてしまっているために、全くと言っていいほどに収まる気配がない。
そのために現在救助してもまたすぐにモンスターへと変化してしまうという完全なるイタチごっこになってしまっている。
故にロアたちは今各地に分散してそれぞれに対処しつつ、余裕がある場合は救助した人間を安全な玉藻の元へと搬送している。
因みになぜ玉藻のいる場所が安全になっているのかというと、彼女自身が呪いのエキスパートであり、それ故に解呪の術式を使えるということと、ロアの家族の一人、魔女の物語から生まれた『ル・フェイ・ロア』が周辺に瘴気を、正確に言うとあらゆる害意のあるものを遮断する結界【アヴァロン】を常時展開しているためである。
なおル・フェイ本人は、結界を張ることに全力を注ぐために現在安全な場所に護衛付きで避難している。
そうこうしているうちにモンスターが影の触手をアルカードに向けて襲いかかる。
彼女自身はそれを一瞥すると、そのまま平然として攻撃が彼女の届く直前に触手をつかみ取り軽く引っ張る。
ブチブチという音とともに触手が引きちぎられると同時に、モンスターがアルカードの元へと引き寄せられる。
引き寄せられたモンスターの表面を剥ぎ取るように彼女が爪を振るうと引き裂かれたモンスターの中から先程の住人の姿が見える。
その住人は意識を失っているようでアルカードの方に倒れ込んできたために彼女は優しく受け止め、そして。
「──来なさい、我が眷属」
彼女は自身の魔力を以て召喚用の魔法陣を描いていく。
描かれた魔法陣が発光し、中から巨大な影が飛翔する。
その姿は先程モンスターの足止めをしたコウモリたちと同じ姿だった。
しかし、決定的に違う点が一点だけあった。
大きさだ。
先程のコウモリたちはアルカードの手のひらサイズであったが、今回召喚されたコウモリは彼女を覆い隠せるほど、人一人程度であれば問題なく乗せられるような大きさだった。
一部の人間に『でかでかオオコウモリ』と呼ばれていたその個体は、アルカードの目前まで移動すると臣下の礼を取るように地面に着陸する。
「よく来てくれたわね。早速だけど、この人を玉藻の所に連れて行って頂戴な」
アルカードはオオコウモリに伝えつつ、抱えていた住人を乗せる。
命令を受けたオオコウモリはすぐに離陸し、玉藻の元へと飛んでいく。
アルカードはそれを見送りつつ次の行動を起こそうとするが、その時。
──みんな、今大変だと思うけど、わたしも、ウルゥやオリジン、他の人達も事件を解決しようと頑張っているから、あなた達も出来る範囲でいいから助け合おう。そうすれば最後にはきっとハッピーエンドで終わるから──。
彼女の意識に、どこからともなく語りかけてくる声。
アルカードは、その声に聞き覚えがあった。
「この声は……、アナタですの?」
この声の主も先程見送った人物とは別ではあるが、彼女たちと親交のある冒険者であり、彼らはともに、現代の英雄と呼ばれるほどに数々の事件を解決している。
そして、この意識に語りかけてきた冒険者は現在ハスターとは別の事件を解決するために守護魔たちと行動を共にしている、ということをアルカードは以前会った時に本人から聞いていた。
「でも、これは一体……」
彼女が疑問に思うが次の瞬間。
「…………!? 今度は一体何ですの?!」
突然北西の方角から、とてつもない力の奔流を感じ、その方向を向くとそこには、遠くからでも天を貫くさまがはっきり見える、どことなく暖かく感じる光の柱がそこにはあった。
「あの方向はもしかしてノーザン……?」
アルカードは、件の冒険者が守護魔と行動を共にしている事と、他にも「ちょっとノーザンまで行って世界を救ってくる」と、軽口を叩いていたことを思い出す。
「あの時はなにかの冗談かと思っていたのだけど、もしかして本当のことでしたの?」
彼女は口を零すが、そのことを肯定するかのように彼女の周辺にも変化が起きる。
「これは……」
先程まで忌々しいほどに蔓延していた瘴気が多少とは言え薄くなってきている。
余談であるが、後にこの瘴気は人々の不安や恐怖などの負の感情を媒体にして増殖するものだということが判明している。
そして先程の冒険者の声はアルカード以外にも、すべての人に届けられており、英雄と名高い人物からの激励を受けた人々から不安などの感情が取り除かれた結果、徐々に瘴気が薄くなっていた。
これならば、また時間はかかるだろうがいずれ瘴気は完全に消え去るだろう。
アルカードはその事に気付き、安心して、そして一瞬とは言え油断してしまった。
「きゃああ!」
「ウオォォオ、オ」
遠くで女性の住人が、モンスターと化した住人に襲われている。
緊張感を保ったままのアルカードであれば即座に行動に移り、女性を助けることに間に合ったであろう。
しかし、現実は反応が遅れてしまい、いかに彼女の脚力、瞬発力が優れていようがその一瞬の間が致命的であった。
だが、彼女は諦めない。
「間、に、合、えぇぇぇ!」
彼女は咆哮を上げながら、さらに、さらに力強く足を踏み抜き加速する。
だが、それでもあと一歩が間に合わない。
彼女自身も、もう駄目なのかと諦めかけたその時。
彼女の背後から先程見た暖かい光の柱、それと同種の力の奔流が女性に襲いかかっていたモンスターへ奔り、飲み込んでいく。
そして、力の奔流が過ぎ去った後、そこにはうつ伏せに倒れているおそらくモンスターになっていた住人と、怪我一つない無事な様子の女性の姿があった。
その姿を見て安堵したアルカードは、彼女を助けてくれた力の持ち主に礼を言おうとして後ろを見て驚愕する。
そこには先程見送ったはずの冒険者の姿があった。
その姿を見てアルカードは思わずと大声をあげようとするが。
「あなた! なぜ戻って、きまし、た、の……?」
その言葉は尻窄みになってしまう。
確かにその姿は先程見送った冒険者のはずなのに、なにか違和感を感じる。
それどころか何故か、今の彼にはいつも以上に親愛、というよりも親近感を感じてしまう。
まるで自分たちと同種の存在であるような、そんな親近感を。
そして彼女にとって、さらに驚愕のあまり目を見開く光景が映し出される。
暖かな光の力、想いの力が人の形となって集まり、輝きが弾けるとそこには様々な人々が現れる。
ある者は、剣や槍、斧に銃を構え、またある者は弓を番えて、他にも様々な武器、中には本や楽器、カバンにカードなどの変わり種を持つ者たちまでいる。
その中には先程意識に語りかけてきた、今はノーザンにいるはずの冒険者の姿まである。
だが、アルカードにとっての驚愕は人々が現れたからというのは正確ではない。
その現れた人々、二人の冒険者以外の全員に見覚えがある、どころか彼女たちロアからすると戦友とも言える間柄の人たちばかりであった。
──アナザークロニクル。
ノーザンプロムナードの奥地、普通の人々には感知できない位相に存在するあらゆる知識が集まる場所、エンシェントアーク。
そのエンシェントアークにおいて危険視され封印されていた『ナコト写本』、ひょんなことからロアたちが封印を解いてしまい、彼女たちのもう一つの可能性、もしも彼女たちが救われなかったらという、アナザー・ロアたちが解き放たれてしまう。
今でこそ、その騒動は解決しナコト写本も再び封印されているが、もしも解決できていなかった場合アクロニア大陸全土が未曾有の大混乱に陥っている可能性もあった。
その事件を解決したのが今アルカードの目の前にいる人々であり、全員が最高位の冒険者として名を馳せている者たちでもある。
だが、彼らは現在各々が世界の危機に対応するために各地へと飛び回っているはずであり、少なくともいきなりファーイーストに集結するということはないはずであった。
特に今ノーザンにいるはずの冒険者に関しては、どう考えても物理的に不可能な距離だった。
たしかに彼らは時々どうやって移動しているのかわからないような素早さで、各国に移動していることはあるが、少なくとも今回に関してはその方法とは違うと断言できた。
というのも、彼らが特殊な方法で移動してくる際はいくつかの制限があり、一つ目は各国にいる復活の戦士と呼ばれる兵士のもとにしか飛べないということ、そして二つ目は出てくる際に空中に魔法陣が現れ、そこから出てくるということ。
そして今回は関係ないが三つ目に移動をする際に、彼らは誰もが時空の鍵と呼ばれる帰還用アイテムとはまた別の、装飾がついた特殊な鍵を掲げることによって移動しているようだった、といったところだろう。
しかるに、さきほど彼らが現れた際のことを考えると。
まず、ここはファーイーストの中央広場付近であり、復活の戦士は入口付近に待機しているためこの時点で既にあり得ない。
さらに言えば、現れた際も魔法陣などは浮かんでおらず、まるでここに突然現れた、いや発生したというのが正確な言い方になるのかも知れない。
そこまで考えたアルカードは一つの天啓を得る。
自身と同じような親近感を覚え、そしてまるで突然発生したような現れ方をした彼らはもしや……。
(でも、それはあり得ないはず。ロアを生み出すためには……!)
自問自答していたアルカードは、そこで一つの事実を気づく。
ロアを生み出すためには一つの制約がある。
それは、核となる物語が多くの者達に普遍的に知れ渡っていること。
何を当たり前のことを、と思われるかも知れない。
だが、普遍的にというのが案外曲者だったりするのだ。
例えばの話になるが、ある物語の登場人物をロア化させるとして、ある人がその人物は筋骨隆々の巨人であると認識しているとして、また別の人間は六つの腕を持つ異形と認識し、さらに別の人物は普通の人たちの半分の背丈しかないと認識している、この場合はその登場人物はロアとして顕現できるだろうか?
答えは顕現できない、だ。
流石に今回のことに関しては極端すぎる例えであったが、つまりロアを顕現させるためのプロセスとして、まず人々に共通の認識をさせることによりロアとしての器を作り出し、その出来上がった器に、さらに想いの力という中身を注ぎ込むことによって初めて顕現できる。
実際、過去にロアたちを生み出した女性は、紙芝居という方法を使い人々の認識を固定させ、さらに女性が独自に生み出した術式を使うことによって想いの力を制御して顕現させていた。
それを念頭に置き、今回の仮説を考えるに色々とないとは言い切れない状況だった。
まず人々の認識ではあるが、そもそも彼らは全員が最高位の冒険者であり、人々には羨望の眼差しを向けられ、また彼らの冒険譚は現代の英雄叙事詩として広く知れ渡っている。
次に想いの力であるが、こちらは本来特別な術式を使い力を集める必要があるのだが、今回に関して言えばハスターが行ったフシギなたまごの修理に端を発した一連の行動によって想いの力は現状供給過多とでも言うべき状態であり、言い方を変えればどこでロアが発生してもおかしくない状況であった。
「まさか、本当に……?」
「きっとその通りなんだとあたしも思いますよ? アルカードちゃん」
アルカードがポツリと呟いた疑問に誰かが答える。
アルカードは声が聞こえた方向に振り向くと、そこには栗色の髪にベージュ色のドレスを身にまとい、光り輝く翼と光輪を掲げた女天使の姿があった。
「ステラ、いつの間に来てましたの?」
「ついさっき、アルカードちゃんが考え事をしている間にですよ」
アルカードの質問に、そう答えるステラと呼ばれた女性。
彼女もまたアルカードと同じロアであり、この世界にはるか昔からある言い伝えである思い出星という物語から生まれた存在だ。
そして彼女にはある能力がある。
それは、人々の思い出の具現化。
想いの力とほぼ同じ効果であるが、だが彼女の場合は対象が経験した出来事、また人物を具現化することも可能であり、アナザークロニクルにおいては彼女のアナザーがかつてエミル・ドラゴン達守護竜や、彼らと冒険者が共闘して封印したハスターをさらに強化した状態で複数体具現化したこともある。
その事からもわかるように彼女のポテンシャルは途轍もなく高い。
「まさかステラ、貴女がやったんですの?」
「いえいえ、まさか~」
アルカードの問いにステラは苦笑いを浮かべながら、手をフリフリと振るい否定する。
「いくらあたしでもそんな事やったら力を使い果たして消滅しちゃいますよ。これはきっとあの人のメッセージを受け取った人達のあの人達に対する祈りが形になったんだと思いますよ」
それに、とさらにステラは自身の考えを告げる。
「これはあの人たち自身の祈り、この世界が平和であってほしいという願いも入ってるんだと思います」
彼女はそう告げながら胸元で手を組んで目を瞑り、まるで祈るような体勢で彼らに対する想いを馳せる。
祈りを捧げているステラの周りに光が集る。
それはまるで神託を受ける聖女のような光景であった。
「ステラ、一体何を……」
アルカードはステラの行動に疑問を呈するが、彼女はそれには取り合わずにそのまま光を、想いの力を自身に集めていく。
そうしてしばらくその行動を続けるステラは、自身に十分な想いの力が集まったと判断したのか、ゆっくりとまぶたを開いていき。
「思い出星よ、みんなの想いに応えて!」
ステラの掛け声と同時に、彼女自身を中心に広大な魔法陣が描かれていく。
そして魔法陣が完成すると暖かな光が全てのものを包み込むように広がる。
さらに顕現していた冒険者のロアたちもまた、同じように光を生み出し、互いに光を増幅しあい爆発的なまでに光が広がっていく。
アルカードもまたその光に包まれていき、思わず顔を腕で覆い目を瞑る。
一瞬か、数分かわからない曖昧な時間を過ごした彼女は、ふと周りが静かになっていることに気付き恐る恐る目を開いていく。
目を開いたアルカードの眼前に映し出された光景。
それは、先ほどまで多少なりとも漂っていた瘴気が完全に払拭され、平時と同じような長閑な雰囲気が戻ったファーイーストと、そこかしこで倒れているモンスターと化したはずの住人たちの姿だった。
「これは……。ステラ」
呆然とした様子でポツリと呟くアルカードに対して、彼女はふわりと優しく微笑むことでもう大丈夫だと告げる。
「あの人達の活躍でドミニオン界やタイタニア界からの、想いの力の流入も収まりました。だから、もう大丈夫」
ステラが優しげに囁くと同時に、今度は現れた冒険者たちのロア、彼ら、彼女らの姿が霞んでいく。
それを見たアルカードは手で口を抑え驚愕の表情を取ると、ステラに確認するように問いかける。
「ステラ、一体どういうことですのっ!」
そんなアルカードにステラは優しく諭すように話しかける。
「それは、もちろん想いの力の流入がなくなったからですよ」
そしてステラは両手を組むと、一時的に顕現した冒険者たちの想いを見送るように祈りを捧げる。
祈りを捧げるステラの姿を見た冒険者たちは、ある者は照れ臭そうに、またある者は別れを告げるように手を振りながら消えていく。
そんな彼らを見送りながらステラは先ほどの問の続きを答える。
「あの人達が現れたのは今回限りの奇跡、あるいはあの人達自身が望んだ必然かもしれませんが、本来はあの人達がロア化することは特異なことがない限りはありえないのはアルカードちゃんもわかっているじゃないですか」
なんてったってあの人達は物語の登場人物じゃなくて、今を生きる人達なんですから、と告げるステラ。
それを聞いたアルカードも確かに、と頷く。
そんなことを話しているうちに、他の
その姿を見たステラはアルカードにニッコリと微笑みながら話しかける。
「アルカードちゃん、行きましょう? ここは平和になったけど、まだ他に困ってる人がいるかも知れませんから」
「そう、そうですわね。行きましょうステラ」
二人は頷きあうと、家族達のもとへと向かう。
その中でアルカードは一度だけ先ほど光の柱が昇ったノーザンがある方向に振り向くと小さく一言だけ呟く。
「後のことは頼みましたわよ、私達の
「どうしたんですか、アルカードちゃーん?」
「……何でもありませんわ! 今、行きます!」
一人だけ別方向に振り向いていたアルカードを不思議に思ったステラが声掛けをするが、それに彼女は何でもないと答えて家族の元へ駆け寄る。
そんな彼女に一陣の暖かい風が頬を撫でる。
まるで大丈夫、まかせて。と誰かに言われたように感じたアルカードは、ふふ、と頬を緩ませて家族達と合流する。
そして彼女達も、また新たな助けを求める人達を救うために旅立つ、かつて彼女達が冒険者に、そしてこの世界に救われたことの恩を返すために。
これは後に人々にモンスター化したハスターが、世界を滅ぼそうとしたことに起因することから【破滅の黄風】事変。
あるいは互いに争いあっていた人々が一つの目標を達成するために、心を一つにしたことから【つなぐ想い】事変と呼ばれる一連の戦いの一幕に過ぎない。
只の一地方で起きた数多くの戦いの一つであったとしても、彼女は、アルカードはきっと忘れることはないだろう。
彼らの、何処かへ消えてしまった冒険者たちとの思い出を、そして彼らが確かに存在していたんだという証明を。
そして、もしも彼ら自身が忘れたとしても彼女は一言、こう告げるだろう。
──何度忘れたって、わたくしが思い出させて差し上げますわ!
と、彼女が彼女である限り、何度でも、何度でも……。