伊野
伊野
祖父母の名前である。
ちなみにこれは父方のほうだ。
母方のほうの両親はなくなっている。
オレが子供のときに。
──だから、もう顔も、声も、やりとりもほとんど覚えていない。それでも思い出そうとしたら寂しくなる。
それはきっと、魂とか……そこらへんに刻まれているものだ。
葬式が嫌いだ。それは別離を想起させるから。
だからこそ、オレは──きっと、なろうなんかで語られる主人公にはなれないのだろう。
なろう系。
そう言われるものがある。オレが好んで読んでいるもの。
無料で読める。それ以上に、そこにはオレの目を惹きつけてやまない何かがあった。
それは。
それはきっと、オレが悲劇よりも──喜劇を求めているからに違いない。
主人公がいれば大丈夫。
こいつがいれば全部解決する。
そういう、無条件での寄りかかりを求めている。
なろう系には批判も多い。
それは物語の整合性がとれていないとか、基本的にワンパターンで飽きるだとか、単純につまらないだとか、緊張感がないとか、パクリだとかなんだとか。
パクリはさすがのオレでも難色を示すが……けれど、いわゆるテンプレなろう系は、オレにとって一つの救いのようでもあった。
別に退屈が裏返る予感なんて求めていない。
オレの日々の退屈は、一生付き合っていくべきものだ。
それでも、学校やらで行われる地震だとか外国の児童がどーたらだとか、そういう話を聞くたびに頭の中にそれがこびりついて離れない。
どころか、辛辣な現実をえぐり出す物語を見たときにすらそうなってしまう。
それを、感受性が強いとカテゴライズすることは簡単だ。
そして実際にその通りなのだろう。
だからこそ、オレはストレスフリーな話を求めている。
物語の中だけ、完膚無きまでにわけがわからないほど強いキャラが、悲劇を打ち砕いていくさま──それが見たかった。
だから、オレは馬鹿でありたい。
オレは馬鹿で、何も考えてないようなやつで、だからこそやることなすこと無茶苦茶で、人から憎まれることのない。
そんな人間でありたかった。
けれど、実際はそんなことはできない。
オレは恥を捨てられない。だからこそ、どこにでもいるような、ただの高校生にしかなれない。
だから、馬鹿になれるヤツが羨ましかったのだ。
「──いえーいクリスマス! パーティー!!」
「正確には違うだろ……」
母親の声に、オレだけがぼそっと返した。
本日は12月7日。
祖父母宅にて、クリスマスパーティー。
どうしてかはわからないが、今年はこのタイミングでやることになったのだ。わけがわからない。
まぁ、金曜日なので夜まで騒いでも問題ないだろう。
せっかくのパーティーなのだから、羽目を外すくらい許されるかもしれない。
クラッカーで火薬臭くなった部屋を換気。
窓を開けると「ぐえー寒い」だなんて言ってくる面々がいるがだったらそもそも他人の家でクラッカーを鳴らすな。
「全く、オマエらダメ人間どもは……」
「いーよ、ユキ。むしろじゃんじゃん賑やかにしてもーて」
「えー……じゃあ、そうするけど。あ、ばあちゃん。なんか手伝うことある?」
「じゃあオレ手伝うてくれや」
「なにするかによる」
「餅つくぞ!」
「新年かよ」
クリスマスパーティーだってことわかってんのか。
ていうか爺ちゃんの杵早すぎるから普通に手潰されそうなんだけど。
ちなみにこれまで3回潰されたことがある。痛かった。
「豪太さん、もう作っとーよ」
「おー、そうか? じゃあオマエ、アレ出せい」
「はいはい」
──祖父母のやり取りは、時代の差を感じさせる。
訛りが強いからか。それとも、そのやりとりの気兼ねなさからか。
どうにも、タイムスリップしたかのような気分にさせられるのだ。
「そうだ、ユキ。魚切って出しといて」
「んー? いいけど、失敗しても文句なしだぞ?」
「いいよ、いいよ」
ということなので、台所でいざ包丁を握る。
どういうわけか、なんとなくどうすればいいのかわかったので、卸して刺し身を皿に盛り付ける。
オレの手際を見た婆ちゃんは、感心していた。
「手慣れとうね。これならお嫁にいっても困らんわ」
「おい婆ちゃん、オレ男なんだけど。お嫁にはいけないんだけど」
「……あれ、そうじゃったか。いかんいかん、なんか雰囲気がそれっぽかったけん……」
と、そう言われて首をかしげながら鏡を見る。
……女っぽい? そうだろうか。
それを言われて喜ぶ男はいないと思うが。
なんというか、わずかにそれが正しいような。
そうあるべきなような気がして、自分自身がわからなくなった。
伊野幸人。
家族や親しい友人からはユキと呼ばれている。
最近学校やら家やらで、「なんか女子っぽくなった」だの「美少女感がでてきた」だの「なんだオマエ乙女か」だのなんだの言われるようになった。
以前はそんなことはない。
一体何が契機かと考えれば──きっと、東京に行ったことなのだろう。
オレが入院する前。空白の記憶。
そこで、一体なにがあったのだろう?
思い出そうとすると、それを拒むかのようにモヤがかかる。
それは記憶に留まらず、オレの意識にすらかかり始めるので、これが大変だ。
意識を喪うのはたまらないので、そのことについてこれ以上考えるのはやめることにした。
そのうち勝手に思い出すだろう、と考えながら。
「魚! 魚食わせろ! おい! おい
「実に美味なり」
「ぐわーっっっこいつ殺す!!」
食事中に戦争を始めやがった両親二人は無視する。
その場の全員が動じていないあたり酷いものがある。
一体何なんだこいつら。どうやってこれまでの人生を生きてきたのやら。
「兄貴、兄貴、どうしたの?」
「いや、なんというか……頭痛くなってきた」
「えっ!? 大丈夫!? 死んだりしない!?」
「しないしない単純にそこの馬鹿ふたりのせいだから」
いくらあの馬鹿でもこんなことはしなかったぞ。
そう思って、その馬鹿とやらが誰だったかと疑問になる。
馬鹿? ──ああ、あいつか。
そういえば年末には帰ってくるのかな。
そうだといいな、と思った。
そんなオレを、婆ちゃんはじっと見ていた。
普段は絶対にこんなことはないが、ふと空が見たくなった。
どうしてだろうか。
何故か、無性に見たくなったのだ。
空は雄大だ。
まるで無限に広がっているかのように。
いいや実際に果てしない。
オレが今見ている輝きは、何十何百何千年何万も前のものである可能性だってあるのだから。
「──どしたん? そんなして」
「ん、婆ちゃん」
普段柄でもないことをやっているからか、祖母に声をかけられた。
なんて言おうか。少し迷って、口を開こうとして。
「──あんた、好きな人でもできた?」
そう、声がかかった。
「んなわけねーよ」
すぐに返した。
すぐに返せた。
そんなわけがない。
そう、そんなわけがないのだ。
なぜなら相手に心当たりがない。
「本当?」
「ホント。オレにはそんな相手できそうにない。
どっちかといえば、そういうのは兄ちゃんの役目だろ?」
「それもそうやね」
それで納得されるのもちょっと……って感じだが。
まぁ納得されたならされたでいいや。
「……なぁ、婆ちゃん」
「あん?」
「いや……なんていうか……オレ、そんなに雰囲気変わった?」
「変わっとーよ。なんやろ……言葉にしづらいけどな」
オレが無意識に聞いた言葉に、祖母は即答する。
なんでそんなことを聞いたのか、自分でもよくわからなかった。
でも、どうしてかそれが気になったのだ。
「まるっきり変わってるんよ。それがどうしてかもわからんけど。まるで数年以上会ってなかったみたいに──そうやね。薩摩みたいな変わり方よ」
「……そっか。じゃあ、そういうこともあるのかもな」
薩摩は兄の名だ。
はっきりと、変わったと思ったのは大学に入ってから。
内向的だった性格は鳴りを潜め、……なんというのか。軽薄馬鹿にクラスチェンジした男。
兄もひょっとして、自覚がなかったのだろうか。
だったら──きっと、それと同じことだ。
「まぁ、でも、きっとこっちのほうがええんやろうな」
「……は? なんで?」
「だってユキ、前より活き活きしとるように見えるよ」
「……………………」
じゃあ、と言って、祖母は去っていった。
残ったのは、窓際に立つオレ。
「……さむ」
そのまま、ぼーっと三十分ほど外を眺めていた。
それだけの時間を見ていたら、流石に飽きてきたので、リビングへと行こうとした。
「──ユキがさ、生きててくれてほんとによかったって思うんだ」
そこへとつながる扉を開こうとしたとき、そんな声が聞こえてきて手が止まる。
父親の声だ。
「あのとき、なくなってる人がたくさんだったから……ひょっとしたら、ユキもそうなる可能性があるのかもって、すごく怖かった。
……だから、生きててくれてよかったって、見てると泣きそうなくらい思うんだよ」
「……だよ、ねぇ。私もそうだよ。まったくもって同じ。……原因不明の大量不審死……ニュースで見たときは、そりゃあ……な」
「あのとき何があったのかは、まだわかっていないんだな?」
母の声に続いて、祖父の声。
「まだ。……きっと、大変なことが起きたんだろうね。それこそ、自分自身で記憶を閉じ込めちゃうくらいには」
……そうなのだろうか?
いや、待て。
そもそも、なんだ。その大量不審死っていうのは。
全く知らないし、覚えもない。
何かが起こったことは間違いない。
あのとき──あのハロウィンの日、東京で一体何が起こったんだ?
わけがわからない。
思い出そうとすると、意識はかすれゆく。
……。
その多くの犠牲者の中には、ひょっとしたら。
「僕はさ。性格悪いんだよね」
どこかで聞いたような言い回し。
それがどこだったかは覚えてない。
「だから、あの事件でたくさん死んでも──ユキが生きててくれたことが嬉しいんだ。薄情かな」
「別に性格悪いってほどでもないだろ。三桁後半? 四桁? なんにせよ、そんだけの中の一人にテメーの息子が入ってなくてよかったって、そんなのは当然の反応じゃない?」
「そうかな」
「そうだよ」
「でもさ。ユキにとってはどうなのかな」
オレにとって。
その言葉が聞こえたとき、オレは一瞬考えてたことを見透かされたような気分になって、心臓がきゅっと音を立てたような気がした。
「ユキってさ。自己肯定感低いよね」
「まーな」
「あの子が、もしもこの件について知ってたらさ。絶対に、思い詰めるでしょ。
最悪、自分が死ねばよかったとまで思いそうじゃない?」
そんなことはない。
そんなことはない……はずだ。
オレはそこまで脆くない。
ただ、思う。
もし、本当に何かあったとして。
それを全部覆せるだけの方法があったんじゃないか。
例えば、転生チートなんかあったら──現実に起こったそれもどうにかできて、全員が助かったんじゃないか、と。
「だから、内緒だ」
父親の声。
「あの子には言うな。絶対に。絶対に言うな」
もう、リビングに入ることはできなくなっていた。
オレは廊下にもたれかかりながら、中の言葉を聞く。
「言わねーよ。ママの気遣いなめんな」
「そうだね。君はそういう人だ」
声がする。
ゆっくりと背中がずり落ちていく。
「──あの子は、あの日以来少しだけ、何かに真剣になってる」
「……そうだな。見ればわかる」
「だから、ちょっとずつ……ちょっとずつでいいんだ。ちょっとずつ、あの子がやりたいことを、僕たちに教えてくれるようになったら。そのときは──」
もう言葉は耳に入らなくなっていた。
上を向く。
オレはそれから、暫くそこに座り込んでいた。