一行は深奥を目指して進む。
オウルの指示のもと、口や鼻から吸い込まないようにマスクを着用する。
「ゴホ、ゴホッ……うう、マスク越しでも酷い臭いだ」
アントは、何度もえづく。彼のヘッドライトが照らすのは、周囲に満ちる白いもや。水分を含んでいるのか、隊員たちの肌の上に纏わりつく。
(……これはなんだ?)
隊員たちが、少しずつ進む中でただひとりヴェルダーは白いもやを手に取り、観察していた。蜘蛛の巣のように、やや粘着性があり、植物の繊維のような性質を持つ。
しばらく歩いた際、歩く地面の変化をヴェルダーは逃さない。
「……オウル、足元に気をつけろ。瓦礫が散乱している」
先頭にいるオウルへ注意を呼びかけた。彼はヴェルダーの言葉を聞いて、
「了解した。しかしこの暗さで良く見えているな」
感心、と言わんばかりな物言い。
ラビットやアントは頷き、最後尾のルナ・ケイジュは夜目の凄さに頷いた。
「これでも一応、最前線で彼女たちと夜戦に臨む人間だ」
ヴェルダーは隊列の後方、メリアの前で大きな声で返事をする。
ルナ・ケイジュとアントは、共に小首を傾げ、”まるで夜も昼も関係ない言い方”と感じた。
「彼女たち? ストレンジ・ヴェルダーさん、それはどういうことですか?」
彼の発言の直後、メリアは口を開く。
隊員たちの瓦礫を踏む音に負けず、彼女の声は響いた。
しばしの沈黙。
その後に、ヴェルダーは重い口調で話し出す。
「
「そうだったんですね。でも、なんで特殊部隊への参加を? 軍属の中でも――」
薄暗い暗路を進む中、メリアの純粋な疑問を前にヴェルダーの歩幅は半分に。
彼のペースが落ちたことを、察知したルナ・ケイジュは訊く。
「ヴェルダー殿? なにかありましたか?」
ペースが早かったのか、と心配する素振りも見えた。
会話に耳を傾けていたオウルは、ヴェルダーの異変に気付く。
「ヴェルダー。今は足を止めている場合ではない。足を動かしなさい」
後ろを振り向きざまに、諫めるような口調で言う。
オウルの装着する、強い光を放つヘッドライトは一瞬だけ不穏な影を照らした。
(ん? 今何か――)
「そうだな、オウルの言う通りだ。すまない、
ヴェルダーのヘッドライトの位置が僅かに下へ傾く。
彼の行動に対し、オウルは「分かった」と言い、再び進んでいく。
何か傷つけることを言ってしまったのか、とメリアは落ち込む。しかし後方へ移動したラビットやルナ・ケイジュに励まされていくうちに元気を取り戻す。
「彼も色々あるみたい。だから、そんなに気落ちしないで」
これまでの経緯を思い出した上で、メリアを宥める。
一行は瓦礫の散乱する暗路も抜けて、街灯のような明かりが照らす場所へ辿り着く。
今までとは打って変わり、マスクが不要に感じるほどに清潔な空気に満ちる。
「ここはいったい」
言葉を言い切る前に、白いタイルの床に座り込む。
オウルは口元のマスクを外し、新鮮な空気を吸い込まんと深呼吸を繰り返す。
ヴェルダー除く、他の隊員たちも同じような行動を繰り返した。
(ん? 妙だな、見知った気配がする)
ひとり、ペストマスクを装着したまま感じ取る。
皆が息を整えているあいだに、彼はスーツの内側からタブレット端末を取りだそうとする。
だが、後方に立つ、ルナ・ケイジュに一声かけられた。
「おや、ヴェルダー殿。まだマスクを外されないのですか?」
油断していたとはいえ、びくり、と大きく肩を震わせた。
首を斜め四十五度に捻り、姿を見たまま不審な行動は控えるべき、と判断を下す。
「随分、進んだと思っていたところだ」
ルナ・ケイジュの言葉に対し、彼はペストマスクの装着部に指を掛け、外す。
ヴェルダーは首元にペストマスクを掛け、鋭い目つきを向けた。
~~
ヴェルダーとルナ・ケイジュのあいだの雰囲気はピリピリとしていた。
重い空気を割くように、ルナ・ケイジュが「はぁ」と落胆したような溜息を吐く。
「ヴェルダー殿。まだメリアの言葉が気になるのですか?」
その言葉に首を横に振る。
ならば、と不満げにルナ・ケイジュが言いかけた。
しかしヴェルダーが言葉を被せる。
「元々、目つきはかなり悪い。別に警戒しているわけでもない」
加えて、「見知らぬ子供にも泣かれる始末だ」そう自虐的に微笑む。
彼の様子に、ルナ・ケイジュは口元を緩ませる。
「なんだ、そうでしたか。私も余計な気を回してすみません」
薄く笑みを作り、謝罪の言葉を前に頭を下げる。
ルナ・ケイジュの態度にヴェルダーも謝罪をした。
~~
二人の様子を見ていた、アントは、
(なーんであいつら、互いに一礼し合ってたんだ?)
そう思いつつ、ペットボトルの飲み口を咥える。
ごく、ごくと少しずつ飲む。
そうしている中で周囲の観察と次の指示を待つ。
自身の手元を見ながら、アントは一考する。
(兎にも角にも。今は休憩時間みたいだから、気を休めておこうか)
空になったペットボトルをリュックサックの中へ。
足元にリュックサックを置き、その場で立ち上がって軽くストレッチを行う。
(とりあえずいつもの、しとこう)
筋や関節を伸ばしていく。
ベキベキ、ゴキコキ、と音を耳にする。
体が軽くなる感覚に心地よさを感じていると、
「あの、キラーアントさん。少しいいですか?」
不意にメリアから声を掛けられた。
意識だけ彼女の方へ向ける。
「オレに答えられる範囲なら」
ストレッチの最中だが、気にせず返事をする。
アントの言葉を耳にしてか、遠慮がちにメリアは話し始めた。
「キラーアントさんは、家族はいらっしゃいますか?」
彼女の言葉を前に、アントの動きが止まる。彼の脳裏には、地上で見た記憶喪失の姉の姿が鮮明に蘇っていた。
「いるよ」
アントの心が小さな棘が刺さった。
俯いて、ぶっきらぼうに返す。
「そうなんですね」
そう言う、背後のメリアの声色が明るさを持つ。
アントーージークの心には影が差す。
メリアの言葉次第で、酷い言葉を、態度を投げかけてしまう気がしていた。
ジークは心の内で祈る。家族自慢だけは、やめてくれ、と。
きゅっと目を瞑り、眉間に皺を寄せる。
しかしメリアの口から語られたのは、もっと惨い内容。
「……私には、血の繋がった本当の家族はいません」
ジークは、アントはメリアの方を向いた。
彼女自身は聖母のような、慈愛の表情で言い放つ。
「は、あ?」
目を伏せるその姿は、現実を拒絶しているよう。
アントはゆっくりと近づく。
彼女の、メリアの、長い睫毛が見えるくらいにまで。
「最年少兵、なんて言われていますが、この部隊で保護されていなければ今頃死んでいたかもしれません」
そう言い切ると同時に、優しく抱きしめる。
アント自身、言いようのない後悔に襲われていた。
「き、急に何を……?」
「いいから、黙って抱きしめられてろ」
突拍子もない行動に困惑する彼女に対し、言い聞かせる。
メリアの心情は察せない。
「……」
メリアはアントの背に腕を回し、目を伏せ、口を硬く閉ざす。
どくん、どくんと弱々しい心音を二人で共有する。
彼女の、布越しで感じる体温。
「大丈夫だ。おまえはここにいる」
小さな声で呟く。
裡から湧き出す感情を前に、抱きしめる腕が小刻みに震える。
何故かは分からないが、彼女が消えてしまう錯覚を見た。
「私に血の繋がった家族はいません。任務、任務外でも関係なく歳の離れた兄や姉、父母として接することを認められていました」
「そうか」
アントは短く相槌を打つ。
しばらく抱き締め合う二人だが、腕を放す。
「この先で戦っている家族を助ける為にも……改めてお願いします」
メリアは深々と頭を下げる。
彼女の態度、真剣な言葉を通して妹の存在が重なる。
昔日の情景が蘇る。
すっと引いていく情景の中でアントは口元を綻ばせた。
「――……もちろんだ」
彼は無意識でメリアの頭を、優しい手つきで撫でる。
「ありがとうございます」
拒絶することなく、受け入れる。
アントの胸の内は、後悔で波立っていた。
(よし、決めたぞ)
この作戦が終わったら、メリアを両親へ紹介してもいいかもしれない。
そう固く強く決心をした。
ついでに、記憶喪失な姉、メリアと共に家族団欒を夢見た。
「メリア」
アントは彼女の瞳をまじまじと見つめる。
いつになく真剣な表情に退きかけた、そのとき。
「二人とも~! そろそろ進むからな~! 話し合いもほどほどにしておけよ」
オウルから号令がかかる。メリアがアントへ聞き返す前に、彼は反射的な返事を返した。
「休憩も終わりみたいだ。また後で紹介したい人たちがいるから、連絡先を交換しよう」
そう言い切り、アントは足元のリュックサックを手に取る。
メリアは呆けた表情のまま、彼に腕を掴まれ、オウルの元へ二人で駆けていく。