人魚姫というあだ名について。
※pixivにも投稿しています。
「白銀の漆黒人魚姫」というあだ名をいつからつけられていたのか、あたしは覚えていない。大会で何度も優勝している内にそう呼ばれるようになっていた。中学生の頃だったのは間違いないが、正確にいつ頃から呼ばれるようになっていたのかはあやふやだ。つけられる側なんてそんなものだろうけれど。
お姫様、と呼ばれることに憧れがなかったといえば嘘になる。これでも女の子だ。小さい頃はお姫様に憧れていたし、自分には似合わないと理解する前もしてからも、ヒラヒラとした可愛らしい服を着てみたいと思うことは何度もあった。お姫様という女の子らしさの象徴のような、自分とは縁遠いと思っていた呼ばれ方をして高揚するものがないわけではない。
それでも、それでもだ。なんでよりによって人魚姫なんだ。もちろん泳ぎが上手いからそう呼ばれたのだということはわかってる。それでも失恋して泡になって消えちゃうようなお姫様の名前を年頃の女の子のあだ名にするのはどうなんだ。
「ていう感じなんだけどどう思う?」
「なんだよ突然」
「あたしの人魚姫ってあだ名」
あたしにとっては珍しくそんなムズカシイことを考えていると、ちょうど成幸が通りかかったので話しかけてみた。ちなみにさっきまでのは全部独白だ。急にどう思うと問いかけられた成幸はさぞかし戸惑ったことだろう。
「いいんじゃないか。泳ぎのうまいお前にピッタリだと思うけど」
「えー、でもさ。失恋して泡になって消えちゃうわけじゃん。女の子にそんなあだ名つけるのってどうなん?」
「そこまで深く考えてつけてないだろ」
「そりゃそうだろーけどさー」
成幸はまるで他人事のように答える。あんまり興味がなさそう。まるでも何も他人事だけど。あたしにとっては他人事ではないのだけれど。
「それにリトルマーメイドの方だと人間になって王子様と結婚してたし、幸せな終わり方もあるじゃないか」
「んー……。まあ幸せなのはいいことなんだけどさ。人魚姫って最後で自分の幸せを諦めちゃうから綺麗なお話なわけじゃん? 見返りがなんにもなくても、相手の幸せを思えるようになるからいいお話っていうか」
「……ますますピッタリじゃないか」
「へ? どこが?」
成幸が何をピッタリだと言っているのかわからなかった。幸せを諦めてたらこんなあだ名くらいで文句なんて言わないし、見返りがなくても相手を思えるセージンクンシのような人間になんてなった覚えもない。
不思議そうな顔をして成幸の顔を覗いていると、成幸はハッとしたような顔をして目を逸らした。
「いや、なんでも。……まあ確かにうるかの言ってることもわかるけどさ。でも幸せな終わり方してる話もあるんだから、自分はそっちの方なんだって考えてもいいんじゃないか」
「そういうもんかなー」
「そういうもんだよ」
自分に都合のいい方で考えればいいなんて、なんかフラフラしていてあんまり好きじゃない。でも自分から人魚姫と呼んで欲しいと言ったわけではないのだから、自分の都合のいいようにカイシャクすることも言われてみればありかもしれない。
あたしはリトルマーメイド。きっとそのうち恋は叶う。そう考えてみると少しだけ前向きになれた気がする。
「ちなみに成幸はどっちの終わり方のほうが好きなん?」
「え? うーん……まあ、原作のほうかな」
「なにそれ」
「いや、やっぱり自分を犠牲にしてでも相手のためにっていうのはカッコいいというか見習いたいというか」
「無責任ー」
「ま、まあ好みの話だよ」
「あたしが失恋しちゃうほうがいいんだ」
「そんなこと言ってないだろ? ちょ、泣き真似やめろって!?」
シクシク、と泣き真似をしてみた。あれだけ言っておいて自分は泡になって消えちゃうほうが好きだなんてどんな神経しているのかと問いただしたい。思いが伝わって欲しい相手にこんなことを言われると、少し前向きになった気持ちはなんだったのかと無性に腹が立ってくる。気を晴らすために泣き真似をするくらいは許して欲しい。半分以上八つ当たりだけど。
「でもさー。人魚姫なんてゲンテーするから失恋しちゃうわけじゃん。だったらマーメイドだけでもよくない? フジヤマのトビウオもトビ太郎なんて呼ばれてないし」
元はと言えば人魚姫なんてつけるのが悪いのだ。「白銀の漆黒マーメイド」とでもつけてくれればそれで良かった。泳ぎが速いことを例えたいならそれで十分のはずだ。わざわざ失恋のイメージが付きまとう人魚姫なんてあだ名にしなくても良かったじゃないかと、誰とも知れない名付け親に怒りを向けた。
「なんだよトビ太郎って……。そりゃ武元相手ならお姫様ってつけたくな、すまん今のなし」
「……え?」
「忘れてくれ! じゃあ!」
そう言い残して成幸は足早に去っていく。顔は真っ赤に染まっていた。
あんまり察しがいい方ではないけれど、あそこまで言われれば、そしてあの慌てた様子を見れば、何を言いかけたのかはさすがにわかる。きっとあたしがあんまりテキトーなことを言ったから、つい気が抜けて口を滑らせたのだろう。でもきっとだからこそ、あれは本心からの言葉のはずだ。
「……えへへ」
口元がだらしなく緩んでいるのを感じる。知らず笑い声も漏れていた。一人でこんな顔をしているところを見られれば変に思われてしまうだろうけれど、自分の意志ではどうにもならない。でも、好きな人からあだ名にお姫様ってつけたくなるだろうなんて言われたのだ。こうなってしまうのはしょうがない。
あたしのどこを見て成幸がそんなことを言ってくれたのかはわからない。お姫様とは程遠いなんてことは自分自身がよくわかってる。それでもあたしのどこかに女の子らしいところを見つけてくれていたから、あんなことを言ってくれたというのは間違いないはずだ。
成幸があたしを女の子らしいと思っていることを教えてくれた。そう考えると人魚姫なんて呼ばれていたことも悪くないななんてゲンキンなことを考える。どうしようもなく浮かれていることが自分でもわかる。このままじゃ先生に怒られちゃうななんてことを思いながらも落ち着く様子はまるでなく、あたしはおぼつかない足取りのまま、幸せな心地で水泳部の方へと向かっていった。