夜の街道を馬車が走る。お世辞にも立派とは言えない馬車で、舗装の甘い道では揺れが酷く乗り心地は良くないだろう。内部も虫食いだらけの椅子や碌々掃除がされていないのか埃まみれ等と乗る者に嫌がらせをする為に用意されたとさえ思える。手綱を握るのもその辺のチンピラにしか見えない粗野な男で、馬車に相応しいと言えるだろう。
そんな馬車に乗っているのは立派なドレスを着た淑女だ。夜会巻きにした金髪に豪奢な造りの扇と、貴族のパーティーから抜け出して来たかの様な印象を見た者に与えるだろう。故に不思議だ。如何にも良家のお嬢様といった彼女が使用人の一人も連れずにこの様に粗末な馬車に乗っているのか。
彼女は俯いたまま拳を握りしめて体を小刻みに震わせて何かに耐えていた。そんな彼女を乗せた馬車は少しずつ街道から外れ、人気の無い方へと進んで行く。手綱を握っている男は彼女の方をチラリと見ると下卑た笑みを浮かべ、ランタンの灯りを点滅させて合図を送る。
「到着しましたよ、お嬢様。ほら、さっさとお降り下さいや」
「此処は?」
降りろと言われても馬車が止まったのは周囲からは見えない深い林の中。周囲には柄の悪い男達がニヤニヤと笑いながら包囲しており、手には武器を構えていた。
「悪いがとある御方に頼まれましてね。アンタを消してくれってさ」
「まあ、俺達だって悪魔じゃない。最期に良い想いをさせてやるよ。此処に居る全員で男を教えてやる」
「さっさと降りて来いや!」
男達は徐々に包囲網を狭め、彼女は俯いたまま馬車を降りる。自分達とは住む世界が違う貴族の令嬢がどの様な顔で犯されるのかと腐りきった好奇心と優越感を覚えた一人が近付き、顔を無理に上げて怯えた顔を見ようと手を伸ばす。
「ひっひっひ! んじゃ、初めての相手を勤めさせて頂きますよ。メルティーナ様」
彼女の名はメルティーナ・ロデェス。この国で高い地位を持つ家の令嬢であり、次期国王である王子の婚約者。それがこの様な場所に居る理由。それは数時間前まで遡る……。
「メルティーナ・ロデェス! お前との婚約を破棄し、未来の王妃への不敬によって追放する!」
それは王侯貴族の出身者が通う学園の卒業パーティーでの事だった。大勢の注目を集めているのは第一王子であるグラン、そして彼に睨まれているメルティーナだ。
成績優秀にして将軍の娘でもある彼女はグランの婚約者だった。このまま年齢を重ねれば王位を継ぐグランに嫁いで王妃になる……筈だった。グランの隣に立つ大人しそうな少女さえ現れなければ。
「殿下、不敬とは一体何の事でしょうか?」
「とぼけるな! 貴様が俺の愛しいニーナに嫌がらせをしていたという証人だって居るんだ!」
グランが指差した方を見れば少し怯えた表情を見せる貴族の子女達。家の関係からメルティーナの近くに寄って来た者達だ。彼女自身は特に興味を示さなかったが、本人達は側近気取りで何かと近くに居ては撒かれて探し回っていた。
所詮はその程度の繋がりであり、身に覚えの無い悪事の証人となってもメルティーナに動揺は見られない。相変わらず一切興味を示していない。
「……何かの誤解では? それに私と殿下の婚約は陛下のご意志による物。それをご不在の時に勝手に破棄するのは如何な物かと」
「黙れ! 家の力を盾に王家を乗っ取ろうとする魂胆はお見通しだ! 故に貴様は今直ぐに追放とする!」
周囲がざわつく中、メルティーナだけは冷静な口調でグランと彼の隣に立つ大人しそうな少女を見る。彼女はニーナ。伯爵家の当主が使用人に産ませ、放逐されて一般人として育ったが、お忍びで街に出たグランと出会って交流を重ねた事を切っ掛けに呼び戻された。
そんな彼女を苛めたとメルティーナを糾弾し聞く耳持たないと言った様子のグランだが、当然である。何せ証人は王家の権威を盾にして抱き込んだ者達。既に苛めの真犯人も特定してあり、後は恋するニーナと結ばれるのに邪魔なメルティーナを消すだけだった。
幸い彼の父である国王は外交で不在であり、彼以外には幼い妹しか子は居ないので将来は安泰だ。ロデェス家に組みする家以外の者達を抱き込み、教会に賄賂を送ってこのままニーナとの結婚を推し進める。それが彼の計画だった。
「既に書類も用意してある! 貴様の家の力でも覆せると思うなよ! そうだな。今直ぐ出て行くのなら家には何もしないと誓おう」
実際は時間が経てば困るのは彼の方だが、暗に実家に被害を出すぞと脅しに掛かる。この時の彼は優位な立場で嫌っている相手を責める事への歪んだ優越感を顔に出しており、それでもメルティーナの表情は崩れない。グランからすれば気に入らないにも程があった。
「……仕方有りませんね。家に今後悪影響があっては両親や弟達に顔向け出来ませんし、大人しく従いましょう」
「ふん。愁傷な心掛けだ。馬車は用意してある。今直ぐに出て行け!」
全て思い通りに行ったとグランは喜色を隠せない。何があっても仮面の様な冷静な顔を崩さず淡々と自分に接するメルティーナの事が昔から苦手で、貴族社会とは無縁に育った故に自分を王子としてではなく個人として接してくれるニーナと何もかも比べてしまう。
……彼女も王妃になるとなれば逸れ相応の教育を受けて貴族社会に染まるだろうし、今回の件は周辺国家や貴族が王家に強い嫌悪と猜疑心を抱くだろうが彼は気が付かない。恋は盲目とも言うが、今の彼は見るべき物を見ず、予想すべき事態を予想していない状態だ。
自分が用意した粗末な馬車へと向かうメルティーナの背中を見ながら最後まで絶望に染まらなかった顔に嫌悪を送り、既に用意してある刺客が終わらせる事を心待ちにする。せめて悲惨な最期を聞いて溜飲を下げようとしていた。
(王子を不愉快にさせるからだ。愚か者め)
愚かな王子は想像しない。いや、想像出来るはずもない秘密をメルティーナが持っている事を知る由も無かった……。
そして物語は冒頭へと戻る。
「んじゃ、王子から礼金を貰う前祝いとして楽しませて貰うとするかね」
男はグランからの謝礼を期待し、貰える事を疑いもしない。例えチンピラが語る醜聞が王族の名誉に幾分の影響を与える筈が無いにしても万が一の可能性を危惧して刺客を送る可能性など脳裏にも浮かばせずに。
悪党の分際で相手は義理を通すと思っているのは滑稽にさえ思える。だが、物語の悪党とはこの様な物だ。例えば封印された怪物を復活させて利用しようとする悪党は数多く存在するが、どうやって利用するかと言えば封印を解いたのだから従えと、相手が筋を通すのを前提としている。自分は仁義や人情を何処かに忘れた様な分際で。
そんな彼が思い浮かべているのは目の前で震えて俯く女をどの様に犯すかどうかだけ。だが、その震えが突然止まった。
「……もう我慢の必要は有りませんわよね」
俯いた顔を上げた事でメルティーナの顔が男の視界に入る。浮かべているのが笑みだと認識する前に男は空高く打ち上げられた。
メルティーナの強烈なアッパーによって。打音が響き、衝撃が空気を震わせる。何が起きたのか残りの男達が理解する前に打ち上げられた男が地面に激突し、メルティーナの笑い声が響き渡った。
「おーっほっほっほっほっほ! 此処まで情報通りだなんて笑いを堪えるのに苦労しましたわ!」
彼女を知る者が見れば目を疑う光景。何せ淑女の手本だったメルティーナが大笑いしているのだ。その前のアッパーの時点で卒倒しそうではある。
「……さて。皆様をボコボコにして差し上げましょう」
メルティーナは瞳に絶対的な自信を宿し、全身から覇気を放ち一歩踏み出す。結果、男達は冷静になるより前に一人残らず叩きのめされた。
「お前の拳には神が宿っている。惜しむらくは男でない事だ。この国では女が戦うなど有り得ないからな」
メルティーナが己の強さを自覚したのは七歳の時。弟達が戦いの訓練を受けるのに混ざりたがり、駄々を捏ねて一度だけという約束で参加したのだが、教師役の家臣を秒殺してしまった。そんな彼女に父が下した評価がこれであり、メルティーナは己の才から来る戦闘欲求を必死に押し殺し……取り敢えず人目を忍んで鍛錬や冒険を続けた。具体的に述べれば険しい山に単身乗り込んで山の主である凶暴なモンスターに挑んだりしたのだ。
「さてと、これから何処に行きましょうか? お父様もっと早く教えて下されば宜しいのに」
男達を縛って地面に転がしながらメルティーナは父からの手紙を眺める。グランが裏で何を企み準備していたかを教える物であり、最後に一言メッセージが書かれていた。
「好きに生きろ……ええ、そうしますわ」
家族への義理立てとして被っていた貴族令嬢としての仮面を脱ぎ去った彼女は晴れやかな顔で、軽やかな足取りで歩き始める。
「取り敢えず火山のドラゴンでも従えましょう」
本来は数百人が準備を整えて挑む相手であり、従えるには一対一で正面から屈服させる必要がある相手だ。それを思いつきで挑みに行くのだから彼女の自信が窺える。正直言って自殺行為だが、彼女なら何とかなるだろう。
そして数年後、王子の
「おーっほっほっほっほっほ! メルティーナ・ロデェス! 義により参上致しましたわ!」
そんな危機も巨大なドラゴンを従えて現れた英雄によって救われる。今日も世界は色々有ったが平和らしい。