「…すぅ…ぅん…」
「………」
うらやかなブリタニアの陽射しが照りつけ、海風の静かなさざなみだけが聞こえる海岸。
そのぽかぽかとした暖かな陽気に誘われた見たこともないキレイな蝶が、膝の上で寝息をたてるエイミーの頬に降り立つ。
普段の彼女、ルッキーニなら目の色を変え大はしゃぎでそれに飛びかかっていただろうがその日は違った。
何かを憂うような、どこがぼんやりとした目で妹の頬ではためく蒼い羽を静かに眺めているだけだ。
―――その子は良いように騙されて戦わされてるだけだッッ!!!
「……うじゅ…」
脳裏で鳴り響くのは、彼女がきのう出会ったあのカールスラントの名も知らぬウィッチの言葉。
『騙されて戦わされている』
彼女自身もまったくそれを疑ってなかったと言えばそうではない。
事実ロマーニャの基地で再会した時のあの酷く戸惑い、名前すら覚えてなかった時の様子は今でも色濃く覚えている。
だが、ずっと一人ぼっちで飛んでいた自分に出来た初めてのウィッチの友達。
そして大事な守るべき妹が出来たという嬉しさの方が圧倒的に勝ってしまっていたのだ。
『エイミーは、どうしてウィッチになったの?』
『…このせかいに、あこがれてたから。』
『ウィッチの世界に、ってこと?』
『んー……うん』
『やめたいとかって思ったコトないの?』
『…ずっと、やめたかったんだけど、もういいの。やめられないし。それに――――』
『おねえちゃんのそばに、いられるから。』
数週間前に病院のベッドの上のエイミーから聞いたあの言葉。
その時はその言葉が嬉しくて感極まり抱きしめて眠り果てるまでずっと可愛がっただけだったが。
その言葉が今更になって泡のように思い浮かんできて仕方がない。
『...あなたの妹をしっかり守ってあげなさい、フランチェスカ・ルッキーニ』
ブリタニアへと発つ直前、最後にリリー・グラマンから彼女へと告げられた言葉。
あの言葉が、あの笑顔が嘘だとは思えなかったし思いたくもなかった。
出会った当初こそ本能的に何か嫌なモノの感じ取り警戒していたものの、その後の数週間に渡るマルタでの生活では彼女の前でその暗い部分を見せることはほとんどなかった。
その上マルタでの戦いが終わった後は二人に一ヶ月もの療養休暇を与え、その間彼女達に降り注がれた様々な褒章授与や式典への出席依頼などの様々な邪魔を跳ね除けてくれたのだから。
「…うじゅ…」
次に浮かんできたのは、つい最近こそ見ることが少なくなったあの悪夢。
何度も何度も夜空をエイミーが駆け、ネウロイと戦い、そして死んでしまう夢。
それがエイミーと一緒に寝ている時にだけ見るものだと気づいたのはいつだっただろうか。
そしてそれが、夢ではなく彼女が本当に体験し、苦しんだものだと気づいたのも。
「…ぉね、ぇちゃ…」
いっそのこと―――全てを投げ出してここから逃げ出させてあげた方がエイミーにとっては幸せなのだろうか。
そうすればもうこの子は戦わなくていい、苦しまなくて済むのだから。
でも、そうすればもう自分はエイミーとは一緒にはいられない。
だって、だって。
―――あたし、ウィッチだから…だから、みんなを守らなきゃ。
そんな悲痛な覚悟と、大事で愛おしい妹への思いが彼女の心の中でせめぎあって。
「…具合でも悪くなったのか、こんな所で眠るなど。」
「んにゃー、ううん、おひるねしてるだk…に"ゃ"っっっ!!!!?」
不意に背後からかけられたその声に、普通に反応したルッキーニはその声の主の正体に小さな悲鳴をあげた。
なにせ腕を組みそこに立っていてたのはあのカールスラントの。
自己紹介の場で恐ろしい形相で怒号を放ち、怒りのままにその場を後にしたあのウィッチ。
ゲルトルート・バルクホルン大尉が、静かな表情で佇んでいたのだから。
「…え、えっとぉ…」
「………」
これにはさしものルッキーニも何と言葉を紡げばいいのか分からなかった。
なんせ彼女は相手の名前すら分からず、その上第一印象は最悪と言っていい。
そんな相手から声をかけられては一体何と返せば良いのか、その問は11歳の少女には余りに重すぎた。
「…昨日は、すまなかったな。」
「んにゃ…」
しかし意に反し彼女から次に告げられた言葉は怒鳴り声でも嫌味でもなく、静かな謝罪の言葉だった。
彼女も思わずあっけにとられポカンとした顔をバルクホルンに向ける。
「ん、うんと、ううん。いいよ。ええと、その……」
「ゲルトルート・バルクホルン大尉だ。」
「…うん、大尉、大丈夫っ。あたしもエイミーも気にしてないからっ!」
にぱーといつも通りの満面の笑みを向けたルッキーニだったが、それを見た彼女の反応は芳しくなかった。
どこか暗く落ち込んでいるようにさえ見える表情で歩を進め、彼女達の隣までやってくる。
「……」
「…ぁ。」
そして―――次に膝の上で寝息を立てるエイミーを見たその表情に、彼女は酷く驚くこととなった。
それはまるで昨日やさっきまでとは考えられない、まるで絵画に描かれた聖母のような優し気な笑顔だったのだから。
「…お前たちは、ずっと二人で飛んできたのか?」
「え、えと。ううんっ。あったのはうーんと3カ月?くらい前なんだぁ。出会ったのはロマーニャにゃんだけどぉ、隣で飛ぶようになったのはマルタにいってから!!」
「そうか、まるで姉妹のように仲が良いんだな。」
「ん、えへっ、そうでしょ~♪エイミーはね!!とってもかわいくてスゴイんだから!使い魔だって姉妹なんだ~♪」
「…ならルッキーニ少尉はこの子の姉と言うわけか。」
「うんっ!!そう!あたしはお姉ちゃんっっ!」
そしてその妹の話を嬉しそうにするルッキーニを微笑ましく眺める様子は、とても昨日狂ったかのように怒声をあげていた姿からは想像できない。
ただ穏やかに小さな子供の話に相槌を打つ、優しい姉そのものだった。
「…この子の、プラマー軍曹のこのケガは…」
しかし流石にその失った左腕に取り付けられた義手に彼女が視線を向けると、その声音は暗くなった。
それに釣られるように、ルッキーニも明るかった目を伏せて幾分かしょぼんとした表情になる。
「うじゅ…それは…あたしの、せいなの。」
「…どういうことだ。」
そうして彼女はポツポツと、語りだした。
あの星空の夜、初めてエイミーと出会った日の出来事を。
かつて自分がロマーニャの空軍で独りぼっちで居たこと。
問題行動を繰り返し、怒られてばかりで、基地をストライカーで抜け出したこと。
そしてそのさなか、ネウロイと何者かの戦闘を見つけてしまったこと。
その戦闘をしていたのは、使い魔もいない血まみれのエイミー一人だけだったこと。
―――そして、そして。
『怒られるのが怖い』というくだらない理由で、そこに飛び込むのが遅れてしまったこと。
そのせいで。そんなことのせいで。
自分は救えたハズの民間人の命を、救えたはずの彼女の左腕を失わせてしまったこと。
「…ずっとね、ずっと後悔してるの。」
自らの膝ですやすやと寝息を立てるエイミー。
その幼い顔には治癒魔法でも治療でも未だ消せない傷跡や火傷の跡が無数に残っている。
あの坂本少佐ですらマルタで初めて一緒にフロに入った時思わずその全身の有様に息を呑んだ程なのだから。
そして何より一番痛々しいのは、額から角のように突き出た鉄の破片だった。
脳にまで深く突き刺さっているというそれは抜くわけにもいかず、未だその少女の顔に刺さったままだ。
「あたしにもっと勇気があれば…。あたしがもっと強かったら――――」
「―――私にも、妹がいる。」
「…えっ?」
彼女の後悔の言葉を遮ったのは、静かなバルクホルンの独白だった。
今までずっと黙ってただ聞きに徹していた彼女が、口を開き語り始めた。
「クリスという名の…ほとんどプラマー軍曹と同じ年齢の子だ。今はブリタニアの病院で入院している。」
「うじゅ、びょーいん?どっかわるいの?」
「………ああ。」
その声音が、表情がより一層暗くなったのを彼女が見逃すことはなかった。
「クリスがカールスラントから避難する船に乗っていた時のことだ。運悪く海上にいたネウロイに狙われてな。…私はすぐ傍を飛んでいたというのに、何も出来なかった。」
「…う、じゃ……」
「…命は、幸いにして取り留めたが…未だ意識は戻らない。眠ったままだ。」
そう言って空を見上げるバルクホルンの表情は、悲痛な思いが込められていた。
「いつ目覚めるかは分からない…最悪、一生このままの可能性も覚悟しろと医者は言ってたよ」
「そ、そんなことないってぇ!!だいじょーぶ、きっとクリスはおきるよっ、たいいっ!!」
「…そう、だな。そう願うしかない。もう私には、それしかできないんだ。ただ、願うしかッッ……!!」
膝の上で強く、強く握られた彼女の拳から血が溢れ、嚙み締められた唇からは一滴の赤い涙が溢れた。
「―――だが、お前は違う。まだお前の腕の中には、守るべき存在がいる。」
「……ぁ…。」
力強く、覇気と、そして悲しみの籠もった瞳がまっすぐにフランチェスカの翠の宝石のような瞳を見据える。
その迫力に気おされ、彼女は思わず静かな声を漏らしていた。
「私のようにはなるな。フランチェスカ・ルッキーニ少尉。妹一人守れず、ただ毎日後悔だけを続け、もう神に祈ることしか出来なくなった弱く惨めな私のようには。」
「………じゅ…」
「…守りたいか、プラマー軍曹を、その子を、お前の妹を。」
僅かな沈黙ののち、彼女は静かにコクリと、確かに力強く頷いた。
「なら――――守りたければ、強くなれッッッッ!!」
彼女の叫びは大きなさざ波となり、木々を揺らし、鳥達が一斉に空へ飛び立った。
「誰よりもッ、何よりもッ!!ネウロイだけではない、彼女を利用しようとする悪意からもッッ!!」
「…!!」
「マルタでの活躍は聞いていてる。だが撃破数のほとんどは海水で弱体化したネウロイ。そしてお前が破壊した巣は出来たばかりの不完全なモノだ!!お前の実力を証明するモノでは決してないッ!!!」
「う、じゅ…」
彼女自身は決して自惚れもしなければ慢心していた訳でもない。
ただあの戦い以来今まで叱られてばかりだった環境が一変し、彼女を持て囃す声ばかりになっていたのは事実だった。
「…守りたいという言葉が嘘で無ければ。ついて来い。ルッキーニ少尉。」
「ミーナ、模擬戦をしたい。今すぐにだ。」
「えっ、ちょっと、トゥルーデ?もう調子は……えぇぇっ、ル、ルッキーニさんっ!!?」
執務室で新たなウィッチ二人の転入に関する書類を取りまとめていた隊長、ミーナは不意にやってきたその訪問者達に驚愕した。
なんせ昨日最悪な雰囲気で別れたバルクホルンと、それをぶつけられていた少女達のうち一人が揃ってやってきたのだから。
「午後から飛行訓練の枠は空いてるな?ルッキーニ少尉のストライカーの整備も…」
「ま、待って!どういうことなの?まさかあなた、この子を無理やり模擬戦で!!?」
「そんなことする訳ないだろう、ただ彼女の実力を把握したいだけだ。」
そして更にその二人の顔が神妙なモノだったから混乱もひとしおだ。
挙句その口から出てきたのは着任したばかりの新人と突然の模擬戦などという突拍子もないモノだったのだから。
「そんなこと今すぐ焦ってやる必要はないでしょ?それに彼女の訓練は…」
「私が担当する。彼女もそれで了承している。」
??どういうことなのだろうか?
お世辞にも悪いとしか言えなかったあの自己紹介からどういう事を経たらこのようなコトになるのだ?
まさか…。
「…理由を、教えてくれるかしらルッキーニさん。これはトゥルーデの…バルクホルン大尉の一存よ、断ってもいいの。もし断っても決して怒ったりなんかしないわ。私が約束します。」
考えうる最悪のパターン。まさかバルクホルンに限ってないとは思うが、上司としての立場を利用して無理やり彼女に返事を強要しているのでは――――。
「……あたし、強くなりたいのっ!!エイミーを守らなきゃいけないからっ!もっと、もっと強くなりたい!!だからッッ!!」
だがその予想が違う事は、凛とした翠の瞳。そしてツインテールを強くたなびかせながら口にした言葉で証明された。
そしてその幼く可愛らしいとさえ言える顔に刻まれていたのは、固く険しい覚悟。
「……ルッキーニさん。」
「良いな、ミーナ。」
「…ええ、でもお願い。無理だけは決してさせないで。」
「……。」
新たに入隊したばかりの幼いウィッチを連れ、彼女の親友であるバルクホルンは言葉を返さず背を向けてしまった。
そしてその背中を見つめるルッキーニ少尉の目が、どうしても何故か彼女の不安の心を煽るのだった。
「で、この船いつ扶桑に着くんでしょう」
「んー…もうすぐですね、あと2、3日程度でしょうね…あと美味しいですか?私のコーヒーは。」
「ええ、カールスラントのタンポポの根で作った代用コーヒーよりかは遥かに。」
「そうでしょうそうでしょう。だって私がリベリオンから取り寄せた特級品ですもの。」
…そうだ。特級品だ。コーヒーは欧州や退屈な海の上での唯一の至福の時間とも言っていい。
だからそれにこだわるのは当然だ。
特に戦時中である今となっては本物のコーヒー豆などかなり希少で、その高級さと言ったらもう。
「…で、どうして隠していた私のコーヒー豆を勝手に挽いてるのでしょうかァ??」
「あ、このチョコバー美味しいです。さすがリベリオンは油モノに関しては一級品ですね。」
「ええ、甘いモノは疲れには最適ですから…って違うウルスラぁぁッ!!!」
「しかしリベリオンの食べ物は美味しいですが後が怖いですね、腹部装甲が増設されそうです。」
それを、いやそれだけではない。
面倒で面倒でイライラする書類仕事や電話での交渉事のさなか、休憩の為に通常の食料とは別に保管させていたモノを!!
それを目の前のこのウィッチはぁ…。
「だ、だったら船の訓練に交じってくればどうですか?ちょうどこの間どっかの誰かが甲板で爆発事故を起こしたせいで消火訓練が増えてるようですし。」
「あぁ、あれは事故じゃなくて正常な動作ですよ。安心してください。」
「何一つ安心出来ません。」
って言うか何でこのウィッチは一向に帰る気配が無いのだ。
いやそもそももう座標的にノイエ・カールスラントまではどうあがいてもストライカーでは帰れないが。
それなのにどうして私の執務室の一角を占領し謎兵器の開発研究を始めだしたのだろうか。
「あーそういえばこの間の扶桑の刺突地雷ですが…あれやっぱり問題があったみたいですね。対策が取られたようです。」
「…そうですか、良かった、扶桑にもまともな人間が居たのですね。」
あぁそうか良かった。流石にあんな馬鹿兵器にストップをかける普通の人間がいたのだ。
「いえ、潜水服と一緒に使うことで安全な水の中からネウロイを待ち伏せ攻撃するのに使用するつもりらしいです。その名も刺突爆雷っ。」
「…は?は?」
「なんでも伏龍部隊とか言ってそれだけで部隊を作るとか。」
「……ネウロイを撃破できるだけの爆発なんて起こせば、隣の爆雷が誘爆するでしょうが。」
「あ。」
「………。」
「………。」
「扶桑に電話しますか?」
「……いえ、やめときましょう。関わりたくないです。」
…扶桑…。例の彼女はまともな人間なのだろうか…。
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