ロマーニャのある空軍基地の一角に、その隊舎はあった。
古めかしくもこじゃれた時計が深夜の時刻を指し示している。
秒針が時を刻む音だけが響くルッキーニの部屋、その部屋主の腕の中でもぞりと動く小さな影。
その息は荒く、頭を押さえ小さく唸った。
──...29711...ちがう。29713…。
疲れ果てた目でルッキーニのその腕からからすり抜ける。
そしてサイドテーブルにリベリオンの緋色のジャケットと共に置かれた義手に目もくれず、机に向かった。
「…」
万年筆を小さな左手で握りしめ、白紙に何かを流れるように書き殴る。
そして窓の外に目をやると、木の枝から部屋内を見つめていた一匹の鳩と目があった。
なんのことはない普通の鳩だ。
その首元にカメラがかけられているコトを除いては、だが。
────キィ
軋む窓を開け放ち、エイミーはその鳩を室内に迎え入れた。
「おねがい」
「ポッ」
肩に止まったその頭を人差し指で撫でてやると、丸めた紙を足で掴んでハトは去っていった。
「────」
ロマーニャの夜空に消えていく鳥の姿。
それを窓越しに静かにエイミーは色の無い瞳で見つめていた。
やがてそれが完全に見えなくなると、くるりと踵を返した。
ふと、ずり落ちかけていた縞模様のズボンの縁にゆびをひっかけてきゅっと持ち上げる。
「...」
随分前に貰ったお姉ちゃんのお古。
もうゴムが伸びてストッキング…違うベルトを着てないとすぐにこうして上げ直さないといけなくなる。
黒い光沢のストッキング(ベルト)にほっそりとした傷だらけの脚を包み、彼女が次に現れたのは医務室だった。
まるで《何千回も訪れた事があるかのよう》にビンや木箱が納められた棚を見渡すと。
おもむろにその中の一つのビンを開け、まるで菓子でも慾る(むさぼる)ようにボリボリと中身の錠剤を噛み砕いだ。
それを一切躊躇うことなく、喉の奥に流し込む。
「…まッッッッず」
元の棚に戻された空のビンのラベルには《鎮痛剤》という文字が記されていた。
「すごいすっごいすっごーーーーーい!!!ホントにエイミーが運転してりゅーーーっ!!!うにゃーーーッッ!!!」
「…お姉ちゃん。めだつから叫んじゃダメ」
ロマーニャの深夜のローマ。
古めかしくも何処か爽やかなその街並みの中を走るジープ。
その運転席には届きにくいアクセルに顔をしかめているエイミーと、その隣の助手席にはツインテールのウィッチが幼い顔を爛々と輝かせていた。
「いつ!?いつとってたのぉ!?どこでぇー!?わたしも運転していいかな!?」
「ヘルウェティアにいた時だよ。あとぜったいお姉ちゃんはだめ。」
さすがに運転中とあっては大好きなお姉ちゃんだろうと抱き着かれては冷たくあしらわざるを得ない。
竹井中尉に拝みこみ、リベリオンより武装貸与されたこの四輪駆動を貸し出させて貰うのは容易かった。
エイミーの免許は軍免許であるので民間の車を私用で使うということは出来ない。
むしろ少し大変だったのは今回の『デート』の許可を貰うことだった。
何しろ彼女達は今、得体も知れぬ何かに狙われているかもしれないのだから。
『ぐすっ…おねがいします…。
わたし、どうしても、おねえちゃんといっしょにおでかけしたくて…ひぐっ…』
『え、えいみぃー…うぇぇぇぇぇん……』
その幼い幼い年齢と、傷だらけの身体。
そして大好きな姉と何カ月も離れ離れにさせられていたという境遇をフルに活用したその涙乞いは、多感な年齢の魔女達には効果抜群であった。
現在の彼女達の実質的な預かり主である竹井大尉も、泣いてその小さな姉妹達を抱きしめながら承諾したのだった。
『────』にぱー♪
『────』にこっ♪
その抱きしめられた幼い二人は、悪戯が成功したような笑みを浮かべて視線を交し合ったのだが。
「はい、あ~ん♡」
「んあ…あむ…あれ?レモン味ってお姉ちゃんたべれたの?」
「うじぇじぇ~♪エイミーと一緒のもの食べたかったから食べれるようになったんだ~♡」
「えっ…じゃあ、今の食べかけのジェラートって…はわわ//////」
「にゃははーーー!!ほっぺたまっかーーーーー!!」
そんな竹井の思いも露知らず、彼女達は久方ぶりのシャバの空気をそれはもう楽しそうに満喫していた。
頻繁な定時報告、行先、行動ルートの明示など与えられた条件は多かったが、それでも二人の少女にとっては幸せなデートだった。
視界の後方に流れていくローマ市街、その外れにある小さな広場がふと目に映った。
石畳で舗装されたその広場は、街灯もなく暗闇に包まれていた。
「……………」
「んにゃ?」
夜の帳を切り裂くように、無数のビームの閃光が飛び散った。
そして数秒後、その閃光が消えた後には、ただ黒焦げになった広場だった瓦礫だけが残されている。
「……!!」
ブンブンと首を振り、もう一度見てみると、そこには変わらない平和な広場があった。
「…………はぁ」
…額の汗をぬぐい、ふぅっと溜息を吐く。ダメだ落ち着け。今はお姉ちゃんとのデートなんだから。
ポンッ。頭に手を置かれた感覚。見ると、お姉ちゃんが自分の頭を撫でてくれていた。
優しい手つきで何度も頭に触れられるたび、自分の中の不安や恐怖心が少しずつ消えていった。
「エイミー」
「ん…」
私が運転中じゃなければ、うっとりとして目を閉じていただろう心地良さ。
そして私の頭を撫でるお姉ちゃんの手は、そのままゆっくりと頬へ滑り、やがて顎の下へと伸びた。
そのまま手を優しく添えられ、私の耳元に近づいて────。
「────何回目?」
…ハンドルを思い切り切って、事故を起こさなかったことを褒めてほしい。
それくらいに私はその言葉を囁かれた時、心臓が飛び跳ねたのだから。
夜も深い時間。
さしものローマといえどこの時間になると開いている店などほとんどない。
でも中には『国を守ってくれてるウィッチのためならば』と、無理を受け入れ、こんな時間でも客として迎えてくれる店はあった。
店内を歩き回るエイミーとルッキーニは───好みのアクセサリーをお互いに付け合いっこするという甘い空間を形成していた。
ちなみに今ルッキーニが身に着けている、妹の瞳と同じエメラルドをあしらったネックレスを選んだのは彼女自身であり、その事に気が付いたエイミーは顔を真っ赤にして俯いていた。
その様子に微笑みながら、今度はエイミーが選んだサファイアのイヤリングを付けてあげると、エイミーは嬉しさのあまり泣き出してしまい、それを慌てて宥めるという一幕もあったりした。
そのあと…お揃いの指輪を買ってあげようと提案されるも、さすがに恥ずかしく少しためらってしまった。
でも結局押し切られてプレゼントされると、私は本当の子供のように顔を輝かせてしまった。
お姉ちゃんの瞳の色をした宝石がついたそれを大事に握りしめ、お姉ちゃんに指にはめてもらうと…。
────私は、こみあげてくる何かを瞳から零してしまった。
そんなエイミーを抱きしめ、よしよーしとあやしながら、姉妹達は仲良く店を出た。
ジュエリー屋さんを後にした私達は、きれいなブティックを訪れた。
もちろん、お客さんは私達しかいない。
こんな高級そうなお店に入るのは初めてで、私はすこし足がすくみ、お姉ちゃんの背に隠れたくなる。
その服を掴むと、大丈夫だよ、と優しくはにかみ、声をかけてくれた。
お姉ちゃんの大きな背中から顔を出すと、店員さんの笑顔に迎え入れられた。
私に似合う可愛いお洋服を着せてもらっている間も、お姉ちゃんはずっと隣に座って、私に話しかけてくれる。
その元気で明るい声が、大好きなお日様みたいな匂いがすぐそばにあって、すごく幸せ。
選んでくれた華やかなフリルのワンピースを着て、鏡の前でくるりと回ってみる。
お姉ちゃんはとってもうれしそうな顔をしてくれて…合わせて買ってくれた赤いリボンの帽子を被ってお礼を言うと、ぎゅっと抱きしめてくれた。
お姉ちゃんの胸の中に抱かれて、その温もりを感じてると、とくんとくんと心臓の音が聞こえてきて、安心して眠たくなった。
────このまま寝ちゃおうかな。
でも今度はエイミーにわたしの服を選んでほしいの!と言われ、私はお姉ちゃんに着せる服を見繕うことになる。
色とりどりの可愛らしいドレスが並ぶ中、ふと目に入った白いワンピースを手に取る。
裾にあしらわれたレースがお姉ちゃんにぴったりで、これを着たお姉ちゃんを想像して、思わず笑みがこぼれる。
そんなお姉ちゃんの喜ぶ姿を見たくて、試着室で着替えてもらった。
…カーテンの向こう側で聴こえる、布が擦れる音。
それが妙に艶めかしく感じられて、どきどきと鼓動が高鳴ってしまう。
しばらくして、お姉ちゃんが姿を現した。
────にひひ♪どう?
……まるで天使のように可憐で、それでいて妖精のような神秘的な雰囲気に、一瞬で魅了されてしまった。
お姉ちゃんの輝くような小麦色の肌によく映えて、とても綺麗だと思った。
私はしばらくぼうっとして、お姉ちゃんに見惚れてしまっていた。
お姉ちゃんはそんな私の反応に、少しだけ頬を染め、照れたように笑った。
その仕草がとってもかわいらしくて、私はお姉ちゃんに抱きついてしまいそうになる。
でもいけない、ここはお店の中だ。
────エイミーってば、わかりやすいなぁ
そういうと腕がにゅっと伸びてきて────私は試着室の中に引っ張られて。
そのままその胸の中に、抱きすくめられた。
お姉ちゃんの甘い香りに包まれて…柔らかな感触に包まれていると、頭がくらくらして何も考えられなくなる。
その大きな胸に抱かれていると、とくんとくんと心臓の音が聞こえる。
お姉ちゃんも、ドキドキしてるんだ。
触れているほっぺたから、薄い布地を一枚挟んでお姉ちゃんの体温が伝わってくる。
その心臓の音は、私のよりももっと速くて、そのリズムに合わせるかのように、私の心臓もどんどん早くなってゆく。
────とくんとくんと、とくんとくんと。
とっくに限界を超えてるはずなのに、まだ早い。
もっともっと感じたい。
もっと近くに行きたくて、その大きな身体に強くしがみつく。
すると、さらに強く抱きしめられた。
身体を締め付ける強い圧迫感が心地よくて、お姉ちゃんの身体に溺れるように、意識が薄れてゆく。
ふと気が付くと、目の前にはお姉ちゃんの顔があって、唇には柔らかいものが当たっていた。
何が起きたのか分からず混乱していると、お姉ちゃんはにっこり笑って、もう一度キスしてくれた。
……そして今度は舌まで入れてきた。
口の中でお姉ちゃんの舌が暴れまわって、息が出来なくて苦しい。
けれどお姉ちゃんの吐息を感じるたびに、脳が蕩けていくようだった。
……ああ、気持ちいい。
お姉ちゃんに食べられちゃってるみたいで、嬉しい。
お姉ちゃんの唾液が喉の奥に流れ込んできて、それを飲み込む度に、お腹が熱くなっていく。
いつの間にか私からも求めていて、お互いの吐息が絡み合って、頭がくらくらとしてきた。
────もう、だめ。
私の思考はどろどろになってしまって、もう、なにも考えられない。
私は幸せの絶頂に追いやられ────そのままお姉ちゃんの胸の中で意識を手放した。
私が次に目覚めたのは、薄暗い無人の教会だった。
月光が華やかなステンドグラスを彩り、幻想的で不思議な雰囲気が満ちてる。
お姉ちゃんの膝枕が気持ちよかったから寝たふりをしたかったけど、お姉ちゃんに気付かれちゃった。
──────エイミー。
なあに?
────結婚しよ!
ちょっとなに言ってるかわからない。
覗き込まれてそう言ってきた眩しい笑顔は、無邪気だけど王子様みたいにカッコよかった。
私は本当に意味が分からなかったけど、頷く以外の選択肢はなかった。
私達は二人だけの教会で、結婚式を挙げた。
神父さんも、観客も、指輪もないけれど。
お姉ちゃんは私の手を握り、誓いの言葉を読み上げてくれる。
────私、フランチェスカ・ルッキーニはやめるときもすこやかなる時も、ともにあゆみ愛することをちかいます。
難しい言葉なのに、きっといっぱい練習したんだな、と私は心の中で苦笑します。
お姉ちゃんの手を握り返し、その言葉に応える。
「死がふたりを分かつ時まで、わたしも永遠に────」
────タァン
何かが弾けるような音。何かが割れるような音。
戦場で幾度と嗅いだ硝煙の香り、そして同じく戦場で何度も嗅いだ、『血の匂い』
「──────」
ルッキーニは自分の顔が濡れていることに気付き、手を触れた。
じっとりと生温かいそれは、これ以上ないほど真っ赤で。
たった今目の間で愛を誓った最愛の妹が、その華やかなワンピースを胸から溢れ出た鮮血で染めていた。