「駄目だ駄目だ!」
彼女は癇癪を起こしたように、声を荒げて言った。
「お前はアレがどれだけ体に悪いのかわかっていない! 多くの健康被害を生む、悪魔の飲み物なんだぞ!?」
「あ、悪魔って……」
場所は喫茶店。記念すべき彼女との初デートだったはずなのに、何故こんなことになったのか。何を頼もうか、コーヒーにしようかな、なんて世間話のつもりで話しかけたのが、どうやら不味かったらしい。
「いいか。珈琲なんてものは実質薬物だ。中枢神経興奮作用、血圧上昇、利尿作用に胃液分泌促進、血中コレステロール、大腸ぜん動運動の亢進などなど有害な効能のバーゲンセールだ。そも、あんなものただの泥水だろう。好んで飲む奴の気が知れないね」
気が知れない、とまで言われると思わずムカッときてしまう。「じゃあ言わせてもらうけどさ」と徹底抗戦の構えをとった。
「コーヒーに含まれるカフェインには眠気覚まし、疲労回復みたいなポジティブな作用だってあるんだ」
「睡眠障害に一時的な誤魔化し、の間違いだろう?」
「コーヒーの常飲によって様々な病へのリスクが下がる、という研究結果も出ている」
「珈琲の常飲によってカフェイン中毒になる、という健康被害も出ている」
「薬も過ぎれば毒になる、そのくらい当然のことでしょう?」
「好んで薬を摂取する必要はない、ともいえる」
そこまで言うと彼女は小さく溜め息を吐いて、ポッケからライターと煙草を取り出して着火した。この店は今時珍しいことに、全席喫煙可能である。非喫煙者の身からすればどうでもいいが。モクモクと立ち上る紫煙を、ぼんやりと眺めた。
「そんなこというなら、煙草はどうなのさ」
「煙草による健康被害のことを言いたいのか? それならそんなもの、喫煙者は織り込み済みだ。毎日の一本一服に死の覚悟が添えられているといっても過言ではない。命を燃やしているが故に、紫煙は儚くも美しいのだ」
「あまりにも詭弁だ……」
というか卑怯である。そんなこと言ったら、僕だってコーヒーによる健康被害なんて織り込み済みだ。毎回お腹壊すし。横から文句を言われる謂れはない。そう口を尖らせると、彼女はアシンメトリーの前髪を揺らして笑った。
「大切な君の体を、泥水なんかで濁らすわけにはいかないだろう?」
「それなら貴女も、今すぐ煙草なんてやめてくださいな。ニコチンの悪影響は、子どもにまで被害を及ぼすんですよ?」
「こ、ここここ子どもって」
毅然としていた彼女は、目に見えて動揺しだした。
「それは気が早いというか……手が早いというか……瞬間最大風速というか……」
「好きな人の体を思い、その未来を考えるのは、早いに越したことないでしょう」
「か、かかかか体を思うって」
身をよじらせ始めた。耳年増である。別にいやらしい意味は込めてない。
「貴女だって、私の体のことを思ってコーヒーを止めてくれたのでしょう?」
「そりゃまあ、そうなんだが」
「というか、私の体を思うなら、喫煙を避けるのが先では?」
「そりゃまあ、そうなんだが」
話している間に、二本目に火が付いた。そうなんだが、じゃないんだよな。
「あのぉ、すみません。ご注文はいかがなさいますか……?」
おっと、まだメニューを決めていなかった。一瞬迷って、答えを口にする。
「すいません、モヒートお願いします」
「駄目だ駄目だ! アルコールは、人体に有害な成分であり──」
彼女は、癇癪を起こしたように言った。