刀は好きだ。
触れれば凍えるほど冷たくて、蕩けるほどに美しい。
このように成れればどれほど幸せなのだろう。
幼い頃、父に見せてもらった御神刀の輝きは、今もぼくの目を焼いて離さない。
——刀は好きだ。
刀が死ぬというときは——つまり、遣い手もまた共に死ぬということだ。
それがぼくには羨ましかった。
命を奪うモノの果てが、誰かと共に逝くことができるなんて。
それは、なんて幸せな結末だろうと。
曇天に手を翳す。
ざぁざぁ降りは、まだ来ない。
/
それはきっと懺悔と後悔。
知らざることへの感謝を束ね、知ってしまったことへの憎悪を、いの一番に撃ち落とす。
落とした憎悪は転がり落ちて、恨めしそうにこちらを見るのだ。
ヒト。
横を歩く見知らぬ女性。貌は見えない、貌も見れない、貌すら視界に入れたくない。
その肩に乗る醜悪な何か。きっとお化けか何かの親戚、憑かれて良いとは思えない。
だから、それに触れて線をなぞった。
弾け飛ぶ。遺されるものは何もない。
それにわずかな憐憫もなく、消え去るものの色はない。
「あれ、なんか肩軽くなった……?」
足早に隣を駆ける。
世界は黒く、赤く、そして残酷なまでに脆かった。
/
生まれつき、妙なものが見えた。
それが呪霊と呼ばれるモノだと知ったのは、眼を奪われて床に伏せてから数年後。
永い眠りから醒めて、
黒く、赤く、残酷なまでに脆い世界。
光はなくても闇を汲み取り、見たくもないものを見させられる。
見るのは不可避、見られることはただの瑕疵。
……意味もない悪意の押し付け合いに、いつのまにか疲れていたのかもしれない。
だから、「その眼は“直死の眼”だよ」なんて、そんな世迷言を聞き入れたのかもしれない。
眼に刻まれていた術式が、呪霊か何かの呪いか何かで変質した結果であるとか言っていた。
言っていたのが誰かと云えば、目隠しをした成人男性。彼もおかしな眼を持っているらしく、ぼくを見てそわそわしていたが、面倒臭そうなので無視したらさらに面倒になったので、今では少しファミレスの中で相手をしている。
「君の眼はね、特別なんだよ。今までも生まれなかったわけじゃない……でもとびっきりのレア物さ。正直僕の六眼かそれ以上に珍しいんだ」
「六眼が何か、そもそもぼくは知らないんだけど」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
彼はたいそう適当な人だった。
説明は雑、行動は唐突、思考は突飛。頭が良すぎる故か、あるいは単純に馬鹿なのか……正直ぼくにはわからない。
彼からお下がりでもらった伊達を掛けながら、ぼくはため息を吐く。
「じゃあ、ぼくの目は、元々なんだったんだ?」
「んー、前例からして“見えないモノを見る眼”だろうね。どんなモノを見るかは、今はもう変わり切っててわかんないけど。後天的に術式が変わる、なんてこと自体レアケースだし」
相変わらず役に立つのか立たないのか、よくわからないこと言う人だった。
今日の彼は目隠しではなく、洒落た眼鏡を着けている。ぼくのはソレを買う前のお気に入りだったらしく、いいでしょーと自慢げだが、興味もないので無視していた。
眼鏡自体は、いつのまにか気に入っていた。
「で、実際のところどんな感じなの、その眼。青っぽくて綺麗だけどさ——ヤバイでしょ」
「ヤバイかどうかは、知らないが。……尋常の人間が見て良いものではない、と思う」
この眼は、“死”しか眼中にない。
彼の瞳がどんなものかは知らないが、これ以上のものではないと確信できる。
それくらい、この眼に映るのは地獄だった。
ただ。
「——地獄と云っても、ただの地獄だ。別に見るに耐えなくて、世を儚むほどのものじゃない」
「……そっか。うん、それを聞いて安心したよ」
彼はそう云って、懐に手を差し込んだ。ナイフか何かを取り出すのかと、少し惑つきながら眺めていると、取り出したのはただの手帳。
少々がっかりしながら受け取ると、そこにはこう、達筆な字で書かれていた。
「東京呪術高等専門学校・編入届受理」と。
「君、しっかりイカれてるから♪」
「なんでだ」
どう考えてもおまえの方がイカれてる——喉の先まで出かかった悪態を、吐き出す代わりに手を伸ばす。
そして虚空に触れた。
「おいおい、何しようとしてんのさ。いくら君の眼が特別でも、触れなきゃ意味がないんでしょ」
——無下限呪術。彼の術式。よくわからない説明のもとに駆使される、よくわからない術式だ。漸化式としては決定的に間違っているのが、余計その印象を加速させる。
ただ。
別によくわからなくても、彼はその口で云っていた。
“無限はそこら中にある。僕の術式は、それを現実に持ってくるもの”
つまりこれは今ここにあるものなのだ。
過程がどうあれ、無限は今、そこに確かに存在している。
であるなら、であるならば簡単だ。
そこにある、現実にある——ならば当然、終わりがあるのだ。
なければおかしい。何故なら彼は云ったのだ、“そこに無限がある”のだと。
視界にばちりと、黒が弾ける。
白と混ざり合って、しかし決して灰にはならない純黒が、無限の中に無数に生じる。
黒く染め上げられた無限。それは地獄のひとかけら。
でも、
だからこそ、
「そこにあるなら——たとえそれが無限であろうと」
生まれた黒点、見えざる死の点。消えざる無限は、果たして“無敵”であるのだろうか?
眼鏡越しの彼の瞳が、大きく揺らぐように見えて——
「殺してやるよ。必ずな」
バシュン。
力のわりに軽い音で、ひとつの無限は死に絶えた。
そのまま、続けざまに手を伸ばす。
咄嗟に彼が後退する。その反応は見事と云えたが、やはり一歩遅かった。あるいはぼくも遅かった。
一瞬、ぼくが伸ばした指の先。
現れた“黒”に、彼の眼鏡の死の線に、確と触れた。
——パキン。
まるで解けるように、彼の眼鏡が砕け散る。
地面に落ちる直前に、灰に巻かれたように虚空の中に散り去った。
「……まったく。今年の新入生は、おてんばで困っちゃうね」
そう云って笑う彼の眼は。
殺すには、あまりに美しかった。
なお実際に戦ったら遠距離無下限/意味不体術で即死する模様(現時点では)。
脳のスペックは志貴並、状況によって式並に変わります。あくまで術式なので解釈次第でどうにかなる、反転術式身に付けたら常時式並になるんじゃないですかね。
続くかもしれないし続かないかもしれない。