「こんにちは。男爵」
「ごきげんよう。男爵」
男爵と会話するのはいつもノエルかライラとイザベルだった。トムは仲のいい人が行けばいいと口では言っているが、どう考えても面倒の押し付けである。そこらを徘徊するゴーストを探すのは骨が折れるのだ。
今日もまた、イザベルとライラは日が沈み、ますます冷える校舎の中を男爵を探して歩き回った。ようやく見つけた時、血みどろ男爵はグリフィンドール寮に程近い廊下で浮いていた。
「む、どうかしたかね」
「少しお話がしたくて伺いましたの。男爵にはお礼も言わなければなりませんわ」
「ノエルに言付けをしてくれればこちらから伺っただろう。体は冷えていないか?」
「突然伺ってごめんなさい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
血みどろ男爵と話すのは、もう二人にとって怖いことではなかった。彼は紳士だし、年長者(計り知れないほどの歳だが)の余裕が滲み出ている。下手に上級生に頼るよりも安心感があった。
「あなたから忠告が無かったのをみるに、きっと冬休みの間は平和だったのだと思うのですが、どうしても信じきれなくて……。現に、アッシュワインダーの件は仕組まれた可能性があります」
「……ノエルから聞いている。だが、休暇中に怪しい動きはなかった。残っている生徒は少なかったから容易に動向は追える。確実だとは思うが……。今後も何か掴んだら、ノエルに伝えておこう」
そこで二人は違和感を覚えた。ノエルも男爵も、頑なにまず二人だけでやり取りをしようとするのだ。イザベルやライラに直接何かを伝えることはほぼない。こうして直接接触しない限りは。
誤魔化している人を揺さぶりたい時、頭が回るのはイザベルの方だった。
「私たちには教えてくださらないのですか……?」
まるで孫のような顔をしてイザベルはしれっと聞いた。甘えるような雰囲気だ。年齢な年齢なら色仕掛けと言われても遜色ないだろう。
「情報の取捨選択をしている。それに、君たちが知らなくていいこともたくさんあるのだ」
「でも……手間がかかるでしょう? ノエル様はお忙しいですし、情報の伝達に時間もかかります」
「緊急であればすぐ伝える。その必要がないということだ。まぁ、君らは食い下がるだろうが……」
男爵は透明な顎をなぞって宙を見つめた。体が半透明で辺りが暗いせいで、ライラはそれが悩んでいる様子だと気づくのに時間がかかった。
「ノエルとの約束だと言えば引き下がってくれるかね?」
「……!」
「……どういうこと?」
思わずといった風にイザベルは小さくつぶやいた。
「なら仕方ないですね。ありがとうございました。では、また」
ライラは引き下がった。ノエルに楯突くのは避けたかったし、どうせ男爵は口を割らないだろうと判断したからだ。
「ああ、また」
「……失礼します」
ライラはイザベルが怒ると思ったが、意外にも彼女は男爵とまるきり同じように顎の手を当てて何か考えている様子だった。
不可解なことだらけだ。男爵がノエルを介してでしか情報を渡さない理由が見当もつかない。
「私たちに言えない何かがあるってことよね?」
「そうだね。一体……一体何を隠しているの?」
「そりゃあ、一連の事件の犯人ってことじゃないか?」
「どうしてそう身も蓋もないこと言うの!」
トムはにべもなくそう言い放った。
談話室に戻り、隅の方で四人はいつものように情報共有しあった。話題はもちろんノエルのことに集中する。
「うーん……。無いと言いたいけど、ノエル先輩ってああ見えて秘密主義だからな……。他の先輩方に比べるととっつきやすいけどね」
「男爵が悪事に加担するかしら? 本当の目的を隠して利用してるなら別だけど」
「そもそも! そもそも、ノエル先輩はスリザリン生だよ。何があったらスリザリン寮を攻撃しようとするの」
「さぁ? もしかしたら回り回ってグリフィンドールにダメージを与える作戦かもしれないぞ」
「なんとでも言えるわよ。何も情報がないから! はぁ……困ったわね。また振り出しだわ」
イザベルの言う通りだった。焦りは失敗を生むが、時間が有限なのは常である。なるべく早く情報収集を進めておきたい。
手遅れだったなんてことがあってはならないのだ。
「他に信用できる人、それでいて何かを知ってそうな、知れそうな人……いるかい? そんなの」
アルファードの出した苦悶の声に、全員が首を振った。ついに四人とも語ることがなくなり、黙って考えるだけになる。
その時、ライラの鼻に紅茶の匂いが届いた。寮の談話室でティータイムと洒落込むのは、スリザリンではよくあることだった。
ライラはその匂いを知っていた。そうだ、この華やかで鮮烈な香り_________。
「ヌワラエリア……」
「え? 何ですって?」
「グリフィンドールの監督生よ。あの人たちなら何を聞いても不審に思われることはない!」
「グリフィンドールの監督生って、プルウェット先輩とアストリー先輩のことだよね。プルウェット家か……。中立的で、つかず離れず。過剰な純血主義とも聞いたことがない。______純血主義をよく思ってないとも聞いたことがない」
「信用していいのか、少し疑問だけれど……今度尋ねてみましょう」
「_____あの二人なら信用していいんじゃないか? ノエル先輩が何もしていないのを見るに」
疑うような素振りがないトムの言葉に三人はギョッとした。トムに信用という言葉が似合わないのを、ライラだけではなくイザベルもアルファードもとっくに知っていた。
当の本人もそれを自覚しているようで、少し困った顔をして見せただけだった。
「じゃあ、トムとライラ行ってらっしゃいよ」
「何で二人だけ!?」
「あの二人はライラに弱いわ。引け目を感じてるもの。マフィンに咽せたのをショックで泣いていると勘違いしてね」
「……間抜けめ」
「まっ_______トム!」
トムはそっぽを向いて顔を真っ赤にして怒ったライラをあしらった。アルファードもそこまで興味はないようで、頬杖をついて残念そうに呟く。
「僕らは家の関係があるからね……」
「え? そうなの?」
「うん。ブラック家とブルストロード家は純血主義的な家だし……。プルウェット家とはつかず離れずで、何とも微妙な関係なんだよ」
「その微妙な関係を保ってたいのよ。馬鹿みたいに敵を四方八方で作る必要はないわ」
「へぇ……。薄々思ってたけど、やっぱりプルウェット家も純血の家系なのね」
「そうよ。聖二十八族に選ばれる由緒ある家系よ」
「ふうん。それでも、アルファード、君の親戚はお茶会に出向いたじゃないか」
「ケイリス先輩のこと? 確かにね。でも言ってただろう。他寮の生徒である前に、監督生であるのだと。あれは寮の垣根だけじゃなくて……。監督生である限り、あの人たちに血筋などは関係ないらしい。今の代はそういうふうに割り切ってるのさ。珍しいけどね」
アルファードは未だ頬杖をつきながら、ため息を吐いた。ライラはアルファードが面白く思っていない訳ではないとすぐ気がついた。どちらかと言うと、羨んでいるような表情だ。
「そういう訳よ。二人で聞き込みに行ってらっしゃい。適任だわ。ごめんなさいね、ライラ! でもこうやってトムに用事押し付けたかったの!」
「まぁ、いいよ。行ってみる。それでいい? トム」
「ああ……チッ」
「今舌打ちした? したわよね? 聞こえてるわよ!」
「何の話だ?」
「あんたってやつは……信じられない!」
「言葉が崩れてるぞ。良家の子女とあろうものが」
「……どうしましょう。私がアズカバンにいる様子が頭に浮かぶわ。予言かしら……」
「え!? イザ、イザベル! ダメだってストップ! 分かったから。座るんだ。あー! 杖に手を伸ばしちゃダメだ!」
「トム! も〜〜! いつか本当に怒られるよ!」
「見極めるさ。しかし、あぁ、本当に……愉快だな」
「懲りてないじゃない!」
困りながらも、ライラは少しホッとしていた。トムが作り笑いで人間関係をこなすより、こっちの方がずっといい。トムがこうして揶揄ったりするのは親愛の表れなのだと、ライラは知っている。
ライラは感情の表現が下手で、しかも希薄だった。だからこうして感情表現が豊かなイザベルがいてくれて良かったとライラは心底思った。ホグワーツに来てから、トムは何だかんだ楽しそうなのだ。こんなに笑っているのを孤児院では見られなかった。
「あ、そう言えばアストリーって……」
「何!? ああ……そうね、あまり聞いたことはないわ。半純血かマグル生まれじゃないかしら」
「今の七年生がこうなったのは彼女のおかげだとも聞いたことがあるよ。そう思ったら……あの監督生同士の関係って君の理想像に近いんじゃないか?」
寮も、血筋も関係なく学生として向き合う監督生達は、確かにライラの理想に近いだろう。現に七年生の監督生同士ではグリフィンドールとスリザリンは手を取り合えてるのだ。
「確かに……! その話も聞けたらいいな」
「その前にライラ、イザベルを夕食までに落ち着かせてくれ」
「本当、そういうとこじゃないかな」
「何がだ?」
無自覚……。ライラはすんでの所でその言葉を飲み込んだ。
でもそんな所をちょっと楽しんでるのはライラだけの秘密である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
レイチェル・アストリーはマグル生まれの魔女である。マグルに対して好意的なグリフィンドールに入れたのは幸運だったが、優秀であったが故に監督生になったのは不運だったかもしれない。
彼女は未だに夢に見る。
時たま彼女は悪夢で目を覚ますのだ。
今日もまた静かな自室の中で、彼女の荒い息だけが響く。
「いやね……。もう終わったことよ……そうでしょう」
そう呟いて、彼女はまた毛布を被った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「えっ? ドミニク?」
ノエルは意外そうに言った。
例によって放課後の自由な時間を犠牲にしている。特に今日は珍しく暖かい晴れの日であり、余計にそのことが惜しまれた。雪はまだ溶けきっていないが、雪の降る日は少なくなってきている。
一昨日トムはイザベルと一悶着あったが、結局この二人はいつのまにか元通りになっている。動物の約束行動のようなものである。
トムも素直にドミニク・プルウェットを訪ねようとライラについてきていた。
「あー……彼なら……どうだろうな。外かも。魔法動物学の実習地にいるかもね」
「外……ですか?」
「うん。彼、魔法動物好きなんだ」
ノエルの言葉は当たっていた。ライラとトムは三年生になるよりも先に、魔法動物学の実習地に踏み込むことになったのだ。
「こんにちは」
「おわっ、え!? 誰……ってあのノエルの……」
「お久しぶりです。ライラ・オルコットといいます」
「トム・リドルです」
ドミニクは少しの間狼狽えていたが、離れたところからライラ達が自己紹介をすれば、少し落ち着いたようだった。
彼は天馬の一種、イーソナンの世話をしていた。羽が生えている以外は栗毛の豊かなただの馬に見える。
ライラはつい、興味津々に眺めてしまった。選択授業の中でも魔法動物学はとっておくべきだと、一年生の間でも有名なのだ。
「あ……場所を変えようか?」
それを非難の目だと思ったドミニクは申し訳なさそうにそう提案した。
「あっ、いえ! 突然伺ったのはこちらですし……。それに、興味があります」
「本当? ならこっちにおいでよ。危険じゃない」
ライラは足を踏み出したが、トムがその袖を引っ張った。
「本当に危険じゃないんだ。イーソナンは天馬の一種で……。天馬はそもそも人になつきやすい。この子は実習に参加する分、優しい気性だし。あっ、違うんだ。無理にこっちに来てって言っている訳じゃなくて、誤解されたくなくて。それだけ。紐を繋いだら、そっちに行くよ。待っててくれるかい?」
ライラはトムを見て、その手を振り切った。
「ライラ」
「ねぇ、トム、見て! 優しそうな子よ。馬なんて初めて見た! 馬車なんてもうお話の中にしかないもの」
「……そうかい」
トムも渋々近づいていく。
イーソナンは凪いだ目をしていた。栗毛が日に照らされると輪郭が黄金に輝き始める。美しく、よく手入れされた馬だった。何よりその翼は鳥のそれより柔らかそうに見え、触ったならきっと撫ぜる手が止まらないだろうと容易に想像できる。
「綺麗だろ。天馬はいろんな亜種がいるんだ。ボーバトンっていう魔法学校は天馬の馬車があるらしいぜ。羨ましい……」
「他にも魔法学校があるんですか?」
「おっ、そ、そう。色んな国にあるらしい。……天馬じゃないのな……」
「イーソナンの分類はどのクラスですか?」
トムはいつのまにかライラの後ろに立って、イーソナンを眺めていた。それなりに興味はあるらしい。
「もうそんなことも知ってるのか。勉強熱心だなぁ。M.O.M分類はXX。『無害』さ。それで、今日は何しに来たんだ?」
一瞬目的を忘れかけていたライラは、背筋をびっと伸ばした。初めて見た魔法動物が魅力的すぎたのだ。
ライラはなおって、事情を話した。クリスマスの騒動が、誰かによって意図的に起こされた可能性があるということを。
「へぇ、俺はサラマンダーがクリスマスツリーを燃やしたって聞いてたからな。ホグワーツの噂話しなんてこんなもんか。しかし、アッシュワインダーが爆発……」
二人はドミニクが胸を痛めているのがすぐに分かった。背中に悲しみが漂っている。誰も気にしていなかったが、確かにあの瞬間一つの命が失われていたのだろう。
少し経ってパチンとドミニクは唐突に手を叩き、何かを思い出した様子だった。
「あ、心当たりが_______。あぁ、でもこれ言っていいかな……。レイチェルに止められてるんだ」
「な、何でもいいんです! 何か、何か情報があるのなら……」
「待て、ライラ。アストリー先輩に止められてる?」
「ああ、そうなんだよ。そんな大したことじゃないんだけど……。君たちを心配してのことなんだ。誓って何かを隠してる訳じゃなくて」
渋るドミニクにトムはイライラしていたが、当たりはしなかった。
イーソナンが地面を前足で蹴る音だけが聞こえる。
「それが_________」
突然、イーソナンがいなないた。空気を震わすその声にライラとトムは後ずさる。
「うわっ、どうした!? ごめんって、落ち着け。ちょっと待ってて! やっぱり厩舎に繋いでくるよ」
ドミニクは奥へ引っ込んでいく。
ライラ達はふと後ろを振り向いた。いや、何かの気配を察したからかもしれない。振り向いたからにはそんなことはどうでもよかった。
「怖がらせちゃったかしらね」
そこには笑顔だが刺々しい雰囲気のレイチェルがいた。
不穏な空気だ。
ライラ達が知る由もないが、馬はとても繊細な動物である。穏やかな性格のイーソナンが鳴いたのにもそれなりの理由がある。
そして馬が地面を前足で蹴るのは______理由は様々だが______不安や不調の訴えであることが多い。
「お久しぶりね。ライラにトム……合ってるかしら?」
イーソナンの情報があまりないのをいいことにめちゃくちゃ捏造しました。