随分、暑い夏が続いた。
ダンブルドアが孤児院にやってきて一週間ほどが経った。その間、ライラはトムと会話することが減っていた。お互い示し合わせたように顔を合わせなかったのだ。ライラがトムと何を喋ればいいか分からない、と悩むと自然と今トムがいる場所が思い浮かんだ。これも『魔法』の力のなせる技なのだろう。ライラはもう知っていた。
しかしある日、トムが突然ライラの部屋に入ってきた。
すわ何かの悪戯か、とライラは身構えたのを後にトムに笑われることになる。トムは滅多にライラ含め他の子の部屋に入らなかったのだ。
「明日、学用品を買いに行くぞ」
「……あ、トム……」
「ライラ、お前は一人で行きたいのか?」
「う、ううん! 一緒に行こう。明日ね。じゃあミセス・コールに言いに行かないと」
きっと、トムは盗んだものを全て謝って返したのだろう。ライラはそのことを終ぞ口に出すことはなかったが、そう信じた。
これでトムも改めるだろうと信じ切っていた。
八月に入り、ライラとトムは本格的にホグワーツへ行く準備を始めることになった。とはいえミセス・コールは魔法のことを何も知らない。秘密にしながら全て二人だけで揃えなければいけないのだ。
ミセス・コールは付き添いをする、とかなり粘ったが二人は大丈夫だと言い張り、強引にロンドンの街へと出てきていた。盗まれないように二人は金貨の入った革袋を懐に隠し、早足で進む。灰色のチュニックを孤児院の外でも着るわけには行かず、二人はお揃いの重たい茶色の半ズボンを履いて、ライラはキャスケット帽を被っていた。孤児院の職員の子供のお下がりだった。
ロンドンの外れから外れへと。時には薄暗い路地を通り、時には衆目に晒されながら。ダンブルドアに教えられた場所辺りまで行くと、帽子を被ってなお見えるライラの珍しい容姿をしげしげと眺める人も少なくなった。
ダンブルドアから教えられた、おんぼろパブ『漏れ鍋』。見つけるのは至難の業なのだ。
「他の人からは隠されてるって言ったって、私たちには普通のお店に見えるもんね。どこかな……あれは?」
「よく見ろ。店名が違うじゃないか」
「ねぇ、やっぱりあの人に……」
「僕たち二人で十分だ。二度と言わせないでくれ」
「……そうだね。あの人、少し怖かったから……」
目も合わせないトム。あの人______ダンブルドアをよっぽど敵視しているのだと、ライラは少し残念に思った。でも怖いと思ったのも事実だ。箪笥が燃え上がった瞬間の、死を覚悟した感情は忘れ得ない。それに、僕たち二人で、という言葉にライラは少し嬉しくなっていた。
あれでもない、これでもないとフラフラしているとしばらくして、二人は『漏れ鍋』の前へと辿り着いた。
確かにオンボロパブだ。第一印象はそれだった。
何度か店名を確認して、やっとライラは胸を撫で下ろす。無事、魔法界への入り口に着いたのだ。
「えっと、バーテンのトムさんに_____そんな顔しないで_____頼れば大丈夫なんだよね」
トムはムッとしたまま、黙って先に漏れ鍋へと入っていく。ライラはそれを追いかけて慌ててドアを開いた。
すると鼻にまとわりついてくるのは、爛れた大人の匂い______酒の匂いだ。壁にも椅子にも、グラスにだって酒気が帯びていそうなほどの濃いお酒の匂い。
初めてパブに入ったライラにとっては新鮮だが、不快な匂いだった。外見に反して中は崩れそうなほどオンボロなところはなく、むしろポスターやステッカーが貼られていて賑やかな様子だ。
やはり入り口らしく、人はそれなりにいる。いつもの通りライラは人見知りを発揮して、トムに追いついた途端に彼の影に隠れた。
学校にも行くのだから、こんな性格は直したい。そう思ってもままならない自分の至らなさにライラは自省するが、それでも今、トムの影から飛び出す勇気はなかった。
「こんにちは」
トムが騒がしいパブの中でも聞こえるように、カウンターにいたバーテンにはっきり挨拶をする。対してライラはトムの後ろに隠れたままのため、タイミングを失ってゴニョゴニョと何か唱えただけだった。
バーテンのトムは二人を見てすぐ察したようで、子供受けする笑顔を浮かべる。
「こんにちは。お二人さん、ホグワーツかね」
「はい。バーテンのトムさんを尋ねろと言われました」
「おやおや付き添いは……親御さんや先生は?」
「いえ、僕ら二人だけです」
バーテンのトムの言葉にライラはぎくりとしたが、トムはケロッとしている。その様子にバーテンのトムも何かを思ったのか、それ以上追求はしなかった。
「そうかい。ならついておいで。こっちに『ダイアゴン横丁』への入り口がある」
そう言ってカウンターから出ていく彼を、二人は追いかけた。行く先はパブの裏だ。
彼に追いつくとただのレンガの壁がそこにあるだけで、入り口らしいものは何もない。二人は思わず辺りを見回すが、ここは湿っぽいパブの裏であることに変わりはなかった。
いつのまにか彼は杖を取り出していた。彼は舌を鳴らし、二人に注目を促す。
レンガの壁を、彼は特徴的なリズムで叩く。カツカツ、カツ……。
ふと、端の方のレンガが動いた気がした。ライラが意識を逸らした瞬間、前方からガタンと音がする。
_________レンガが飛び出している。いや、動いている!
複雑なパズルが解けるかのように、レンガは回転し、移動し、やがて明るい石畳が姿を表した。その先にある人のざわめきも、波のように二人の耳に届く。
ライラは初めて、人が笑っているのを見た気がした。人はこんなにも楽しそうに笑うのだと、思い出せた気がした。
「ようこそ。ダイアゴン横丁へ」
魔法で建てられたため、奇妙に歪んでいる店の数々。見たことのない商品。聴き慣れない音。華やかで、賑やかで、明るい________。
二人は知らず知らず、一歩二歩、前に出ていた。恐れはなかった。二人にとってそこは、あまりに魅力的すぎた!
「それじゃあ、まずは『マダム・マルキンの洋裁店』に行って制服を買ってしまいなさい。『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』には教科書がある。そして何と言っても杖は、『オリバンダーの店』だ! 行ってらっしゃい。ホグワーツ入学おめでとう!」
そう言ってバーテンのトムは二人を送り出した。二人もお礼を言って、横丁を歩み出す。彼に言われた通り、最初に目指すのは『マダム・マルキンの洋裁店』だ。
「良い人だったね」
「ああ……ライラ、逸れるなよ」
もちろん、ホグワーツに入学するのは二人だけではない。学用品を買いに来る生徒は沢山いる。人混みに潰されそうになりながら二人はかき分けかき分け、近くて遠い看板を目指して歩き続けた。
「人が……こんなに……」
「ライラ! しっかりしてくれ。こんなのでへばってどうする」
こんなにも人が多いのをライラは初めて経験したため、視界が次第にクラクラしていく。トムを見失いそうになった時、突然手が差し出された。
思わずライラは立ち止まり、その手をぼんやり見ていた。
「僕の手をまじまじ見てどうする。早く行こう」
「あ……うん。ごめんね」
ライラとトムは手を繋ぎ、また忙しない人混みをかき分け始めた。ゆっくりとだが、店頭は確かに近づいている。
トムに引っ張られながら、人にぶつかりながら、ただお金の入った皮袋だけは握りしめて、二人はようやく『マダム・マルキンの洋裁店』に着いた。
当然、店内もとんでもなく混雑している。むしろスペースが限られているため外より密度は相当高い。二人はぎゅっと手を握り直してまるで潜るかのように店内に飛び込んだ。
ライラが後ろ手にドアを閉めた瞬間、巻尺が勢いよく宙を舞い、ガラス戸にぶつかった。何も、誰かが投げたわけじゃない。魔法がかかっているのだ。店内を見渡すと、巻尺やチャコペンシル、針、注文表などがふわふわと宙に浮いている。至る所で飛ぶ巻尺による採寸が行われ、新しいローブを着た歓声が上がる。
実に賑やかで、摩訶不思議な洋裁店だ。
「ほら、そこのお嬢ちゃんにお坊ちゃん! 次だよ早くおいで」
二人の採寸の順番がやってきた。当然だが一緒に採寸をするわけにはいかない。ライラはトムの手が離れることに幾ばくか不安を覚えたが、まるで赤ん坊みたいだと気づいて自分が恥ずかしくてたまらなかった。
姿見の前に下着姿で立ちながら、何だか気恥ずかしくなって俯いてしまう。お陰で店員に前を向けと何度も注意されてしまった。
「お嬢ちゃんもホグワーツよね? あら……細いわねぇ……」
ライラは苦笑いするばかりで何も言わなかった。食べていないわけではないが、全体的に量が足りないのだ。孤児院の子はみんなそんな様子だ。
素早い採寸が終わると、二人は制服を持たされあっという間に店外へ放り出されてしまった。客がずっと入れ替わり立ち替わりと言った風に、ドアベルが絶えず鳴っている。二人は制服を抱えていそいそと次のお店を目指した。
バーテンのトムに勧められたように、教科書は『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』の古本で一通り揃える。二人ともそれに不満を覚えることはない。安く済むならそっちの方が断然良いのだ。
次は大鍋を、ドラゴンの革手袋を、望遠鏡を……と言った風に横丁をあっちへこっちへと歩き回っていた途中、二人はある一軒の店の前で立ち止まった。
『イーロップふくろう百貨店』。ホグワーツはペットの持ち込みが許可されていることを、二人は持ち物リストによって知っていた。しかし、ペットは飼わないと_______否、飼えないと二人は結論づけたのだ。そもそもフクロウやネコ自体の値段が高い上に、日々の餌代も高くつく。援助金でやりくりするにはペットを飼うなど言語道断だった。
しかし二人はペットなんかいらない、と思っているわけじゃない。
ライラは、茶色や黒や白のふわふわとしたふくろうたちが大きな鳥籠の中にいて、それを子供が大切そうに抱えている光景をじっと見てしまった。父親や母親に頭を撫でられ、嬉しそうに笑っている。ありがとうや、大事にしろよなんて当たり前の会話が耳に届く。
「ライラ、次の店は?」
ぼんやりと、それに魅入られ始めていたライラの耳に、やけに鋭いトムの声が届いた。
「えっ……『オリバンダーの店』だけど」
「そうだろう。ここに用はない。立ち止まるな。それともまだ僕が引っ張ってやらないといけないのか?」
トムはライラの方を見なかった。
「ううん。ごめん。行こっか」
二人はその場を立ち去った。
最後の店は杖専門店『オリバンダーの店』だ。他の店よりも少し奥の方にあり、進んでいくと人混みがマシになっていく。それもそのはずで、魔法使いは基本杖を何本も持たない。つまりはここに来るものは殆どがホグワーツの新入生なのだ。
「ここが杖のお店?」
てっきり他の書店や洋裁店と同じように賑やかで明るい店舗だと思い込んでいたライラは、少し怖気付いた。『オリバンダーの店』は少し薄暗く、窓から中の様子があまり見えない。それに人が殺到する様子もない。
二人はしばらく店の向かい側で、様子を観察することにした。
「本当にこれが『オリバンダーの店』? なんだか……そう見えない」
「店名はあってるはずだ。けれど……」
時々窓ガラスが震える様子を見て、ますます足が遠のく。でも、確かに同じ年の子供たちが入れ替わり立ち替わりといった様子で入っていく。
「ライラ、入ってみよう。ダメだったらすぐに出れば良い」
「う、うん……」
人が出て行った瞬間を狙って、二人は『オリバンダーの店』へと滑り込んだ。
ベルが控えめに音を立てる。
カウンターには老人が一人。それと壁には細長い箱がぎっしり積まれている。よく見ると一つ一つにラベルが貼っているし、そこに製品名も書かれているのだ。ライラは店の中を見渡し、そこに必要ないものは何一つないことに気がついた。全て商品であり、ゴミではない。それなのにこのお店にはこれだけの物がある。窓から中の様子があまり伺えないのも当然だと思えた。
「いらっしゃい」
夢中で店を眺めていたライラは、店主のオリバンダー老人の声でまたトムの背中に張り付いた。
「こんにちは。ここは杖のお店であってますか?」
「もちろんだとも。ここは杖専門店。あなた
オリバンダーは微笑み、二人に手を差し出す。その骨張った手を二人は順に握った。
「トム・リドル。はじめまして」
「……ラ、ライラ・オルコットです。よ、よろしくお願いします……」
オリバンダーは鷹揚に頷き、にこにこと笑みを深める。ライラは外見から勝手に、職人気質の厳しい人を想像していたため、少し拍子抜けだった。
「さぁ……リドルさんから杖を選びましょうかな……。リドルさんはここに立って。オルコットさんは少し下がって」
トムは素直に指示に従い、背筋を伸ばしてそこに立った。着てるものがもっと上等であれば良い家の坊ちゃんに見えただろう。対してライラは店の隅の隅へと引っ込んだ。
すると『マダム・マルキンの洋裁店』で見たような浮かぶ巻尺がどこからか現れた。トムは驚いたがオリバンダーは何も言わない。
「杖腕……利き腕はどちらかな?」
「右です」
「よし……」
巻尺は勝手にトムのあちこちを測っている。首の太さを測った時はトムといえど流石にぎくりとした。
巻尺はやがてオリバンダー老人の手に収まり、トムは一旦自由の身になる。そこを狙ってトムが質問した。
「あの、杖が僕らを選ぶとはどういうことですか?」
「良い質問だ。杖作りの間では当然のことなのだが、杖は意思を持っている。忠誠心が強い杖もあれば、気まぐれを起こす杖もある。それは意思がなければ成せないことだろう。杖は道具だが、生涯のパートナーでもあるのだよ」
そう言ってオリバンダーは店の奥へ引っ込んだ。なんとなく分かるような、分からないようなそんな答えにトムは釈然としていなかった。
オリバンダー老人が箱をいくつか手にして店の奥からまた現れた。
「さぁ、試してご覧なさい。ハシバミ、ユニコーンの毛、24センチ……非常にしなる……」
箱から取り出された細い杖を、トムは躊躇せず握った。
「振ってみて」
手首を捻り、トムが杖を振ったその瞬間。後方の窓ガラスが悲鳴をあげ、割れた。
ライラは悲鳴をあげる暇もないまま頭を抱えしゃがみ込む。
「おやおや。いかん」
恐る恐るライラが目を開くと、窓ガラスの破片のかけらすら見当たらない。ガラスは元通りになっているし、トムは杖を取り上げられていた。
そして何事もなかったかのように次の杖を試す。
「次は、ナシの木、ドラゴンの心臓の琴線、34センチ、曲がらない……」
この杖はトムが触れるなりオリバンダーが取り上げてしまった。
トムは一体何が何だか分からないまま、だんだん不機嫌になっていく。ライラはトムの様子と次に何が起こるか分からない恐怖でハラハラしっぱなしだった。
「うむ、次はこれでどうだろう。イチイの木、不死鳥の尾羽__________」
オリバンダーがその杖を差し出した途端、トムは身を乗り出し、杖を奪い取った。弾かれたかのような動きだった。オリバンダーはもちろん、トムも自らの行動に驚いている。
トムには予感があったようだ。何を言われずとも、杖をもう一度握り直し、そして振った。
その途端、店内に緑の火花が溢れた。パチパチと煌めき、火花はぐるりと辺りを駆け回る。火花はライラの鼻先を掠め、最後にトムの周りをクルクルと回ってパンと弾けて消えてしまった。
ライラはトムを見ていた。また、同じ顔をしていると思った。恍惚とし、全能感に支配されているようなそんな表情。ゾッとするほど美しい、そんな顔を。
「おお……素晴らしい! イチイの木の杖は平凡な者を嫌う傾向にある。リドルさん、あなたは偉大な魔法使いになるだろう! ああ、良いものを見せてもらった」
トムは満足そうにして代金を置き、ライラと立ち位置を交代した。
ライラはビクビクしながらオリバンダーの前に立つ。俯いて、服の裾を握りしめていた。
「オルコットさんだね? 杖腕は? うむ、右……」
巻尺に巻かれているライラを放ってオリバンダーはまた店の前に引っ込んだ。やがて巻尺もライラを放って店の奥へ飛んで行ってしまう。
やがてオリバンダーは頭に埃をくっつけながら戻ってきた。
「これはどうかな。ナナカマド、ドラゴンの心臓の琴線、23センチ、少ししなる……」
ライラはそれを恐る恐る受け取って、少し撫ぜた。鈍く光る茶色の棒切れ。ただそれだけなのに、あんなにも摩訶不思議な力を行使するのが信じられない。好奇心半分、疑い半分でライラはその杖を振った。
その瞬間、ドン! と大きな音が響く。何かが崩れたか、とライラは身構えたが、何も崩れてはいない。
「おや、悪戯かね。珍しい……ダメなようじゃな。次」
言われずとも、とばかりにライラは杖を返した。ノミのような心臓がはちきれんばかりに鼓動している。なんとか落ち着こうと、グチャッと思考がまとまらない頭を回転させた。しかもトムがライラのその様子をくすくす笑ってるため、恥ずかしくて仕方がない。
赤面するのを感じていると、オリバンダーがまた杖を持ってくる。
「これはどうかね? サンザシの木、ユニコーンの毛、25センチ、曲がりやすい……」
その杖を見た瞬間、高鳴っていた鼓動が少しずつ落ち着いていく気がした。
恐れはなく、自然とその杖を手に取る。どこか暖かい気がして、つい握りしめてしまった。まるで新しい友達ができたみたいだ。不思議な浮遊感に心を包まれる。
この杖だ、という根拠のない確信を抱き、勢いよく杖を振った。
「わぁ……!」
ライラの杖から飛び出したのは、赤と緑の光のリボンだった。天の川のように二つの光は混じり合い、トムやオリバンダー、店内にある箱の数々に光を落としながら駆け巡る。
やがて光はライラの胸の中へと溶けていった。
光が溶けていった部分に手を当て、ライラはしばらくそのままでいた。初めて、初めて杖を使った、と興奮する心が抑えられなかった。
やっと、この世界は自分の夢幻ではないとライラは思えた。そして店の中を見渡す。積み上がる杖たち。まだ人の手に触れたことのない杖があるのがライラには信じられなかったが、それが余計に歴史というものを感じさせた。自分が歳を重ねたように、ここにも歴史があって、ちゃんと生きた人がいたのだとやっと実感できたのだ。
そして今、何の因果が導いてくれたのか、杖は今自分の手の中にある。
その事実が、とてつもない幸福だとライラは思えた。
オリバンダーは静かに口を開く。それに気づいたライラはその言葉に耳を傾けた。
「______サンザシの木の杖は、矛盾を孕んでいると言われておる。呪いに長けているはずなのに、治癒も得意である……そして、持ち主自身も混乱と矛盾を抱えたものだと……」
その言葉にライラは少し怖気付く。しかし杖を手放そうとは微塵も考えない。
ただの迷信とは思えない、予言めいたオリバンダーの言葉にライラは決意した。何があろうともこの杖と人生を歩むという決意だ。
オリバンダー老は励ますように、また一つ付け加える。
「全ては君次第、ということだ。大丈夫。杖があなたを導いてくれるだろう」
ライラは代金を置き、お礼を言って二人で店を出る。オリバンダーは満足そうに笑って二人を見送った。
二人は人混みの中、たっぷり黙ったのち、耐えきれなかったかのように歓声を上げた。
「すごい! ねぇ私たち、魔法使いだったんだよ! 本当に! 魔法を使ったんだ! トム、君の魔法、すごく綺麗だ!」
「ああ、ああ! 僕らは魔法を使ったんだ。なんだ、ライラ、君まだ手が震えてるじゃないか!」
「だってすごく興奮したんだもの! あんなに、あんなに綺麗な……」
一通り叫ぶと、また沈黙が訪れた。二人とも肩で息をしている。生きてきた中で一番、と言えるくらい神秘的な体験だったのだ。
「なぁ、ライラ。聞いたか? 僕は偉大になるらしい……」
トムは杖を掲げ、力を得たり、というふうにその顔は輝いていた。
「ただの迷信じゃない______ライラもそう思っただろ?」
「うん。じゃあ、私はトムが偉大になるところを見届けなきゃ。良いでしょ?」
「そうでないと困る」
そう言って二人は笑った。自身を選んだ杖の謂れにライラは少し怖気付いていたが、トムがいるならそれで良いと思えた。偉大になる道には、きっと混乱なんて当たり前にあるのだろう。
「これくらい難ありじゃなきゃ、君と釣り合いが取れないや。選ばれて、本当に良かった」
「はは、変な理屈だ。じゃあ、帰ろうか」
「うん。今日はいい日だった。本当に」
大荷物を抱えながら、二人は順調に漏れ鍋へと戻る。もう夕暮れだった。
「帰ったら予習をするからな」
「ええ……分かるかなぁ……」
「僕らにはハンデがあるんだ。孤児でお金はないし、教科書はほぼ古本。でも僕ならやってみせる。馬鹿になんてさせてやらない。君は?」
「……一緒に勉強させてね?」
「当然だ。バカと会話する気はない」
その言葉にライラは微笑んだ。
「トムって物言いがあんまり素直じゃないよね」
「だからなんだ!」
「ううん。嬉しいの。とっても。それより、大鍋重いよね……床抜けないかな……」
「抜けたら大目玉だ」
レンガの壁を越え、二人がマグルの世界へと戻る時。最後に、とライラは杖を取り出した。この先では隠さなければならないのだ。
まるでロザリオを額に当てるかのように、ライラは杖に額を擦り付ける。小声で呪文を唱えるかのように、ライラは言った。
「私を選んでくれてありがとう」
杖をしまった瞬間、トムは振り向きライラを見たが、彼女は笑うだけだった。
九月一日まであと三週間あまり。二人の旅が始まるまで、あと少し_______。
2021.04.22
全編書き直しのため、修正更新いたしました。大筋は一緒でエピソードを追加しています。場面の前後があります。展開、話の切れ目は一緒です。
読んでくださったかた、ありがとうございました。