「ええと……
「正解。次、初代『魔法大臣』は?」
「ウリック・ガンプ。1707年〜1718年。……ねぇ、本当にこれが役に立つのかな? だってどんな授業があるのかまだよく分かってないのに」
「やらないよりマシだ」
二人で一つのオイルランプ。乏しい灯りを分け合い、訳も分からずただ教科書を捲った。
ここ最近ライラとトムは夜な夜な二人で集まり、こっそり勉強をする日々を送っていた。昼間は職員の手伝いとして家事をする必要があったし、何より他の子供たちに教科書を取られたくなかったのだ。
ただでさえ、二人だけ遠くの学校に行けると聞きつけた子供たちは妬ましそうにこちらを見てくるというのに。
「なんでも良い、知識を増やすことでハッタリが効くかもしれない。勉強は可能性や選択肢を増やす手段だ」
「_______マグル出身者は、あまりいい顔をされてないみたいだしね」
二人は歴代『魔法大臣』の年表を見ていた。そのほぼ全てが生まれた時から魔法界にいる人物。マグルの中に突如現れた、ライラ達のような生い立ちの魔法使いはほぼいない。それどころか、年表に合わせて血縁関係まで書き込んでいる。大きな権力を持っている家があることは、容易に読み取れた。
そしてマグルの世界との断絶。魔法界は様々な手段で秘匿され、その姿を明かすことを厭う。歴史の面から見てもそれは顕著だ。そして二つの世界を行き来するマグル出身者の魔法使いは、それに綻びを生むものとして厄介に思われている節がある。
それが二人の結論だった。
「……このブラックって家。歴史上に何度も出てくる。しかも、魔法大臣の血縁がほとんど! いや……魔法大臣がブラック家の血縁関係にあることが多い……? 旧い名家なんだね。」
「そういう家は考えが凝り固まってそうだ。警戒しとこう。僕らが孤児であることを逆手にとって、血縁を誤魔化すんだ。……もし彼らが、血を重んじる者ならば」
「誤魔化されてくれるかな?」
「それこそ人によるだろう」
できる限りの準備と、覚悟。二人はこの1ヶ月足らずでどんなことも吸収し頭に詰め込もうとしていた。
決して苦行ではない。二人にとって、分からない単語一つ一つが宝箱のようなものだった。何か一つ知るたびに、あのダイアゴン横丁で垣間見たものと知識が繋がるたびに、未知の世界への期待が煽られていく。
「ブラック家……もう、たくさんいて覚えられない!」
「声が大きい! 夜中だぞ。それにミセス・コールに知られたら……」
「ごめんね。でももう勘弁……」
ライラが音を上げた。立ち上がり教科書をあらかた隠してベッドに入る。杖はすぐ取り出せる場所に隠す。
「ねぇ、トムも寝たら? 体壊しちゃうよ」
「……わかった。灯りは消していく。また明日、同じ時間に」
そう言ってトムも『魔法薬学』の教科書を閉じた。灯りが消え、ようやく二人にも夜の帳が下りる。トムは物音を立てないようにライラの部屋の扉を開いた。
「……知ってるんだから。この後すぐ寝ないことくらい」
「ふん。僕に置いていかれても知らないからな」
「トムこそ風邪ひいたって知らないからね。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
そう言ってトムは暗い廊下に溶け込んだ。ライラが耳を澄ますと、微かに布が擦れる音と床が軋むのが聞こえたが、やがてそれも無くなった。だが目を瞑れば未だにページを捲る音が聞こえる気がする。
それを振り切るように、月光の下、ライラは指折り数えた。
「あと三日……」
ぽつりと呟いた言葉は、そのまま空気に溶けて自分の中に染みるような気がした。少しだけ逸る心臓にくすぐったくなりながら、ライラも眠りについた。
「早く起きろ!」
「うっ……え、今何時!?」
「モタモタしてる暇はないぞさっさと動け!」
三日後。九月一日の朝。ライラはトムの声で飛び起きた。おそらく魔法が関係しているが、トムに起こされるとすぐに目覚められるためライラは密かにそれに頼っていたりする。
今日はついに、ホグワーツに行く日だ。
そう思うとライラは飛び跳ねるような心地だった。しかし時間を見るとそうも言ってられない。
昨晩、やっぱりライラは不安になってベッドに入ってからも教科書に目を通したし、トムも当然そうしていた。トムだって本を握り締めながら飛び起きたのだ。
「早くしろ!」
「わかったから小突かないで……!」
荷物を抱え、慌ただしく階下に降りていく。本来なら職員や子どもたちに挨拶をする予定だったが、見送りだけになってしまった。
「しっかり……学んでくるのですよ」
ミセス・コールが言ったのはそれだけだった。二人もただ頷き、それじゃあ、とだけ言った。
二人は小走りで孤児院を飛び出る。ライラが走りながら思わず孤児院の方を振り返ると、やはりミセス・コールと何人かの子供たちがこちらを見ていた。手も振らず、泣きもせず笑いもせず、ただ見ているだけ。それはライラも同じだった。
本当を言うなら、手を振ろうかライラは迷っていた。しかしやはり、トムの方へ向き直って走りだす。
このまま今生の別れであればまた違ったのだろうと、ライラは知っていた。きっとそうすればお互いに笑顔だったのだろうと。だが、二人の家は未だあの孤児院なのだ。
ライラは寂しさともつかない不思議な感情を抱えながら、駅のホームへと足を踏み入れた。
二人は九番線へと構内を駆ける。残り十分切ったところ。叫び出しそうなのを堪えて、二人は十番線と九番線の間で首を傾げていた。
「分かってたけど……九と四分の三番線なんて聞いたことない!」
「頼むから人に聞くなんてことをするなよ。あー、そうだ『国際魔法使い機密保持法』があるだろう」
「知ってるよ一緒に覚えたんだから!」
時間は刻々とすぎていく。時計の針が進んでいくのを正気では見られなかった。周りを見渡し、何か手がかりがないかと探す。
耳に入るのは通行人の声ばかりで、目に入るのも人、人、人……。もうだめだと目に涙が滲みかけた時だった。
「ライラ、フクロウだ」
「え? どうしたの?」
「『イーロップふくろう百貨店』だ! 覚えてるだろう!」
トムが指さした先には鳥籠に入ったフクロウがいた。明らかに目立っているし、よく見たらそれを連れてる同い年くらいの子の服装もなんだかチグハグな気がした。親も同じようにチグハグだ。まるであの日のダンブルドアのように。
そしてライラは思い出した。ダイアゴン横丁で見上げたふくろう百貨店のことを。認めたくないが、羨ましいと強く思ったことも。
フクロウを連れた一家は二人の横を通り過ぎ、やがて柱に向かって小走りになる。
二人はそれを呆気に取られて眺めていた。親は怖気付く子供を引っ張り、段々と速度を上げ、柱へぶつかろうとする。
ライラは悲鳴を上げかけ口を押さえた。
なんと一家はするりと柱に飲み込まれたのだ!
「え……? トム、あれは……」
「想像もしなかった! ほら見ろライラ! ちゃんと十番線と九番線の間だ! クイズでもなんでもない、単純なものだったんだ!」
「あれが入り口?」
「おそらくは。時間が無い。行こう」
「ぶ、ぶつかっちゃうよ!」
「さっきまでお前は何を見てたんだ!」
トムはライラの手を引いて柱へと歩く。腰が引けてなかなか進めないライラをとんでもない力で引っ張っていた。段々と速度も上がっていく。
抵抗するも虚しく、柱は迫ってくる。レンガの隙間の荒れたモルタルが実に痛そうだった。
二メートル……一メートル……30センチ……鼻先!
ぶつかる_______しかし痛みを感じられず、ライラとトムは目を開けた。
溢れ出る蒸気_______窓から手を伸ばす子どもたち_______なによりも黒と赤の重厚な蒸気機関車。
二人は九と四分の三番線、ホグワーツ特急に辿り着いたのだ。
「見ろ。ちゃんと九と四分の三だ。早く乗ろう」
「……頭を打って死ぬのかと思った……」
「バカなことを言うな。あれくらいで人が死ぬもんか」
ライラはそんなトムの言葉を聞き流し、秘匿されていた駅のホームを見渡していた。数え切れないほどの人。その全てが『秘密の力』を持つ同胞なのだと思うと、身震いした。そして、心根は変わらぬ同じ人だということも、肌で感じていた。
ライラと同じように、学校へ行くのが不安そうな子供。母親にホグワーツへ行きたいと強請る幼児。激励を飛ばす父親。密かに涙を流す母親。ライラには得られない、しかしロンドンの街で溢れるほど見てきた、変わらぬ家族の光景。
魔法使いは皆、変わり者だと思っていたが違うらしい。ライラはどこか寂しく、どこか安心した心持ちだった。
「惚けるな。早く乗るぞ!」
「ごめんなさい。もう……早く早くってそればっかり!」
ライラが惚けていたせいか、2人が寝坊をしたせいかは定かではないが、ホグワーツ特急内のコンパートメントはほぼ埋まっていた。重いトランクを引きずりながら、空いているコンパートメントを探すのは至難の業だった。ライラは人見知りのため出来るだけ二人きりが良かったが、そうも言っていられない。
ライラが弱音を吐こうとした瞬間、先を行くトムが一つのコンパートメントの前で止まった。
トムにしては非礼にも、ノックをせず、ただ中を食い入るように見つめているため、ライラも気になって中を覗く。
コンパートメントの中には、黒い髪を小さくまとめた綺麗な男の子がいた。友達や連れ合いはおらず、一人のようだ。運が良いとばかりに、ライラは喜色満面になる。
「トム。 お願いしてここに入れてもらわない?」
「……あぁ。そうだな」
コンコンとノックをすれば、程なくして返事が聞こえてくる。柔いボーイソプラノは気品に満ち溢れている気がして、ライラは無意識に背筋を正していた。
トムが扉を開け、続いてライラも入る。
「すみません。一緒に使わせてもらえませんか? どこも空いていなくって」
「是非。一人で使うのも勿体無いですし」
「ありがとうございます! 良かった」
「あ、ありがとうございます。失礼します……」
四苦八苦しながらトランクを荷台に上げ、ようやくライラは腰を落ち着かせる。ただ、無意識に先客の前に座ってしまったのは失敗だと思った。お陰で緊張しきりで顔が上げられない。
近づいてみれば、男の子は本当に綺麗な顔立ちをしていた。ライラは生まれて初めて、トムくらいに綺麗な男の子を見た気がした。しかも爪から始まり、服や靴まで輝くほど綺麗なのだ。
俯けば自分の荒れた手が見えて、とうとう何処を見れば良いか分からなくなった。
「僕、ホグワーツ一年目なんです。あなたたちは?」
そう言って男の子は微笑んだ。どうやら同い年のようだ。ライラは少し安心する。
「あぁ、実は僕らも一年目なんだ。同じだ」
「良かった! 先輩だったら少し緊張していたから……」
よろしく、と言おうとして喉がつっかえる。ライラにとってはいつものことだった。結果、礼を欠くことが分かりきっていても、諦めてしまう自分が嫌だった。
真正面も見れない。俯けもしない。そうなれば窓の外に視線が行くのは必然だった。
涙を流す親子がいる。手と手が触れ合って、別れのキスをしている。忘れてしまった父母の代わりに思い出すのは、出会った頃のミセス・コールだった。もし、もしこれから行くのが普通の学校だったら、あんな風にお別れを言ってくれただろうか。
「もしかして……家族が来ているのかい? 窓を開ける?」
窓の外ばかり見ていたライラに、男の子は気を利かせてくれる。窓が開いて、喧騒が流れ込んできた。
「あ、あの……ううん。違うの……ありがとう」
「そっか。ごめん、お節介だったね」
「い、いえ、その……でももう少し、このままで……」
列車が動き出す。ついさっきの、孤児院を出た時のミセス・コールの顔を、ライラは思い出せなかった。こんなものだ。こんなものなら、きっとミセス・コールが自分のために涙を流すことなどしないだろう。
列車が速度を上げ、喧騒は過ぎ去る。新しく、冷たい風と煙がすり抜けるように入ってくる。
今度は、ちゃんと自分で窓を閉めた。
隣のトムが顰めっ面をしているのは、きっと寒かったせいだろう。
「ごめん。寒かったよね」
「何を窓の外ばかり……。お前はいつもそうだ。放っておけば訳の分からない事ばかりする」
そんなトムとライラのやりとりを見て、男の子は声を上げた。
「なぁんだ、君たち、友達だったの? てっきり初対面だと思ってた。幼馴染?」
「あ、えっと……その」
「それとも兄妹? 双子?」
「あ……」
ライラは、自分とトムの関係を一言で表すことができなかった。この先も到底できそうにない事だ。言葉に表すことすら難しいのに。
彼女が迷っているうちに、トムが代わりにさっさと答えてしまった。
「あー……すまない。この子は人見知りなんだ。彼女とは友達だ。僕はトム・リドル。彼女は……名乗るくらいは自分で出来るだろう?」
トムにそう促され、ライラはようやく息を吸った。友達と迷わず答えられたトムに、少し複雑な感情を覚えていた。別に、本気で兄妹だと思っていたわけではない、と自分を慰める。兄妹じゃダメなのだろうか、と口にすることは出来ないだろう。
「ラ、ライラ・オルコット。よろしく」
先程から緊張しきりで挙動不審なライラをなんとも思ってないかのように、男の子は手を差し出した。
「僕はアルファード・ブラック。よろしくね」
追記:2021.11.04
書き直しいたしました。大筋、話の展開等は変わっておりません。読んでくださった方、ありがとうございました。