何か、恐ろしく強大なものに向かっているような感覚だった。止まることは許されず、ただ震えながら一歩一歩進むしかない。ライラは気を失いそうだった。人見知りのせいもあったが、そもそも今相対している人たちが異常なのだ。おんなじ制服を着てただソファーに座っているだけなのに、自分とは何かが決定的に違う。オーラとしか言えないものが、自分に迫ってきているとライラは茹だる頭の中で思った。
トムは緊張しすぎているライラの様子を見て、どうにかできないものかと思ったが、どうすればいいかわからなかった。緊張しすぎて粗相をされても困る。
まずはアルファードがライラとトムを紹介した。
「ライラ・オルコットとトム・リドルです。今日ホグワーツ特急で出会って、すっかり意気投合してしまって……」
三人の真向かいにいた、中央のソファーに座るプラチナブロンドの男は微笑み、ライラとトムに視線を投げた。
「喜ばしいことだ。私はアブラクサス・マルフォイ。アルファードとは親の代……もっと前からの付き合いでね。嬉しいよ。本当に」
食えない笑みだった。
ライラは、よりにもよってアブラクサスが口を開いたことに不安を募らせた。なぜなら、その場にいるもので唯一初対面だったからだ。他の子女達とはコンパートメントで、案外カジュアルな雰囲気で挨拶を交わしたからだ。それでもトムに比べればマシだと思った。トムなんかはほとんどが初対面なのだ。当のトムは緊張なんておくびにも出していなかったが。
「はじめまして。トム・リドルといいます。どうぞよしなによろしくお願いします」
トムはずいぶん謙った様子で、アブラクサスに挨拶をした。アブラクサスの目線はライラに集中する。
「あ……ライラ・オルコットと申します」
ライラは会釈をしたまま顔を伏せた。見られていることが耐えられなかったのだ。
「ライラ、顔を上げて? そんなに怯えることはないんだ」
アブラクサスが優しくそう言えば、ライラは恐る恐る顔をあげる。
「君たちは私の後輩だ。私を持ち上げる必要もないし、私が君たちに雑用を押し付けることもしない。私は監督生という立場で、後輩を導くから、是非君たちもそういう風に接して欲しい」
随分と、雰囲気が柔和になった。
値踏みは終わったのかとライラは勘ぐった。一体何が琴線に触れたのかは分からないが、とりあえず攻撃される対象ではなくなったようだ。
「あと、アブラクサスって呼んで欲しいな」
そう言って微笑むものだから、ライラは警戒心を忘れた。人たらしというべきか、先ほどまでとは違った凄まじさを持つ雰囲気を発している。
「はい……アブラクサス先輩……」
熱に浮かされたようにライラがそうつぶやけば、アブラクサスは頷いた。
トムはライラを肘でこづく。いいように懐柔されるなということだろう。ライラはやっと自分がアブラクサスに精神的に手懐けられていたと気づいた。
「トムは他の方にも紹介しなきゃ。あの方がドゥルーエラ先輩。その右がアイリーン先輩だ」
紹介された女性達はにこりと温和な笑みを浮かべた。下手したら惚れてしまいそうなほど美しい。
「ドゥルーエラ・ロジエールよ! よろしくね」
「アイリーン・プリンス……。よろしく」
ドゥルーエラもアイリーンも、コンパートメントで会った時と変わらない様子だった。それにライラは安心する。セドレーラもヴァルブルガも、だいぶ変わった様子を見せていたから、もしや全く別の人なんじゃないかと思って不安だったのだ。
「皆さま……どうか、よろしくお願いします。弟の友人ですから、傷つく事がないように……。どうか」
ヴァルブルガが静かにそう言った。緑のランプに照らされた顔が、神妙な雰囲気を物語っている。
「もちろんだとも。ライラ、トム、アルファード。困った事があれば、すぐ、この場にいるものなら誰でもいいから頼りなさい」
アブラクサスがそう言えば、皆頷いた。アイリーンだけは自信のない様子でジッと三人を見るだけにとどめた。
「お心遣い感謝します」
アルファードがそう言って頭を下げたので、ライラとトムも続けて頭を下げた。三人は知らないが、その横ではヴァルブルガも頭を下げ感謝を示している。
「さ、もう眠ろう。引き留めて悪かった。どうしても、君たちのことを知りたかったんだ」
アブラクサスが二度手を叩けば、令嬢達はソファーから立ち上がり寝室へ向かう。三人は頭を上げた。
ひと段落ついた、とライラは隠すこともなく息を吐いた。再びトムに肘でこづかれる。
「掲示板を見て、部屋が分かればこちらにアルファードとトムはこちらに。ライラは女子寮の方だ。案内人が沢山いるようだね」
ライラはてっきりヴァルブルガ達は先に眠ると思っていたのだが、どうやら自分を待っていてくれるようだった。
慌てて三人は掲示板を見る。ずらっと並んだ名前と数字の中に、ライラはしばらくして自分の名前を見つけた。二人部屋らしい。同室の女子は、全く知らぬ名だった。
ライラの横で、アルファードがアッと声をあげる。
「トム。僕たち部屋が一緒だ」
「……七年間よろしく」
「こちらこそ! 嬉しいな。これってなんだか……まるで……」
アルファードが言い淀んだ言葉をライラは引き継ぐ。
「運命みたい」
「そう。いざ聞くと恥ずかしい……」
トムはアルファードの様子を見てフッと笑った。堪えられなかったようだ。ライラもつられて笑う。アルファードはじわじわ顔を赤くしていった。しかし満更ではない顔である。
少しライラは寂しがったが、お互いの寮には入れない。それに寂しいよりも堪えきれない眠気がやってきていた。安心しきったのか、欠伸が出てくる。
「じゃあ、おやすみ。良い夜を」
「うん……また明日ね。トム、アルファード……」
「ちゃんと同室の人と仲良くしろよ」
「うん……」
聞いちゃいない、とトムは肩をすくめ寝室に上がっていった。
ライラも、待っていてくれた先輩方に囲まれ女子寮に入る。
「ライラ。眠いでしょうけれど、もう少し頑張ってちょうだい。階段だから気をつけて。あなた、ちゃんと目を開けてるの?」
「あら、ヴァルブルガったら母親みたいね」
「ルクレティア! 私は先輩ですもの」
ライラは半分眠ったような意識の中でヴァルブルガ達の会話を聞いていた。もはや意味のある音として捉えられない。
「……思ったより様子が……もう寝てないかしら?」
エドレーラの声だ。
「担ぐなんてできないよ」
これはドゥルーエラ……。
「早く部屋に……」
今のは誰だろう?
ライラの頭の中には霞が現れ、もはや視界のほとんどは暗くなっていた。目を開けているのが億劫で、気力のみで足を動かしている。
やがて誰かに腕を支えられ、何かに放り込まれたのをライラは感じた。ふかふかとしていて、体が沈み込んでいく。ここが眠る場所だとライラは直感した。
「着替え…………」
「……………ハウス…………」
「…………は?」
かろうじて聞こえていた声も、それを最後に聞こえなくなる。
ライラの思考だけが残り、それも夢の中に溶けていった。
窓を水が打つ。こうしてライラのホグワーツ生活は始まったのだ。
ザ……ザ……と音がライラの耳に入った。何度も何度も反復され、心地よく安心できる音だ。
そのうち、一際大きい音が鳴った。
バチン!
その音ともにライラは目覚めた。ヒュッと息を吸い込み、ほとんど驚いて起きたようなものだ。
視界には全く知らない銀と緑のカーテンに、豪奢な天蓋がある。
ここはどこだ_________そう思った瞬間、ライラはいつのまにか孤児院の前に立っていた時の恐怖を思い出し、パニックになりかけた。
ここは_______私の名前は? 大丈夫、私の名前は__________。
「起きた!? もう。しっかりしてよね……。ああ、あなたの名前は?」
甲高い声が聞こえ、ライラはベットの上で飛び上がった。ホグワーツの制服を着た______そうだ、ここはホグワーツだ_______少女がライラを覗き込んでいる。短い金髪に碧眼の人形のような少女だった。水越しの朝日が柔らかに彼女の睫毛を照らしている。
「ライラ……ライラ・オルコット……」
ライラは口をはくはくしながら咳き込んで、ようやくそれだけ答えた。
「ああ、そうね。ライラ。そうだったわ。あなた、見た目の印象が強すぎて、名前が覚えられなかったの。私はイザベル・ブルストロード。あなたと同室よ。昨日は自己紹介しようとしたけど、あなた遅いんだもの。寝ちゃったわ」
寝起きの頭にそれだけの言葉が入るわけもなく、ライラは一体何を言われたのか分からなかった。それよりも自分は朝の支度をしなければならない。今は何時だろうか?
「支度したほうがいいわよ。余裕はあるけど、授業初日だもの、何があるか分からない」
イザベルの言う通りだった。余裕はあって困らない。
ライラは部屋を駆け回って支度をした。よりにもよって今日はひどい寝癖が付いているし、制服を着るにも戸惑ったが、イザベルの助けも借りてなんとか五分後には支度を終えていた。
「行くわよ。一緒に朝食を食べてあげる。自己紹介も改めてそこでしましょう」
テキパキとしたイザベルにライラは引っ張られるようにしてついていった。朝でも少し薄暗い談話室を通り抜け、大広間へ向かう。昨夜とおんなじ道を通っているはずが、時間が違うだけで全く雰囲気が違って見えた。
大広間は賑わっていた。朝食も量がたっぷりあるようで、ベーコンにゆで卵にパンやサンドイッチが果てしなく並んでいる。
ライラとイザベルはスリザリン寮のテーブルにつく。すぐ横を血みどろ男爵が通り過ぎて行った。
まだ少しパニックが治まっていなかったライラは、鼓動が早まる心臓を宥めながら震える手でパンとベーコンを皿によそった。
イザベルは知ってかしらずか、朝食を口に運びながら自己紹介をする。
「改めて。イザベル・ブルストロードよ。よろしくね。イザベルって呼んで」
差し出された手を取り、固く握手をした。その時、イザベルがライラのことを探るように見たのを、ライラは敏感に感じ取った。
「私……ライラ・オルコット。ライラって呼んでくれると嬉しい……。よろしく、イザベル。昨日はごめんね。私、そのまま寝ちゃって……って、え?」
「何よ?」
「私、昨日制服から着替えなかった!」
ライラの頭はだんだんはっきりしてきていた。先輩達にお休みの挨拶もせず、崩れるように寝たこと、それどころか誰かに支えてもらいながら寝室に行ったことも思い出してきていた。もしかしたら着替えまでさせてしまったんじゃないかとライラは震えた。もしそうだとしたら謝罪で済むのかと辟易した。
「ああ、それなら」
しかし、ライラの問いに対する答えはイザベルが持ち合わせていた。
「ハウスエルフだと思うわ」
「ハウスエルフ?」
「知らないの? 屋敷に支える、妖精の召使いよ。大きい家だったら大抵住み着いているわ。特にこのスリザリン寮だったら馴染み深い生き物でしょうね」
まさかあなたの家にはいないの? と言いたげな表情でイザベルは言った。召使いとはいえ、妖精とはいえ、裸を晒したのかと思うとライラは恥ずかしくて朝食を食べる手が止まってしまった。もしかして生きてきたなかで一番恥ずかしいのではないかとも思う。
「……安心しなさい。魔法を使えば、裸なんて見なくて済むでしょう。……きっと」
「そんな! わ、私、みっともない……そもそも昨日、先輩方の前で……」
今にも泣き出しそうなライラの様子にイザベルはあたふたとした。ライラには自覚はないが、ライラのバックに有力な純血家が複数ついているのはもう寮内どころか学校中に知れ渡っているのだ。そんな子を泣かしたと思われたらたまったものではない。
「やだ! 大丈夫よ。そんな無粋な生き物じゃないわ。先輩方もきっと優しい方々よ。そ、それよりあなたの髪、綺麗ね。『七変化』でもないのにそんな色をしてるのは初めて見たわ」
イザベルは無理矢理話を変えた。これでライラの気はそれた。受け答えをするのに必死になったのだ。
「えっと……よく言われる。ありがとう。イザベルの髪も綺麗……。あと、『七変化』って何?」
「生まれつき、姿を自由自在に変えられる能力のことよ。……ライラ、あなたマグル生まれなの?」
ライラはパニックの後遺症からか警戒心を失っていた。好奇心のままに質問をしてボロを出してしまった。なるべくこういった質問は避けたかったのだ。だが、聞かれた時の返答も決まっている。
「……マグルの中で育ったの。孤児なの、私。七つの時に記憶喪失になって、気づいたら孤児院にいた」
その返答に、もともと気が強そうに釣り上がったイザベルの眉はますます角度を上げた。疑っている表情だ。言葉を選ぶようにして、イザベルは会話を続ける。
「あー……その、そういうつもりじゃ。えっと、つまり、マグル生まれか純血か、分からないってこと」
「そう」
イザベルは食事の手を止め、考え込んだ。ライラと付き合っていくべきか考えているのだ。分からないとはいえど、ライラの特異な容貌……白い髪に紫の目は魔法族の生まれ、半純血か純血の可能性が高かった。結論はすんなり出た。
「分かった。これからよろしく。ライラ。同室として七年間」
「……うん。ありがとう、イザベル」
イザベルの思考には打算が多分に含まれていたが、それでも友好的な態度には変わりなかった。
二人が朝食を食べている最中、大広間の奥の方からトムとアルファードがやってきた。
「あ、ライラ。おはよう! 起きて談話室で待ってたんだけど来ないから先来ちゃった。起きてて良かった」
「おはよう。ライラ、そこの女子は?」
「おはよう、トム、アルファード。この子は同室のイザベル。イザベル、私の友達。トムとアルファード」
「……知ってるわよ……。特にアルファード。イザベル・ブルストロードよ。よろしくね」
「よろしく」
トムとイザベルは握手を交わした。二人は少し剣呑な雰囲気を醸し出している。お互いがお互いを強く疑っているのだ。二人の勘ぐりは熱烈で、なかなか手を離しはしなかった。今度はライラが話を無理やり変える番だ。
「あ、あのっ、イザベルってアルファードと知り合いなの?」
「……まぁね。私も彼も、純血だもの。パーティーで何度か」
「会うのは久しぶりだね」
ライラはブルストロード家って純血なのか、と軽く捉えていたがトムはギョッとして慌てて手を離した。その様子を隠しもしなかったので、イザベルは口角をピクピクとさせている。
「……へぇ……純血だと、聖二十八族の一つだと敬われたことはあれど、こんな風に気持ち悪いとでもいうように拒絶されたことはないわ……。随分な態度じゃない……」
髪が逆立つのではないかと思うくらいイザベルは怒っていた。それに恐ろしかった。美女の怒りはこの世で一番怖いものなのだ。
トムは迂闊な行動をしたとあたふたし、アルファードは仕方ないなとでもいうふうに傍観していた。ライラはどうにかこうにかその場を諌めようと手をしっちゃかめっちゃかに動かす。
「ご、ごめん、イザベル。いつもトムはこんなんじゃないんだ。多分緊張してて。私からも謝るよ。本当にごめん! トムも謝って!」
「あなたに免じて許してやれるほど私たち仲良くないわよ」
「いや、あの、申し訳なかった。少し警戒が過ぎた。そんな高貴な血筋の子女の柔い手を握りしめていたのかと思うとつい驚いてしまって……」
トムはあの迂闊な行動から立ち直ったのか、いつもの通り化けの皮をかぶってイザベルを言いくるめようとした。
その場にいる全員がそれに気づいたが、そんなつもりはなかったと言われてしまえばそれ以上追求はできない。
「……ふん。いいわ。つまりはブルストロード家が純血であると知らなかった上の悲劇と言いたい訳?」
「その通りだとも」
「分かったわ。許します。私こそ朝食の席でみっともない姿を見せたわね」
とりあえずその場は収まったらしい。
ライラは一安心だが、このやりとりで純血というワードが出るたびにドギマギしていた。マグルではなく、純血ではないからと拒否されいじめられたらあまりにも辛いからだ。同室とは仲良くしていたい。
「寛大な心に感謝します」
トムはそう言い残して、アルファードと去っていった。一足先に授業へ向かうのだろう。
「食えない男ね」
イザベルはトムの姿が消えたのを見て吐き捨てるように言った。
ライラは苦笑するだけにとどめる。
果たして仲良くできるだろうか________特にトムとイザベルは_________できたら二人にも仲良くしていて欲しいのだ。そうしてライラ達は朝食を終える。
ライラとイザベルの友情は、こうして少し歪に始まりを迎えた。