昼食後は、魔法史に薬草学を受けてその日は終わった。午前のドタバタとは打って変わって、穏やかな時間が素早く流れていったためライラは気付けば他の三人と一緒にスリザリン寮へ戻るところだった。
魔法史の教授はカスバート・ビンズ先生_______ホグワーツで唯一のゴーストの教授だ。昔のある日、肉体を置き去りにしながらも授業を行ったその日から彼はずっとここにいる。ビンズの授業は、先生の前では至極真面目に振る舞おうとするトムですらも屈服させるほどの催眠効果があった。アルファードもイザベルもライラも、気づいたら眠りに落ちているほどの一本調子極まりない教科書の音読。
「自分で教科書を見てまとめた方がマシだ」
結局眠ってしまったトムは、教室を出るなりそう吐き捨てた。寝ぼけ眼で迫力は半減していたが。
薬草学の授業はそこそこ退屈しない授業だった。温室で授業があり、その温かさに生徒達はあくびが止まらなかったが教授が現れたことで、その場を飽和していた眠気は霧散してしまった。というのも、薬草学の教授であるハーバート・ビーリー先生は実に_______衝撃的な_______インパクトのある_______奇抜な________なんとも形容し難いが、印象に残る人物であったからだ。
ハーバート・ビーリー先生がアマチュア演出家であることは、ホグワーツに半年もいる者なら皆知るところである。
「さぁ!! 始めますよ! ハッフルパフ生の諸君、このスカーガラフのタネを配って。スリザリン生の諸君、下の鉢を机の上に乗せたまえ!」
温室の壁をビリビリと震わすほどの声量に、生徒達は顔を顰めながら耐えなければならなかった。演劇を愛する者らしく、芝居がかった口調だ。
「本当に芸術を理解できるのかしら。あの男」
温室を出た後、今度はイザベルがそう吐き捨てた。曰く、繊細さに欠けているらしい。
そうして放課後になり彼らは一旦スリザリン寮へと戻った。生徒が活気あふれる様子で談話室に溢れている。しかし、寮に戻って数分もたたないうちにそうだ、とアルファードが声を上げた。
「変身術だけ宿題が出たんだ」
「よりによって……はぁ」
落ち込むのも無理はない、とばかりにイザベルがライラの肩を叩いた。
「ただの小手調べよ。えーと、羊皮紙の大きさは問わない、内容は『変身術の授業で興味がある分野について書きなさい。(内容次第では授業内容を変えることがあります)』幼稚なものよ」
簡単そうな課題にライラはホッとしたが、何を書けばいいのかということにまた悩むことになった。興味のある分野と言われても、知らないのだから。
「だから、僕図書室に行こうと思うんだけど。一緒にどう?」
アルファードの申し出に、ライラは飛びついた。こっそりトムも。
ホグワーツの歴史は古く、イギリス唯一の魔法魔術学校であるため、いつだって歴史の最先端を走ってきた。つまりは、ホグワーツの図書室は叡智の結晶である。
果てしなく並ぶ、信じられないほど背の高い本棚。当然のようにひとりでに収まりに行く本の数々。そして、厳しい視線を図書室の隅々に張り巡らせる司書、マダム・ピンス。
このマダム・ピンスは今年からホグワーツに配属されたのだが、配属一日目にして生徒達の反感を大いに買っていた。図書室の中では物音厳禁。貸し出された本へ一つのシミも許さず、短気で金切声を上げる気難しい人。
立ち姿はピシッとしているが、マダム・ポンフリーのように気丈さを表すわけではなく、何か動物的な恐ろしさを感じさせるような姿勢だった。
図書室は不気味なほど静まり返っている。勉強熱心な者の羽ペンの音すら聞こえない。
その時、バーン!! と音が響いた。
ライラから見える全ての生徒_______そしてライラ自身も音に殴られたかのように飛び上がった。あまりに驚きすぎて息が詰まる。
「何事ですか!」
言葉の端々がキンキンとなるようなマダム・ピンスの声が飛んだ。物音の方向へと歩いて行ったのを見て、音を立てるのを恐れるあまり動けなかった生徒が一斉に図書室を出て行く。
あの緊張の中鳴り響いたあの怪音は、単にとてつもなく重い本を二年のレイブンクロー生が落としてしまった音だったらしい。
未だにライラ達は図書室の入り口に立っているというのになぜ分かったかというと、マダム・ピンスの説教が響き渡ったからだ。
「本を落とすなんて! いいですか、どんな汚れも傷も許しませんからね!!」
いつのまにか、ライラ達の周りには入るのを躊躇する生徒が集まっていた。
ライラはアルファードのローブの袖を引っ張った。出直すか、別の方法を探そうと思ったのだ。こんな環境じゃ課題をこなすことなど無理だ。
「そうだね……戻ろう。教科書に頼ろう」
四人はすごすごとスリザリン寮へと戻った。
地下階にあるスリザリン寮では、どこへ行くにもどこから帰るにも不便だったが、こうなっては仕方ない。ライラはスリザリン寮を素晴らしい寮だと思っていたが、この点に関しては少しだけ不満だった。ホグワーツの階段は長いし、一段一段が十一歳の子供にとっては大きいのだ。
「はぁ、疲れたなぁ」
ライラの口からぽろっと溢れでた言葉に、三人は頷いた。
「あら、『変身術』の課題ですの?」
談話室に戻り、気分を沈ませながら課題に取り掛かっていた四人はその声に顔を上げた。
セドレーラだ。
「セドレーラ様」
「お久しぶりですね。イザベル。ライラと同室だったのね」
セドレーラとイザベルも、当然のように知り合いだった。純血のコミュニティは本当に密なようだ。
セドレーラはそっと声を潜めて、周りに聞こえないように四人に告げる。
「ライラ……初日から大変でしたわね。話は聞きました。アルファード、明日のことですが放課後になったら談話室には行かず、八階の方に行っていただけます?」
アルファードがどういうことかと聞く前にセドレーラは微笑んで、なんでもなかったかのようにまた喋った。
「それなら『変身現代』をお勧めしますわ。アルバス・ダンブルドア教授が論文を掲載したこともありますから、今回の課題には適しているでしょう。ちょうど持ってますから、差し上げますわ。分からなければ、上級生に聞きなさい。もちろん私にも」
そう言って颯爽と離れていくセドレーラ。テーブルには、『変身現代』と書かれた学術雑誌が残されていた。「アニメーガスとなる条件四選」「ポリジュース薬と七変化の関連性」など、馴染みのない言葉が小難しく書かれている。
「内容はともかく、参考にはなりそうね」
「うん。アルファード、教えてくれない?」
「……は? いや、それよりも、明日のこと……」
「気にしたってしょうがないだろう。案外心配性なんだな」
「……たしかに」
すんなり受けいれた三人を見て、アルファードは少々戸惑いながらもエドレーラの言ったことをそのまま受け入れることにした。考えたところで、実際に見に行かないと八階に何があるかなんて分かりっこないのだから。
「じゃあ、このアニメーガスって何?」
「ポリジュース薬ってなんだ?」
「ちょっと! 一人ずつで頼むよ!」
課題を終わらせると、夕食の時間になった。大広間で夕食を摂り終えればすぐに就寝の準備である。
数時間ぶりの自室に、ライラとイザベルはホッとして伸びをした。たった一日で、この部屋は安心できる部屋になっていた。
「はぁ……なんとか、初日が終わったわね」
「まだ一日目か……なんだか1週間経った気分」
「初日からトラブル起こしてるんだからそうでしょうよ」
「面目ない……」
もはや、ライラとイザベルは数年来の友人のようだ。彼女ら自身もそのことを言葉にはせずとも少し驚いている。
二人は支度を整えベッドに入り、お互いに仕切りを閉じた。
ライラが目を瞑り、寝入るまで考え事をしていると、イザベルが声を出した。
「ライラ」
「何?」
「今日は悪かったわ」
「大丈夫だよ。あれは事故なんだから」
「そうは言っても……」
「イザベルのおかげで、私は傷一つ作らず助けてもらえたの。ありがとう」
ライラはイザベルのベッドがある方を向いたが、彼女の顔は当然見えない。険しい顔をしているだろうか、笑っているだろうか。都合の良いように解釈して、ライラは言葉を続けた。
「私ね、女の子の友達って初めてなの」
「そうなの?」
「ずっとトムといたし、孤児院の子とは仲良くなれなかった。だから、イザベルがあの時私を起こしてくれて、本当によかったと思ってる。遅刻もしなかったしね」
「……そう」
窓の外では、水が鳴っている。水槽みたいな寝室の中でライラとイザベルは顔が見えずとも、お互い通じ合えていた。表情も息遣いも、感情でさえも水を伝って伝わっているような感覚だった。
「出会って、数時間しか経ってないなんて思えない。昔会ったことあったかな?」
「無いわよ。ふふっ……きっとね」
笑ってくれた、そう思うとライラは口角がゆるゆると上がった。胸の底がムズムズしてたまらず毛布をかき抱く。
「ねぇ、ライラ」
「なぁに、イザベル」
イザベルはだいぶ眠たげな声で話している。
「あの時……ピーブズに会った時……私を庇ってくれたわ」
「……バレてた?」
「ええ……バレバレよ。……ありがとう」
それだけ言って、イザベルが身じろぎする音が聞こえた。もう眠りに落ちかけているのだ。ライラもそれを感じ取り、そのまま目を閉じる。
良い夢をみれますように、そう願って、ライラは眠りに落ちた。
朝がやって来た。当然のようにライラはイザベルに起こされ、昨日と同じく四人で行動し、昨日とは違う教科を必死にこなしていると、あっという間に放課後になっていた。
「……今更だけど、緊張する」
動く階段を死ぬ思いで登っていたライラがそう言った。呆れたため息がトムの方から聞こえた。
「ずっと緊張しているだろう。思い返してみろ。今日の飛行訓練に、闇の魔術に対する防衛術、変身術……惨劇だったぞ!」
「申し訳ないと思ってるよ……」
今日のライラは散々だった。飛行訓練では暴走して飛び上がった。防衛術の訓練では杖を振った際に杖を離してしまい、教授のガラテア・メリィソートの額にぶつけた。改めて受けた変身術では、マッチ棒を針にするはずが紙巻きタバコにしてしまい、しかも燃やしてしまった。漂う匂いに、燃え盛るタバコ。
それを呆然と見つめていたライラにダンブルドアが言った。
「もしかして喫煙者なのかい?」
「違います……」
顔から火が出るような思いで、ライラはようやっとそう答えた。
「行くところ行くところで散々な事してたわよね」
「正直わざとかなって思ったよ」
「違うよ……違うんだよ……」
おかげで今日で減点を十五点ほどくらっている。しかもトムが二倍にしてフォローしてくれた。情けないばかりである。
そんな話をしていれば、八階はすぐそこにあった。セドレーラが指定した八階。そこに何があるのかライラ達は誰一人知らなかった。
全員が全員、緊張した面持ちで落ち着かないとばかりにうろうろしながら先輩達を待つ。
その時、大勢の足音が聞こえた。
その音に、あの時のグリフィンドール生を思い出したライラはトムの後ろに隠れる。その様子を見た三人もさりげなく警戒した。隅により、すぐ杖を取り出せるようにしている。
「お待たせしたわね! ……あら、なぜそんな端っこにいるの?」
一番に階段を上がって来たのはドゥルーエラだ。四人は警戒を解く。あの足音もスリザリンの面々だろう。
「ドゥルーエラったら、相変わらず速いわねぇ」
セドレーラもやがて現れる。その後ろには知らない顔もいた。皆スリザリンの上級生だろう。しかも純血の血筋の。
「ライラ! 体は大丈夫なの?」
「ヴァルブルガ先輩……。はい。怪我はないです」
「そう……。アルファード、連絡を怠らなかったわね。報告してくれてありがとう」
随分心配してくれていた様子のヴァルブルガを見て、ライラは胸が痛くなった。心配されて嬉しい気持ちが半分、迷惑をかけて申し訳ない気持ちが半分だ。
アルファードは褒められて嬉しそうだったが、意を決して声を上げた。
「あの、姉上、この八階にした理由はなんですか?」
その質問に、ただヴァルブルガは微笑む。そして突き当たりの壁を指さした。
「見ていなさい」
セドレーラが壁の前に進み出る。目を閉じ、息を吐くのがよく見えた。
ライラ達も周りの上級生も黙っている。
セドレーラは目を瞑ったまま、足早にその壁の前を三回横切るように往復した。
すると、壁に扉が浮き上がってくるではないか! 扉には豪奢な飾りもつき、元からそこにあったかのように佇んでいる。
黙ったままのけぞるようにしてライラは驚いた。全く原理がわからない。魔法でしか成せない技だ。
「必要なものを思い浮かべながら、三度この壁の前を横切る。覚えておきなさい。それがこの『必要の部屋』の開き方よ」
驚く四人を見て、ヴァルブルガが得意げにそう言った。