揺蕩うように。微睡の中にいた。
――…る、…ぉる……
何か、聞こえる。……人の声?もしかして、僕を呼んでいるのだろうか。
―――…さ…る、
(……なんだよ、今いい所なんだ。邪魔するなよ…)
声は段々と大きくなっていく。
―――………ぁ、と……る
(だから…うるさいってば……)
まとわりつく蠅を払うように、手を振り上げた時だった。
――――――悟
聞き慣れた声が、耳朶を打った。
「――――……え…?」
驚いて反射的に目を開く。数歩といかない距離に、そいつは立っていた。
「やぁっと目ぇ開けたか、寝坊助…っちゅうのんはちょいちゃうか。ここはお前の心の中みたいなもんやし、ちゃんと目ぇ覚めたって訳でもあらへんしな」
仕方がないと言いたげな表情でそいつは肩を竦める。
「え…何…?それ、どういうこと…?だって、さっきまで、僕たち……???」
薄暗い空間だ。僕達がいる場所だけが、蝋燭の火で照らされたようにほんのりと明るい。
「夢でも見とったのか?…見とったんやろうなぁ」
呆れたような声。そいつの発言に納得がいかなくて、僕は反論した。
「ゆ、め……夢…?そんなはずない、だって、こんなにもはっきりと覚えてる。あれは夢なんかじゃない。確かに起こったことで――」
「そないな記憶、
ばっさりと。情けも容赦も情緒もなく。同じ色彩の瞳が冷えた眼差しで僕を射抜いた。
「なんっ、なんで、そんなこと言うんだよ」
「……だって、なぁ?」
言ってから、ハッとする。なんてことを聞いてしまったんだ、と。答えを聞きたくなくてそいつの口を塞ぐために手を伸ばす。
「俺はお前を庇うて死んださかい」
また、ばっさりと。僕の手が届く前に、そいつは吐き捨てた。
「死…――――」
視界を覆う目隠しをぐしゃりと握りしめ、きつく目を閉じる。信じられない。信じない。信じたくない。――不意に、肩を抱かれた。
「目隠しは取って、ちゃんと目ぇ見開け。死人に囚われるなんて、悟らしゅうない……唯我独尊を体現するのがお前なんやさかい。俺のこと、忘れろ、とは言わへん、時々思い出すのんは許容したる」
トントン、と。子供をあやす様に、一定のリズムで肩を叩く感触。こんなにもはっきりと、感じているのに。
「
なのに、どうしてだろうか。
「――早う起きろ」
こんなにも、
「お前が起きるのを待ってる人がおる、教え子に同僚、天敵、それから」
ぷつり。ピンと張っていた何かが、切れる音を聞いた。
「――――……ぃ、せに…」
「うん?」
「――――……いない、くせに……ッ」
「………悟?」
「お前は……ッ、お前が!!いないのに!!なんで起きろって言うんだよ!!!!」
激昂のままに言い捨て、絶対にはなしてなるものかと、そいつを掻き抱く。きつく、きつく、きつく。息をするのも難しいほどに、きつく。
「俺は!!俺は―――ッ!!!!」
でも、それは、何の意味もない。
「聞き分けのあらへんとこは相変わらずやなぁ……」
するりと、いとも簡単に腕から抜け出される。
「やけど、そないな悟やさかい、俺は守ったんや」
満足げに笑うそいつが恨めしい。それと同時に、やっぱりそうだよな、と諦めにも似た感情が湧いてくる。
「お前に、生きとってほしかってん」
声が遠ざかっていく。目隠し越しでもはっきり見えていた姿も、ぼんやりと滲んでいく。
「そやさかい……うん、」
みっともなく縋るように伸ばした僕の手は届かない。なのに、そいつの手は、僕に届いて。
「かんにんな?」
額を小突き、離れて逝く。
「待っ――――」
『起きろ』
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五条 悟
奇跡はあると思っていた、のに。
伽藍に対する感情はとても複雑。親愛、尊敬、憎悪、諦念、ありとあらゆる感情を伽藍に向けている。幼少期に抱いたそれらの感情を、二十数年かけて昇華しようとしていた。あともう少しで"思い出"になるはずだったそれらの感情は、突然の再会により彩を取り戻してしまった。
そこに、悟を庇ったという事実と、親友の姿をしたモノに胸を貫かれたという現実が加わり、大爆発。渋谷に蔓延っていた呪霊という呪霊を、吹き荒れる呪力の勢いのままに祓いまくり、偽夏油さえも倒して気絶した。後々、過度のストレスと呪力枯渇と家入硝子に診断され、セルフ無量空処することになる。
気を失っている間、夢を見ていた。決して、手に入れられない、有り得ざる日常の夢。幼い頃、五条本家で過ごしていたような、そんな温かな夢。意識を取り戻し、彼は泣いた。見舞いに来ていた教え子や同僚たちの前である事も気にせず。子供のように泣いた。だって、"久し振り"も"おかえり"も言えなかった。
泣いて、泣いて、泣いて――
――――ふと、気付く。
『子供の時かて、そないな風に泣きじゃくってる姿見たことなかったのに……ええ物見られたなぁ』
寝ていたベッドの下から、自分そっくりな声が聞こえて飛び起きる。反射的に構えた悟に、ベッドの下から這い出て来たその声の主はケタケタと笑いながら言った。
『ええ夢でも見とったのか?』
「――――、」
余りの出来事に、絶句する。そんな悟を見て、ベッドの傍らに立っていた家入硝子はニタニタと笑い、見舞客の一人である夜蛾正道はサングラスを取って眉間を揉み解し、同じく見舞客の一人である伏黒恵は遠い目をした。
『おそようさん、寝坊助。お前、寝とるあいさに、年取ったんやで?』
生白い肌はより一層白く――というよりも血の気が失せて青白く、所々赤黒く染まった灰褐色の髪はざんばら。六眼の輝きは変わらないが強膜は黒く濁り、その身から放たれる気配もまた、人とは違っていた。
「――――……伽藍、呪霊になっちゃったの…?」
『どっかの白髪頭のおかげさんでね』
「…………は、はは」
手を伸ばせば、仕方がないなと言いたげな表情で握り返される。体温などありはしない。けれど、なんとなく温もりを感じて、視界が歪んだ。
「っ、…おれ…っ、ゆーたのこと、わらえないね」
『誰やねん、そいつ。……それよりその情けない顔をどないかせぇ。大人のくせにめそめそめそめそ……情けないったら』
愛ほど歪んだ呪いはない。まったく、その通りだと思った。