P.S.彼女の世界は硬く冷たいのか? 作:へっくすん165e83
「……ん」
瞼が強い光で焼かれ、私はぎゅっと目を瞑る。
無意識に右手が毛布を掴み、そのまま頭の上まで引っ張り上げた。
心地よい暖かさが私を包み込み、自然と意識が夢の中へと落ちていく。
だが、完全に眠りに落ちる前に、私は電撃を食らったかのようにベッドから体を起こした。
「──ッ!? え、ここどこ?」
混乱したまま部屋の中を見回す。
家具の少ない殺風景な部屋の中には、今現在私が寝ているシングルサイズのベッドが一つと、小さな椅子と机が一つずつ。
壁の隅には四角い箱型のエアコンが設置してあり、暖かな風を部屋の隅々へと送り続けている。
私は音を立てないようにベッドから這い出る。
そして、慎重に窓へと近づき、恐る恐る窓の外を覗き込んだ。
「……普通だ」
窓の外にはロンドンの街が広がっていた。
道路には自動車が行き交い、道沿いのカフェはテラス席まで一杯になっている。
私はこの通りに見覚えがあった。
この通りをまっすぐ進めばキングズ・クロス駅へと辿り着くはずだ。
私は両手で頭や体を触る。
痛むところはない。
それどころか傷があった痕跡すらない。
「今までのは全部夢?」
私は今まで、何か悪い夢でも見ていたのか?
いや、そんなはずはない。
もし夢だとしたら、眠りにつく直前の記憶がはっきりしているはずだ。
だが私は現在、どうしてここにいるのかも、ここがどこなのかも分かっていない。
私は自分の怪我の状態をもっと詳しく見ようと、部屋の中に鏡がないか探し始める。
パッと見渡す限りそれらしきものはなかったが、壁に埋め込まれるような形でクローゼットが設置されているのを発見した。
「多分ここに……」
クローゼットの扉を開け、裏側を確認する。
すると、私の予想通りそこには姿見が貼り付けられていた。
私は姿見で改めて全身を見る。
服は……さっきまで着ていたものと同じだ。
だが、物は同じでも新品同様に綺麗になっている。
私は鏡の前で着ている服を脱ぎ、全身をくまなく確かめる。
傷らしい傷はどこにも存在しない。
美鈴に貫かれた腹も、潰された頭も、傷一つない。
それどころか、雑に繋いで痕が残っていた太ももの傷痕も、指の先に出来ていた細かな傷までも何もかもが綺麗さっぱり消え去っている。
「これは……本格的にあの世の可能性があるな」
私は鏡に映る自分の裸体を見ながら呟いた。
きっと今にも部屋に唯一存在している扉が開き、天使か死神が顔を出すに違いない。
それを想像し、私は急いで服を着込んだ。
その時だった。
ガチャリと音を立て、ドアノブが回転する。
私はクローゼットの扉を閉め、そのまま扉の方を向いた。
果たして、顔を出すのは天使か死神か……
「あら、起きてるわね」
扉から顔を出したのは、ホワイトだった。
「悪魔だったかぁ」
真っ白な髪に透き通るような肌。
顔立ちはかなり整っており、モデルか女優としてデビューすればそれだけで世界を狙えそうなほど。
というか、容姿は私と殆ど変わらない。
いや、私がホワイトと容姿が変わらないのか。
「なによぉ、開口一番失礼じゃない?」
顔つきからして、きっとクローンの方ではない。
ホワイトはなんというか、顔面から胡散臭さが溢れ出ている。
私は若干警戒しつつも、ホワイトと正対した。
「ここは?」
「大通り沿いのホテルの一室よ。体調に異常はない?」
ホワイトは私に無造作に近づき、手を伸ばす。
そして無遠慮に私の体を触り始めた。
「ホワイト……で間違いないですよね」
「そう呼ばれているし、そう名乗っているわ」
ホワイトは私の体を入念に調べたあと、最後に頭をそっと撫でる。
「手術は無事成功。受け答えも出来ているし、脳にも異常はなさそうね」
「手術……ということは、あれは夢ではない?」
「あれがどこまでを指してるか正直わからないけど、お腹に大穴空いた状態で生ゴミみたいに脳みそ撒き散らしてたのは夢じゃないわよ。大変だったんだから、あの状態から治療するの」
「てっきり死んだと思ったんですけど、あんな状態からでも治療って出来るんですね」
「やり方を知っていれば。魂を現世に繋ぎ止めておけば死に至ることはないし、あとは肉体を再生させるだけ」
私はペタペタと自分の頭を触る。
そして、あることに気がつき、ハッと顔を上げた。
「あ、あの! 私の横にもう一人倒れていませんでしたか? あの、貴方とよく似た……」
「クローン? 倒れてたわね。ちゃんと治したわよ。隣の部屋で寝て──」
ホワイトが言い切る前に、私は部屋を飛び出す。
そしてすぐ隣の扉を開け、部屋の中に転がり込んだ。
「お母さ──」
その瞬間、私の目の前に拳が迫る。
私は右手でそれを受け流すと、そのまま腕を絡めとって肘関節を決めた。
「──ッ! い、痛い!」
「あらあら、なにやってるのよ」
私もすぐに我に返り、決めていた関節技を解く。
そして改めて部屋の中にいた人物を見た。
「セレネ・ブラック……」
私の目の前で痛そうに肘をさすっている人物は、私が誤ってナイフを突き刺したセレネ・ブラックその人だった。
だが、私と同じくセレネもホワイトが治療を施したらしい。
私はその元気そうな姿に大きく安堵の息をつく。
セレネは私と、その後ろにいるホワイトの顔を見て混乱したように目を白黒とさせていた。
「ほ、ホワイト様が二人? それとも、片方は私と同じクローン……?」
「はぁい、クローンちゃん。色々とよくもやってくれたわね」
にこりとホワイトがセレネに対して笑いかける。
セレネはその顔を見て、ヒッと小さく悲鳴を上げた。
「貴方のせいで大事な研究成果は下手に手出しのできない場所へ行ってしまったわ」
「それは……貴方が、私の子供を──」
「貴方の子供じゃないでしょ。あーあ、こんなことなら私の卵子が採取できるまで待ってればよかったわ」
ホワイトは大きなため息をつく。
話の細部は分からないが、どうやらホワイトとセレネの間で赤子の私を巡って争いがあったようだ。
「まあでも、そのことに関してはもうどうだっていいわ。あの赤子は、もう要らない」
「……どういうことです?」
ホワイトは、私の肩をポンと叩く。
そして、セレネに対して言った。
「大きく成長しきった状態で、未来から研究成果が飛んできたんだもの」
魔法使いは開心術が使えることをすっかり忘れていた。
私は今になって最大限の警戒をホワイトへ向ける。
きっとホワイトは寝ている私の記憶を読んで、私がどういう経緯でここにやってきたかを知ったに違いない。
このままでは血液を全部搾り取られる。
セレネもこの世界線の我が子が助かるならばと、きっとホワイトに協力するに違いない。
その前に何とかしてこの場を脱出しなければ。
そんなことを考えていると、隣にいたホワイトがフフっと息を漏らす。
そしてそのままクスクスと笑いながら私の頭をポンポンと叩いた。
「そんなに警戒しなくてもいいわよ。別に殺さないから」
「……まあ、殺す気があったら生ける屍の水薬とか使って、そもそも起こさないですよね」
「そういうこと。色々説明するからこっちにいらっしゃい」
ホワイトは私とセレネに手招きをする。
そしてホテルのリビングルームへと行くと、杖を一振りして全員分の紅茶とお菓子の盛られたティースタンドをテーブルの上に出現させた。
私は警戒心を解かないようにしながら椅子に浅く腰掛ける。
ホワイトは私の向かい側の椅子に腰かけると、ティーカップを持ち上げ一口飲んだ。
「まずは自己紹介からしましょうか。そうねぇ、クローンちゃん。貴方から自己紹介なさい」
急に振られて、セレネはアタフタし始める。
そして少しもじもじとしながら自己紹介をした。
「ホワイト様のクローンです。世間ではセレネ・ブラック……ということになっています」
「この子は私がホグワーツ一年生の時に作り上げた私のクローン。というのは、未来の私から聞いてるみたいね」
「未来……」
セレネは、ぽやんとした顔で私を見る。
ホワイトは、次は貴方の番だと言わんばかりに私に目配せした。
私は、照れ隠しに小さく咳払いをしてから口を開く。
「サクヤ・ホワイトです。一九九八年から逆転時計を使ってこの時代にやってきました。えっと……セレネさん、私は……貴方の娘です」
それを聞き、セレネの目がぱっと開かれる。
そして私の体を上から下まで眺めたあと、両目に溢れんばかりの涙を浮かべた。
「ほ、本当に? 本当に貴方はあの子なの?」
「じゃなかったらなんなんですか? この瓜二つの姿、どう説明するんです? ドッペルゲンガー?」
「いや、だって私もホワイト様のクローンだし……」
あ、まあそうか。
私は改めて自分と瓜二つの二人の顔を見る。
こうしてみると年齢が近いこともあり、三つ子の姉妹のようにも見える。
「色々大変だったみたいね。意識を失っている時に深層意識から読んだ記憶だから詳しくはわからないけど。あ、そうだ。自己紹介のついでに、貴方の話を聞かせて頂戴な。貴方がどのような学生生活を送って、どうしてこの時代へやってきたのか。私はかなり興味があるし、クローンちゃ……いや、セレネちゃんも気になっているみたいよ」
私の話か。
まあ、命がけで守ろうとした我が子が未来からやってきた挙句、自分自身を殺そうと襲い掛かってきたのだ。
一体どういう理由があったらそうなるのか気になるのは当然だろう。
私は小さく深呼吸をすると、ホワイトが淹れた紅茶を一口飲む。
その瞬間、私の思考が急にぼんやりとした。
この感覚、身に覚えがある。
これは真実薬を盛られた時の感覚だ。
私は目の前にいるホワイトの顔を睨みつける。
ホワイトは悪びれる様子もなく肩を竦めた。
「そっちのほうが話しやすいし、主観が混じらないと思って」
ああ、わかった。
ホワイトはこういうやつだ。
自分の目的のためなら倫理観のカケラもない。
ひとまずここには私の味方になってくれそうなセレネがいる。
ここは薬の力に任せて私の冒険譚を披露させてもらうとしよう。
ぼんやりとした思考のなか、口だけが勝手に動き私の記憶を音として出力していく。
何故ホワイトが私に真実薬を飲ませたのかようやく理解できてきた。
すでに、私が話し始めてから二十時間以上が経過している。
その間ホワイトは疲れる様子もなく私に細かな質問を続け、セレネも熱心に私の話を聞き続けている。
真実薬を飲んでいなければ、疲労と眠気でかなり適当な受け答えになっていただろう。
「なるほどねぇ。それで、逆転時計を使って私から逃げてきたわけね。で、それがどうして過去の自分を殺そうだなんて思考に至ったの?」
「運命を変えようと思って。私が死ねば、お母さんも、ハリーも、シリウスおじさんも。色んな人の運命が変わるから」
「まあ、その点で言えば運命は変わったわね。この時代の貴方は、レミリア・スカーレットに拾われた。今も貴方が消えていないところを見るに、食べられたりはしてないみたいだし」
ホワイトは懐から小さな小瓶を取り出し、その中身を私の口の中に滑り込ませる。
その瞬間、私の意識にかかっていた靄が晴れ、それと同時に睡魔と疲労が一気に押し寄せてきた。
「はいお疲れ様。どうする? 一回寝る?」
「何か、元気の出るお薬あります?」
正直、今すぐにでもベッドに飛び込んで眠りにつきたい。
だが、まだこちらが一方的に話し倒しただけだ。
ホワイトはまた懐に手を伸ばすと、小瓶を取り出し私の紅茶の中に注ぐ。
私はその紅茶を一気飲みすると、次はこちらのターンだと言わんばかりに口を開いた。
「これが、私の全てです。それで、私が聞きたいのは──」
「なんで貴方を助けたのか、でしょう?」
私は、ホワイトの言葉に頷く。
ホワイトは杖を一振りし新しい紅茶を用意した。
「そもそも、貴方の勘違いを一つ正してあげるわ。貴方の時代の私は、貴方を殺す気なんてなかったと思うわよ」
「……え? いや……そうなんです?」
ホワイトは私を拘束し、私の血を一滴残らず抜き取ろうとしていた。
もしそれが殺す気ではないならなんだというのだ。
「だから、それが勘違いだって言ってるの。未来の私は、ちゃんと採血用の管を二本差していたでしょう?」
確かに、あの時ホワイトは首と太ももに採血用の管を突き刺していた。
「貴方から血を抜き取って自分の体に入れるとして、もとから入ってる自分の血はどこに行くと思う?」
「……あ」
確かに血を入れた分、どこかに血を出さないといけない。
それじゃあ、一本の管は血を抜く用で、もう一本は……。
「もしかして、ホワイトは血を入れ替えようとしていただけ?」
「その可能性が高いでしょうね」
私は、思わず頭を抱える。
ちらりと横を見ると、セレネも同様に頭を抱えていた。
「ホワイト様、それちゃんと説明しました?」
「知らないわよ。未来の私のことなんて。説明してなかったんじゃない?」
「ちゃんと説明してくれていたら、あそこまで必死に逃げなかったのに……」
もしかして、魔法省のあの惨状は私のせいか?
私が素直に自分の身を差し出していれば、あの惨状を回避できたのか?
「間違いないわね」
「いや、サクヤちゃんが気に病む必要はないですよ。悪いのは全部ホワイト様なので」
いけしゃあしゃあとのたまうホワイトに比して、セレネは優しい言葉を掛けてくれる。
「まあでも、結果的に貴方の選択は間違いじゃなかった。少なくとも、貴方がここに来たことで私の目的は達成されたも同然だから」
「私と、血を入れ替える……そういうことですね?」
「そう。と言っても、未来の私が余計なことをしたせいで貴方の血が新陳代謝で入れ替わるまでの数か月は待たないといけないけど」
「あれ? それじゃあ未来のホワイト様はどうするつもりだったんでしょう? 今、サクヤちゃんはホワイト様が仕込んだ毒のせいで時間操作の因子が無力化されているんですよね?」
私は試しに時間を止めようと意識を集中してみる。
だが、やはり時間が止まることはなかった。
「何か方法を思いついたんでしょうけど、その研究を今から進めるより素直にサクヤちゃんの能力が戻るのを待ったほうがいいでしょ」
何かしらの薬で時間停止能力を無効化しても、数か月で元通りになるというのは未来で確認済みだ。
きっと少しずつ瀉血しながら健康的な食事を送れば、三か月もあれば時間停止能力は回復するだろう。
「それじゃあ、私の赤ちゃんは……」
「もういらないわ。大きくなったのが手に入ったし」
それを聞き、セレネはほっと息をつく。
私はそんなセレネの方をちらりと見ると、少し躊躇いながら口を開いた。
「あの、おか……セレネさん。この時代の私ですけど、美鈴さんが持ってっちゃいましたけど、どうするんです?」
「どうする……どうするのが正解なんでしょう?」
セレネは答えを求めるようにホワイトの方を見る。
ホワイトは、軽く首を傾げながら唸った。
「相手は吸血鬼だけど……その美鈴とかいう従者は部下が欲しいと言っていたんでしょ? だったら大丈夫じゃない? 食べるつもりはないってことだし」
「いやでも、万が一食べられたりしたら私消えちゃうわけで……」
「自分を殺そうとしてた人間のセリフじゃないわね。まあ、サクヤちゃんが連れ去られた時点で世界が分岐しているはずだから、この時代のサクヤちゃんが死んでも貴方に影響はないはずだけど……心配なんだったらレミリアから奪いに行く? 貴方の時間停止能力が戻ればそんなに難しいことじゃないと思うわよ」
いや、まあ確かにそれが一番安心ではあるが、レミリアやパチュリーと敵対したくないのも確かだ。
それに私の能力が戻るまでの数ヶ月の間にこの時代の私がレミリアに食べられないという保証はない。
「食べないでくださいとお願いできればいいんですけど……」
セレネはモジモジとしながらそう呟く。
それを聞き、ホワイトは大きなため息を吐いた。
「どの立場でお願いに行くのよ。あの時死にかけてた母親なんですけど、うちの子をよろしくお願いしますって? 流石に怪しすぎるわ」
下手に釘を刺すと、逆にこの時代の私に不信感を抱かれてしまうかもしれない。
何かこう間接的に、やんわりと干渉するいい方法はないだろうか。
「……あ」
その時、私の中で一つのアイディアが浮かぶ。
ホワイトはそのアイディアを読んだのか、ニヤリと笑った。
「それで行きましょうか」
一晩しっかり休息を取った次の日の朝。
私たち三人は簡単に変装を施した状態でダイアゴン横丁を歩いていた。
ヴォルデモートが敗れたという噂が次第に広まってきたのか、ダイアゴン横丁には少しずつ人が戻り始めている。
私たち三人は通りを真っ直ぐ歩くと、ダイアゴン横丁の中でも一、二を争うほどの老舗である、オリバンダーの店に入った。
「いらっしゃいませ、少々お待ちを」
店に入った瞬間、老人の柔らかな声が店の奥から聞こえてくる。
数分もしないうちに、店の店主であるオリバンダーがカウンターへとやってきた。
「どなたの杖をお探しで?」
オリバンダーは私たち三人の顔を見比べる。
私はオリバンダーの方へ一歩近づき言った。
「やや硬い二十五センチのアカミノキ。そして芯材には──」
「お待ちを、杖は持ち主との相性というものが──」
「芯材には、吸血鬼の髪の毛が使われた杖を」
吸血鬼の髪と聞き、オリバンダーの目の色が変わる。
「しょ、少々お待ちくだされ」
オリバンダーは小さく息を飲み、店の奥へと戻っていった。
「話には聞いてたけど、滅茶苦茶な杖を使ってたのね」
ホワイトが若干笑いを堪えるように言う。
それを聞きセレネがいやいやと首を振った。
「それを言ったらホワイト様の杖も大概ですよ」
「あの黒い杖ですか?」
ホワイトは懐から杖を取り出すと、私に見せてくれる。
何度か振っている姿を見たことはあるが、まるでオーケストラの指揮棒のような杖だ。
「黒壇、三十センチ。芯材にはグリムの毛」
「グリムの毛? そんなもの芯材に使えるんです?」
「本当にグリムの毛なのか調べたことはないけどね」
ホワイトは杖をローブに差し直す。
それと同時に店の奥からオリバンダーが戻ってきた。
オリバンダーは上品な見た目の箱をカウンターの上に置く。
そして、若干の怯えを含んだ声色で私に聞いた。
「この杖のことをどこで?」
「どこでもなにも、貴方が選んでくださったんですけどね」
私はカウンターの上に置かれた箱に手を伸ばす。
だが、私の手が触れる前にオリバンダーがスッと箱を手前に引いた。
「五十ガリオンになります」
「三十ガリオン高くない?」
私はボソリとオリバンダーに文句を言ったが、オリバンダーが何かを言い返す前に後ろにいたホワイトが革で出来た小袋をオリバンダーに投げた。
「百ガリオン入ってるわ」
とても百ガリオンも入っているようには見えない大きさだが、きっと何か魔法がかけられているのだろう。
オリバンダーはカウンターに置いてあった秤に小袋を乗せ、何かを確認した。
「お代は頂きました。ではこちらを」
オリバンダーは杖の入った箱を私に差し出す。
私はカウンターの上で箱を開封し、中に入っていた紅く光沢のある杖を持ち上げた。
「やはり……というよりそもそも相性以前に──」
瞬時に私に魔力がないことを察したのか、オリバンダーが杖に手を伸ばす。
私は、オリバンダーの手が杖に触れる前に両手で杖を掴み、真っ二つにへし折った。
「何を──」
杖を折った断面から金色の髪が覗く。
その瞬間、魔力を失った私でも感じ取れるほどの魔力が店内を満たした。
その魔力は店の中を蠢き回り、やがて一箇所に纏まる。
そして、私の手のひらの上で蝙蝠の形に変化した。
「……誰?」
手のひらの上で蝙蝠がポカンとした表情で私を見上げる。
私は蝙蝠を乗せた手を目線の高さまで持ち上げ、じっと目を見つめながら言った。
「フランドールさん、昨日紅魔館にやってきた赤子のことでお話があります」
蝙蝠姿のフランドールは値踏みするように私の顔を見る。
そしてぴょんと私の顔に近づくと、そのまま肩に飛び乗り、私の髪の中に頭を突っ込んだ。
「ふーん、なるほど」
蝙蝠姿のフランドールは、私の髪から出てくると、また手のひらの上へ戻る。
その手には、金色の髪の毛が一本握られていた。
「なんとなく事情はわかった。いいわよ、頼まれてあげる」
「ありがとうございます」
フランドールは空中へ飛び上がり、パンと軽い音を立ててその場から居なくなる。
まだ何も口にしてないが、あの様子なら全て伝わっているだろう。
「それじゃあ店主、これ処分しといて」
ホワイトはカウンターの上に置かれた折れた杖を指差し、そのまま店の外へ歩いていく。
私は軽く、セレネは丁寧に頭を下げ、ホワイトの背中を追った。
「不思議なこともあるものじゃ」
三人を見送ったオリバンダーは机の上に残された紅い杖を手に取る。
そして折り目を慎重に確かめた後、折れた杖を握りしめて杖の工房へと歩いていった。
一年後。グリモールド・プレイス十二番地。
「そろそろ行くわよ」
下の階からホワイトの声が聞こえてくる。
私は部屋に忘れ物がないかを確かめ、部屋を出て階段を降りた。
「本当にもう行ってしまうのかい?」
一階のエントランスには、ホワイトとセレネ、そして私の祖母であるヴァルブルガと、ブラック家に仕える屋敷しもべのクリーチャーの姿がある。
「何よ、寂しいならついてくればいいでしょ」
「こんなおいぼれが若い娘三人の旅についていってどうすんだい。わたしはこの屋敷でクリーチャーと静かに暮らすよ」
若い……まあ、若いのか。
ホワイトは月での時間を含めなければ今年で二十一歳。
私が十八歳で、私の母親のセレネに至っては作られてから十年……つまり十歳だ。
なんというか、ホワイトが二十代前半に見えないのは今更だが、母親であるセレネが自分より歳下というのはかなり違和感がある。
「でもおばあちゃん、本当にいいの? ホワイトのやつ記憶を消す気満々だよ?」
私が尋ねると、ヴァルブルガはカラカラと笑った。
「私の方から頼もうと思ってたところさ。こんな危ない記憶、残しておくわけにはいかない。忘れちまった方がいいんだよ」
「そう。まあそれがいいでしょうね」
ホワイトは躊躇のかけらもなく杖を抜き放つ。
私は大慌てでヴァルブルガとハグをすると、そっと離れた。
「孫の顔を見れるとは思ってもみなかった。しかも闇の帝王との子を。こんなに名誉なことはない。それだけで満足さね」
「よかったわね。じゃ」
ホワイトはヴァルブルガの頭に杖を突きつけ、忘却呪文をかける。
ヴァルブルガはふっと意識を手放し、そのまま後ろへ倒れた。
「おっと」
それをセレネが抱き止め、ゆっくり床へ寝かせる。
ホワイトは今度はクリーチャーへと杖を向けた。
「というわけだから、お母さんのこと頼んだわよ」
「勿論でございますとも」
クリーチャーは顔をしわくちゃにして笑うと、深々とお辞儀をする。
私はふと思いつき、首から掛けていた父の形見であり分霊箱でもあるスリザリンのロケットをクリーチャーに手渡した。
「これ、預けとくわ」
「そんなお嬢様、よろしいので?」
「勢いで取りに行っちゃったけど、よく考えたら私が持ってたらまずいもの」
「まあ、そうね。魂のカケラ同士をあまり遠ざけるべきではないわ」
クリーチャーはロケットを恭しく受け取り、そっと首から掛ける。
ホワイトは別れは済んだと言わんばかりにクリーチャーに杖を向け、忘却呪文を掛けた。
「さて、これで準備は済んだ。今度こそ行くわよ」
ホワイトは意識を失っているヴァルブルガとクリーチャーには目もくれず、玄関の扉を開け放つ。
私は倒れ込んだクリーチャーを壁にもたれ掛からせると、ホワイトとセレネのそばへと駆けた。
「まずはどこへ行きます?」
「とりあえず竹取物語の舞台である日本かしら」
「でも千年以上前の作品ですよね? 流石に移動してるんじゃ……」
「いなかったら、他の場所へ。見つかるまで探せばいいのよ」
私たち三人は玄関から外に出ると、横並びになって通りを進む。
「何せ、三人とも寿命だけは無限にあるんだし」
「まあ、そうですね」
私はホワイトとセレネの間に入り、どちらとも手を繋ぐ。
そして、この世界の時間を停止させた。
二○○四年、九月二十七日。永夜異変の夜。
幻想郷、迷いの竹林内にひっそりと佇む永遠亭にて。
ついにこの屋敷にまで侵入者が現れた。
輝夜を奥の部屋に隠した私は、月の都から唯一持ち込んだ弓を片手に屋敷の中を駆ける。
廊下を少し進むと、地上で新しく出来た玉兎の弟子、鈴仙・優曇華院・イナバが侵入者と対峙していた。
「月の異変? ……この術によく気が付いたわね。地上に這いつくばって生きるだけの穢き民のくせにね」
「生憎、空に月と星しか見たことが無い汚れた生き物なんでねぇ。月に変化があれば嫌でもわかる」
「お嬢様は夜型、ですものねぇ」
侵入者は二人。
一人は明らかに吸血鬼といった風体の少女だ。
髪は青く、背中には蝙蝠のような羽が生えている。
そして、もう一人は鈴仙の背中に隠れて顔は見えないが、服装から察するに吸血鬼に仕えるメイドのようだった。
「さっさと地上に満月を戻すのよ」
吸血鬼は魔力を撒き散らしながら鈴仙を威嚇する。
鈴仙は震える手を握りしめ、絞り出すように言った。
「まだ、術を解くわけに行かないの」
そろそろ助け舟を出すべきだろう。
私は廊下の陰から姿を現す。
そして、大きく肩を竦めながら侵入者に近づいた。
「あら、お迎えかと思ったら、ただの迷い妖怪? まあ、お迎えが来れる筈がないけど」
「誰?」
「あら、人に名前を尋ねる時はまずは自分から名乗りなさいと教わらなかった?」
メイドの問いに私は飄々と答える。
それもそうね、と吸血鬼はメイドの背中をバンと叩いた。
「よし咲夜! 一発名乗りを上げて奴の名前を聞き出しなさい!」
「かしこまりました。お嬢様」
吸血鬼に指示されたメイドは、恭しく頭を下げる。
そして、予想外の名前を口にした。
「ご機嫌よう黒幕様。私の名前は十六夜咲夜です」
「『十六夜』咲夜……ですって!?」
かつての弟子の名字を名乗ったメイドは、かつての弟子とよく似た白い髪を揺らしてニコリと微笑んだ。
P.S.彼女の世界は硬く冷たいのか? 完
ここまでご愛読ありがとうございました。作者のへっくすん165e83です。今作は『P.S.』とついている通り、『私の世界は硬く冷たい』のif作品ではなく、追記する作品となってます。ようは前日譚。と言いつつも、前作を書いたのが随分昔ですので、矛盾点等も発生してしまっている可能性も。何かおかしな箇所があったら「へっくすんこの設定完全に忘れてる。馬鹿だなぁ」ぐらいに思っておいてください。
一年ぐらいで終わらせる気満々だった作品が、蓋を開けてみれば四年半。いや、かかりすぎだろうと。『私の世界は硬く冷たい』なんて3ヶ月掛かってないですからね。むしろ当時の私はどれだけ暇だったんだって話ですが。何にしても今作も無事完結できて何よりです。
さて、ここから先は蛇足。予想される質問に先に答えておこうと思います。
時間遡行前の世界
Q.結局孤児院を襲った犯人って?
A. ホワイトがサクヤに語ったことがほぼ真実で、孤児院の人間を皆殺しにしたのはサクヤです。
Q. サクヤがホグワーツで見つけた隠し部屋、及びそこに落ちてた玉兎の髪の正体って?
A. 『月の薬師は魔法使いの夢を見るか?』に答えがあります。
Q.レミリアとパチュリーは本当に魔法省で死んだの?
A. 死んでません。死んだように見せかけ、当初の計画通りコソコソとイギリスから逃走しました。
Q. ホワイトは最後どうなったの?
A. フランドールに魂を破壊され、完全に消滅しました。
Q. ファニーはどうなったの?
A. ホワイトと対決し、転移魔法を喰らって現在幻想郷を彷徨っています。
時間遡行後(私の世界は硬く冷たいの世界線)
Q. あの後三人はどうなったの?
A. 蓬莱の薬を飲み不老不死となった三人は、ホワイトの師匠である八意永琳を探しに旅立ちました。
その他疑問がありましたら、感想にて質問頂けたら可能な限り答えたいと思います。四年以上の長きに渡るお付き合い、本当にありがとうございました。
P.S. この作品の文字数は?