「彼女ね、ナタリア・カミンスキーって名乗ったの。随分と若かったわよ」
———なんて言った凛の言葉に一瞬、硬直した。
オレは一度立ち上がってから、もう一度ソファに座り直し、腕を組みながら、唇を舐めていた。
続く「どうかした?」と言う凛の声で顔を上げる。
「なんでもない」と言った瞬間、オレは自分の失敗に気づいた。凛の雰囲気が変化したのだ。
こう、機嫌が悪くなった。
「———何か言いなさいよ、式。
何? 孤高を気取ってる訳なの?」
若干、体を引いた凛は、少し首を揺らしている。
一拍おいてからオレは、吐息と共に事実を吐いた。
「……衛宮のこと、考えてた」
「知ってるわよそんな事は。そればっかりだもの。
大体貴女、衛宮くんに関係ない事なら全部スルーするでしょうに」
腕を組んで顎を上げた凛を、オレはローテーブルの向こうから見る。
———凛の見解の通り、今のオレの懸念事項は、全部衛宮に集約されていると言っても過言ではない。
この世界に飛ばされた事で、アイツが自首するまでの工程が一つ増えたことになる。それはいい。
でも、死んでほしい訳じゃないのだ。
「———ほらまた考えてる」と、凛の声が割り込んできた。
「要はアレでしょ? 式は衛宮くんが好きだけど、衛宮くんには貴女よりも大切な人がいて、その娘に衛宮くんが取られるのが嫌で焦っていたら———今度は桜まで参戦してきた」
顔を上げたオレは、目を覗き込んでくる凛の、翠の瞳に出くわした。
「話してみなさいよ、ほら。桜の事はどう思ってるワケ? やっぱり嫉妬してる? それとも———」
「してない」
オレは、凛の言葉を遮って、目を瞑って声を張る。
「してないけど……結論だけは、間違ってない」
そこに至るまでの過程、嫉妬云々に関しては全くもって掠ってもないけれど———頭によぎった結論だけは、殆どいい当てられていた。
顔を背けて右を向く。
「ただ、間桐のくだりは全然違うぜ。嫉妬なんかしていないし、遠ざけようとも思ってない。むしろ間桐が———」
口を閉じて、言葉を切った。
そうだ間桐だ。
たぶん間桐が、衛宮を切り崩すカギだ。
———衛宮はどうして、行くと言っていた聖杯大戦に行かないことを決めたのだろうか。
それは、衛宮が何らかの“情報”を手に入れたからだろう。その“情報”は知識じゃないかもしれない。間桐の視線とか、息遣いとか言葉とか、そういうモノも“情報”という名で呼ぶのなら、そう。
『何らかの情報が衛宮にインプットされたから意見が変わった』と強引に考えていい。
ならさっきの衛宮は、間桐の表情に何を見たのか。……それとも、あの瞬間に、何かを推理したのだろうか。
衛宮ならこんな時どう考えるのか、なんて……。
そんな事をずっと考えていたオレは、まさに。その瞬間に閃いたのだ。
衛宮の推理と、その先の———未来にある、ほんの僅かな可能性に。
……もしも。
もしも今思い浮かんだ可能性が正しかった場合、衛宮はやっぱり、聖杯大戦に行くだろう。
それは衛宮が誘導するから———ではないと思う。押しに弱い衛宮のことだ。仮に間桐に押されれば、意見を変えてしまうだろう。
暫くして立ち上がり、テーブルを迂回して凛の後ろの扉に向かって歩き出す。ドアノブに手をかけたところで、オレの後ろから声がかかった。
「ねぇ式。どこに行くの?」
「ルーマニア」
「———この世界はApocryphaだって、そう言いたいのね?」
オレは黙って、凛の次の言葉を待った。
「……私ね、誰にも死んでほしくないのよ。苦しんでほしくもない。
だからね、式。聖杯戦争なんて参加しなくても———」
「参加しなくても、衛宮はきっと止まらない。だって、アイツには時間がないんだ。
アイツの想い人はあと一年しか保たないらしいし。それまでに帰れる手段なんて……そんなのはもう、たった一つしか残ってない」
凛をリビングに置き去りにして、ノブを回して扉を開ける。
階段ホールに出て、左を向いた。
丁度、中庭に背を向ける格好になったオレは、真っ直ぐに続く廊下を突っ切って、進む。
突き当たりを向いて右側、そこにあるドアを三度ノックして、返事を待ってからドアノブを握った。
“カチッ”というラッチ音と共にドアが開く。
カーペットの上を無音で滑る扉から顔を上げると、部屋の真ん中に二つ、人影があった。
二人は、中央のローテーブルを左右から挟んで座っている。その両方が、お互いに向かい合って配置されたソファに腰掛けていて、左側が時臣、右側に銀髪の女性。
銀髪のショート、白いノースリーブ、ハイウエストの黒いパンツ。
オレの存在を感知しても顔は動かさず、眼球だけをこっちに向けた。
そんな女を、見返した。
「おまえが、ナタリア・カミンスキーか?」
「なら、そういうお前は何者だ?」
「両儀式———ただの殺人鬼だ」
ナタリアの目が細まった。
僅かに漂う殺気を見て確信する。コイツは昨日、オレを山から見ていた奴だ。
———と、時臣から「両儀式」と声がかかった。
「退がりなさい、両儀式。客人がいると知っているなら……君が、ここに来るべきではない事くらい、容易に想像できると思うが」
「なに、大した事じゃない。おまえの言いつけ通り、情報を見つけたから知らせに来たんだ。
———大聖杯はルーマニアにある事。そう遠くない未来に聖杯大戦が決行される事。
間桐臓硯は、その準備のためにこの屋敷を使っていた事」
時臣の視線が鋭くなった。
「———両儀式。それを何故、この場で口にした」
「情報の伝達は早い方が都合が良い。それに帰る方法が見つかったんだ。おまえが第二魔法を会得するより現実的な方法が———」
「ナタリア嬢を接しているのが見えないのかい?
即座に、退がり給え」
時臣から目を逸らし、ナタリアを一瞥する。
「……じゃあな」
反転し、肩越しに手の甲を見せて、後ろ手にドアを閉める。
そうしてオレは、リビングに足を向けた。
◇ ◇ ◇
革ジャンを羽織って、ポケットに手を突っ込んで、遠坂邸の正門の側で突っ立っていると、目当ての女が外に出てきた。
その場所は、背の高さの二倍ほどある石柱の間にある、車線一つ分くらいの幅の鉄製の格子門。それを押し開けて出てきた女、向こうの世界で見たビジュアルと同じ、ナタリア・カミンスキーだ。
ナタリアはオレをチラッとだけ見て、また、歩き出した。
「———なぁ魔術師」
声をかける。
「無駄足を、踏ませたな」
声は聞こえたのだろう。立ち止まり、でも振り向かなかった。
黒いコートのポケットからタバコを取り出すと、口に当てて火をつける。1分か2分か……オレが見ている間、ずっとそれを咥え続ける。結局一度も体勢を変えずに、オレに背中を見せたままのナタリアは、口を開いた。
「仕事柄、“不幸だなんだ”は沢山見てきた。町一つが廃墟になってたこともあった……。
まあ、お前さんが気にすることじゃあない。死体の山に出迎えられるよりは何倍もマシだ」
「———凄いな、おまえ」
赤の他人の生存を喜ぶ精神性が———ではない。ナタリアの設定ならオレだって知っている。アレだけの人を殺して、アレだけの死を目の当たりにして……“死”というモノを見てきたヤツが、普通に目の前にいることに。
———擦り切れるというか、アカギれるというか……。人を殺し続けた人間は、そうでない人間とは違う価値観を持っている。当然だろう。そうでなければ、目の前の死に自分の心が耐えきれない。
だから、そう。ナタリアが普通であることこそが、凄まじい意志の現れだった。
オレはゆっくりと、彼女を追いかけた。でも、ナタリアは動かなかった。
そこは十字路になってはいたが、信号機も歩道もなく、車が通る気配もない。
十字路の真ん中に立っているナタリアは、オレが左手に立ち止まるのを横目に、口を窄めて煙を吐いた。
「聞いたよ、というか吐かせた。“死を見る魔眼”だってね。
———私の仕事は、間桐臓硯の抹殺だった。当然、依頼主から対象のデータも貰ってる。臓硯は第八秘蹟の洗礼詠唱からすら生き延びた魔術師だったのさ。だから私は、真っ当な手段での殺害は不可能だと踏んでいた」
何が言いたいのか、とオレは一瞬思い悩んで———結局、ナタリアの言葉を待つことにした。
顔を正面に向けたまま目線だけを右に飛ばして、銀の髪の毛を視界に捉える。ナタリアは、右手に持ったタバコの火を、ボンヤリと見つめていた。
「“死を見つめる瞳”というのがどういうものか、私には分からんが…………。その視界が愉快でない事くらいは察せる。
私の生きる現実よりもお前さんの見る世界の方が、余程の物に見えるがね」
「……そういえば凛も、そんな事言っていたな。『それで心は平気なの? 死にたくなったら言いなさい』とか何とか」
「その推察は正しい。人間というのは皆、死から目を背けながら生きている。
———この世界には“死ぬのが怖い人間”と“そうでない人間”がいるがな。前者は死という現象から逃げている奴、後者は死という現象を見ていない奴だ。これは良し悪しではなく、人間の衝動として分類される。
よって、この二者間には断絶があるんだ。決して理解できない認識の溝がな」
ナタリアはタバコの端を弾き、灰を落として一度吸う。
燻る煙を眺めてオレは、相槌を打つことにした。
「ようは、吹っ切れるかどうかの差だろ?
出来ないヤツは出来ないままだし———出来るヤツは、いつの間にか出来ちまう」
「そうだ。だがお前のは違うだろう? 両儀式。お前の眼は、“逃げる事”も“見ない事”も許さない。にも関わらず、まだ生きている。
———そうら。お前さんの現状の方が、私より余程悪いだろうに」
「そりゃ見立て違いだ。
オレがこの眼になった時、眼球を潰そうと思わなかったのは———単にマシになったからだよ。
オレの眼はね、“いつか来る未来の死”を確定させて具現する。でもな、この眼はバロールの魔眼じゃないから、触れる事でしか殺せない。直死の魔眼を手に入れてやっと、オレは、手の届く範囲しか殺せなくなった」
ナタリアは固まっている。
右手の指でタバコを挟んだまま、それを口元に持っていったまま、咥えることもせずオレの顔を凝視していた。
オレは丁度、道の向こうに衛宮の姿を見た事もあって、少しばかり気分が良かった。
「衛宮と逢ったのも大きいと思う。アイツの観察眼、考え方は、オレにとって天敵だからさ」
「……ああ、右側を歩いている男がそうか。
それも聞いたよ。ゾォルケンに囚われていた姫と、それを救ったヒーローか」
隣にいるナタリアは、さっきまでのオレと同じく、道の向こうを見つめている。
オレもまた、ナタリアに倣った。
「……衛宮のヤツ。元の世界に、どうしても帰らなくてはいけないらしい」
「亜種聖杯戦争は全滅がデフォルトだ。生き残るだけで奇跡といえる。やめておけ———と、言えば止まるか?」
「無理。全部分かっていて、それでも尚止まらなかった」
道の向こう、衛宮と間桐の人影が見える。後ろから夕日に照らされて、影法師が長く、その影を落としていた。
ナタリアは携帯灰皿を胸ポケットから引き抜くと、右手のタバコをそこに突っ込む。
オレの「ルーマニアまで連れて行ってくれない?」という問いかけに、「寝覚めが悪くなるのは御免なんだが……」と前置きした上で「高くつくぞ」と返ってきた。
「なら、オレの両眼をくれてやる」
という申し出には即答でNOが返ってくる。曰く、「余計な物は取り込まないようにしている」んだとか。
「その魔眼、抉り出したくらいじゃ死の線は消えない。お前には無いとは思うが———万が一解放されたいと思っていても、その手段は勧めんよ。
それにお前さん、あの小僧に付いて行こうとしているんだろう?
ならば辞めておけ。神秘に対して切り札となり得るその魔眼は、聖杯戦争において有用だ」
「……だったら“借り”だな」
ナタリアより一歩、前に出る。
遥か遠く———正面にいる衛宮と間桐は、オレたちには気づいてない。
「明日迎えにきてやろう」という言葉を聞いて。二本目に火を付けるライターの音を聞いて、オレは一度だけ立ち止まる。
「死にたくなったら殺してやるよ。
———おまえ、ガワと中身が別物だろう。いや、存在と理想が別物か。
どっちでもいいけど、こっちには借りができたんだ。
まあ……この世界にいるうちはな」
ナタリアを無視して歩き出す。
それから、直死の魔眼を閉じた。
……遠坂邸で衛宮が推理するまで、オレは間桐の違和感を流していたから。その時の教訓も兼ねて、今回は初っ端からから“眼”を使ってみた。そしたらコレだ。
後ろの女性は、表層と深層でそれぞれに一人ずつ、二人が合体して一つの存在を形作っている。Fate/zeroの設定でそんなのはなかった筈だから、この世界だけの異常だろう。何やらややこしい存在だけど、それは衛宮に丸投げしようと思った。
———『衛宮に付いて行く』というオレの提案を、衛宮は却下出来ない筈だ。そういう風に話の流れを持っていくから。
衛宮はどうしてオレを遠ざけようとしたのか、その見当は付いている。それを突きつけてやれば言い逃れはできなくなる。
———切り崩す鍵は、間桐桜だ。
衛宮が気づいて片手を上げた。
オレから見て衛宮の左、衛宮の右手側にいる間桐は、笑顔一転、衛宮の変化からオレに気づいて正面を向いた時には、もう口元から力が抜けていて、ものの一瞬で真顔だった。
「よう」と、右手を上げる。
「おまえを、口説きに来たんだ」
衛宮は、立ち止まる。
間隔は4メートルほど、お互いに手を伸ばしても届かない距離。何拍か間をとってから、衛宮はゆっくりと言葉を置いた。
「“口説く”ってのはつまり、『両儀も聖杯大戦について行きたい』って意味だよな」
「ああ、“脚”はもう用意した。後はおまえたちが乗るだけだぜ」
———と、そこで。外野から声がかかった。まあ、分かっていた事だが。
間桐は一歩だけ前に出て、衛宮を、自分の体で半分隠す。少しだけ、前のめりになっていた。
「両儀さんには関係のない事なんじゃないですか?」
「まさか、“ない”筈はないだろ。聖杯大戦に勝利するってことは、オレたちが元の世界に強制送還されるってことだ。自分の居場所が変わるんだぞ?」
「そうじゃありません。両儀さんは自首させたくないんですよね? それなら、付いてきてどうするつもりですかっ。意地悪するなら帰って下さい」
「それこそ真逆だ。
———オレはねぇ間桐、衛宮と同盟を組みに来たんだ。
衛宮に自首して欲しくないのは本心だけど、死なれるのも寝覚が悪い。それにオレの協力が有れば、衛宮は危ない橋を一つ、渡らずにすむ。
黒の陣営に不和を起こすのも面倒だろう。だからオレが口説きに来たんだ」
首を少し右に傾げる。間桐の奥の、衛宮を見つめた。
「上手く間桐を取り込んだようだけど、そっちがおまえの本命か?」
衛宮は顔を背け、少し俯いた。
「いや……俺はそこまでじゃない———筈だ。でも———」
「『間桐は説得できなかった』……か」
まるでおまえと一緒だな、と思う。衛宮だって、今のオレでは止まらないから。
左足を一歩引く。右半身の半身になって近寄って、衛宮の、左の袖を掴んでやった。
「オレが“飛車の役”をやってやる。龍になって暴れてやるよ。それでおまえは俄然動きやすくなるし、なんなら“それ”だけでも———盤面を詰みまで持っていけるんじゃないか? おまえなら」
驚いて飛び上がった間桐から引き離すように、衛宮の左手をグッと引き込む。そのまま後ろに歩きながら、衛宮の反応を伺った。
……どうにか、勢いで誤魔化されてくれたようだった。
先のオレの言葉で一瞬、衛宮が暗い顔をした。オレが犠牲になることに躊躇があるようだった。
オレや間桐のことなんてサクッと使い捨てればいいのに、と思う。同時に、そんな男ならここまで付いて来てないとも、思った。
不意に衛宮の体が固まる。見ると、オレが握っているのとは逆の手を、衛宮の右手を、間桐が掴んでいるのが見えた。
「せんぱいを、取らないで下さい」
俯いたまま、間桐が喋った。
オレは咄嗟に手を離した。
フリーになった左手で、衛宮は、間桐の髪の毛を鋤いていく。
オレは、その光景に目を見張った。
「驚いた。おまえ、そこまで……」
オレの声は、結局誰にも届かなかった。
◇ ◇ ◇
———日が沈む。
遠坂邸の一階のテラスに踏み出したオレは、向かって前方左手に———つまり南東の方角に、一番星を発見した。
「……木星か?」というオレの呟きは、目の前で座る女にあたった。
後ろで、扉が閉まる音。
微かに擦過音がして、木製の丸椅子に座っていた女が一人、薄紫の髪を揺らして、振り向いた。
「よう———来てやったぜ。間桐」
夜の風で着物がはためく。袖が、バタバタと音を鳴らした。
立ち上がり、オレと向き合った間桐。右手で、左腕の肘を押さえていた。
「両儀さんはどうして……先輩について行こうとするんですか?」
「アイツに勝つため」
「『先輩に勝つ』って、そんなこと———」
「そんな事のためにオレは、“眼”を使わずに衛宮に読み勝つ。直死の魔眼で衛宮の推理を殺すんじゃなくて、オレ自身の思考能力で衛宮の推理を上回る。
だって……アイツは考えに考えてから動くタイプだ。
アイツが行動に起こす時には、既に覚悟は決まってる。先の展開を読み切った上で、今のアイツは選択するんだ。
———だから、アイツの意見を変えたいのなら、その方法は二つしかない。
アイツの優先順位を書き換えるか、アイツの見ている世界と同じに———未来に立って提案するか」
今までオレの目を見ていた間桐は、顔を俯かせ、一歩退がった。
「そんなの……できる訳ないじゃないですか。両儀さんは先輩と違って———殺人事件の時だって、何もできなかったんですから」
「ああ、おまえが正しい。オレにそんな推理力は無いんだ。
でも今回だけは特別だった。なんたって、オレたちは未来から来たんだからな。聖杯大戦において、オレたちはズルができる。
……それに衛宮は非力だし、取れる手段も限られてるし。衛宮が使える数少ない手札の中から、“どれを切るのか”を推測するのは、まぁ———オレの頭でもなんとかなった」
間桐は弱々しい声で「できません」と口にする。
オレは何も返さなかった。別にマウントを取りに来た訳ではないのだと、目を閉じてから振り返り、家に入るためノブを握った。
「———証明して下さい」
後ろから、間桐の声。
「そんなに言うなら、先輩がどうやって聖杯大戦を勝つつもりなのか———言い当てて下さい。
わたし先輩から聞いてるんです。その時に『先輩はすごいな』って思ったんです。わたしは、“先輩の一番”になるんです。先輩を諦めた両儀さんなんかには負けませんから」
向き直って間桐を見た。
左の肘をギュッと握りしめたまま、オレを睨む女が一人、そこにいた。
コイツは、衛宮の優先順位を書き換えることで戦うつもりだ。オレとは違う、もう一つの戦略を選んだ。
ならオレは———
「いいぜ。お互いの立場は、ハッキリさせておかないと……な」
オレは衛宮の敵となる。
その第一歩として……ここで、衛宮と同じ視座を得なければならない。
———ならば、
立ち上がった間桐の目の前まで進む。左手で丸テーブルの天板を確かめる。そこに、尻を乗っけた。
都合、オレの左手にいる間桐に目を流し、正面に視線を移した。
「オレも衛宮も、聖杯大戦で召喚されるサーヴァントを全て知っている。聖杯戦争において『最も隠されるべき秘密』を、オレたちは最初から知ってるんだ」
———そう、聖杯戦争では真名を隠すのがセオリーだ。でもオレたちは知っている。
つまり、数ある“亜種聖杯戦争の総て”と比較しても、今回の聖杯大戦は“最も勝率の高い戦い”だと断言できる。
この情報を、衛宮が利用しない訳はない。
「それぞれの陣営で組み立てられた戦略がどういうものか、考えた。
衛宮ならたぶん、そうすると思ったから」
———まず前提条件として、ダーニックは大聖杯を強奪した。そしてミレニア城塞に配置することで『赤の陣営は攻め込まないと勝てない』という状況を作った。
勿論、最初からそういう目的で大聖杯を配置した訳ではないと思うが、それでも、聖杯大戦という形式では、この情報はとても大事になってくる。
「考えてもみろよ、間桐。大聖杯がミレニア城塞の中にあるというだけで、赤の陣営から“籠城し続けるという選択肢”を奪うことができる。
景品が敵陣地のど真ん中にあるんだぜ。赤の陣営はそれだけで、ミレニア城塞に攻め込む以外の選択肢を奪われている」
視線を左に、つまり間桐を伺う。コイツの目は真っ直ぐ前を、屋敷を、ぼんやりと眺めていた。
「その前提条件の上で、赤の陣営の戦略は『セミラミスの宝具で自陣ごと乗り込む』こと。
黒の陣営に、トゥリファスでの戦闘を強制させられているというのなら、自陣ごと乗り込んでやろうという発想だろ?」
———対する黒の戦略、これは基本的には迎撃メインになるだろう。でも、オレたちの知識の中で、黒の戦略は軒並み失敗していた。
だから『本来の戦略はどうだったのか』を、衛宮ならまず把握するんじゃないかと考えた。
「黒のサーヴァントの中で、事前召喚されたのは二騎だけだ。だから戦略の要も、その二騎だと仮定する。
———ランサーのヴラド三世と、キャスターのアヴィケブロン。
『この二騎以外は誰でも良い』という前提の上で考えられる戦略の可能性は、殆どなかった」
だからオレでも、衛宮の真似事ができたんだ。と喋りつつ、間桐の反応に安堵した。
———気もそぞろだった間桐の顔が、オレに固定されている。
どうやら、大筋は外していないらしい。
腕を組んで、着物の袖の中に手を入れて、反対の腕を軽く摩って。息を深く吸い込んだ。
「戦いは、いかに相手の選択肢を削れるかで決まる。
オレが見つけた、赤の陣営の選択肢を最も限定出来る一手は、アヴィケブロンの宝具を赤の陣営の本拠地に向かって突っ込ませる事だ。
そうすれば、赤の陣営の次の一手をたった一つに限定できる」
———シギショアラ付近にあったとされる、赤の本拠地。そこに向かって王冠:叡智の光が突っ込んでくる状況を想像してほしい。
赤のマスターには、どんな選択肢があるだろうか。
『戦闘能力の高いサーヴァントに総出で迎撃させ、マスターたちは逃げる』———たぶん、この選択肢以外は存在しない。
だってこの時点で……赤のマスターには『王冠:叡智の光を倒す』という選択肢は存在しない。
その瞬間の黒の戦力は、七騎のサーヴァント+王冠:叡智の光だ。つまり、叡智の光に当てるサーヴァントが増えれば増える程不利になる。
原作の描写から、叡智の光は一騎や二騎のサーヴァントで倒せるような宝具じゃないことは理解できる。だから仮に、『三騎以上のサーヴァントを叡智の光に当てた』と考えてみた。
———黒のマスターの視点でこの状況を眺めると、どう見えるか。
目の前には叡智の光退治に駆り出された三騎以上のサーヴァント、その向こうには赤の本拠地と四騎以下のサーヴァント。
自分たち黒の陣営には、サーヴァントがまだ七騎いる。
———つまり、戦争における常道。『勝てる戦力を用意してから、相手の逃げ道を塞いでぶん殴る』
……実際には、赤の陣営も決戦兵器たる“虚栄の空中庭園”を用意していた訳だが、普通はそんなの分からない。
赤の陣営の応じ手から『正面突破』の可能性を排除できる王冠:叡智の光は、戦略的には非常に使いやすい宝具といえた。
体を一瞬、ブルッと震わせた間桐は、自分の肩を抱きしめた。
「……でも、それだけで『限定だ』なんて言わないでください。
正面から迎え撃つこと以外にも、選択肢なんていっぱいあります」
「無いよ、間桐。
もしもそんな状況が完成すれば、赤の陣営は『主力サーヴァントで遅滞戦闘をこなしつつ、マスターたちは陣地を捨てて逃亡』以外の全ての選択肢を奪われる筈だぜ。
それ以外の選択肢を取れば、諸共瓦解するんだから」
赤の陣営の次の一手が『奇襲』だとしよう。
アキレウスやカルナのような強力なサーヴァントで王冠:叡智の光を足止めしている間に、ミレニア城塞に攻め込んで大聖杯を奪取する。
———そのためのヴラド三世だ。領土を守った逸話を持つヴラド三世は、ことミレニア城塞を守ることにかけては最高のサーヴァントだろう。
そうなれば、黒の陣営のアサシンやアーチャーなどで赤の本陣に“カウンターのカウンター”を仕掛けられる。
ならどうする? 返り討ちはまず不可能、逃亡は絶望的。だったら、“籠城”するか。
『防御に定評のあるサーヴァントを使って籠城した場合』はどうなるか考える。
ジャンヌ・ダルクが赤に加担したとしてどうにかなるだろうか?
———戦場はルーマニアだ。
ユグドミレニアが赤の陣営の兵站を潰せば、いつかは出てこざるを得なくなる。
それに何より、王冠:叡智の光がいる。籠城している奴らを、上から潰せる宝具がある。
叡智の光相手に、籠城は最悪の選択肢だろう。赤のサーヴァントは、マスターが巻き込まれるからデカい宝具を放てないのに、向こうはガンガン攻撃できるのだから。
———だったら、『逃亡』するか?
戦況を仕切り直すために、居場所がバレたマスターたちは隠さなくてはいけない。
聖杯戦争において最も簡単な決着がマスター殺しである以上、それは至上命題の筈だ。
オレを睨みつける間桐を見返しながら、「ユグドミレニアがこの状況に持っていくにも条件がある」と付け加えた。
「つまり、王冠:叡智の光が最初から参戦していたらダメなんだ。
赤のマスターたちが叡智の光を初めて見た瞬間から『ずっと本拠地に向かって進撃し続けている』という状況を作る必要がある。
そうして始めて、趨勢を決することができる。
———だから、そのために必要な条件は二つ。
まず、赤の陣営が本格的な攻勢に出る前に赤の本拠地を見つけておくこと。
そして叡智の光を、前もって起動させておくこと」
「———それが」
間桐は両手を強く握って、オレを睨みつけてきた。
「それが何ですか? 今のは“先輩の戦略”じゃありません。それは“ユグドミレニアの戦略”ですよね?
わたしは両儀さんに“先輩の戦略”を聴いたんです。『両儀さんは先輩と同じものが見える』って言うなら、“先輩の戦略”を言わなきゃダメです。だって先輩は、わたしに戦略を教えてくれたんですから」
オレは、一度目を閉じた。
……この推測で、本当に大丈夫だろうか。
聖杯大戦が他の聖杯戦争と大きく違うところは、“大聖杯に願うところ”だ。原作の描写では、魔力が続くなら一度ならず願いを叶えて貰っていた。大聖杯はユスティーツァの魔術回路からできているから、原理的には不可能ではないし……。
つまり聖杯大戦に関していえば、勝者が一人である必要はない。
そして衛宮の願いが叶えば、この世界から衛宮は消える。大聖杯はその場に残る。
ならば相手に、『一番最初に衛宮の願いを叶えさせろ。さもないと敵対陣営に大聖杯を持っていくぞ』と迫ることさえ出来るなら、ほぼ確実に、願いを叶えるところまで持っていける筈だ。
「———そのためには、交渉を持ちかける相手は選ばないとな。
何としても願いを叶えたい天草四郎よりも、箔付けと魔術協会への牽制のために聖杯大戦を仕掛けたユグドミレニアの方がいい。
なら、ユグドミレニアには勝ちかけてもらう必要があって、でも勝ち切ってしまってはいけない。
そして何より、いざとなれば大聖杯を引っこ抜いて脅さなければいけないなら…………。
もう、方法は一つしかない」
———王冠:叡智の光の、命令権を手に入れることだ。
或いは、そうと錯覚させられる状況を作り出すこと。
「間桐、おまえが全てを知っているって言うのなら、オレが衛宮に提案した事にこうも反応するのなら、答えはもう分かってるんだろ?
結局、おまえもオレと同じ事を考えてたんだ。
だから二人きりで呼び出したんだろ?」
丸テーブルから腰を上げて、間桐の前に立ち塞がった。
「代われよ、“叡智の光の炉心の役割”。
おまえは衛宮と一緒にいられる。オレは衛宮に勝負を挑める。結構、良い取引だと思うんだけど……」
———間桐の目を、オレはずっと見続けていた。
◇ ◇ ◇
オレが寝室に戻ると、衛宮はベッドに座っていた。
顔を上げた衛宮と視線が合うと、真っ先にオレから声をかけた。
「間桐のヤツからもぎ取ってきた。だからオレが炉心になる」
ベッドに座る衛宮の正面、窓際にあるアンティークデスクにもたれて、腕を組んで衛宮を見下ろす。
「これは独り言だけど」と前置きして、少し顔を上向かせ、淡々と言葉を放った。
「おまえ、ジークを炉心にするのに戸惑いがあったんだろ?」と。
「おまえはあの時、『自分の願いを叶える為にはジークを炉心にするように仕向ける必要がある』という事に行き着いたんだ。だから『やめる』と言い出した。
……でも、問い詰められると急にボロが出るおまえのことだ、オレが帰った後にでも、間桐に迫られてゲロったんだろ?
そのくらい、オレにだって分かる」
衛宮の頭頂、赤色のつむじを見つめるオレは、それに手を伸ばそうとして———やめた。
少し、項垂れたような衛宮から手を引っ込めて、手持ち無沙汰にぶらぶらさせる。
「間桐のヤツ、Apocrypha時空だとプロレスラーになってなかったか? というか第三次聖杯戦争の小聖杯って、確か天草のマスターだった筈だけど。よくあんなのから聖杯の欠片を盗めたもんだな。ゾォルケンは」
「多分、盗んだから殺し屋が送られてきたんだと思うんだよ」
衛宮はベッドに座った状態で、両膝に肘をのせて、両手を組み合わせて握ったまま、そこに額を押し付けた。
「俺が持ち出した資料には全部書いてあったんだ。
臓硯が、アインツベルンがどっちを召喚するかで迷ったっていう“アンリマユという英霊”について調べたこと。アヴェンジャーというクラスについて探ったこと。
もしも、『アインツベルンがアンリマユを召喚した平行世界で、自身の計画が成就していれば』桜は“アンリマユの殻”として境界記録帯に記録されている可能性がある事。
臓硯が大聖杯を取り戻す最後のチャンスである“トゥリファスの聖杯戦争”に間に合うように桜を調整する必要が出てきたこと。
そして、この世界の遠坂から土地を買い上げ、この遠坂邸に結界を張る計画とその詳細……」
額に当てた衛宮の両手は、まだ震えている。
「臓硯は桜の心を折るために、境界記録帯から“アンリマユになった後の桜の記憶”を、この世界の桜を依代に降霊させて、この屋敷の中で演じさせる。———そうだ。心が折れた桜の記憶を、この世界の桜に追体験させることで、桜を覚醒まで持っていこうとしていたらしい」
「そうか……」とだけ、オレは呟く。
———もし、天草四郎が、間桐家から聖杯戦争の情報を引き出す時にアンリマユの情報を渡さなければ、ゾォルケンは絶望のまま天草四郎にでも祓われて、……間桐はルヴィアと一緒にプロレスラーにでもなってたのだろうか、と頭をよぎった。
二度、ゆっくりと深呼吸する。
おそらく、ここが転換点だろう。踏み込んでしまえば戻れなくなる。
もう一度だけ息を吸って、オレは衛宮に問いかけた。
「なあエミヤー。オレがずっと言い続けてきたこと、覚えてる?」
衛宮が少しだけ顔を上げた。下から、覗き上げるように。
「どれのことだっけ……」
「……最初の日。始発電車で、オレが衛宮に言ったこと」
「ああ、『俺が犯人じゃないという事をバラすぞ』ってヤツか」
衛宮の返答に頷いて、唇を湿らせてから言葉を繋いだ。
「この状況、オレが一つ有利になったな。
おまえが自首するためには、先ず、元の世界に帰らないといけなくなった。
———オレはやっぱり、おまえが帰るのを阻止したい」
一瞬、衛宮の眉間にシワがよる。
それが、少しだけ嬉しかった。
「ゴーレムの炉心に立候補したのはそのためだ。
聖杯大戦が終わっても、おまえをあっちに帰れなくする。これはそのための一手なんだ。
おまえが、“帰るという願い”を叶えてもらえたらおまえの勝ち。そうでなかったらオレの勝ち」
オレは、自分の心臓から送られてくる熱い熱を吐き出して、衛宮に宣戦布告した。
「『あっちの世界に帰ったら敵だ』と言ったの、取りやめる。
少し早いけど———今日から敵だ」
衛宮は、叡智の光を最大限に使って、聖杯大戦に勝ちに行く。
オレは、叡智の光の炉心であることを使って、衛宮を世界に帰させない。
衛宮の顔を真っ直ぐに見て、オレは、綻んだ顔を隠さなかった。
「オレたちは“同乗者”。ただそれだけの関係だけど……衛宮。
———オレの駅で、降りてもらうぞ」