ラクダにまたがり砂漠を行く青年、マサオカ・トウヤは今絶体絶命の危機に陥っていた。
(なんてこった、コンパスの異常がここまでひどくなるなんて)
彼は業界ではそこそこ名の知れた探検家であり、今もまさに、「前時代の装備とラクダでサハラ砂漠を横断する」という挑戦をしていた。
「出だしはよかったんだがなあ」
地図とコンパスを頼りにオアシスを転々としながらゴールを目指す。初めの頃は現地民との交流に心を躍らせたり、静かな夜の風景に感動したりもしていたのだが、数日前の砂嵐を何とか切り抜けたあたりから、急におかしくなりだしたのだ。
磁気障害でも起きたのか、愛用していたコンパスが狂ったように回りだし、いつの間にやら地図もどこかに飛ばされていた。幸いなことにいちばん近いオアシスの距離と方角は思い出せたので、太陽の位置や星座を確認しながら進んでいたのだが、一向にたどり着く気配もない。
「前時代の装備を駆使する探検家」という肩書に自分自身おごっていたのか、と歯噛みした。普通は発信機なりなんなりで、直ぐに助けを呼ぶべきところだったのが、「自分なら大丈夫」という慢心が今の事態を引き起こしていることに、心底怒りを感じた。
自分を乗せてここまで歩いてきてくれたラクダにも、既に疲労の色が見えている。申し訳ないと思いながらも、ただ進むしかないこの状況では、心を鬼にして鞭を打つしかなかった。
食料もない、水もない、地図もない、それに加えてコンパスも当てにならない。三拍子どころか四拍子揃ったこの状況ではマサオカ青年の不安は弥が上にも加速していた。
奇跡が起きた、としかその時は思えなかった。歩き続けるうちに、前方に街が見えてきたのだ。
一人と一等は猛烈なスピードで街を目指した。それこそかのゾイガーすら上回るのではないかと錯覚するほどに。無我夢中に、我武者羅に走るマサオカ青年にはその時気づくことはできなかった。その町が放っていた妙な違和感に。
辿り着いた街はそれほど大きくはなく、そして不気味なほどに静かだった。この地方に特有の煉瓦で作られた幾多の建物には人間の気配が感じられず、既に人がすまなくなってから長い時間がたっているようだった。街の様子は気になるが、まずは井戸を探さなくてはならない、とマサオカ青年はラクダとともに、街の中を練り歩いた。
道から覗き込んだ家の中には既に砂が積もり始めている。やはりこの街が捨てられてからずいぶん時間がたっているのだろう、この分では水源の確保もむずかしいぞ、とマサオカは思った。
「や、やったぞ。ツイてる!」
それほど広くもない街の中心に井戸を見つけたマサオカは奇跡的に井戸が生きているらしいことを確認した。水をくみ上げた後残っていた鍋とバーナーを用いて蒸留し、一杯飲んだ後、水筒に詰めた。この時すでに記録をあきらめ、スポンサーから渡された発信機で救助を呼ぶことを決意していたマサオカ青年だったが、それでも救助隊がここを見つけるのに時間がかかることは容易に想像がついた。何せ自分がどこにいるのか説明すらできないのだ。幸いにしてこの街自体が目印になるだろうし、先方には自身の進路についての説明はしてあるのだから、何とか助かりはするだろうが、水を確保しておいて損はない。今は運よく機能しているらしい井戸もいつ壊れるか分かったものではないのだし。
砂の入り込んだ住居で少し休んだマサオカ青年は、滅入る気持ちを少しでも抑えようと、この街を探検することにした。特に何かがあるとは思えないが、しょせん気晴らしだし、もしかしたら以前の住民が残した保存食の類があるかもしれない、とも思ったのだ。
ラクダは用いずに、荷物を置いた住居の近くで止めておこうとした時、ラクダが奇妙な振る舞いをしていることに気付いた。何もないところだというのに酷く怯えているようなのだ。何をそんなに怯えているのかと訝しりながらとめておき、マサオカ青年は街に繰り出した。
結論から言えば、めぼしいものは何もなかったといえる。その街のかつての住民たちはパニックに陥ることなどなく、的確な準備の下で街を捨てたのだと感じられた。人の生活していた痕跡はどこにも見当たらない。環境問題が解決する以前の、砂漠化の影響で捨てざるを得なかった街なのだろうと結論付けると、マサオカは途端に興味をなくしてしまった。
もう先ほどの住居に戻ろうかと考えたマサオカは、突然眩暈を感じた。
日射病だろうか?
腰を下して汗を拭い、天を仰ぎみる。普段はこの星を照らしてくれている太陽が今は自分を焼き殺さんとばかりに照らしつけているようにも感じた。やはり自分は疲れている、これ以上は体力の消費をせずに、あの小屋でじっと待っていようと決めると、ふらふらした足取りで小屋へと向かった。
夜、毛布に包まり体勢で胎児のようなじっと体を休めていたマサオカは、奇妙な風を感じて目を開けた。
なんと言い表せばいいのか、ねっとりと自分に絡みつくようでいて、生暖かい、生理的な嫌悪感を催すようなそれは、微睡の中にあったマサオカの意識をあっという間に覚醒させた。
砂漠の夜は、昼間の暑さから手のひらを返すように寒いというのに、いったい何事なのか、その風はその街の中にだけ流れて行っているようだ。
恐ろしい。
マサオカは年甲斐もなく素直にそう思った。あるいは自分とラクダしかいないというこの環境がそうさせていたのかもしれないが、人間が年を取るにつれて失っていく素直に感情を表すという行為を、この時マサオカは行っていた。
まるで深層意識から湧き上がってくるような、太古から遺伝子に刻まれていたかのような恐怖を感じたマサオカは、どうしても原因を見なければならないという半ば以上に強迫観念に支配され、明かりひとつない夜の街に出た。昼と全く変わっていないはずの街並みに、慄然とした恐怖を感じたまま、マサオカは突き動かされるように足を動かした。
どのように進んできたのかはわからない。気が付けばマサオカは地下へと続くらしい階段の前に立っていた。見覚えはなかった。昼間の探索では見落としていたのかもしれない。奥に広がる真っ暗な空間を覗き込み、この先が自分の行くべき場所なのだと感じた。自分が正しい判断をしているのか、それとも何かに誘導されているのか。それすらもマサオカにはもう分らなかった。ただ、脳が発する命令のままに足を動かし、ゆっくりと階段を下りて行った。
そしてこれより後、マサオカ・トウヤを目撃したものはこの地球上にはいない。この事が事件としてが日本のスーパーガッツの下に届くまで、三週間の時を要した。
「シーン、これ処理しといてー」
「シン、コーヒー淹れてくれ」
「シン、これのレポートをまとめておいてくれ」
「シン、α号の強化案を開発部に渡してきてくれない?」
ゲシュタルト崩壊を起こしそうなほどに呼ばれる名前。全て僅か十分の間に言われたことだった。さんざん名前を呼ばれている少年、シン・アスカの現在の肩書は「ZAFTのスーパーエース」ではなく、「スーパーGUTSの研修隊員」である。つまり階級的には最も低く、それでなくとも今までスーパーGUTSで最も年齢の低かったミドリカワ・マイ隊員よりもかなり若いため、平時では当然のごとく雑用を押し付けられていた。
勘弁してくれよ、と思う。ここに来るまで彼が所属していたコロニー国家「プラント」ではコーディネーター技術の関係で、15歳からは成人として扱われていた。今の肩書は望んで得たものであり、仕事が多いのは仕方がないとも思うのだが、時々弟を見るような目で見られのは何とかならないものだろうか、特にマイ隊員。
元々兄という立場であったのにそのような扱いはむずがゆくて仕方ない。何とか反論しようとは思うのだが、結局のところせいぜい17年ぐらいしか生きていないがきんちょが、これまでに幾度の危機を乗り越えてきた歴戦の戦士を言い負かすのは不可能なのである。精神的な余裕が天と地ほども違うのだ。
しかし、心で仕方ないと割り切れていても結局シンの体は一つしかないわけで、従って雑用をうやむやにしてくれる任務の存在は不謹慎ながらもシンにとってはありがたい物なのだった。
「今回は救助任務だ。場所はアフリカ大陸のサハラ砂漠。三週間前に消息を絶った探検家のマサオカ・トウヤと彼の救助に向かった救助隊が忽然と消えてしまったらしい」
「ちょっと待ってください、隊長。どうしてアフリカの救助任務にわざわざ日本から俺たちが?」
疑問を投げたのはコウダ副隊長だったが、それは隊員全員に共通した疑問だった。スーパーガッツが所属する組織TPCは世界中に支部をもち、アフリカももちろん例外ではない。ただの、と言えば語弊があるが、論理的に考えて自分たちの出る場面であるとは思えなかった。
「それなんだがな、彼らの消息を絶った場所というのがどうやら“サルナスポイント”らしいのだ」
「サルナスポイントと言えばバミューダトライアングルやザリーナ地帯に並ぶミステリースポットじゃないですか!」
ナカジマの驚愕の中で出たミステリースポットとは、現代の科学では解明できない謎の力場を持つ地域のことである。TPCがこれまでに関わったミステリースポットで代表的なものは、かつてシルバゴンやガギ?が現れた獅子鼻樹海や、先ほど名前が出た、すべての計器を狂わせる異常な磁場を一帯に放っているザリーナ地帯などがあげられる。どちらとも一度はTPCの研究の手が及んだものの、当時の隊員が数時間にわたる原因不明の消失を起こしたため、安全の観点から厳重に警備するのにとどまっている。
「俺たちが駆り出される理由がわかったろう。スーパーガッツ、出動!」
「ラジャー!」
隊長であるヒビキと、マイ隊員を指令室に残し、一行はガッツイーグルで現場に向かった。その際イーグルには厳重な電磁バリアーを施し、力場の対策には余念がなかった。
(なんだ?)
目標地点に到達したシンは体の奥底を揺さぶるような波動を感じた。謎の現象に戸惑い周囲を見渡すが、見た感じただの廃墟であり、全くの無人であるということ以外に異常な感じは見受けられない。
「どうした、シン。顔色が悪いぞ」
余程取り乱していたのだろうか、心配をかけてしまったらしくカリヤ隊員が駆け寄ってきた。あまり心配させるわけにもいかないだろう。これから自分達はどんなことが起こるかわからない場所で人命救助をしなくてはならないのだ。意味の分からないことにいつまでも怯えてはいられない。
「大丈夫です、問題ありません」
いつの間にか滴っていた汗を拭ってそう答えると、すぐにコウダ副隊長を中心に集合した。
「全員で分担して捜索しよう。見たところ異常は見受けられないが、ここはサルナスポイントだ。気を抜くんじゃないぞ!」
号令の後、隊員たちはそれぞれの指示された区域に向かい、徹底した調査を行った。砂に埋もれかけた家、オアシスの名残らしき緑の残った場所。しかし、奇妙な電磁波で覆われた地帯では通信機も不調で、隊員間での連携もうまく取れず、捜索は難航していた。
そんな時である。街の南東区域を捜索していたシンは、か細く弱弱しい何かの声を聴いた。コーディネイターであるシンの肉体は人間の能力を常人以上に引き出せるようになっている。普通の人間では聞き落してしまうような音も、シンならば聞き取ることができた。
「今の音は………?」
音の聞こえた方に足を運んでいくと、ひどく衰弱しているラクダが廃屋の中に一頭。脇には水が入っていたと思しきバケツが転がっている。ラクダは飲まず食わずで何日も生きていられるというが、こいつはこの状態で三週間も過ごしていたのだろうか。あたりに散らばっているコンロやバックパックなどの道具から見て、これらがマサオカ青年の所持品だということは間違いないだろう。しかし、だというなら本人はどこへ行ってしまったというのだろう。手がかりを求めて廃屋の中を探し回っていたシンは、砂にまみれている一冊のノートを見つけた。
「これは………?」
読み進めていくうちにそれがマサオカ青年の旅の日記であることが分かった。「あの村の人たちは優しかった。」「この村は飯がうまい」等ということがつらつらと綴ってある。そして最後の、三週間前の日付のページにはこんなことが記されていた。
俺はここで死ぬのだろう。大地の底、人類の歴史をはるかにさかのぼる深淵からのものが俺を呼んでいるのだ。俺は「彼」には抗えない。数瞬数秒意識が飛んでいるのがわかる。「彼」が俺を操っているのだ。何ということだ。この街こそが砂漠の民すら近寄るのを恐れる名もなき都市、蜃気楼の街だったのだ。もうじきペンも握れなくなる。最後に記しておかなくては。これを読む人よ、地下に続く階段を下りてはならない。その先に待つのは―――――――
日記はここで終わっている。読み終えた瞬間、シンは鮮烈なイメージが頭を貫くのを感じた。
月下の街、煌々と照らされた炎の下で半人半獣の奇妙な生物たちが何かを崇めるように狂宴にふけっている。生贄の体を引き裂き、神殿の奥にあるものに捧げていた。それに呼応するかのように奥にあるものが雄叫びをあげ―――
気付いた時にはシンは地面に身を投げ出しのた打ち回っていた。無意識の行動、シンの人間としての部分がマサオカの言う「彼」に呼ばれ、入り込んだ闇の力がイーヴィルティガの持つ光の力とぶつかり合い、まるで体内で核爆発が起きたかのようになっていた。
(他の人は呼べない)
シンは直感した。この闇の波動には巨人の力を持つ自分だけが耐えうるのだ。常人であればたちまちのうちに体を乗っ取られてしまうだろう。
体を引きずりながら、なおも意識はしっかりと持ち、体に同化している光の力が呼応する場所目指してシンは歩いた。シンの物であってシンの物でない、爆発的な怒りが彼とともにあった。かつてマサキ・ケイゴを拒絶し、火星でシンの意識に共振した光の意志の残留が、古からの宿敵、闇の眷属に連なるものの存在に今怒りの炎を燃やしていたのだ。
階段の前に立つ。ここだ、この奥に奴がいるのだ。胸ポケットに入れてある。アギトライブまでもが輝き始め、いつもとは違い己の意思ではなく光の意思でシンは光になった。閃光のように深奥を目指し深く、深く潜っていく。その間、様々な負の情念とすれ違うのを感じた。恨み、憎しみ、恐怖、嫉妬。ありとあらゆるマイナスの感情が漂っている。奴が幾千の時にわたって捕食してきた生物たちの魂がそこにはとどまったままでいたのだ。
許せない。
シンの怒りがイーヴィルティガの怒りと重なった。二重の正の思念は闇の神殿の最奥に到達し、闇の眷属と会いまみえる。その場所で待っていたのは、生理的な嫌悪感を催すでっぷりと肥えた蜥蜴のような奇妙で巨大な生物であった。闇の情念を食らい続けてきた、ただそれだけを悠久の時間繰り返し、母体となる闇の権化が滅びても尚むさぼり続け、この「座」にしがみついてきたもののなれの果て。
意志だけがそこにあった。かつて隆盛を誇っていたであろう巨体はただの脂肪の塊となり、手足は見る影もなく衰え、天井に伸びる無数の触手だけが威容を放っている。
それを打ち滅ぼすのに、最早「技」は必要なかった。かつて海底都市ルルイエとともに現れた邪神・ガタノゾーアのような力は持たないそれを滅ぼすのに必要だったのはただ、光をぶつけることのみ。全身を光に変えてぶつかっただけで、その闇はあっけなく崩れ去った。負の情念にとらわれていた魂達が解放されていく。天井をすり抜け上へ、上へと登っていく魂を、シンはただ見守っていた。
結局、マサオカをはじめ救助隊員たちは見つかることはなかった。各隊員によって彼らの荷物だけが発見され、この事件はサルナスポイントの怪奇現象の一件に追加されることが決まった。しかし、帰り際、ガッツイーグルのコクピットから廃墟の街を見やったシンだけは知っていた。この場所で失踪事件が起きることはもう無いだろうということと、この星にはいまだに太古からの邪悪なるものが住み着いているのだということを。